世の中にうまい話なんてないんですわね
イヴリンがアラステアについて中に入っていくと、そこには完璧な笑顔をうかべた15、6くらいの金髪の少年が立っていた。
まぁ、なんて美形なんでしょう。イヴリンは思わず目を奪われた。
猫のように釣りあがったブルーの目に、輝くような金髪。顔立ちは、まるで絵画に描かれる少年神のように、周りを圧倒させる神々しさがあった。
そしてその後ろには、同じように金髪の、もっと幼く見える、仏頂面の少年が立っていた。こちらも愛らしく整った顔立ちをしている。
まぁ……どちらのご兄弟かしら? 眼福だわね。
すると、兄と思わしき方が口を開いた。
「先生、おかえりなさい」
弟の方は、口をとがらせている。
「遅いよう」
「エヴァン様、ライアス様、すっかりご無沙汰しております」
そこでイヴリンははっとした。
ーーん? 待って、エヴァン様に、ライアス様って、たしか……。
嫌な予感に、イヴリンは動きを止めたが、彼らは親しげに喋り続けていた。
「申し訳ありません。いつものことながら多忙で……おや、アストン様は?」
「今日も調子が良くないみたいです」
エヴァンがにこやかに答えた。
「そうですか…あとで様子を見にいきますね」
アラステアは一瞬、階段の上へと、心配するような視線を向けた。が、すぐに笑顔に戻って子供たちを見た。
「さて、紹介いたしましょう! 彼女は新しいナニー兼家庭教師の、イヴリン・ロシュフォール嬢です。 仲良くできますね?」
その言葉に、イヴリンは自分の予感が的中したことを知った。
や、やっぱり! ナニーって、今のお妃様との間に生まれたばっかりの王子様のナニーじゃなくてーー!
亡くなった前のお妃様との間に生まれた、二人の王子の方だったのだ!!!
「ではお二人とも、まずはレディにご挨拶を」
アラステアにじゃれつくライアス王子は、確かまだ10歳にもなっていないはずだが、その後ろで微笑むエヴァン王子はたしか15歳。イヴリンと4歳しか違わない。
いくら私が雑草のようだからって……そ、そんな大きな子の家庭教師なんて、ちょっと無理がありません!? アラステア様……。
なぜこの仕事に、自分ごときが抜擢されたのかまったくわからない。しかし。
「初めまして、先生。僕はライアスです」
「ご指導よろしくお願いします、ロシュフォール先生。僕は兄のエヴァンと申します」
二人の王子の完璧なご挨拶に、イヴリンはすっかり感動した。
カレンと同じくらいなのによっぽどきちんとしているわ……!
天使のような彼らの笑顔を前に、イヴリンもにっこり微笑んだ。
ちょっと不安になっちゃったけど、この子たちとなら、きっとうまくやっていけそうですわ。
「どうぞよろしくね」
するとアラステアはにっこり笑って言った。
「それでは歓談の食事会とでもいこうか! そうそうイヴリン、ここにはいないアストンの事なんだけど、彼には是非とも君が必要でね……」
何か大事な話のようだ。イヴリンは心して聞こうと身構えた。
しかしその時、バタンと荒々しくドアがあき、外から王宮の制服の従者たちが入ってきて、アラステアをむんずと捕まえた。
「アラステア様、ここにいたのですか。早くお戻りください!」
「ちょっと待てないの? きみたちさぁ…」
「外務大臣様からの命令です!」
「だから、あぁ、ミス・ロシュフォール……!」
ーー屈強そうな従者たちに引きずられていくような形で、アラステアは屋敷から出ていってしまった。
途端に小さいライアスはしょんぼりし、兄のエヴァンも黙り込み、部屋は一気に暗くなった。
二人とも、とてもがっかりした様子。アラステア様、王子たちに慕われているんですのね。なんだかわかる気がしますわ。
イヴリンは少しでも空気を明るくしようと、笑顔で彼らに声をかけた。
「先生が行かれてしまったのは残念ですが……みんなで食事にしましょうか」
すると、エヴァンは冷たくイヴリンを見た。
ーーあ、あら?
「なれなれしく口をきくな 女。俺たちはお前に従うつもりはない。先生の手前、挨拶をしてやっただけだ」
「えっ」
するとライアスも、兄の横でべーっと舌を出した。
「そうだそうだ! お前の言う事なんかきくもんか! おバカなナニーなんてすぐに追い出してやる! ねっ、兄さん」
驚いて言葉も出ないイヴリンに、エヴァンはバカにしきった声でのたまった。
「そういうわけだから、俺たちの世話はいらない。もし指示しようなんてしたらーー」
ギロリ、とエヴァンはするどくイヴリンをにらみつけた。
「俺の魔術で半殺しにしたうえで、即解雇するからな」
そう言って、エヴァンはくるりとイヴリンに踵を返し、ライアスもそれについて歩き始めた。
「ま……待ちなさい!」
一瞬あっけにとられてしまったイヴリンだったがーーさすがに自分をとり戻し、エヴァンに声をかけた。
ーーこのままでは、お仕事にならないわ!
「そ、そうはいきませんよ。私は家庭教師として雇われました。わがままはいけませんわ」 すると、小さいほうのライアスがイヴリンをくるっと振り返り、からかうように言った。
「お前、僕よりすごいギフトでも持ってるの? 僕はほら!」
ライアスは手を持ち上げて、その場においてあった椅子に手を近づけた。すると、触れても押してもないのに、椅子がひとりでに手前へと動いた。
「自分の魔力をモノに込めて、意のままに動かすことができるんだ!」
イヴリンは冷静に、彼の魔力を分析した。
魔力移転――カレンと同じギフトね。ライアス王子は、なかなか良いギフトを持っているようね。
ギフトと一口に言っても、どんな魔術を持って生まれるかは、人によって違う。その魔術には優劣がありーー
「どう? お前は何ができるわけ?」
聞かれて、イヴリンは詰まった。
「わ、私は――」
するとエヴァンが、興味なさそうに言った。
「良い、言うな。どうせ大したギフトも、それを使いこなす力もないのだろう。それで俺たちの家庭教師を名乗るつもりとはな」
イヴリンに言い返す間も与えず、エヴァンはたたみかけた。
「俺たちも舐められたものだな。ろくな力もない、家でもいらない扱いを受けているような女を、家庭教師によこされるとは」
「なぜそうお思いで?」
イヴリンはむっとしして聞き返した。
彼が自分の、家庭内での状況を知っているはずもない。しかしエヴァンは肩をすくめた。
「ロシュフォール家と言えば、それなりの貴族のはずだろう。それなのにそんなドレスを着ていれば、家で冷遇されていますと言っているようなものだ」
するとライアスは、イヴリンの若干流行おくれの地味なドレスを指さして笑い始めた。
「ぼろドレス―! ぼろぼろドレス―!」
あらまぁ。なんてことでしょ。さすがのイヴリンも眉をつりあげた。
「お言葉ですが、人の中身は着ているものでは判断できませんよ!」
ふん、とエヴァンは鼻で笑った。
「負け犬のいいわけだな。とにかく、無能な女に命令されるなんてまっぴらだ。快適に過ごすためにも、お前には僕らの使い走りをしてもらうぞ。逆らうなら出ていけ」
ーーな、なんて悪い子なんでしょう!
しかし自分はあくまでも『ナニー』。彼らを諭す立場でいなくてはいけない。
一緒にカッとなってはおしまいだ。イヴリンは声をしずめた。
「エヴァン様、そんなことでは、アラステア様もお父上もお嘆きになりますよ」
するとエヴァンは、冷たい態度を一変させ、怒りをみなぎらせた目でイヴリンを見た。
「黙れ!」
エヴァンが手を挙げる。光の鞭のようなものがエヴァンの手から発され、すぐに消えたのを、イヴリンの目はたしかにとらえた。あッと思った瞬間に、イヴリンのドレスの裾がじゅうっと焼け焦げ、細い煙を上げた。
で……電撃魔術! かなりの高レア能力……!
イヴリンは目を見張った。
「お前ごときが 軽々しく父の名を口にするな 次は体にあてるからな」
エヴァンは右手をおさめ、ライアスを連れてその場から出ていった。
あら、あら、まぁ、まぁ……。
イヴリンはひとり、目を閉じて状況を整理した。
つまり……自分の仕事は、可愛らしい赤ん坊ではなく、この王子二人の面倒を見る事。
そして、その王子たちはめちゃめちゃに――グレている!
アラステアがなぜ、強い家庭教師にこだわっていたのか、そしてイヴリンごときにあんなに頭を下げたのかが、わかったイヴリンは一人、頭を抱えた。
ロイヤルナニーといえば聞こえはいいけれど、つまり、つまり……グレた王子を矯正してくれ、ってことですのね!? アラステア様の要求は……!
つくづく、世の中にうまい話なんてないのである。
一瞬投げ出してやろうか――そんな考えがちらりとよぎったが、そのあとすぐに、家族の面々の顔が浮かんで、イヴリンはげんなりした。
ーーあんなところに帰るくらいなら、まだ、不良王子たち相手の方がましだ。イヴリンはそう結論を出した。
頑張ってやってやろうじゃないの。私の自由……そして初任給のために!!!!