雨上がりの風呂上がり
ぬかるみが靴に沁みたとき、
それを気にせずに歩けるような人は、
きっと、心も渇いていたい人
防水している心には、それでは沁みない、
とは言いましても、それは私のことではないので、
私には爪にまですら、沁み込んでいくということです
不快ではない、と言えば嘘であって
不快でしかない、と言えば、それも嘘になって
確かに、ただアスファルトを踏むときよりは、
少しだけ、一歩一歩で波を打っているのです
足を洗う、靴下を洗濯する、靴が乾いていく、爪を切る、
これは日常の一部でしかないけれど、
ただ、感触が私の感情にまで伝わって、
それは私の体温のみで、緩くなっていったのです
ぬかるみに靴が沁みたとき、
それを気にせず歩いているような日なら、
たぶん、心は私も砂漠のようなもの、
潤いに気付けもしない心では、水溜まりも消えるかな、
とは言ってもですね、どうせ私のことですから、
土砂降りでも降れば、すぐにも海になるってことです