act,8 傾向と対策。
泉原さんは仕事があると言って一旦この町から離れることになった。
彼女はもともと都会の人間で、キマリの力の出所を感じ取って、感じるがままにこの町にたどり着いたそうだ。ハシラビトの力はすごい。なんとなくこっちだと思って行くと、本当にそっちで当っているのだから。
『他の擁護派の連中にも、いろいろ報告しておくわ』
と、去り際に言い残して泉原さんは去っていった。
俺とキマリはあのあと何とか病院から抜け出して、俺のアパートまで辿りついた。
キマリの荷物は数日の後にダンボールに入って届いた。本格的に同居すると思うと少し緊張する。
俺が町へ写真を撮りに行っている間も、キマリはどこへも出かけず、家の中で何か難しそうな顔をしていた。時折、コントロールが難しいとかぼやいていたので、多分、力をコントロールする方法をあぐねていたのだろう。その辺のことは俺にはわからないので、難しい顔をしているキマリには話しかけないことにしている。
キマリと同居を始めて一番変わったのは、小笠原と関わることが少なくなったことだ。
なんとなく、同居の話を言い出しにくくて、秘密にしている上、この間無碍にあしらって追いかえしたので、罪悪感のようなものが残っていて、以前のように軽々しく家を訪ねることができなくなった。
そんな時、クラスで席替えが行われた。三月に入っていたのでもうすぐ春休みだ。残り僅かな時間しかこのクラスで過ごすことはないのだから、今のうちに多くの者と触れ合っておこうということだった。
俺の隣だった加藤は廊下側の一番後ろを勝ち取り、俺はというと教卓の目の前の特等席に身を置くことになった。
しばらく小笠原を避け気味だったので、この席は何とも気まずい………。
HRの度に俺は頬杖をついて明後日の方向を見たり、窓の外に関心があるフリをして、目線を合わせないようにやり過ごした。
笠馬をはじめ、俺と小笠原の仲を勘違いしている者たちは「ケンカでもしたの」としつこく尋ねてくる。
「だから、そういうんじゃないっつってんだろ」
「でも避けてるじゃない」
「それは……」
笠馬が問い詰める。確かに避けてはいるので、何も言い返せない。
でもしばらく撮り溜めた写真もあったし、そろそろ惣菜に飽きてきたこともあって、今日こそ小笠原に話そうと決心した。
とりあえずメールでも、と思ってケータイを開いたら、タイミングよく校内放送が聞こえてきた。
『二年C組、藍生くん。小笠原先生から呼び出しです。至急職員室へ来てください』
教室内が、おおぉ、とどよめく。
「ほら、あっちも痺れを切らしたんじゃない」
「そういうんじゃないって。職員室でそんな話ができるかよ」
「あぁ、それもそうか」
笠馬はぼんやりと言って「じゃあなんだろう」と呟いたが、教室に居た連中はてんやわんやの大騒ぎだった。
頑張れとかなんとか、よくわからない声援を背に、俺は教室を出た。
廊下ですれ違う奴らも、俺の顔を見てはクスクスと笑ったり、俺と目線が合うと顔を背けたりした。
今まで特に気にしたことはなかったが、もしかしたら俺と小笠原の噂はかなり知れ渡っているのではなかろうか…。
身の置き場がなくて、俯き加減で職員室へ向かう。
先生たちは噂なんて知らないのか、職員室の中ではジロジロ見られたり笑われることもなくて、それは助かった。
「……ああ、来たか」
小笠原は書類の束をアレコレ動かしながら、そう言った。机の引き出しから大きな茶封筒を引っ張り出したところで、俺の顔を見た。けど、一瞬チラと見ただけで、すぐに話を切り出す。手は封筒から履歴書のような書類を取り出していた。貼ってある写真は見慣れない顔だ。黒髪に大きな黒い目の、少年だった。
「今度転校生が入るんだ、ウチのクラス。親御さんと離れて一人暮らしをするらしいんだけど、初めてだから勝手がわからないって言っててな、お前も同じような境遇だから相談役になってもらえないかと思って」
「……それだけ?」
「ああ。他に何かあったっけ?」
「…………いや、いいけど」
笠馬ではないが、正直、拍子抜けした。
職員室で話すのだから、おそらく事務的な話だとは思っていた。それにしても俺が少し小笠原を避け気味だった事に関して、なにかしら言われるのではないかと構えていたのだ。
なんだ、こんなことなら早く言っておくんだった…。
いつもと変わらない様子の小笠原に、ついでのように俺は話を切り出した。
「そういや、俺、キマリと同居してるんだ。あいつの身の周り、今うるさいからさ」
「極と?」
この前の夕方、多くの目撃者の中で力を使ったキマリは、テレビや新聞で騒がれることになった。目撃証言の他に証拠写真や映像も多くあって、キマリは言い逃れが出来ない状態だったけど、しばらく黙秘を続けているうちにそれらはおさまってきた。所詮映像や写真はでっち上げることが簡単なものだし、見たと言っている人々も、本人が全く何も反応しないことで、見間違ったと思い始めたようだった。とかくキマリはまだ未成年の学生で、光を放ったという非現実的なことも信じがたいし、光を放ったからと言って何か人的被害が及んだわけでもなく、町の七不思議のひとつとして丸く収まりかけていた。しかし、しつこい記者はまだキマリを追いかけていて、キマリの周りではたまにフラッシュをたく音が聞こえているのだ。
「ふぅん。お前たち、そんなに仲がよかったのか」
「まぁ、ちょっとした縁で」
俺が同居の話を告げても、小笠原は興味がなさそうにそう言っただけだった。
今まで何を気にしていたのかわからなくなってくる…。
小笠原の机に貼られた無数の写真を見ながら俺は言った。
「最近撮った写真、溜まってんだけど…」
「…そういえばこの間言ってた不可解な光の写真は、できたのか?」
俺の予想に反して、小笠原はそんなことを言った。すっかり忘れ去られたと思っていたのに、まだ憶えていてくれたのだ。
「ああ、あれ…。手違いで誰かが持っていったきり、そのままなんだよ」
「何だそれ?」
「代理人とか言って誰かが俺の代わりに写真を受け取りに来たらしい」
「へぇ…ヘンだな…」
小笠原は写真がなくなったことを初めて知ったふうだった。
女工作員に仕立て上げて、写真を奪った犯人に関係しているのではと、小笠原を疑っていた頃が懐かしい。
「…その転校生、近いうちにお前の部屋を見たいって言ってたから、よろしくな」
「市営住宅に入るのか?」
「そうらしいな。もう数週間で春休みなのに、あっちも大変みたいだから、優しくしてやれよ」
「…ふうん」
そんな事務的な会話を交わして俺は職員室を出た。
晩飯の約束を取り付けるんだったと、教室に戻ってから気がついたけれど、とりあえず同居の件は告げられたので、良しとしよう。
家に帰ると大きなダンボールがまた一箱届いていた。
先に帰っていたキマリは「ニールのおねーさんから」と言った。
「…そういえばこの間も思ったけど、ニールってなんだ?泉原さんのことだよな」
「ああ、ごめん。あちらでの彼女の名前だよ。正確に言えば彼女の所有しているキョクの名前だけど」
「…キョクって人間の言葉をしゃべるのか……?」
「うーん、それも僕らが感じるだけかな。なんとなく、彼女のキョクの名前はニールだってわかるっていうか…」
「………」
この「なんとなく」という判断が、力のない人間には理解しがたい。
とかく「ニール=泉原さん」という解釈をしておけば問題はないのだろう…。
「ちなみに僕はヴェノバで通ってる。彼はもう消滅してしまったけれど」
「…何か、西洋風な名前だな」
「そうみたいだね」
キマリはカッターを手に箱を開け始めた。俺はカバンを床へ下して、キマリが開けた箱へ目をやった。
「……わぁ…」
「……………」
「すごいねぇ」と感心するキマリに反して、俺はげんなりとした。
嫌がらせとしか思えない……。
「変装しろってことかな」
そう言ってキマリは箱の中から赤やピンクのそれらの一つを取り出して身体にあてた。
「似合う?」
そう言ってニコリと微笑む。
違和感はない。なさ過ぎて怖いくらいだ。
「よく平気でいられるな。俺だったら即効捨てる」
「人の好意は無碍にしちゃいけないよ。ほら、サイズもぴったり」
ヒラヒラした布で構成されている暖色のそれらは、明らかに女物の衣服の山だった。
「僕の顔が割れてるんなら、これくらいの変装はしないとだめなのかもね。丁度いいかも」
「何が丁度いいんだ」
「ほら、アイオくん先生との噂で困ってたでしょ。彼女ができたって思えば誰も騒がなくなるよ」
「今度はいきなり湧いてきた彼女に騒ぐかもしれないだろ」
「うーん、アイオくん、モテモテだねぇ」
「………キマリ……」
俺とは別のクラスのキマリが、噂を知っているということは、やはり校内に噂は広まっているのだろう…。
ふと、昼間小笠原と交わした会話を思い出した。例の写真の話をしたのだ。
「…ずっと、前から聞こうと思ってたんだけど…」
「何?」
「一番最初の、お前が高架橋の上で光を放ったとき、俺はお前が光を放つ瞬間を写真に撮ったんだ」
「ああ、ニールのおねーさんも、そんなこと言ってたね。その写真で有名になる魂胆だったんでしょう」
「…その写真、実は、現像に出したきりで行方不明なんだよ」
「………行方不明?」
キマリが怪訝な顔をした。
「その日のうちに現像に出して、次の日受け取りに行ったんだけど…写真屋の親父が言うには、綺麗で小柄な少年が、代理人とか言って、俺の代わりに写真とデータを持ってったらしいんだ」
「その日のうち………」
「俺は…もしかしたらお前が持ってったんじゃないかって疑ってた」
「…………」
言い終えてしばらく沈黙が流れた。キマリは難しい顔をして俺を見つめている。
「…残念だけど、僕じゃないよ」
「……じゃあ、やっぱり親父の手違いか何かか………」
俺はため息を吐いた。俺の妄想はやっぱり当っちゃいなかった。
「まぁ、今更写真が見つかったところで大したことじゃないけどな」
俺は有名になった自分を想像した。今となっては途方もない妄想に過ぎない。
「いや、大したことかもしれない……」
キマリは難しい顔をしたままで深刻そうにそう言った。
「君、写真の話を誰かにした…?受け取りに行く以前に」
「それなら…………小笠原に話したけど…」
キマリの質問の意図がわからない。
けれど、このキマリの様子では明らかによくない何かが起こっているとしか思えなかった。
コイツがうろたえたり、焦ったりするのは、あまり見た事がない。
「先生しか、君が僕の写真を撮ったって、知らないんだね…?」
「………そうだな」
キマリは確認するように、ゆっくりと言う。
俺は返事を返しながら、キマリの考えを推測した。
もしかして、小笠原が、一連の騒動に、関係してるっていうのか……?
「………幹部があの時点ですでにアイオくんをマークしてたなんてありえない。だって僕らはその日、まだまともに会話したこともなかったんだよ」
「どういうことだ…」
俺はキマリに説明を求めると同時に、一つの推論を頭に思い浮かべていた。
…いや、ただの妄想だ。今日だって、あいつは初めて知ったふうだったじゃないか。
「まだわからないけど、先生は幹部と繋がってる可能性がある」
キマリの言葉に俺の心臓はドキリと跳ねた。
予想はしていた、けれど、断定的な言葉を聞くと、否定したくてしょうがなくなる。
「そんなわけ、ないだろ」
小笠原が幹部と繋がってたなんて、思いたくなかった。でも、小笠原しか、写真の事実を知る者は居ない………。