よしよし、おやすみなさい
涼しい顔で言い切るイヴリンに、エヴァンは眉を寄せた。
「そんな状態ですから、私家を出たくて出たくてしょうがなくて、毎朝新聞広告を漁って、働き口をずっと探していたんですわ。そこをアラステア様が雇ってくださったんですのよ」
「……ロイヤルナニーなら、楽して大金を稼げる、と?」
「まあ、違いますわ。御覧くださいな」
イヴリンは自室から持ってきた封筒から、切り取って保存していた新聞広告と、自身の履歴書を差し出した。
「これが、私が応募した新聞広告ですの。雇い人がアラステア様とは一言も書いてありませんし、ロイヤルナニーなんて文句も一言も」
『身分は貴族ならだれでもOK、ただしどんな状況でも平常心でいられる 肝の据わった女性』の文言を読みながら、エヴァンは顔をしかめた。
「なんだと……この募集は……」
「たしかアラステア様は、『かよわい深窓の令嬢だとつとまらないから』っておっしゃっておりましたわ? まぁ私は、たしかにか弱くはありません。継母と義妹、それに父にもいじめ抜かれてきましたもの」
よよよ、といったていで壮絶な言葉を語ったイヴリンだったが、エヴァンは到底信じられなかった。
「いじめ抜かれてきたって……どう見ても、それだけじゃないだろ……」
倍にしてやり返していそうだ。そう思ったエヴァンを見抜いたのか、イヴリンは自信に満ちた笑みを浮かべた。
「そりゃあ、やられてばかりでは、身が持ちませんからね。ほどほどに、反撃はしていかないといけませんわ。命を守るためにも。家を出たのもその一環ですわ」
「はぁ……」
「ですから私、この職業を失えば宿なしですのよ。出ていけない理由、わかっていただけましたか?」
釈然としないながらも――エヴァンは押し黙った。
彼女の話には説得力があったが――だからといって、簡単にうなずくことはできない。自分はライアスや、アストンとは違うのだ。そう簡単には騙されない。
貝のように口を閉じてしまったエヴァンに、しかしイヴリンはそれ以上は責めなかった。むしろ――
「私自身、抵抗の大事さは身に染みておりますから――エヴァン様が突然やってきた家庭教師を攻撃する気持ちも、わかりますのよ」
イヴリンは彼に対して、条件を出すことにした。
「ですから、私を認めていただかなくとも、平気です」
「な……それはどういうことだ」
「ええ、私は家庭教師としてここにきましたが、エヴァン様は、私の言うことは聞かずに自由にしてくださって結構ですわ。そして、今回の召喚獣のように、周りに危険を及ぼす行為でなければ――私を自由に調べて、吟味してくださって結構です」
イヴリンはアラステアから渡された書類一式を差し出した。
「書類を求められれば提出しますし、行動も逐一監視してもらって構いません。むしろ、報告いたしますわ。私が怪しい行いや、ライアス様やアストン様に何か不利益を行えば、すぐに出ていきますと約束しますわ」
堂々をそう言い切ったイヴリンに、エヴァンは若干まだ疑いながらも――うなずいた。
「わかった。言ったからには――あとで反故にしたり、言い訳はするなよ」
「ええ、もちろんですわ。では――失礼しますね。よくお休みくださいませ」
出ていきながら、あ、と思いだしたようにイヴリンは振り向いた。
「今日はライアス様と、アストン様も誘って庭で遊ぼうと思っておりますわ」
律儀に報告して、イヴリンはエヴァンの部屋をあとにしたのであった。
◆
エヴァンはベッドにそのまま、投げやりに身を沈めた。
なんなんだ、あの召喚獣は。俺を差し置いて、あの家庭教師にあんなになつきやがって……。
非常に釈然としないが、もうくどくど考えたり、怒ったりする体力も残っていなかった。電流を浴びすぎたのだ。回復のために、体が休息を欲している。
エヴァンは目を閉じた――その時だった。
『さぁ、ピクニックに参りましょう、ライアス様。アストン君もいかがですか』
頭の中のどこかから、あのいまいましい女の声がして、エヴァンはびくりとした。
――な、なんだ⁉ いきなり……!
いや、気のせいかもしれない。エヴァンはそう思い直して、再び眠ろうと目を閉じた。
すると、申し訳なさそうなアストンが、瞼の裏に浮かんでしゃべりはじめた。
頭の中に、勝手に映像が流れてくる⁉
『ぼ、僕は遠慮します、みなに迷惑をかけてしまうので……って、こ、この犬は一体⁉』
アストンが、こちらの方を見てとまどった声を出す。
『大きいですね……せ、先生のその、使い魔ですか』
アストンがイヴリンに向き直ったのを、エヴァンはやや下の位置から見上げるような目線で見ていた。
それで気が付いた。つまり――今エヴァンは、あの『マフィンちゃん』の目を通じて、彼の見ている光景を見させられているのだ。
自らの魔力で作り出した召喚獣には、こんな使い方もあるのか。初めて知る感覚に、エヴァンは驚いた。
『この子は、エヴァン君が先ほど出した召喚獣ですわ。ちょっと元に戻せなくなってしまったようなので、私が預かることになったんですの。おお、よしよし。いい子ですわ、グッボーイ』
次の瞬間、エヴァンは悲鳴を上げていた。
「ひゃあっ⁉」
イヴリンが召喚獣を撫でた瞬間、まるで彼女の手が自分に、同じように触れた感触があったからだ。
「うわっ、ちょっ……」
頭や耳の後ろ、そして顎の下などを、女の細い指先で優しく撫でられる感触に、エヴァンは身もだえした。
――くすぐったい!
「やめ、あぅっ……!」
まさか視覚だけでなく、感覚も共有しているとは。さすがにうろたえたエヴァンは、意識を召喚獣からシャットアウトした。
「は……ふぅ……」
やっと視覚も感覚も、自分だけのものに戻った。
どうやら召喚獣との共有回路は、エヴァンしだいでオンオフにできるようだった。
よかった。ずっとあの女を近くに感じているなど、不愉快だ。エヴァンはそう思って寝返りを打ったが、ふと気が付いた。
待てよ、召喚獣との共有回路を使えば――あの女を監視して、スパイのしっぽを簡単につかめるんじゃないか?
◆
いままでの数日の鬱憤を晴らすように、ライアスは森じゅうを爆走して、イヴリンと遊びに興じた。鬼ごっこをした後は、果樹園のリンゴも収穫し持ち帰った。リンゴは、遠慮してピクニックについてこなかったアストンにも差し入れで渡しておいた。
おかげでさすがのイヴリンも軽く疲れているが――それ以上に充実してもいた。
湯あみをし、さっぱりとした気持ちで、イヴリンはいつものように窓際に座った。夜空を飛んで、どこからか嬉し気にハウオリがやってくる。
「ハウオリ、今日はとても充実した一日でしたわ。ライアス君とめいっぱい遊べて、バルコニーでそれを眺めるアストン君の顔にも笑顔が見られました。収穫したリンゴを使って、明日はお二人に、アップルパイでも作ろうかと思っておりますの」
するとその時、イヴリンの隣にマフィンがふんふんと鼻を鳴らしながらやってきた。
「そうそう、紹介するわね、新しいお友達のマフィンちゃん。とってもいい子よ。ふふ、モフモフのお耳が可愛いこと。ハウオリも、仲良くしてあげてね」
イヴリンが軽くマフィンをなでると、ハウオリは『一番の親友』の余裕で、マフィンをちらりと見たあと、チチ、と挨拶をした。
「この子の本当の飼い主はエヴァン様なんですの。彼とも、今日は建設的なお話合いができました」
ほんとーに? とハウオリが心配そうに首をかしげる。
「私を信じてほしい気持ちもありますが――彼の立場的に、すぐには無理でしょう。でも、彼も一人で頑張って、苦しんでいる様子。力になりたいですが、まずは認めてもらう時間が必要ですわね」
するとクゥーン、とマフィンも鳴いた。イヴリンは彼に向かっていった。
「できるだけ早くその時が来るように努力いたしますわ。彼とも、仲良くなれますように。星に願いをかけておきましょう。ハウオリは? マフィンちゃんは?」
ハウオリはそっとイヴリンの頬に寄り添ってから、星へ向かって飛び立った。彼は夜空を飛び回るのが大好きなのだ。
「また明日ね、ハウオリ」
それを見送って、イヴリンとマフィンはベッドに向かった。
「さて、私たちは寝ましょうね。マフィンちゃんの寝床はどうしましょうか。ソファがありますけれども……」
しかしマフィンは、ベッドのそばで入れて! と言わんばかりにしっぽを振り回していた。
「甘えん坊さんね。いいわよ、いらっしゃい」
うるる、と喉を鳴らしながら、ベッドの中でマフィンが体をぴったりイヴリンにくっつけた。
そのしぐさを愛らしく思いながら、イヴリンはちょうど胸の間にうずめられた頭をなでてやった。
「いい子ね、よしよし。おやすみなさい……」




