カメリアの秘密
すでに髪の毛が薄くなっている頭の後ろを優しく撫でてあげると――陛下はいともたやすく眠りに落ちた。
――最初は私の魔眼も、なかなか通用しなくて大変だったけれど。今ではすっかり、効くようになったわね。
「おぬし……も、寝なさい……疲れている、だろう……」
カメリアは微笑んで、優しく彼に掛け布をかぶせてあげる。
おやすみなさい、優しい陛下。私に操られている事も知らない、幸福な方。
唇の端をつりあげる。たとえ真夜中でも、この唇にはみずみずしく紅が惹かれている。
カメリアは軽くひきつる頬に手をあてた。幼いころに刃を入れられたこの顔と体は、今でも時折痛む。
けれど、そのおかげで、この容姿を手に入れる事ができた。控えめなほほえみを浮かべれば優しい聖母に見え、一度化粧を施せば妖艶な美女となる、便利な顔立ちを。
それに、抱き心地のよいまろやかな胸も、しっとりとあでやかな声も、なめらかな曲線を描く足も。およそ男が欲しがるものがすべて備わっているのが、カメリアの肉体であった。
カメリアは、もとの自分の顔を覚えていない。自分の母の顔も、父の顔も知らない。
物心ついたころには、大勢の似たような境遇の女の子たちと、冷たい地下の牢屋に押し込められていた。
目を取り換えられて、ダメになった娘もいた。体にかけられた魔術に耐え切れず、冷たくなった娘もいた。
カメリアは生き残りたい一心で、周りを押しのけ、すべてに耐えた。
魔眼の移植も、顔を作り替える実験も、心臓に黒縄を刻印されることも。
すべてに適応しきったカメリアは、ありとあらゆる魔術、社交術、そして閨房術を叩き込まれた。
――権力者の男を陥落させ、思うままに操るために生み出されたのが、自分という改造人間だ。
そして、満を持して実戦に投入され、ルミナシアに潜入したカメリアは、拍子抜けした。
すべてが、とんとん拍子に運びすぎて。
王子たちを手のひらで転がすのは、息を吸うより簡単だった。妃サーシャの死を悲しむ王を落とすのも、まるで赤子の手をひねるようだった。
のんきに幸せに育ってきたルミナシアの人間を陥れることなど、カメリアにとっては朝飯前だったのだ。
これなら楽勝だ。そう思っていたカメリアだったが……。
最近はちょっと、雲行きが怪しくなってきたようね。
あのアラステアの動向に、注意しなくては。
まったく、せっかく王子たちと面倒なアラステアを仲たがいさせたと思ったのに。
けれど、人間同士の仲を裂くことなど、カメリアにとってはたやすい事だった。
あの兄弟と、アラステア、それに家庭教師――彼らをよく観察して、つけこめそうなほころびを探さないとね。
そう思いながら、カメリアはぴったりと王によりそい、同じベッドで眠りについた。
◆
エヴァンがいないからといって何かが変わるわけでもなく、穏やかに離宮の日常は過ぎていく。
「あらライアス様、眠くなってしまいました?」
さんさんと降り注ぐ太陽の下、ライアスが、ランチのサンドイッチを手に船をこいでいた。
「うーん……うん……」
「それなら軽く横になるといいですわ。ブランケットもありますから」
するとライアスは、芝生の上に敷いたシートの上に素直に丸まった。一緒に来ていたマフィンが、その横に寄り添って目を閉じる。
「僕のミンスパイ……とっておいて……ね」
「ええ、もちろん」
むにゃ……とつぶやく彼に、イヴリンは一人と一匹にブランケットをかけてやった。
「鬼ごっこしすぎて、疲れちゃったかな」
傍らに座るアストンが微笑んだ。
「ふふ。こうしてアストン君がピクニックに来てくれるのは初めてですから、嬉しかったんですね」
根気強く自分の力を制御する鍛錬をここまで続けて、やっとアストンは、必要な時だけでなく、こうしてただ遊びのためだけにも、部屋を出れるようになった。
「外を走り回るのって、気持ちいいものですね。知らなかった。こうやって過ごせるのも、先生のおかげです」
太陽を仰ぎながらそうつぶやくアストンを見て、イヴリンは心から嬉しい気持ちになった。
「それはアストン君が、毎日真面目に、自分の力に取り組んできたからですわ。きっともう、街にも行けますわね」
イヴリンはそういえば、と思い続けた。
「そうだ、気球に乗りたいっておっしゃってましたね? エヴァン様が帰ってらしたら、お留守番をお願いして、一緒にお忍びでお出かけいたしましょうか?」
するとアストンは、はっと目を丸くしたあと、くしゃっと笑った。
「エヴァンに言ったら、ついてきそうですね」
「あらでも、二人きりがいいとおっしゃっていたではありませんか。エヴァン様とライアス様は、気球のご経験はもうおありでしょうし。快く見送ってくださるんじゃないでしょうか」
今度はアストンは苦笑した。
「どうかなぁ……エヴァンも先生と出かけたいだろうから、拗ねそうです」
「まさか」
鼻で笑ったイヴリンを見て、アストンはさらに苦笑を深めた。
「でも……エヴァンに怒られても行きたいです……」
「大丈夫ですよ、行きましょう。きっと」
イヴリンは彼に向かって小指を差し出した。
「約束は守りますわよ。ほら」
するとアストンは、ふふっ、と笑いながら、おずおずとイヴリンの小指に小指をからめた。
当たり前だが、彼の手はイヴリンの手よりも、すでに大きい。イヴリンはしみじみつぶやいた。
「アストン君はこれからきっと、もっと大きく、立派になって、この離宮から飛び立っていくんですのね」
大きなギフトを持ち、それを着実に使いこなし始めたアストン。
たとえ出自に問題があったとしても――アラステアの後ろ盾のもと、これから大きく成長し、世の中へ羽ばたいていくのだろう。
「え……」
「広い世界で、きっと活躍する人になりますわ。私、そのお手伝いができて光栄です」
ちょっと寂しいけれどもね。いつか巣立つ子供を見送る母親ってこんな気持ちなのね……。
とイヴリンが思っていたら、ばっと両手で、アストンがイヴリンの両手を掴んだ。
「ぼ、僕は……ここから出たくなんて、ありません」
その言葉に、イヴリンは耳を疑った――が、すぐに微笑んだ。
「大丈夫、今は不安かもしれませんが、きっとすぐに、アストン君は大人になって――この場所も、私の授業も、窮屈に感じるようになるはずですわ」
「それは……」
「ですが、そう思えないうちは、ええ、いつまでも私に頼っていただいていいんですのよ。そのための家庭教師、ですもの」
眼を見て言うと、アストンは少し唇を噛んで、なぜだか苦しそうな顔をした後――ふ、と息をついた。
「そうですね、先生……ありがとうございます」
◆
ライアスがぱっちり目を覚ました昼下がり、ようやくピクニックは終了となった。
カラトリーを片し、ハンギングバスケットと敷布をもって、アストンはライアスと手をつないで歩くイヴリンの後ろ姿を見つめた。
先生は、勇気があって、なんでもできる。
頭の回転が速くて、知識が豊富で、何かを教えるのも上手で……
だけど先生は。
きっと恋愛だけは、まだしたことがないんだ。
エヴァンの淡い関心にも、アストンのこの、身を焦がすような想いにも――ぜんぜん、気が付いていない。
むしろバイロウさんみたいな、大人の男性に、少女みたいにあこがれている。
彼女の小さい背中を見つめながら、アストンの中で、先ほど言えなかった言葉があふれそうになる。
先生、僕は外に出るのが怖いわけじゃないんです。
僕は、あなたのいるところがいい。それだけなんです。
先生がいれば……僕は他には、なにもいらないんです。
けれど、アストンはぐっと唇を結んだ。
――そんなこと、言えない。
だから、先生が気が付かない方がいいんだ。
アストンは、荷物を持つ手に力をこめた。
でも、でもいつか……僕がもっと、エヴァンと同じくらい。いやそれ以上に立派になったら。
胸を張って、先生に好きだと告げられるだけの実力を身に着けたら。
そしたら、きっと……。
頑張らなきゃ。もっともっと。
決意をにじませながら、アストンは一歩一歩、イヴリンの後ろをついていった。
第一部・END
とりあえずここまでで第一部・完としてあります!
ここまで読んでくださった方~~ありがとうございました!!!
本当にありがたい!!
続きはこれから書いて、手元で完結したらまたドカッと投稿する予定なのですが、
いつになるとは今は言えず……申し訳ない……
あのなので…もしよかったら、ご感想とか…いただけると嬉しいです!!(テヘ)
おもしろかったー、とか義母むかつく!とか一言だけでもうれしいんでッ
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