星に願いをかけておきましょうね
すると――目の前に、あの女が座っていた。眠る前なのか、いつもまとめている髪が柔らかく解き放たれていて、エヴァンは一瞬目を奪われた。
教師の顔をしていない彼女は、昼間の彼女よりずっと、幼く見えた。
……先生、なんて言っているけど、あの女、俺とそう変わらない年齢、なのか?
イヴリンは窓際に腰かけて、何かに話しかけている。
あれはなんだ? 鳥……?
そして傍らには召喚獣。彼の目は、ベッドのそばで、じっと彼女を見上げていた。
彼女が話している内容が、召喚獣の耳を通して、エヴァンの頭の中で響く。
『エヴァン様とも、今日は建設的なお話合いができました。私を信じてほしい気持ちもありますが――すぐには無理でしょう』
自分のことを話している。そう気がついたエヴァンはぞぞぞと背中に何かが走る心地になった。
なんだ? 悪口か? 鳥に俺の様子を吹き込んで、どうするつもりだ……?
『でも、彼もひとりで頑張っていて、苦しんでいる様子。力になりたいですが、まずは認めてもらう時間が必要ですわね』
なんだと?
『できるだけ早くその時が来るように努力いたしますわ。彼とも、仲良くなれますように……星に願いをかけておきましょうね』
……普通に、お祈りであった。
そこに、エヴァンを呪うような言葉は、ひとつもなかった。
あんなに見下したのに。ケガもして、散々な目にあわされたはずなのに。
仲良くなれますように……だと?
もしかして、彼女はエヴァンがこうして見ている事に気が付いていて『優しい家庭教師』を演じているつもりなのだろうか。
そうでないなら、脳みそがお花畑すぎる――。
そう思いながらも、胸の中の奥が、なんだかほわりと暖かい心地がする。
何だ? この感覚は。まさかこの俺が、こんなことで絆されるとでも……!!
「うわぁ⁉」
考え込んでいたエヴァンは大声を上げた。
突然、召喚獣がイヴリンのベッドの中に入ったからである。
『甘えん坊さんね。いいわよ、いらっしゃい』
暖かい布団の中で、召喚獣は何に遠慮することもなく、イヴリンに体を摺り寄らせた。
――柔らかい、別の肉体の感触を感じて、エヴァンはひどく困惑した。
「っ……!」
『いい子ね、よしよし。おやすみなさい……』
そしてさらに――顔面に、掛け値なしの柔らかさ、大きいマシュマロに顔をうずめたような感触に、エヴァンは悲鳴を上げた。
「ひっ……!」
こ、こここれは、も、もし、かし、て。
気がついた瞬間、エヴァンは問答無用で共有回路を切っていた。頬が熱い。
まったく――何てことだ!
◆
「くっ……どうーーでしょう、先生っ……」
アストンの額に汗が浮かんでいる。
ここのところ――少しずつイヴリンのコントロールを抜いていく訓練に、アストンは熱心に取り組んでいた。
「うん……なかなか上出来ですわ。でも、これ以上は……」
危険だ。もう、魔力も集中力も使いすぎている。イヴリンは力を打ち止めて、アストンの手を離した。
「今日はここまでにいたしましょう、アストン君」
「で、でも……もっとできます、僕このままじゃ……!」
「気持ちはわかりますわ、アストン君。でも急いでも良いことはありませんのよ。この力は付け焼刃ではいけませんもの。じっくり取り組んでいかないと」
「だけれど……僕、ちっとも上達しなくて」
「あら、そんなことありませんわ。昨日よりは抜ける力が増えましたし、一昨日と比べるとさらに増えていますもの。着実に成長していますわよ」
「そう……ですか」
するとアストンは、自信はないながらも、少しだけ安堵の顔を見せた。
「さ、休憩いたしましょう」
激しく魔力を使ったあとは、どうでもいい話なんかして、神経を休める必要がありますもの。イヴリンはいつものように、バルコニーのテーブルに簡単なお茶菓子を用意し、アストンと共に囲んだ。
「そういえば先生、エヴァンとのこと、大丈夫でしたか? 電撃を浴びた傷は……」
アストンは隙あらば、こうしてイヴリンの心配をしてくる。イヴリンは首を振った。
「お話はつきましたもの、ぜんぜん平気ですわ。傷でしたら、たぶんエヴァン様の方が深いですわよ」
「すみません……僕がもっと、彼を止められていたら。僕らは、先生に迷惑をかけてばかりで……」
本当に申し訳なさそうに、アストンは肩を落とした。
「あら、アストン様のせいではございませんわ。エヴァン様はどうも……私をカメリア様のスパイだとお疑いになっているようで。だから自由に調べてくれていいです、その代わりもう乱闘はなしで、って約束しましたの。だからご安心なさって」
アストンは目を丸くした。
「そんな取り決めが……さすが先生です」
「それよりも……エヴァン君が、カメリア様と敵対していることの方がおおごとですわね。アストン君は、彼女に会ったことはあるのですか?」
するとアストンは控えめにうなずいた。
「ええ、まぁ」
イヴリンはちょっと声を潜めて聞いた。
「噂どおりの――いわゆる悪い女性、ですの?」
するとエヴァンは首を振った。
「いいえ。最初会ったときは、普通の女性に見えました。でも……親切そうに見えて、目の奥は冷たい感じがして。お世辞を言いながらも、人の価値を冷静に見積もっているような……。だから僕は……少し、怖い人だなって」
アストンのたとえに、イヴリンは感心してつぶやいた。
たしかにそういう人、いるわね。
「なるほど……アストン君、素晴らしい観察力と表現力をしていますわね。だからエヴァン様たちも、警戒なさっていた、と」
アストンはため息をついて言った。
「いえ……このことは、あまり公にはなっていないのですが――カメリア様は、以前ぼくらの教師だったのです。もとは宮廷魔術師に籍を置いていた方で……。今思うと、僕たちを快く思わない勢力の差し金だと思いますが」
「あら、元先生だったんですの?」
驚いたイヴリンは目を見開いた。もう、アラステア先生。そういったことは最初に説明してくださいな。
「アストン君から見て、先生だったカメリア様はいかがでした? 魔術の腕は?」
するとアストンは首を振った。
「正直、僕はよく……ずっとこの部屋にいましたし、あの人は、僕を数には入れていませんでしたし」
「まぁ……」
「エヴァンとライアスには優しかったようですが、何か裏があるんではないかと、僕は最初から思っていて……」
なるほど。察しの良いイヴリンは、途切れたその言葉の先を続けた。
「カメリア様は、最初から王妃の座に収まることが目的で、エヴァン様たちに近づいてきた、ということですわね」
アストンは再び目を丸くした。
「ど、どうしてわかるんですか? 僕はまだ、何も話していなのに……」
イヴリンは微笑んだ。
「カメリア様が相当なやり手の方であることは、起こったことから考えて、間違いありませんわね。王があっさり取り込まれてしまったということは、子供だったエヴァン様たちなどひとたまりもなかったことでしょう」
「はい……あの人は、エヴァンとライアスを甘やかして……すぐに言うなりにしてしまいました。そのこともあって、エヴァンたちは、『家庭教師』を敵視していて……あのアラステア先生でさえも」
「そうだったのね」
アストンは悩み深げに言った。
「僕は、アラステア先生は敵ではないと思うのです。忙しすぎて、僕らに構えないだけで……。けどエヴァンは、カメリア先生のことを放っておいたのだから、この事態は起こるべくして起こったんだとアラステア先生を批判するし。ロシュフォール先生だって、この僕をこうして助けてくれたのだから、あの人とは違って信じていい先生だって、わかって欲しいんですが……」
なるほどエヴァンは、それでアラステアさえ敵だと認定しているのか。
そしてイヴリンも疑ってきている。が、イヴリンは逆に思った。
「でも、王ですらカメリアにたぶらかされて王妃にまでしちゃっているというのに、その洗脳から自力で脱したエヴァン様は見事といえますわね」
すると、アストンは目を伏せた。
「……サーシャ様、えと、エヴァンの実のお母さまが病気で亡くなってすぐに王妃の座に収まったあの人を見て、さすがに気が付いたようで。それからは反省して、人が変わったように……今の他人を寄せ付けない、厳しいエヴァンになったんです」
なるほど。トゲトゲの理由はそこだったのね。
しかし、エヴァンの母サーシャのことを思うと、イヴリンの胸もさすがに痛んだ。病弱だが、心優しい王妃様であったということは噂で知っていたからだ。
「サーシャ様、お気の毒ですわね。病身の上、息子をたぶらかされて、夫も取られるなんて……本当に、どれだけのご心労だったか」
「はい……。サーシャ様はお優しい方で……。お元気な時分は、血のつながらない僕のことも、気にかけてくださって、なんども扉越しにお話してくださいました」
「まぁ……良い方だったんですのね」
するとアストンは少しはにかんだ。
「ええ。少し……ロシュフォール先生に似た方でした」
「あら、私に?」
聞き返すと、アストンははっとした。
「はい、あっ、あの、違うんです、年齢とかじゃなくて、すみません、たたずまいや雰囲気のことで……」
慌てるアストンをイヴリンはほほえましく思った。するとアストンは、ふと気が付いたように聞いた。
「あの、ロシュフォール先生は……僕よりも年上、ですよね……?」




