その気にさせろ、先生?
アストンは驚きながらも、グラスを受け取り――そしてあっけにとられた顔になる。
イヴリンは慌てて彼のもとへと駆け寄った。
「アストン君、ご気分はどうですか」
彼はグラスを見ながら、呆然とつぶやいた。
「……あの方は一体何者ですか。僕の事を……」
イヴリンも気になった。
「そうですわ。いったいあの方、どういう方なんですの? なぜ私にご紹介を?」
するとアラステアは肩をすくめて言った。
「社交界初心者のあなたがたは、知らなくても無理ありませんね。彼は私と同じ、魔術学校を主席で卒業した同期です。政権にはかかわらず、研究を貫いている魔術界の第一人者、イゴール・バイロウ氏ですよ」
「ま、まぁ、魔術師の大先生ですのね」
どうりで貫録があったわけだ。同い年でも、アラステアよりも重々しい雰囲気をまとっていた。
「で、まぁ、彼にはいろいろ貸し借りもあるのですが――カメリアの件で、味方になってくれるように頼んでいたのですが、なにせ王宮嫌いで、なかなかうなずいてくれなくて」
しかしアラステアはウインクした。
「けれど、今日とうとう、承知してくれました。今後あなた方の力になってくれるでしょう」
イヴリンははっとした。
「た、たしかに、困った時は頼るようにって、含みのあるお言葉をいただきましたわ」
「だろう。君はきっと気に入られたんだね。あの気難しい男に。まぁ、彼からすれば当然のことだけれど」
「気難しい? ……親切で愛想のよい方だと思いましたけれど」
首をかしげるイヴリンに、アラステアは笑った。
「はは、君の適応能力は目を見張るものがあるねぇ」
そしてふいに、アラステアはバルコニーから室内へと視線を移した。
「おや、エヴァン様が囲まれて苦心している様子だ。私は彼を助けに戻ります。あなたがたの仕事は終わりましたから、もうゆるりと夜会を楽しんでかまいませんよ」
そしてアラステアもバルコニーを退出し、アストンとイヴリンだけが残った。
アストンは無言のまま、むっつりとグラスを握りしめていた。
あら、珍しい表情……。もしかして、怒らせてしまったかしら。イヴリンは申し訳なくなって謝った。
「申し訳ありません、アストン君。もしかして、私を探しに行かれたんですか」
するとアストンは首を振った。
「いえ、謝らないでください、先生……」
しかし彼の顔は晴れないままだ。イヴリンは心配になって彼の顔を覗き込んだ。
「でも、お顔色がすぐれませんわ。ほら、ベンチにお座りになって。楽になさって」
「違うんです。僕、ついてきてしまいましたが、やっぱりまだ……ぜんぜん、力不足だなって」
「え?」
「さきほどの方に、釘を刺されました。僕の力も正体も見抜いていて――その上で、忠告を、されました」
あら、聞き捨てならないですわね。
正体……って、アストン君の、出自のことでしょうか。
聞きたいけれど、イヴリンはとりあえず控えた。
こんなところで、本人に聞くのは悪手という気がしたからだ。
「何をおっしゃられたんですか? バイロウ様は」
するとアストンは首を振った。
「いいえ。些細な助言です。でもあの人には、僕の未熟さがはっきりわかったようで」
あら、それで落ち込んでいるのね。さっきの私と同じじゃないの。イヴリンはアストンを励ました。
「アストン君、それは私もですわ。あの方に若輩者であると見抜かれて、いろいろ親切にしていただきました」
イヴリンは自らを省みて、苦笑した。
あんなすごい人相手に、分不相応なときめきを抱きそうになっていた自分が、未熟者すぎて恥ずかしい。
「やはり私も、経験不足です……。もっといろんな事を学んで、強くならなければ、と己を恥じておりますわ」
真面目にそういうイヴリンを見て、今度はアストンが微笑んだ。
「先生は十分強いですよ。そのままで、いいのに。強くならないといけないのは、僕です」
アストンの優しい言葉に、イヴリンもつられて微笑んだ。
「あら、そんなことではいけませんわ。アストン君こそ……今の素敵な部分を、残したままでいていただきたいと思いますわ。でもとにかく……」
イヴリンは月を見上げた。
「私たち……同じ方向を向いているようですわね。お互い、今より成長したいって。頑張りましょうね」
持っていたグラスを、願をかけるように月へ一献、そしてアストンに対しても礼をする。
「はい、先生。僕も、あの人に負けないくらい……成長したいです」
アストンもまた、イヴリンにグラスを捧げ持った。
月明りの下で飲むノンアルコールのカクテルは、少し甘くて、不思議な香りがしたのであった。
◆
「うう~~ああもう!」
あの舞踏会から数日。離宮にひっきりなしに送られてくる配達物に、エヴァンは頭をかかえていた。
「こんなにたくさん、一体?」
郵便物の仕分けに駆り出されていたイヴリンは、首をかしげた。
「社交の手紙だ! サロンだの夜会だの誘いに――これ」
エヴァンはげんなりとした顔で、重たいつつみをイヴリンによこした。
「あら、これは――ミニアチュール(細密画?)」
ちょうど手に収まるくらいの、額装された絵画が中から出てきた。描かれているのは、うら若い令嬢であった。これはつまり――
「お見合いの釣り書き?」
はぁ、とエヴァンは苦々しくため息をついた。
「そうだ。こうしたことは本来両親のもとに行くはずなんだが、カメリアと俺の関係が悪いのは周知の事実だから――ここに直接とどけられる! ああもう、どう断ればいいんだ」
心底迷惑そうにつぶやくエヴァン。
「あら、すぐ断るなんて勿体ありませんわ。良さそうなご令嬢がいればキープしておけば良いのでは? 結婚、使いようによっては、権力争いの大きな切り札になるでしょう」
するとエヴァンは顔をゆがめた。
「お前、一応十代の娘のくせにえげつない事を言うな……」
「それは失礼をしました。でも夢見ていたってしょうがありませんもの。愛や恋で、カメリア様との戦いに勝ち抜いていけるわけがありませんわ。エヴァン様」
エヴァンはさらにため息をついた。
「それに俺は、一応決められた許嫁がいる」
「あら、そうなんですの? 初耳ですわ」
「だが、カメリアの事があってから、俺のそういう話は宙ぶらりんで――白紙に戻るか戻らないかの瀬戸際ってとこだな」
「なるほど……だからみな、夜会のあとにあわよくばを狙って釣り書きを送ってきているのですね。して、エヴァン様のご希望は?」
「さあな。結婚なんて想像もつかない。けど、まぁ、目的のためには慎重に事を進めないといけなそうだな。お前の言う通りではある。俺はどんな手を使ってでも勝ちたい」
イヴリンは思わずにやり、と笑った。野心のある教え子、なかなかバックアップしがいがあるではないか。腕が鳴る。
「なら、お返事はいったん泳がせましょう。今のどっちつかずの状態の間に、エヴァン様の価値をうんと釣り上げるのです。どうせ政略結婚なのならば、一番力のあるお家のお嬢様と良い条件での結婚を目指す事ですわ」
「なるほど。具体的にはどうすれば?」
「アラステア様について、王子としてのお勉強をなさるのです。そういえば近々、一緒にお出かけになるのでしょう? 地方訪問だとか」
「ああ、誘われたからついて行くことにした。将来のための視察……だと思う」
イヴリンはうんうんとうなずいた。
地方から地固め。着実に、次期の王になるための布石を打っていらっしゃるではありませんか。
「素晴らしいですわ。あとは、できることなら空き時間には積極的に夜会に出て、その容姿とあなたの才気を存分にアピールなさるのをおすすめしますわ。この国すべてのご令嬢が無視できないくらいに、魅力的な貴公子を目指すんですのよ!!!」
意気込むイヴリンに、エヴァンはちょっと引きながら聞いた。
「なんというか……百年の恋も冷めそうな、即物的な物言いだな、お前のそれは。しかし……俺の容姿を、お前は評価しているという事か?」
思いがけない質問に、イヴリンは悪気なくうなずいた。
「ええ。エヴァン様こそまさに王子様、といった容姿ですわね。輝く御髪に、高貴な顔立ち。笑顔の下に隠し切れないプライドの高さが漂っているのも、婚約候補の貴公子として高ポイントですわ」
イヴリンは事実を述べ褒めたつもりだったが、エヴァンはげんなりとした顔をしたあと、すこし拗ねたような表情になった。
「なんだその言い方は……人を血統書付きの犬みたいに。アストンには、いろいろ嬉しがらせる事を言って褒めていたくせに」
「あら、そんなこと言いましたっけ?」
にわかに彼がへそをまげて、ぶつぶつつぶやきだす。
「言っていた。アストン君のような素敵な人と食事に行くのはうれしい、とか、俺は尾行先で仕方なく入った薄汚れたパブで十分だ、とか」
「ん~~? 後者は言っていないような気がしますわよ」
よく思い出せないながらも記憶を探っていると、エヴァンは睨むようにイヴリンを見上げた。
「今の言い方じゃまったくやる気が出ないな。だから何か俺を褒めて、その気にさせろ。そういうの得意だろう? 先生?」




