グッボーイですわ
とりあえず、気を失っただけのようね。あとのケガはやけどくらいで、良かった……。
エヴァンをいったん地面に横たえて、イヴリンは召喚獣に向き直った。万が一でも――暴走なんてされては困る。より確実に『テイミング』しておかないと。
「ね、あなた」
先ほどは思い切り威圧してしまったので――今度は怖がらせないように、ゆっくりと獣に近づいていく。
電流を収めたのか、先ほどより毛並みは輝いていない。まるで焼きたてのマフィンのような、こんがりした黄色をしていた。狼をきつねを足して割って、毛並みを豪華にしたような、未知の生き物に見えた。
召喚獣をどうこうするのは初めてだわ。でもこう見ると――なかなか愛らしいのね。
「ご主人様、倒れてしまったけれど、どうする?」
とりあえず、座っている彼の目の前に、手を出してみる。すると召喚獣はくんくんとイヴリンの手のにおいを嗅いだ。まだ少し警戒されているようだ。
「さっきは怒鳴ってごめんなさいね。もう平気よ」
ゆっくりと目を合わせながら声をかけると――またわずかに、くぅんと鳴く声がした。
「あら、いい子ね。いきなり呼び出されてびっくりしたわよね。とりあえずそうね……私と一緒に来る?」
イヴリンは差し出した手に、わずかに自分の魔力を流した。動物たちにとって、イヴリンの魔力は、触れると心地よく感じるらしく――召喚獣もすぐに、イヴリンの手に頭をこすりつけてきた。
「ふふ、よかった。気に入った?」
ごろん、とイヴリンの前に召喚獣が転がる。『もっとして』のポーズだ。
「あらまぁ素直で可愛いコね。ご主人様と違って――ほらほら」
召喚獣の期待に応えて、イヴリンは魔力をまとった手でたっぷりと召喚獣の体を撫でまわして、掻いてやった。
ふんす、ふんす。うれし気な呼吸がその鼻から漏れる。黄金のしっぽはぶんぶん振れていた。
イヴリンはくすくす笑ってしまった。
――本当に、ご主人様とは正反対ね!
◆
目を覚ますと、そこはいつもの自分の部屋だった。
「……!」
エヴァンはがばりと跳ね起きた。いつの間にか服は寝間着に、そして両手には湿布と包帯が巻かれていた。
「お、俺は……」
そうだ。召喚獣はどうなった。ベッドを出て確かめに行こうとしたその時、ドアが開いた。
「エヴァン様、お目覚めになりましたか」
狙いすましたかのようにイヴリンが入ってきて、エヴァンは顔をしかめた。
「何の用だ」
「あら、ご挨拶ですのね。あなたをベッドまで運んで、手当したのはこの私ですのよ。別に仕事ですから、かまいませんけど」
そんなこと、頼んでいない――それより。
「召喚獣はどうした? あのまま消滅したか?」
虫のいい話だが、自然消滅を期待してエヴァンは聞いた。が……
「ここにいましてよ」
イヴリンの後ろから、まるで飼い犬のようにひょいと召喚獣が顔を出したので、エヴァンは目を向いた。
「バカ離れろ! 危険だぞっ」
しかし召喚獣は牙ひとつ剥かず、まるで母親に甘えるかのように、イヴリンの手に頭をこすりつけた。
「あら、危険なんかではありませんわよ。いい子いい子」
イヴリンを見上げるその目はきゅるんとしていて、まるで愛玩室内犬のようでさえある。サイズが愛玩犬のそれとは違うが。
「な――⁉ お、お前どんな手を使ったんだ……⁉」
エヴァンは驚きに目を見開いたが、すぐに気を取り直した。
まぐれだ、まぐれ! そう、凶暴な一角獣だって、乙女にはなつくと言うではないか。
きっと女好きな性格の召喚獣だったのだろう。
しかし――この召喚獣、趣味が悪いな。俺になつかずこんな性悪女になつくとは。若くて見てくれがよければ、誰でもいいのか? まったく。
釈然としないながらも、エヴァンは手招きした。
「来い。お前を無に戻す」
包帯の手がちょっと痛むが、魔法陣を床に作成する。ぱあっと光るその魔法陣を見て、しかし召喚獣は後ずさった。
「ほら、お行きなさいな」
イヴリンが促すが、召喚獣ははっきりと魔法陣に背を向け、まるで怯えるように、イヴリンの後ろに隠れた。
「あらまぁ。よしよし」
エヴァンはカッとなって叫んだ。
「おい! 主人は俺だぞ! なぜ命令を聞かないッ!」
エヴァンはベッドから降りて、ずかずかと召喚獣に近づいた。
――どうせ自分の命令を聞かず刃向かってきた獣なのだ。ここで無理やりとっ捕まえて、魔法陣の中に入れてしまったほうがいい。
しかし、召喚獣はエヴァンの手が触れるまえに、グルルと唸って牙をむきだした。
「うわっ」
バチバチと再びその毛並みに電流が帯び、さきほどの痛みを思い出したエヴァンは思わず手をひっこめた。するとイヴリンが召喚獣を叱った。
「こらっ、ダメでしょうマフィンちゃん。ご主人様を傷つけては」
すると召喚獣は耳をぺたっとして電流をひっこめ、すねたような甘えるような目でイヴリンを見上げた。
「えらいわ。グッボーイよ」
エヴァンは思わず叫んだ。
「な……マフィンちゃんだと⁉」
勝手に名前を――それもそんなふざけた名前を付けるとは。
「あら、ただのあだ名ですわ。毛並みがマフィンみたいで可愛いでしょう」
「ふざけるな。俺の初めての召喚獣だ。公文書に残る記録だぞ。取り消してもらう! というか、なんで俺の言うことを聞かないんだ! お前は俺の魔力でここに存在してるんだぞ! ここになおれ! 魔法陣に戻るんだっ!」
しかし、召喚獣はエヴァンの言うことは丸無視して、魔法陣に背を向けた。そこにイヴリンが割って入る。
「エヴァン様、また電撃を用いた乱闘になっても困りますし……。私もエヴァン様も、これ以上のやけどはごめんでしょう。マフィンちゃん(仮)を出しっぱなしにしておくのは、難しいのですか?」
「べ、別にそんなことはないがっ」
「なら、無理に戻さなくても良いのではないのでしょうか? この通り、私と一緒ならば良い子ですし。マフィンちゃんが満足するか、エヴァン様がご成長なされば……自然と戻るのでは?」
「お、俺が未熟だと……言いたいのか」
睨み殺すような目でエヴァンは言った。
イヴリンは一瞬迷ったが――彼のためにも、ここははっきりと言うことにした。
「残念ながら――緊急時でもないのに、危険を顧みず、未成年には禁止されている術を行い、その始末もご自身でおつけになれない。これは責任あるふるまいとは言えませんわね」
エヴァンが悔し気に唇を噛む。なぜかマフィンまでもが、叱られたように耳を寝かせていた。
そこでイヴリンは神妙な顔になった。
「ですが、エヴァン様が私に対する疑念をお持ちであり、そこから今回の攻撃に発展してしまったことは、私としても重く受けとめておりますわ」
しかし、どうすれば彼の疑念を晴らせるだろうか。イヴリンは逆に聞いてみた。
「私が出ていく以外で――どうすれば、スパイなどではないと信じていただけますか」
「出ていく以外でだと⁉ 都合のいいことを……そもそもお前が、こんな目にあってまでなんで辞表を出さないのかが疑問だ。普通の貴族の子女であれば、とっくに嫌気がさして、家に帰るだろう」
イヴリンはにっこり微笑んだ。
「なるほど……ですがその答えは、エヴァン様はもうご存じですわ」
「……は?」
「『大した力もない、家でもいらない扱いを受けているような女』――最初にお会いしたとき、そうおっしゃっていましたわね? その通りですのよ」




