目玉の腐った大ウソつきでございますわ
風がひゅうと吹く。
「ぼ、僕が、好……ましい……? せ、先生の目から、見て……?」
とぎれとぎれに、アストンがつぶやく。
きっと自信がないのだろう。イヴリンは思い切り彼を鼓舞することにした。
「ええ! アストン君はとてもハンサムです! だから、自信をお持ちになって」
するとアストンはイヴリンから目をそらし、ふっと苦笑した。
「そんな……む、無理して褒めないでください。僕の見目が悪い事は……よくわかっていますから」
イヴリンは首をかしげた。
「あら、なぜそうお思いになるのかしら? 鏡は御覧になるでしょう?」
「い、いえ、よく見ません……僕はずっと髪で顔を隠してましたし、切ってからも……そんなに、見たくありません」
「そんな……」
そういえばたしかに、アストン様は最初、しだれ柳のような髪で完全に顔をかくしていましたわね。
でも、それにしたって。
「僕は小さいころずっと……化け物だといわれて、隔離、されていましたから……そんな僕の容姿が、良いわけがない、でしょう?」
化け物、隔離。出会ったときに彼が語った言葉から察してはいたがーー彼が過去のつらい出来事の内容を、こうして話したのは初めてだ。
その不穏な言葉に、イヴリンは思わず憤った。
どこの誰だかわからないが、こんな優しい彼を、そんな風に傷つけた人間がいるなんて。
それも――小さいときに。
「――アストン様、はっきり申し上げますが」
イヴリンは強いまなざしで、はっきりと言い切った。
「その言葉を言った方は、目玉の腐った大ウソつきでございますわ!」
アストンがあっけにとられた顔をする。イヴリンは勢いのまま詰め寄った。
「何度も申しておりますが、アストン様は化け物などではありません! とてもお優しくて、その上、彫刻のようにお美しくいらっしゃいますわ!」
「ちょ、彫刻……?」
「ええ。初めてお顔を拝見しました時は、なんて睫毛が長いんだろうと驚きましたわ。それに、美しい紫色の目に、すっと通ったお鼻、桃色の唇に、そしてなんといっても玉のような白いお肌!」
私羨ましく思っておりますのよ……。と力説するイヴリンだったが、アストンは口を半開きにして固まっていた。
「あら、アストン君? どうかされましたか?」
すると彼はうつむいて、ぱっと口を手で覆った。
「す、みません……せ、先生にそうおっしゃられると……なんだろう、動揺、してしまって……」
……たしかに、容姿の事を少々赤裸々に言い立てすぎたかもしれませんわ。イヴリンは反省した。
「ごめんなさいまし。こんな風にあけすけに言われて、お嫌でしたわね……。どうかお忘れになって」
するとアストンはばっと顔を上げた。
白い頬が、ほっと赤くなっていて、まるで恥じらう乙女のようだった。
「ち、ちが、ちがいます……! い、嫌、なんかじゃ、ありません……その」
アストンはじいっと焦げるようなまなざしで、イヴリンを見た。
「う、うれしい、です……。本気にして、いい、ですか」
ここまで言っても、まだ信じきれないアストンに、イヴリンは切なくなった。
相当、自分を醜いと思い込まされてきたのかもしれない。
そうよね。幼少期にかけられる言葉は、強力な枷みたいに、心を縛るもの――。
それに、エヴァンやライアスのようなロイヤル美形たちを日々目の当たりにしていれば、なおさらかもしれない。
けれど彼に、これ以上そんな間違った認識で苦しんでほしくない。イヴリンは大きくうなずいた。
「もっちろんですわ! きっと社交界に正式に出れば、アストン君もエヴァン様と同じくらいにモテますわよ。でもね……私、アストン君の一番素敵なところは――容姿よりも、お優しいその性格だと思っておりますわよ」
「え……」
再び戸惑う彼に、イヴリンはとどめの一言を放った。
「私は、アストン君の人柄が大好きですわ。今まで出会った中で、一番好もしい人だと思っております」
そう、動物を除いて――彼ほど優しい、人を傷つけない人間を見たことがない。
イヴリンは自信をもってそう言い切ったが、アストンはどうしたことか、バルコニーの手すりにふらっと手をついた。
「あ、アストン君⁉ 大丈夫ですか」
イヴリンが慌てて支えようとすると、彼は再び顔を片手で覆ってつぶやいた。
「す、すみません。なんだか頭の中が熱くて……」
はぁ、と苦しげに息をつく彼の、耳たぶまで赤い。
「あら、大変ですわ。そうだ、何か冷たい飲み物でも持ってまいりましょう」
「あ、ま、待ってください、それなら僕も」
「いえ、いいんですのよ! すぐ持ってきますから、ここでお待ちになってて!」
具合の悪そうな彼に、無理をさせるわけにはいかない。ただでさえ彼は、やっかいな魔力をかかえているのだから。
イヴリンは彼をおいて足早に会場へと戻った。
ちょうど人々は、緩やかなテンポのワルツを踊っている真っ最中であった。
流れるようなヴァイオリンのメロディに合わせて、レディたちのドレスが、まるでパステルカラーの波のように揺れている。
――素敵な眺めですわね。ムーディでロマンチックで、まさに舞踏会、といった感じですわ。
見とれながら歩いていると、イヴリンにすっと差し出される手があった。
「こんばんわ、美しいお嬢さん。名前をお聞きしても?」
見ると、見知らぬ貴族の青年が目の前に立っていた。イヴリンの全身――とくに、アラステアから贈られた質の良いドレスや靴、宝石などをじっと値踏みするように見ている。
イヴリンより年上のようだが――その服装はどこかくたびれていて、笑顔は、どうも嘘くさかった。どこか放蕩息子のような雰囲気がある。
……何かしら。持参金目当てで、若い令嬢をだまそうとかいう手合いかしら?
イヴリンは穏便に済まそうと、控えめな笑顔で答えた。
「すみません、急いでおりますの」
「つれないなぁ、名前だけでも」
私が金持ちの令嬢か聞き出してやろうって魂胆でしょうか? でも残念。私は令嬢は令嬢でも『ロシュフォール家のいらない娘』ですのよ。
けれど、そんな個人情報を、こんな怪しい男に伝えてあげる義理もない。
「連れがおりますの。失礼しますわ」
するとその男は、イヴリンの手を掴んだ。
「踊ってくれませんか? 一曲だけでも」
しつこいわね――あら、ダメよ、出てきては。
ハウオリたちは、もちろんこの舞踏会にもついていきている。窓の外に大丈夫よ、とアイコンタクトを送りながら、イヴリンの脳内はどうこの場を穏便に切り抜けるか計算していた。
「ごめんなさいね、本当に急いでおりますの。連れが具合を悪くしていて」
「……ふうん。そんなに俺の相手は嫌?」
相手の笑顔が不穏にゆがむ。小娘ごときに侮られたと苛立っているらしい。
もう、めんどくさいわね! 断られて腹を立てるなら、最初から声なんてかけないでほしいものですわ。
イヴリンは苛立ちをこらえて首を振った。
ああ、こんな男、人目さえなければ力で解決できますのに。
けれど、今日は無理だ。舞踏会会場に小鳥やら鹿やらが闖入したら、下手をすれば捕らえられて処分されてしまう可能性がある。
どうしましょ……できれば使いたくありませんけれども、奥の手を、使いますか。
外部の力を頼れないのならば、自分でどうにかするしかない。今まで実家でさんざんな目にあわされてきたイヴリンは、その術を身に着けていた。
手首を強くつかまれても、内側から反動をつけて思い切りひねれば、相手は痛みから手を放す。ただし――ケガを負わせる可能性はあるが。
「ごめんあそばせ――」
そう言ってイヴリンが、意を決して相手の男の腕を払い落とそうとした、その時。
「ほら、いい子だからいう事を聞いて」
男はイヴリンの目の前に、手を差し出した。その手には、入れ墨が施されており――怪しく光っている。
あら……なんだか……
その光を見たとたん、イヴリンの体の力が抜けた。
まずいわ。これってきっと、魔術の類……だわ……
「おやめ……くださ……」
とっさに目をそらそうとしたが、その光の誘因力に逆らえない。
「いや……」
叫んだつもりが、口から出たのは弱弱しいつぶやきでしかなかった。
男がイヴリンの手を掴んで引き寄せる。万事休す――。
しかしその時、一羽の小鳥が開け放たれたバルコニーから飛んできて、イヴリンの目の前を横切った。
「っ……は!」
一時光の誘惑から逃れたイヴリンは、とっさに目をそらして、よろけた。
ありがとう、ハウオリ……!
これで逃れられる、と走り出そうとしたその時だった。
「おやおや、こんなところに。私と踊っていただくはずじゃあ、ありませんでしたか」




