すぐ戻ってきますからね
イヴリンは素直に答えた。
「ええ、みっつ年上ですわ」
するとアストンは目を丸くした。
「そ、そんなに近い年齢……だったなんて。すみません」
「いいんですのよ。素敵な方に似ているなんて嬉しいですわ」
アストンは、力を抜くように微笑んだ。
「ええ。本当に……心配してくれたり、励ましてくれたり……優しいところが、よく似ています……僕にも、エヴァンたちにとっても、優しいお母様でした」
そしてふと、アストンはうつむいた。
「だから僕も、エヴァンと同じで、あの人のことは許せません……」
アストンが悔し気に拳を握る。
「でも、僕にはなにもできなくて……陛下もあの人のいいなりで……悔しいです」
肩を落として小さくつぶやくアストンを見て、イヴリンはやるせなくなった。
「アストン君……」
そうだ。自分の母も、優しい女だった。
いつだって、損をするのはサーシャのような優しい人だ。そして、自分の事しか考えない強欲な人間が、そんな人たちを踏み台にして、のし上がっていく。
憎まれっ子世にはばかる……というやつね。ああ、義母を思い出しますわ。あの人の目的は、私が実娘のカレンより不幸で、みじめでいることだったわ。
きっとカメリアの目的も、同じでしょう。前妻の王子たちを追い出して、自分の息子を王位につけて、自分が国母となるつもりなのね。
その時、イヴリンの中で、生来あった負けん気の炎がぱっと灯った。
人を蹴落としてたからかに笑っている、そんな連中が、これからも大きな顔をしているなんて……間違っていると思いませんこと?
この間違いを見過ごすことは――イヴリンには、到底できなかった。
かちゃん。飲んでいた紅茶のカップを置いて、イヴリンはアストンをまっすぐ見た。
「先生……?」
アストンの紫の目が、悲し気に、でもどこか助けを求めるように、イヴリンを見ていた。
ずっと日陰で痛みに耐えてきた、優しい人間の顔だ。
助けてあげなければ。ええ、可愛い教え子ですもの。彼がこれ以上ひどい目にあうのは見過ごせませんわ。
「アストン君、心配いりませんわ。私たちで協力して、カメリアをぎゃふんと言わせましょう」
大胆なその言葉に、アストンが眼を剝く。
「え……! そんなことどうやって……そ、それに先生が、どうしてそこまで……」
そうね、たしかに急きすぎた発言だったかもしれないわ。イヴリンは肩の力を抜いて微笑んだ。
「――私も悔しいからですわ。私の大事な教え子たちに、理不尽がふりかかるのは我慢できません」
「え……」
「やつらの好きにはさせませんわよ。悪にはとことん、抵抗してやりましょう!」
そう、母の死を乗り越え、実家の執拗な冷遇から自力で逃れて、イヴリンはここに立っているのである。
せっかく逃れられた人生なのだ。ならば――同じ境遇のアストンに、その術を教え、導いてやるべきだ。
それに、19の、家を出たばかりの小娘の初仕事が、悪の王妃討伐だなんて――痛快じゃありませんこと?
よし、ここは私の持てる力をすべて使って、目的にまい進するといたしましょう。
イヴリンは声をひそめて、アストンに顔を近づけて耳打ちした。
「まずは私、カメリアの情報を探ってみようと思いますわ。アストン君も、知っていることがあれば教えてくださいませ?」
◇
数日間、イヴリンは家庭教師の業務を行いながら、使用人をじっくり観察した。
自分がカメリアだとしたら、邪魔な王子の日頃の行いを、監視しておきたい。となると、この館にカメリアの息のかかった使用人を潜り込ませていることは、ほぼ確実だろう。
ちらちらと立ち働く使用人たちをさりげなくチェックしながら、イヴリンは思い返した。
エヴァン様がスパイを警戒しているのも、あながち間違いではなかったということね。
怪しいのは誰だろう。まさか、この館の全員? いや、さすがにそれは手間がかかりすぎる。
料理人を買収――? それはなさそうね。食事はちゃんとおいしいもの。毒が入っている形跡もありませんし。
それなら、動かしやすそうなメイドや洗濯女かしら。イヴリンは一人ひとり、脳内で彼女らのプロフィールをさらっていった。
まず、カメリアがやってくる以前からの古い使用人は除外でいいわね。となると、洗濯人のマダムとメイド長、その部下数名は除外。
そうなると、残りは年若いメイドたちだ。
正直、どの子も似たり寄ったりに見える。が、イヴリンは考えてみた。
――私がカメリアだとしたら、どんな子をスパイに選ぶだろう?
まず、口の軽い子はダメね。それから、目立つ子も危ないから選べないわ。
その時、向かいからちょうど、例のいじめられメイド、メアリが歩いてきた。
あんな気弱そうな子が、まさかね――。と思ったことろで、イヴリンははっとした。
たしかに彼女は目立たないし、メイドの中でも友達がおらず孤立していた。
そして、結果いやな仕事を押し付けられ、一番ライアスやエヴァンたちの世話を行っていたのは、彼女である。
あら、けっこうこれって、怪しくなくって?
「きゃっ」
狭い通路だったため、メアリと肩が触れ合って、お互いよろけ――彼女の方が尻もちをついて、持っていた洗濯物がばさりばさりと床に落ちた。
「あら、ごめんあそばせ、大丈夫?」
イヴリンは洗濯物拾いを手伝いながら、彼女を気遣った。
「い、いえ……っ」
メイドはおたおたと立ち上がった。
「せ、先生はお怪我はありませんか」
尻もちをついたのは自分の方なのに、彼女はおずおずとイヴリンを見上げて言った。
か弱い女の子がぶつかったくらい、平気よ。鍛えてますもの。
「ええ、心配なさらないで。さて、洗濯物はこれでぜんぶかしら?」
「は、はいっ」
よいしょ、と一抱えの洗濯物を、イヴリンは彼女に受け渡した。
「お気をつけてね~」
彼女を見送って自室に戻り――イヴリンは先ほど洗濯物を渡したときに、こっそり彼女のポケットから抜き取った紙を取り出した。
開くと、『明日の午後10時 いつもの場所で』と走り書きがしてあった。
ビンゴ!! ですわね!
思わず叫びたくなってしまうのを抑えて、イヴリンはふふっと笑みをもらした。
あら、なんだか楽しいですわ。お腹の底からヤル気がわいてくるみたい。こういうの。癖になってしまいそう。いけませんね。
◆
「……それで、王子様とお姫様は幸せに暮らしましたとさ……おしまい」
「えぇ、もうおわりぃ?」
ベッドに入っているライアスは、不満げにイヴリンを見上げた。
「ふふ、とっても楽しいお話でしたわね。でも今日は、眠りませんと」
「……寝るまで一緒にいてくれる?」
ライアスのおねだりに、イヴリンは微笑んだ。
「ごめんなさいね。今日はちょっとお仕事があって、行かなくてはいけないのです」
「お仕事? どんな?」
「ふふ、つまらないお仕事ですわ。でも終わったら、すぐにここに戻ってきますわね」
「ほんと?」
「ええ。だからカエールと一緒に、ベッドで待っていてくださいますか」
「……それなら、わかった」
素直にうなずいたライアスに、イヴリンはしっかり掛布をかけてやった。もちろん、カエールにも。
「おやすみなさいませ、ライアス様、カエール」
握ったライアスの手は熱い。これはすぐに眠ってしまいそうだ。
けど――今夜の仕事が終わったら、一度様子を見によりますからね。
そう思いながら、イヴリンは灯りを落とし、ライアスの部屋を後にした。
午後十時まではまだある。イヴリンは地味なドレスから、男性の履くようなズボンに着替え、頭まで覆うマントをかぶって身支度をした。隠密行動は、動きやすいほうがいい。
いつもと違う服装をするイヴリンを、マフィンは首をかしげて、くんくんと匂いを嗅いだ。
「ごめんなさいね、マフィン。あなたは目立ちすぎるからついてきてはダメよ。すぐに戻ってきますからね。大丈夫、鳥たちも一緒ですから」
怪しまれないように――窓から庭に出て、彼女をつけましょう。
イヴリンが窓を開け放ち、ハウオリたちと共に外へ出ようとしたその時。
「おい、何をしている」
バタンとドアが開いて、エヴァンがずかずかと入ってきた。
「ま、まぁ、なんですの」
不意を突かれたイヴリンが驚いていると、エヴァンは言い放った。
「正体を現したな……どこに行くつもりだ!」




