あの娘
なんと。図々し……いえ、まぁたしかに、アストンに比べて、エヴァン様を雑に扱いすぎていたかもしませんわね。
んーでも、どこをお褒めすれば?
「ええと……エヴァン様は、とっても努力家ですわね。もともとお持ちの能力も高いうえに、努力を惜しまないところが素晴らしいと思いますわ」
するとエヴァンはふふん、とちょっと得意そうな顔になった。
「そうだろう、もっと褒めてみろ」
「もっとですか? うーん……俺様で、思い込みが激しくて……でもガッツが……そう、ガッツがおありですわね」
うん、とイヴリンはうなずいた。
「どんな失敗をしようとも、必ずそれを糧にのし上がろうとするハングリー精神といいますか、思い込みの激しさも使いようといいますいか……」
するとエヴァンの笑顔が消えていった。
「お前それ、褒めてないだろ」
「あら、そうかしら?」
「くっ……じゃあ見た目だ! 俺の見た目はどうだッ」
「さっき、これ以上ないほどお褒めしたじゃありませんか。貴公子として皆に人気が出るでしょうと」
「俺の見た目が皆にどう受けるとか、そういう事ではなく! お前はどうなんだっ」
エヴァンはずいっ、とイヴリンの顔を覗き込んだ。
「お前は俺を――どう思う?」
イヴリンはにっこり先生スマイルを浮かべた。
幼児に言い含めるときの顔である。
「もちろん、素敵だと思いますわ」
「ほんとーに?」
「ええ」
「じゃあアストンの顔と俺の顔、どっちが好きだ」
あらやだ、なんでそんな、答えに困る質問を。
そりゃあ、ね。私は……個人的には。
見上げるほどにさんさんと眩しい太陽よりも、ひそやかで優しい、月の光の方が好みですわ。
しかし、そんなことを言えば、エヴァンはおおいに機嫌をそこねそうだ。それに、生徒を顔の好みで優劣をつけるなんて、そもそも間違っている。
まったく、いち家庭教師の意見など、なぜ気にするのか。アストンと張り合いたいわけでもなかろうに。イヴリンは笑顔を保ったまま答えた。
「それは選べませんわ。どちらも素敵ですもの」
するとエヴァンはとたんにむっつりした顔になった。
「あー、そうか。ふん。見え見えの嘘を」
さすがに、幼児向け笑顔では騙されてくれなかったか。
でも、アストンをひいきしてしまっていたのは確かかもしれない。イヴリンは少し反省して、エヴァンに続きを促した。
「ほら、私の好みなどどうでも良いですから、早くこの手紙たち、確認してしまいましょう?」
するとエヴァンはふんとため息をつき、しぶしぶ手紙の仕分けを再開しだした。
アストンはいないのだから、この場では嘘でも――俺と言えばいいものを。
せっせと手紙を開いては確かめる作業を行うイヴリンをちらりと盗み見して、エヴァンは不機嫌に思った。
生徒をおだててヤル気を出させるなんて、教師の常套句のはずだ。たとえそれが、本心とは違うお世辞であっても。
なのにイヴリンは「どちらも選べませんわ」などという。
どうせ、イヴリンが個人的に好きなのはアストンの方だ。わかっている。
最初さんざん抵抗した自分と違って、アストンはずっとイヴリンになついて、協力していた。おまけに奴は心底優しいし顔立ちも柔和だしで、俺が女だとしても、アストンの方になびくと思う。当然だ。俺自身、俺よりアストンを選ぶ女の方が好ましいとさえ思う。肩書ではなく、中身で人を見る人間なのだと。
それなのに――。
それがこの家庭教師、イヴリン・ロシュフォール相手となると、こんなにもやもや割り切れないのはなぜだろう。
「どちらも選べませんわ」だなんて。それも嘘だ。けれど。
……アストンって言ったら、俺が傷つくってわかっているから、そう嘘をついたんだろうな。
同じ嘘は嘘でも、イヴリンは、嘘八百を並べて、エヴァンをおだてることはしない。エヴァンの事を、思い通りに動かそうなどど、思ってもいない。
ただ、俺の目的を、全力でサポートしているだけだ。
もういちど、真剣に手紙を吟味する彼女を盗みみて、思う。
裏表のない。正直な女だ。ただ、俺を傷つけないために、ちょっと嘘をつくやさしさは持ち合わせている。
そんな、そんなところが。
「エヴァン君、これは大物ですわよ」
その時ふと、イヴリンが釣り書き掲げてきたので、エヴァンはあわてて目をそらした。
「な、なんだ、いったい」
「こちらのご令嬢……かなりの資産家ですわよ!」
いきいきと説明したすイヴリンを見て、エヴァンははぁ、とため息をついた。
◆
窓の外から、何やら魔力の気配を感じる。
悪いモノではない。
むしろ懐かしく、慕わしい気配――。
そう思ったバイロウは、即座に窓を開けた。
「おや、君か」
この学園で一番高い塔にあるバイロウの研究室に、レモングリーンの羽をした小鳥が一羽、舞い込んできた。
「たしかこの前の舞踏会にも居たね? あの娘のそばに。君はあの子の使い魔かな?」
話しかけて手を差し伸べると、すっとバイロウの指先にその小鳥は止まった。
美しい瞳で、じっとバイロウの目を見つめている。
――感じる。イヴリン・ロシュフォールの魔力の気配を。
しかし、小鳥が魔術で操られている気配はなく、すぐにバイロウの指から飛び立ち、気ままに机の上や実験器具を確かめるように、飛び回った。
一通り部屋の中を見て回ると、小鳥はちょん、とバイロウの肩に止まり、チチ、と鳴いた。
様々な呪文に精通し、高度な魔術を扱うバイロウの耳は――言葉はなくとも、小鳥の感情をその音から読み取った。
「ふむ……なるほど。君は、契約で縛られた使い魔ではなく、彼女の友人――いや、家族なのか。イヴリンとお近づきになった私を、自分の意志で確かめに来たのだね。わざわざこんな高い塔に飛んでまで」
バイロウは、机の上に置いてあったペトリ皿を一つ取った。
「ならばもてなすのが筋というものだね。どうだい。これは学園の植物園で育てられている、特殊なひまわりの種でね。油分が多くて、なかなか美味なはずだが」
すると小鳥は嬉しそうにペトリ皿から種をついばみ、今度はルロロロロ、と歌うように鳴いた。
「そうか……そうか、君の名前は、ハウオリというのか」
幸せを意味する、古い言葉だ。バイロウの頬に笑みが上る。
くしくも……バイロウが心の奥底にしまっている大事な名前と、同じ意味だ。
「素晴らしい……素晴らしい名前だ」
幸せ。自分には、もう存在しないと思っていた言葉。
ああ、こんな時がたって、こんな風に、思いがけない縁で、また……君とつながる存在と、出会えるなんて。
「っ……」
思わず息を詰まらせてしまったバイロウの顔を、ハウオリが心配そうにじっと見上げた。
「ああ……すまない、すまないね。おかしいだろう? 君のお嬢さんよりもずっと年上の、大の男が……軽率にこんな顔をしてはね」
バイロウは微笑んだ。
「けれど、君に会えてうれしいんだ。思いがけなかったものだからね……」
バイロウはさらさらと、パピルスで編まれた軽い紙にペンを走らせた。
「いつでも学園に寄ってくれたまえ。次は美味しいペレットを用意しておこう、ハウオリ」
バイロウの意図を理解したハウオリは、片足を差し出した。
「おお。ありがとう。君のお嬢さんによろしくたのむよ」
窓から飛び立ったハウオリを見送って、バイロウは満ち足りた気持ちで思った。
まったく――レイ・アラステアは油断ならない男だ。
確実にこちらの泣き所を突いてくる。
イヴリン・ロシュフォール。美しい娘だった。桃色に輝く髪、意志の強い瞳。
一目見ただけで、バイロウの心の中に懐かしさと慕わしさ、そして――父性にも似た、使命感が目覚めたのだ。
「あの娘が居るのなら……力を貸さないわけには、いかないからね」
次こそは、大事な人を守ってみせるのだ。
◆
「あら、手紙だわ!」
窓を開けると、ハウオリが、手紙を括り付けられた足をイヴリンに向かって差し出した。
「ありがとう、いま受け取るわ。きっとアラステア先生ね」
ハウオリにノワール、イヴリンの魔力によって仲良しになっている小鳥をそうと見分けられるのは、この世界広しといえどもアラステアくらいだろう。
だからイヴリンは、手紙を開いて驚いた。
「あら、バイロウ様⁉」
達筆な青いインクで綴られた署名に、イヴリンは目を丸くした。
ま、魔術界の大先生が、私になんの用事かしら……?
紙面には、突然の手紙を詫びる言葉と、ハウオリの魔力のすばらしさ、イヴリンの魔術に対するお褒めの言葉、そして――今宮にも訪ねたいという言葉で締めくくられていた。
まぁ、うれしい。バイロウ様が来てくださるなんて。でも、ちょっと緊張してしまうわ。
イヴリンはそう思いながら、送られてきた手紙を大事にしまった。




