それなら俺も行く
首をかしげて、エヴァンを見る。目がばっちり合って――なぜかエヴァンは、慌てたように目をそらした。
「べ……別に」
ちらり、とその青い目が今一度イヴリンの姿を見て、またそらされる。
あたりに誰もいないか見まわしたあと、少し声を低くして、エヴァンはつぶやいた。
「き……気をつけろよ。夜会とか初めて、なんだろう」
あら、心配してくれていたのね。義理固いですわね。
イヴリンも周りをちらりと確認したあと、彼に近づいて、内緒話のていでささやいた。
「ありがとうございます。でも平気ですわ。アラステア様もご一緒ですし」
「っ……! そ、それは、そ、う、だが」
とぎれとぎれに言いながら、彼は一歩下がった。
ああ、ひょっとしたら、このたいそうに重なったスカートで近づいて、圧をかけてしまっていたかもしれませんわね。
「あら、ごめんあそばせ。このドレス、かさばるので……ほほほ」
イヴリンは優雅に身を引いた。するとエヴァンは、目をそらしながら何か言いかけた。
「その……の、恰好……だが……」
「あら、何か変でしょうか? 出る前にどうぞご指摘くださいませ。私こういった服装には慣れておりませんのよ……」
その時だった。
「先生……!」
アストンが階段を駆け上がって、イヴリンのもとへと走ってきた。
「あ、アストン君! 大丈夫なんですの、部屋から出て……!」
イヴリンは心配になって彼に駆け寄った。
いくら訓練がうまくいっているとはいえ、それでもアストンは、必要な時以外部屋から出ることには消極的だったはずなのに。
「だって……それは……み、見たくて……どうしても」
はぁはぁ息切れしながら、アストンはイヴリンを見つめた。
「先生……すごい……」
驚いたように、アストンの目がイヴリンの全身を見る。
すごいって……私そんなに、変でしょうか?
にわかに不安になったイヴリンの目を見て、アストンの顔がくしゃりとほころんだ。
「とても……とてもきれい、です……」
素直でまっすぐな賛辞。アストンの言葉は、いつも嘘がない。
なのでイヴリンも――疑わず素直に、その誉め言葉を受け取った。
少し面はゆいですけれども。
「ありがとうございます、アストン君。そういってもらえてうれしいですわ」
さらりと言ったつもりだったが、言葉尻が少し震えてしまった気がする。
あら、いやだ。今まで貧相だの可愛げがないだの、そんな事ばっかり言われてきたものですから……慣れませんわ。
柄にもなく普通の女の子みたいに――照れてしまっている、なんて?
「でも……でも先生、僕、心配です」
アストンが、イヴリンをじっと見つめて言うので、イヴリンは先ほど言ったことを繰り返した。
「あら、大丈夫ですわ。今日はアラステア様も一緒ですもの。危険はそうないはずですわ」
「それは……そうなんですが、そういう事ではなくて……」
少し切羽詰まったような、真剣そのものの目で、アストンは言い放った。
「き、綺麗すぎます……先生……きっと他の男性が、放っておかないでしょう」
「あら、そんなことありませんわよ」
だってなにしろ、『ロシュフォール家のいらない娘』の私ですから。
軽く笑ったイヴリンに、アストンは声を少し荒げた。
「アラステア先生は関係なく……! ねぇ、先生」
じっと、乞うようなまなざしで、アストンは言った。
「約束してくれますか? 誰とも踊らないって」
どういう意図か測りかねるイヴリンだったが、そのときエヴァンが割って入った。
「お、おい、アストン。落ち着くんだ……先生は仕事で行くんだぞ?」
「そんなことはわかっているよ。エヴァン。僕はただ先生が心配なんだ。宮廷なんて、悪い大人ばかりなんだから」
――なんだかよくわからないけれど、私が高位貴族の男性に騙されたりしないか、心配してくださってる、ってことかしら?
イヴリンはにっこり微笑んだ。
「ご安心ください、お二人とも。ご存じでしょ? 私箱入り娘なんかではありませんの。あなたがたの家庭教師ですわ。そう簡単に、悪い男性に騙されたりなんかしませんことよ」
バカにしないでいただきたい。
そりゃ少しは……ちょっとは妄想、しましたけれども。
けれど夢は夢、現実は現実です。私は、わきまえておりますわ。
「では、私そろそろ失礼して、玄関へ」
が、アストンはそれでも引き下がらなかった。
「先生、僕も一緒に……い、行けないでしょうか」
イヴリンは目を見張った。
「えっ、でもアストン君は、舞踏会なんて行ったら……」
それこそ他の人に触れてしまって、大変なことになるに違いない。
するとアストンは、イヴリンの手に触れた。
イヴリンに触れることには、なんの支障もない。
「この数か月、ずっと先生が訓練に付き合ってくれたおかげで――ある程度、人に触れられるようになりました。アラステア先生にも、触れられました」
だけれど――。イヴリンは首を振った。
「私やアラステア先生はそうかもしれませんが、たくさんの他人となると、まだ試してもいないでしょう……? 危険ですわ」
アストンは、隣にいるエヴァンの肩を掴んだ。
「失礼」
「おわっ」
慌てるアストンを無視して、アストンは言い募った。
「今まで怖くて試していませんでしたが、いまエヴァンにも触れられました。だから――どうか」
いつのまに。イヴリンは目を見張った。
「す、すごいですわ。短期間でこんな成果が出るなんて。でも……アラステア先生はきっと」
お止めになりますわ、という前に、階段の前にひゅうと風が吹き込んで、そこにアラステアが立っていた。
「おやおや、なかなかロシュフォール嬢が出てこないと思ったら、こんなところで足止めを?」
アラステアは楽し気に、イヴリンと兄弟の間に割って入った。
「お二人とも、レディを引き留めてはいけませんよ。こういう時は快く送り出さないと」
すると兄弟は同時に口をあけた。
「俺は引き留めてなんか――」
「アラステア先生、僕も連れて行ってくださいませんか」
「えっ」
ぎょっとした顔でエヴァンはアストンを見たが、アストンは真剣そのものだった。
どこか楽しそうに、しかし優しく、アラステアは聞いた。
「おや――今まで外に出るのを不安がっていたアストン様が、どうして」
「ロシュフォール先生に何かあったらと思うと心配なのです。アラステア先生もいらっしゃるし、力不足とは思いますが……また、この前みたいに、僕だけ屋敷に残ってじっと待っているなんて……耐えられないんです」
言いあぐねたあと、アストンはイヴリンを見て、アラステアに言った。
「僕はずっと、ご存じの通り、人に触れられませんでした――けれどロシュフォール先生のおかげで、克服しつつあります。それでも僕を出すのが不都合であれば……招待客ではなく、召使に変装しても構いません。会場の外で控えています。どうか連れて行ってくれませんか」
真剣に見上げてくるアストンに、アラステアは少し目を見張った後――ふっと微笑んだ。
「……成長しましたね、アストン様も」
ぱっとアラステアが右手をあげて、指示するように空中で指を動かした。
「正直に申しますと、あなたを人前に出すのは、まだ時期尚早とは思います――が、可愛い教え子が新しい一歩を踏み出す決意をしたというのならば、チャレンジさせるのが大人の務め」
アストンの髪の色が、黒髪から赤毛に変わり――服も、宮廷お仕着せの制服へと変化した。
「なので、おっしゃる通り、アストン様には変装していただき、我々の従者としてご同行願うことにしましょう」
自分の姿を見下ろしたあと、アストンはうれし気にアラステアに頭を下げた。
「ありがとうございます……アラステア先生!」
「いいのです。ただし、無理はなさらないでください。それと、私の指示にはしたがっていただきますよ。まぁ、アストン様なら大丈夫かと思いますが」
アラステアは自信たっぷりに微笑んだが、イヴリンは心配でつい口を出した。
「本当に大丈夫なのですか。アストン君に何かあったら――」
「今の彼なら、何かあっても私の力で十分カバーできます」
「で、でも……」
「忘れていませんか? 私こう見えても、この国一番の魔術師、なのですよ?」
そう言い切られてしまうと、さすがのイヴリンも何も言えない。
が――そこでエヴァンが割って入った。
「ちょ、ちょっと待て。アストンが行くなら、俺も行く」
「おや、まぁ」
アラステアが目を丸くした。




