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美少女かと思いましたわ…

 彼は恐ろし気に扉を見つめた。

 他の人を傷つけてしまうのが、相当怖いのだろうか。


 ――誰にも会わないルートを使ってサンルームに、と考えていたイヴリンだったが、その様子を見て思い直した。

 無茶は禁物ですわ。スモールステップで。


「そうですわね、たしかに……いきなりすぎましたわ。ごめんなさい。お部屋の中でにしましょう。ええと、スペースがありそうなところに椅子を……」


 イヴリンは部屋の中を見回した。が。

 よく見ると、アストンの部屋は、モノでいっぱいだった。壁には天井まである本棚がずらりと並び、地球儀や天球義、床にもテーブルにもさまざまな模型がところせましと置かれている。絵を描くのか、書きかけのキャンバスもたくさん並んでいた。


「すみません……散らかっていて」


 アストンが小さくなって言う。


 たしかに、ずっと部屋から出れなければ、暇つぶしを求めて部屋にものがあふれるのも仕方がない。イヴリンは本の背表紙たちに目を走らせた。


「『バイロウ式魔学紀要』に、『古代術式の構文と変容』……まぁ、難しい本をお読みになるんですのね。それにあの絵も綺麗ですわ。あの気球は、百貨店の……?」


 イヴリンが言うと、アストンはちょっと恥ずかしそうにうなずいた。


「は、はい。この部屋から見える景色で……そうだ、」


 アストンははっとした。


「奥にバルコニーがあります、そこなら、スペースが、空いています」


「あら、それは良いアイディアですわね!」


 アストンが椅子を持ち、二人はバルコニーに向かった。


「まぁ……素敵な景色ですわね」


 この離宮で、おそらく一番眺めの良いバルコニーなのだろう。

 さわやかな風とともに、広大な王宮の森と、その向こうの街並みが見渡せる。


「はい……僕の、お気に入りの場所、で……あ、そうだ」


 アストンが手すりの向こうを指さした。


「今日はちょうど……あと少しで、あの木の向こうから……」


 アストンが指さした方向に、イヴリンは目をこらした。


「あら、気球!」


 赤と白の縞模様に、百貨店の名前の入った気球が、街の上にあがっているのが見えた。


「絵にかいていたのはアレですのね」


「そ、そうなんです……いつも第一日曜日の、ちょうどこの時間に上がるんです……僕は、その、ここから気球が上がるのを、いつも見るために待ってて、だから、さっきはその、ごめんなさい」


 そうか、あのバタバタした音は、急いでバルコニーから走ってきた音だったのか。


「いいんですのよ。なかなか素敵な眺めですもの。晴れた空に気球なんて」


 言いながら、イヴリンはちょっと苦笑した。

 あの気球は、休日になると百貨店の屋上で催されるイベントの一つで、カレンに何度も乗ってきたことを自慢されたのを思い出したからだ。

 けれどアストンは、夢見るように気球を見て言った。


「あの気球に乗ってる人たちは、どんな人なのかなって……あそこから見える景色は、きっと素晴らしいんだろうなって……」


 憧れが強くにじんだその声に、イヴリンは切なくなった。

 この部屋から出れないアストンは、きっと毎月、気球を見るのを楽しみにしていたのだろう。

 気球を眺め、外の世界へと思いをはせる時間を。


――その夢、きっと私がかなえて差し上げますわ。家庭教師として!


 イヴリンは強気の微笑を浮かべた。


「素敵な楽しみ方ですわね。

 それでは、こちらに座って気球を御覧になりながら、どうぞ楽にしてくださいませ」


「か、髪……ほんとに、切るんですか」


 今まで誰にも触れることができなかったアストンの髪は、伸び放題である。切るか結ぶかするべきであった。


「ええ。さぁアストン様、どのくらいの長さがよろしいでしょう? エヴァン様達みたいにばっさりいきます? それとも、ある程度の長さにしておきましょうか?」


 すると、椅子に座ったアストンは、おずおずと後ろに立ったイヴリンを見上げてきた。


「あ、あの、先生……」


「なんですか?」


「手は……大丈夫ですか。僕のせいで……痛くはないですか」


 罪悪感に満ちた目だったので、イヴリンは、軽く包帯を巻いてある自身の手を見て請け負った。


「ぜんっぜん、平気ですのよ。こんなのかすり傷ですわ。どうぞお気になさらないで」


「ごめんなさい……」


「謝るのはナシですわよ。だって、アストン様はわざとじゃありませんもの」


「え……そ、それは違います。ぼ、僕は最初から、あなたを脅すつもりで……」


「でも、あくまで脅すだけで、実際ギフトで私を傷つけるおつもりはなかった。そうでなければ、私に対して、あんな必死に『放してください』なんて言いませんもの」


「そ、それは……で、でも、エヴァンの言う事を……疑いもしなかったことも、悪くて……」


「それはエヴァン様の方が悪質でございますわ。だって嘘でアストン様をだましたんですから。きっとエヴァン様は、そういった事は巧みでしょうし」


 アラステアに対しても猫をかぶっていたのだ。純粋そうなアストンをだますのなんて簡単だろう。


「ですから、いいんですのよ。むしろアストン様とこうしてお話できるようになれて、私は嬉しいですわ」


 するとアストンはちょっと黙った。肩が震えている。


 そして、小さな声で言った。


「せ、先生、あの……」


「なんでしょう?」


「さ、様づけは……やめて、もらえませんか」


「あら、なぜですの?」


「ぼ、僕は、そんなに偉い存在ではないので……そう呼ばれると、緊張してしまいます……」


「なるほど……それなら、アストン君、はいかがでしょうか」


 すると彼はうつむきがちに、うなずいた。


「はい。そ、それでいいです。呼び捨てでも、いいですが……」


 声が小さくて、最後の方は聞こえなかった。


「あら、なんて?」


「いえ、なんでもありません」


「それじゃあ、切っていきますわね」


 背中の中ほどまで伸びた、まっすぐな黒髪を持ち上げて、イヴリンはつぶやいた。


「でも、つやつやしてきれいな御髪ですわね。少し勿体ない気もしますが――思い切って」


 シャキン、とハサミの良い音がした。


「切っていきましょう。前も後ろも。この状態では、さぞ前も見えづらくて、生活しにくかったのではありませんこと?」


「そう……ですが」


「ご自分で切ったことは?」


「いいえ……だって切ったら……」


 前髪も伸びきって顔を覆っていて、しだれ柳状態である。

 イヴリンは持ち前の思い切りの良さで、長い髪をサクサク切っていき、ちょうど肩につくくらい――ギリギリ結べるほどの長さに調整して、いったん手鏡を手渡した。

「いかがでしょう? 前髪もきって、すっきりいたしましたでしょう?」

 アストンは鏡を一瞬見たあと、赤面してすぐに伏せた。


「か、顔が――これではみんなに見えてしまいます」


 イヴリンはそっと彼の顔を覗き込んだ。そして息を呑んだ。

 まるで白百合のような、透き通らんばかりの白い肌。整った鼻梁に長いまつ毛。繊細なガラス細工のような、紫色の目――。


 び、美少女……? いえ、男の子です。けれど、美しすぎますわ。これは、社交界に出たら大変なことになりそうですわね。


 ――とはいえ、腕も鳴る。この輝く原石が、イヴリンの手に一任されているのである!

 イヴリンは相手をおびえさせないよう、にっこり微笑んだ。


「あら、お顔を人に見られるのは、恥ずかしいのですか?」


 あくまで優しい声でイヴリンが聞くと、アストンは小さくうなずいた。


「は、はい。僕の顔なんて……」


 大げさにほめるのはよろしくないだろう。イヴリンはさりげなく言った。


「そんなことはありませんわ。私はこちらの方が良いと思いますわよ。だって、アストン君の目を見てお話できますもの」


 彼の前に回り込んで、目を見ながら言うと、白い頬にばっと赤みが刺した。


「せ、せんせ、い」


 彼がばっと椅子の上で体を引いた。

 あらいけない。威圧感を与えてしまったかしら。


「でも、今までずっとあった前髪が消えて、心細いお気持ちはわかりますわ。だから、ある程度御髪は長さを残させてもらいましたの」


 彼の後ろに回って、切りたての髪を整える。


「このように後ろで結べば、すっきりいたしますし、逆にお顔を隠したいときは、ある程度サイドに流して……ほら、どうでしょう?」


 後ろから一緒に鏡を覗き込むと、鏡の中のアストンはさらに頬を赤くして、目をそらした。


「は、はい……これでいいです、先生」


「ふふ、それならよかったですわ」


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