いきおくれになりたいの?
「え……」
予想外の事に、イヴリンは目が点になった。
「は?」
「なん……だと…」
アストンとエヴァンも固まっている。
でもお母さまが、私の結婚の世話だなんて? 常日頃、持参金についてしぶっていたのに?
瞬時に何か裏があると察したイヴリンは、用心深く聞いた。
「お相手はどなたですの? まさか……すでにお金を受け取ったりはしていませんわよね?」
すると義母はフフフと悪びれもせず笑った。
「ええ、もちろん受け取っているけれど? むしろ嬉しいことでしょう、持参金なしで、むしろ支度金をよこしてくれる甲斐性のある、貴族の殿方がお前なんかをご所望だなんて!」
なるほど。通常、男性の方から金銭が支払われる場合は、相手に、婚約者としてなんらかの不利があるため、それを補ってでも嫁を取りたい場合に多い。
たとえば商家の息子が、貴族の娘を嫁に迎えるときなどだ。
けれど義母は、貴族の男性だといった。なら、それは、つまり。
「お相手はデズモンド伯爵様よ。お前は5人目のあと添えだそうよ。お前なんかが、経験豊富な年上の方に貰っていただけるなんて幸せねぇ!」
エヴァンが目を見開いた。
「な……! デズモンド伯爵と言えば……!」
義母は大儀そうにつぶやいた。
「実をいうと、先方はあなたが来るのを心待ちにしてくださっていてね。もう今、こちらへ迎えの馬車をよこすと言ってらしたわ」
「え……待ってください、ここに?」
「ええ、もううちの屋敷にお前の持ち物も部屋もないし、デズモンド様のお屋敷に直行でかまいませんとお答えしておきました。さぁ、さっさとこちらから荷物を引き払いなさい。そう時間はかからないでしょう? たいしたものなんて持っていないんだから」
「この……言わせておけば!」
エヴァンが食ってかかるように一歩前に出ようとするのを、アストンがとっさに止める。
イヴリンは毅然と首を振った。エヴァンが怒るのももっともだ。
――なんせ私たち、一つの目的のために、いま力を合わせて取り組んでいる最中ですもの。
そんな中、私だけひとり一抜けだなんて、無責任にもほどがありますわ。
「お母さま、私は正式に仕事を任されておりますのよ。それをお母さまがたの一存で、今日勝手に放り投げて出ていくわけにはまいりません」
すると義母の顔がふっと歪んだ。
「あら、うれしくないの? 一生誰からも望まれず、みじめに一人で老いていくはずのお前が、花嫁になれるのよ? こんなチャンス、もうこれきりですからね?」
アストンが冷静に義母の前に出た。
「ですが、ロシュフォール夫人、イヴリン嬢は、アラステア先生との間に交わした、正式な雇用契約書があります。これを無視して、第三者が勝手にやめさせることは法律違反になります。アラステア先生が黙っていませんし、僕たちも――」
しかし義母は軽く笑ってその言葉をさえぎった。
「あら、お若い殿下にはおわかりにならないやもしれませんが、結婚は女の人生の最重要事項にございますのよ。良い縁談を逃せば、このイヴリンは一生みじめな、いきおくれとして人生を過ごすことになりますわ。それに比べたら、仕事なんて些細なこと!」
ふん、とイヴリンを見てあざ笑う。
「それに、この娘の仕事なんて、どうせ遊び半分の、誰にでもできるもの。代わりはいくらでもおりますわ。アラステア様もお許しくださるでしょう。きっと明日にはもう、別の家庭教師をよこしてくださりますわ」
義母の訴えは止まらない。今度は猫なで声で言い出す。
「このイヴリンは、大した能力もなく、容姿もぱっとせず愛想もない、およそ良いところがない娘ですのよ。そんな娘にやっと舞い込んだ唯一のチャンスをつぶすなんて、ああ、どうかそんなひどいことなさらないでくださいまし」
そして義母は、あざ笑いのまま、睨んでくるエヴァンとアストンに向かってすごんだ。
「それとも殿下がたは、こんな誰にでもできる遊び仕事でこの娘が婚期を逃しても――その一生の責任を取ってくださるとでもおっしゃいますの? 無理でしょう、そんなこと」
そして義母は、イヴリンに向かって声を荒げた。
「さあ何をぐずぐずしているの? とっとと支度なさいな。デズモンド様のお屋敷についたら、少しは愛想よくするんだよ。結婚したからって、愛想をつかされて捨てられたらおしまいなんだからね。しっかりお仕えして、傅いて、たくさん公爵様の子どもを産めるように花嫁としてご奉仕するんだよ。そしたらお前も安泰なんだから」
――何を言っても、この義母には通じなそうね。イヴリンははぁとため息をついて言った。
「お母さま、とりあえずお引き取りくださいな。ええ、お話はよくわかりましたから」
とりあえず、話の通じない義母にはかえってもらって、そのあとデズモンド伯爵とやらが来る前に、衛兵に怪しい者は通さないよう通達しておこう。
――だいたい義母も、どうやってここまで入ったのかしら。王級のセキュリティはどうなっているんでしょう、もう、離宮だからって手薄にしているのかしら⁉
はぁ。
とイヴリンがため息をついたその時。
「あらぁお母さま、まだですのー?」
「おい、そろそろデズモンド様が到着するぞ」
どこで待っていたのか、玄関からカレンと父までが入ってきた。
「カレン⁉ お父様も?」
父が問答無用で、がしっとイヴリンの手首をつかんだ。
「いい加減にしろ。この役立たずめが。この期に及んでまだ反抗するつもりか。さっさとここを出て、デズモンド様をお迎えするんだ」
すると義母があらあらと首をかしげた。
「でもあなた、荷物が」
「ぬるい。こやつ自由にすれば、どうせ何か画策して逃げ出す。引き渡すまで押さえつけておくのが良い。そのためにわざわざわしが来たのだろうが」
するとカレンがクスクス笑った。
「あらぁ、お姉さまったら、おめでとうございますぅ。60代の紳士のお嫁様だなんて、落ち着いたお姉さまにはお似合いですわぁ」
この状況をどうにか打開することを考えるイヴリンの顔を、カレンが覗き込んだ。
「私お姉さまの門出を祝いたくて、わざわざこちらにやってきましたのよ! 結婚式もないかわいそうなお姉さまですからほら、ライスシャワーをして差し上げようと思って!」
アハハ! と笑いながら、カレンは手の中に握りこんでいた小石のようなものをイヴリンの顔にむかって投げつけた。
「おめでとうお姉さまぁ!」
イヴリンは思わず目を閉じた。鳥たちが飛んでこようとする気配を感じたので、必死に来てはダメ、と念じる。
――この家族、無害な動物に対して何をするかわからない。遠ざけておかないと危険だ。
しかし、小石のつぶてがイヴリンの顔に当たることはなかった。
「きゃああ! なんですのっ⁉ い、痛いぃ!」
カレンの悲鳴が聞こえて、イヴリンは思わず目を開けた。
目の前に、アストンとエヴァンが立っていた。地面にパチパチと、砕けた小石と稲妻が散っていて、アストンはカレンの腕を掴んでいた。
「い、いた、いたたたぁぁッ」
カレンがひときわ叫んだので、アストンは彼女の手を離した。
――もしかして、力を使ったの⁉
人を傷つけることを極端に恐れる彼に、そんなことをさせてしまった。イヴリンはまっさきにアストンの前に回り込んだ。
「アストン君、大丈夫ですか」
するとアストンは、はっとしてイヴリンをみたあと、きっと前を向いた。
「僕の後ろへ。たとえご家族でも――先生を傷つける人は、許せません」
「ああ、俺も同感だ」
二人は声を合わせていった。
「今すぐ帰れ!」
手のひらで電流を操るエヴァンには、周りを圧倒する風格が、そして、黒い雲をまとったアストンには、本能的に恐怖を感じさせる強者のオーラがあった。
その二人を前にして、父たちが後ずさりする。
しかし、義母はしぶとかった。
「まああ、そんなにお怒りにならないで、殿下様がた。少々主人もカレンも言葉が強いけれど、全部イヴリンのためを思ってしていることなのですよ。どうか彼女を助けると思って――」
「帰れ、これで警告は最後だぞ」
電撃をもてあそびながら言うエヴァンより、アストンが一歩前に出て言った。
「彼女の一生に責任がとれるか、と言いましたね?」
アストンの真剣な顔に、義母がおや、という顔をする。
「僕にはその覚悟があります。僕は、先生……いえ、イヴリン・ロシュフォール嬢の事が――」




