先生、お酒の匂いがします
途中、イヴリンは肩が触れ合った金髪の女の子を、思わずといった風に呼び止めた。
「姉さん! 姉さんじゃないの⁉」
すると女の子は、ぎょっとした顔をしてイヴリンを見た。
「な、なによあんた?」
彼女の顔をまじまじと見て、イヴリンは悲し気にうつむいた。
「ごめんなさい、人違いだわ……いなくなった姉さんに似ていて」
すると女の子は、わずかに同情した顔つきになった。
「そう……ていうか、あんたダメよ、こんなとこに女がきちゃ。危ないわ」
イヴリンはいかにも純真な町娘といった顔で女の子を見上げた。
「あの……お姉さんはこのお店の人……かしら? 同じような金髪の人を見かけたことはありませんか」
女の子は首を振った。
「ううん、うちら派遣されてきてるだけで、この店のモンじゃないわ。うちには今のところ……金髪は私だけよ」
「えっ、そうなんですか、じゃあお姉さんたちは、どこから……?」
「マドンナヘヴンっていうクラブからよ」
「そうですか……すみません、お時間とらせました」
「いいのよ。見つかるといいわね」
イヴリンは彼女に礼を言って戸口に向かった。すると待っていたエヴァンに肩をつかまれた。
「おい、何を話してた。大丈夫か⁉」
イヴリンは早口でささやいた。
「心配しないで。後でお話します」
イヴリンは先に店を出て、連れ立って歩きながら通りを見まわした。
見たところ――黒服の男はいない。尾行されている気配もない。
けれど、何しろ王子を連れているのだ。狙われたらことだ。イヴリンは厳しく言った。
「……裏通りを通っていきましょう。今度は私たちが狙われるかもしれません。気を引きしめて、帰りま
すわよ。いざとなったらあなた、先に行ってくださいね」
有無を言わさず、気迫を込めたイヴリンのその命令に、さすがのエヴァンもうなずいた。
イヴリンは少し、おかんむりであった。
エヴァンが無理についてこなければ、こんなにひやひやはしなかったことだろう。
まあ、時間に押されて許可してしまった私もいけないのだけれど!
二人はしばらく無言で歩いていたが、無事王宮の敷地内に入ったその時、エヴァンが生垣の合間に身を寄せた。
「エヴァン様」
「少し……先に行っててくれ」
彼はふう、と息をついて言った。その頬がわずかに赤い。
あら、これは――酔ってらっしゃる? ここまでだいぶ無理をなさってたのかしら。
だから言ったのに……と言いたいのをこらえて、イヴリンは非常用袋から水筒を取り出した。
「エヴァン様、水をどうぞ。酔いを醒ますには、水分をたくさん取るのが一番ですわ」
エヴァンは一瞬ためらったが、素直に受け取った。ふたをあけ、一気にごくごくごくと水を飲み干す。そして手に持った水筒を、じっと見つめた。
「……こんなものまで、持ち歩いていたのか、重たかったろう」
「ええ、まぁ、何が起こるかわかりませんからね。お役に立ってよかった」
少し唇を噛んだあと、エヴァンは水筒をイヴリンに返した。
「……すまない。俺は……無理やり同行したのに、何の役にも立てなかった。むしろ……お前のお荷物だった」
「わかっていただければいいんですのよ」
そういうと、さすがにエヴァンは捨てられた子犬のような顔になった。そしてさらに、その顔を腕で覆って苦し気につぶやいた。
「俺は……いつも間違える。今日も感情で、流されて……前も、楽な方に流されて、取返しのつかないことを、した…」
エヴァンが、カメリアと母の件の事を言っていると、イヴリンは察した。
これはきっとずっと、彼がひとりで抱えていた、本音だ。
「お前の事でも、間違ってた。だってせん……せい、は、俺と仲良くなりたいと、そう言っていたのに、俺は信じず、先生を、追い出そうと」
あら? 仲良くなりたいなんて彼に言いましたっけ? イヴリンは首をかしげたが、エヴァンの声は声が、どんどん切羽詰まっていく。
「先生は……俺たちのために、こんな危険なこと……してくれたのに」
エヴァンはふと顔を上げて、じっとイヴリンを見つめた。
自分を責めるその目は、イヴリンに許しを乞うているようでもあった。
あら……そんなことを思っていたのね。
酔うと弱音が出ちゃうタイプですか。
まぁ、初めてのお酒ですしね。ここは家庭教師として、しっかりフォローしてさしあげますか。
イヴリンは寛大な心で、彼をまっすぐ見つめ返して微笑んだ。
「人間なんですから、間違いや失敗があって当たり前ですわ。大事なことは、その失敗を受け止めて、次に生かすこと。でも心配いりませんわ。エヴァン様はすでに、それを行っています。だから失敗すればするだけ、きっと強く、賢くおなりになりますわ」
彼の瞳が揺れる。顔を隠していた腕が落ちかけて、イヴリンはその手を元気づけるようにぎゅっと握った。
「今エヴァン様は、まさに成長している最中。私はそれを、最大限に応援しますわ。だからつらいときは一人で悩まないで、どうぞ私に頼って。それは悪い事でも恥ずかしいことでもありませんのよ。人は傷つけあうこともできますが、助け合う事もできるのですから」
なーんて、ちょっとクサいかしら。
でも、カメリアや、私の継母のような人間も跋扈する、こんな世の中なんだもの。味方になれそうな相手がいるのなら、手を取り合って徒党を組んでいかないと、こちらの分が悪すぎますわ。
イヴリンの言葉を受けて、エヴァンの唇が震えて――それから、そっとイヴリンの手を放して、背を向けた。
「……っ、あ、りがとう、先生……」
イヴリンはいいんですのよ、とつぶやいて、彼の顔を見ないように、背を向けて歩き出した。
「さあ、行きましょう、エヴァン様。私のうしろからついてらして」
もちろん、彼に対する配慮である。
◆
深夜を回った午前1時――。やっと帰り着いたイヴリンは、アストンの部屋で、二人の兄弟に向かって腕を組んでいた。
まったく……今日はひやひやしましたわ。お二人にはっきり釘をさしておかないと!
「はぁ……なかなかスリリングな夜でしたわ。おふたりとも、もう私についてくるような真似はならなないとお約束してくださいね?」
するとエヴァンは、殊勝にうなずいた。
「あ、ああ。わかった」
「ええ。やはり王子様を危険にさらすのは良くない選択でしたわ」
「身分の低い僕が一緒なら、リスクもたいしてなかったのに……」
じとりとつぶやくアストンに、イヴリンはぴしゃりといった。
「関係ありません! アストン君でも同じですわ! 私はあなたも危険な目には合わせたくありませんの。大事な生徒ですから!」
すると、厳しい言葉だったにもかかわらず、アストンは反論しなかった。
「そ、そう、ですか……でも、先生が無事でよかったです……」
ぼそぼそとつぶやく彼を無視して、イヴリンはつぶやいた。
「あの黒服の男が何者かはわかりませんでしたが、経営しているであろう店の名前はわかりましたわ」
「そうなのか」
「ええ。女の子からはそれを聞き出していたんですの」
「なるほど」
イヴリンはむっと唇を噛んだ。マドンナヘヴンなる店にイヴリンひとりで突撃することは、どう考えても無謀だ。
怪しまれて、最悪みぐるみはがれて売り飛ばされてしまうかもしれない。複数人の屈強な男相手では、さすがのイヴリンも心もとない。
「ですが、うーん……これ以上は、正直私の手にはあまりますわね。一度アラステア先生にご相談したいところです」
彼ほどの力のある人間なら、裏社会の店の責任者を調べることくらい、わけなくできるんではないだろうか。
「ちょうどよく、近々先生がいらしてくれることになっていますから、それまで城外の情報収集は中断いたしましょう」
するとアストンもエヴァンもほっとした顔をした。
「それがいいです、先生。僕たちのために、先生に何かあっては……危ないですから」
「そうだ。俺からも……先生に話してみよう」
これで話はついた。イヴリンはふうと息をついた。
「では、もう今夜はこれでおしまいとしましょう。エヴァン様、先にお戻りになってください」
依然、仲が悪い設定なので、イヴリンとエヴァンは屋敷内ではなるだけ距離を取っていた。
「わかった。その……」
エヴァンは、イヴリンに向けて、わずかに頭を下げた。
「今日はありがとう。その……いろいろと」
あら、素直に御礼が言えるなんて。イヴリンはちょっと微笑んだ。
「いいんですのよ」
バタンとドアが閉じ、エヴァンが出て行った。
「先生、」
すぐ後ろからアストンの声がして、イヴリンは少し驚いて振り向いた。
「アストン君――」
すん、と顔のすぐ横で、アストンが息を吸う音がした。
ち、近くありませんこと⁉
動揺するイヴリンであったが、アストンが低くつぶやいた。
「先生、お酒の匂いがします、エヴァンからもした」




