王子たち、って……?
というわけで、イヴリンはすぐさま、カバン一つを持ってロシュフォール家を出た。幸い持ち物が少なかったから、準備は数十分もかからなかったし、アラステアも手伝ってくれた。
まさか……戦争で見事この国を勝利に導いた凄腕を持つ魔術師、アラステアがイヴリンのトランクを閉める手伝いをしてくれているとは。
ちょっと信じられない光景であった。
「……すみません、こんな事で、アラステア様の手をわずらわせまして」
するとアラステアはお茶目な笑みを浮かべた。
「いいや? 楽しい仕事さ。僕は本当は、こういう仕事が向いてるんだよ。誰かのマネジメントに、原石発掘! ドンパチよりもよほどやりがいがある」
本心がちょっと混じっているような冗談めかした声。イヴリンは苦笑した。
「そんな。……私どもの年代では、幼すぎて、よく覚えていないのですが……黒魔術を用いるオルギアス国から、このルミナシア国を守り抜いてくださった英雄だと、繰り返し聞かされておりますわ。すごいお方だと」
すると今度は、アラステアが苦笑した。
「それは誰が? 貴族の間では、僕を嫌う人も多いというのに」
「あら、一般論として、ですわ」
イヴリンが答えると、彼はちょっと肩をすくめ、トランクをすとん、と床に置いて部屋を見渡した。
「これで荷物は全部かな? いやー整理整頓されてるねぇ。年頃のご令嬢の部屋とは思えない。見習って欲しいねぇ」
……誰に、かしら?
そんなイヴリンとアラステアを、父は当惑気味に、そして義母とカレンは睨み殺しそうな勢いで見送った。アラステアの目さえなければ、本当に八つ裂きにされていたかもしれない。イヴリンの背中がすうーっと冷たくなった。
さすがの私も、二人いっぺんに殺意持って来られると、かわせるか不安だわ……。
ーー荷物が少なくてよかった。あとは『勝手に』ついてきてくれるし。
アラステアについて歩きながら密かにそう思うイヴリンに、アラステアが何気なく話しかけた。
「おや、あの小鳥たちは……もしかして君の?」
街頭の上を行き来する小さな鳥たちを指さして、アラステアは微笑んだ。
さすが、宮廷魔術師さま。そんなところまで気が付くなんて。
「ええ。そうですの……私のささやかな能力の、副産物ですわ」
イヴリンが目を向けたことに気が付いて、うす黄緑色の小鳥がふわりとイヴリンの肩にとまった。とつぶらな瞳で交互に、アラステアとイヴリンを見ている。
イヴリンは彼の頭をそっと撫でて言った。
「大丈夫よ、ハウオリ。お空にいていいわ」
ハウオリは挨拶するようにチチ、とアラステアに鳴いたあと、再び空に戻った。
「ハウオリ。たしか南の言葉で『幸せ』でしたね?」
いい名づけだ、とアラステアが言ったので、イヴリンは思わず微笑んだ。
「ありがとうございます。ハウオリはずっと……小さいときから、私と一緒にいてくれた、一番のお友達ですの」
正直、いまの家族以上に――死んだ母の次くらいに、大事な存在だ。だからイヴリンは真剣な表情でアラステアに頼み込んだ。
「彼らは決して、お勤めの邪魔はいたしませんわ。ただ庭や空にいるだけですので――お見逃し、いただけますか」
「何も問題ないよ。君に頼みたいのは――実は侍女や秘書官のようなキラキラした宮仕えではないんだ…期待していたならごめんね」
「わかっています。住み込みのナニー、兼、家庭教師、でしわね? でもあの求人が まさかアラステア様が出していたものだったなんて」
たしか不思議な条件だった。身分は貴族ならだれでもOK、ただしどんな状況でも平常心でいられる 肝の据わった女性……とかなんとか。
てっきり裕福な商人か、下級貴族の家庭のナニーかと思っていたが、これが宮廷第一魔術師・アラステアの出した募集だった、ということはーー。
「とても嬉しゅうござます! つい去年、国王夫妻の間に生まれた王子様のナニーの一人に抜擢していただけるなんて。若輩者ですが、精一杯努めさせていただきますわ」
ふと、赤子の両親である国王……というか、その後妻である妃、カメリアの悪い噂がーーチラリとイヴリンの脳裏をよぎったが、この際そんなことはどうでもいい。イヴリンはひそかに拳を握った。
略奪愛だとか不倫女だとか……良い話は聞かないけど、あの家を出て生活していける、確かなお賃金をいただけるお仕事であることが重要よ! しかも住み込み! 宿代がいらないわ!!!
しかしアラステアは曖昧に微笑んだ。
「確かに、ロイヤルナニーの仕事の募集ではある…ね。騙すようなことをして悪かった。ただ僕の募集だとわかると、かよわい深窓のご令嬢も応募してきかねないからね。その点君はその――」
「その?」
「令嬢でありながら、まるでぺんぺん草のように強……いやその、野に咲く美しい花のようで好感が持てるよ。それに僕は、カレン嬢のパーティで屋敷に来た時君を見かけて、その才能を見抜いたのさ。こんな子がウチに来てくれたら心強いなぁと思っていた時に、まさに君からの応募が来た!」
ちょっと。聞こえましたわよ。ぺんぺん草って。
まぁその通りだから良いですけれど……あれ、でもちょっと待って。
彼の言葉に、イヴリンは首を傾げた。
「すみませんが、私に特別な魔術の才はありませんの。ギフトだってレアリティの低い、平凡以下のものですし……。カレンの言う通り、なんの取柄もありませんの」
アラステアは、何故かわけ知り顔で微笑んだ。
「あのハウオリたちは、だいぶ高い精度で、君の周りを監視して、守っているね。まるで君の意のままに動いているみたいだ。君はひょっとして、自分の力の熟練度を――家族にはかくしてきたね?」
それを聞かれて、さすがのイヴリンも驚いた。こんな少しの時間接しただけで、そんなことまでわかってしまうのか。
この人に隠し立ては通用しない。そう思ったイヴリンは、正直に言った。
「ええ、言っておりませんわ。ほとんどギフトが使えないふりをしてきました。家族は、私が動物に好かれる、くらいにしか思っておりませんわ」
「なぜ? 言えば、あの意地悪な家族たちの……おっと失礼、能力主義のご家族の認識も少しは変わったんじゃないかな」
イヴリンはくすりと笑った。その言葉はもっともに聞こえる。が。
「わたくしの、実の母が生きている時から――父は冷たく、損得でわたくしたちに接していました。義母や妹も、同じタイプの人間です」
イヴリンはちらりと街頭を見上げた。ハウオリたちと目が合う。それだけで、心が和む。イヴリンにとって彼らは、つらいときも寄り添って励ましてくれた、家族以上に大事な存在なのだ。
「そんな人たちに、私が彼らを操る力があると知れたらどうなるか――。大事な友人たちを、父の損得勘定や、義母や妹の見栄に利用されるのは嫌だと思ったのです」
それなら、力を隠して、家を出れる年齢になるまで我慢しようと思った次第だった。
しかしこれからはギフトを公言していける。イヴリンは胸を張った。
アラステア様じきじきの仕事なんて、大舟にのった気分よ!
「なるほど……いやはや、それで耐え抜くとは、なかなか見上げた根性だね」
彼は感服したように言った。
「あら、大したことはありませんのよ。誰だって、大事な存在のためには頑張りますでしょ」
アラステアは真剣な目をして、とつぜんまっすぐイヴリンを見た。
「どうか……王子をよろしくたのみます。本来は宮廷魔術師である私が、彼らの身近な師となり、近く見守る必要があるのだけれど、私がふがいないせいで、なかなか一緒過ごす時間がなくてね。
なにしろ、オルギアスとの戦後からこっち、あちこちきな臭くて都に落ち着ける暇がなくてねぇ……」
彼『ら』? 赤ちゃんの王子様はお一人のはずではーーイヴリンは少し引っかかったが、アラステアが突然バッと頭を下げた。
「あなたを見込んで、どうかお願いします!!」
――る、ルミナシア一番の魔術師が、私に頭を下げてる⁉
泡を食ったイヴリンも、慌てて頭を下げた。
「ど……どうぞお任せください! 精一杯努めさせていただきます!」
すると途端にアラステアは、人懐こい笑顔に戻った。
「たのもしいことです。では、王子たちを紹介しよう」
アラステアが指をスッと動かすと、イヴリンはすでに広大な王宮の敷地内の、知らない館の前に立っていた。
ーー玄関周りや庭など、草が伸びきっていて少々荒んだ印象を受けるが、大理石のレリーフが施されたその建物は壮麗であった。
まあ、素敵。家の前にいたら一瞬で、こんなところまできちゃったなんて。
ーーアラステアの魔術、恐るべしである。
それにしても、王子「たち」って……?