act,13 ラブ、エンディング。
※前半7割はキマリ視点です。
最後の戦いから数週間。終戦後の同盟会合に出席したニールの話によると、非擁護派は巨躯の完全放棄を願い出たらしい。それにはハイリエの説得もあったし、僕が目に見える巨躯をすべて破壊してしまったこともあった。
巨躯の殲滅は根本解決のように思えるけど、僕としては一番避けて通りたかった選択だった。アイオくんの言うように、人間世界でケンカして、終わらせられるならよかった。でも戦況は、それを許してはくれなかった。
最初の交戦で僕と吾妻氏、それに数人の幹部は巨躯を失った。初め、僕は幹部の巨躯を破壊するつもりはなかった。穏便に、幹部の巨躯と共鳴して、彼らの巨躯を僕の手におさめることが目的だった。同盟規約では、昼間以外は力を使ってはいけない決まりになっていたけれど、ある程度力のコントロールを覚えると、弱い光で力を扱えるようになるし、熟練すれば光を放たなくても力を扱えるようにはなる。皆黙っているけれど、こっそり夜でも力を使っているのが現状だった。僕も例に漏れず、夜のうちに事を済ませようと思っていたのだけど、思わぬアクシデントが起きた。ヴェノバがかんしゃくを起こしたのだ。
幹部の巨躯と共鳴最中にヴェノバが暴れだした。暴れたヴェノバは幹部の巨躯と交戦し、僕はそのせいで共鳴に失敗、その拍子に力のコントロールが効かなくなった。コントロールの効かない力は巨躯と共鳴する以前の問題で、巨躯自身をも破壊してしまった。つまり僕の力が暴走したことで幹部の巨躯も、ヴェノバも、破壊してしまったのだ。そして人間世界では巨躯を破壊された幹部の力も暴走するし、光の量は多くなるばかりだし、アイオくんには写真を撮られるし、散々なことになってしまった。
アイオくんは写真を撮った直後、小笠原先生の家へ行った。当然、写真の話や光の話をして、その話が、その日のうちにハイリエの元へ届いた。先生がメールでアイオくんの話をしたそうだ。ハイリエは写真の情報を入手して、当然父である吾妻氏に話した。自分の巨躯を破壊した相手が写っているのだから、アイオくんの写真を手に入れたくもなるだろう。
ハイリエは写真を入手しにこの町へやってきた。というのは表向きで、吾妻氏の指示というのも建前にしか過ぎなくて、ハイリエには吾妻氏の意向に従う意思が初めからなかった。彼自身の目的は、楽しそうにアイオくんの話をする小笠原先生の偵察だった。
けれど、写真を手にできなければ小笠原先生に何をされるかわからない。ハイリエは吾妻氏の意向どおりに写真を入手、僕の顔は彼らの知るところとなった。
入手に関してはごく単純な手順だった。写真屋のおじさんが老眼だったのは年齢からしてわかることだし、伝票のでっち上げは簡単だった。小柄で綺麗な代理人というおじさんの形容を後でハイリエに伝えると、それも老眼のせいではないかと言われた。
最初の交戦の後、僕はどうなったかというと、実はその場で気を失っていたみたいだ。気づいたら日が昇っているし、病院のベッドに寝かされているし…、とにかく状況がまずいことだけはわかっていた。親切に病院へ運んでくれた人には悪いけど、寝ている場合じゃなかったから、こっそり病院は抜け出した。その日は学校も無断で休んでしまった。
僕が倒れている間に、実は同盟会合が開かれた。僕がなぜ幹部の巨躯と共鳴しようとしたかは、ニールも言っていたけれど、他の皆にも知れ渡っていて、会合では僕がした行為についての賛否が問われていた。ニールをはじめ、少数は僕がしたことを支持してくれたけど、大半は幹部の考えに従っていた。さすがに有無を言わさず破壊すれば、支持者も少ないだろうと、僕も思う。
会合の様子を僕は知らなかった。知ったのは三度目の交戦中に、僕を支持してくれた仲間たちと初めて会ったときだった。
二度目の交戦は幹部への牽制の意味もあったし、あちらの力の出所を探る目的もあった。そして僕の力がどれだけコントロールできないのか、知るためでもあった。あの時アイオくんと出会ったのは偶然だったけど、いずれ彼には僕の仲間になってもらいたかった。小笠原先生が柱人であることは判明していたし、幹部によって人工的に覚醒させられたんじゃないかとも思っていた。彼女の覚醒時は異常だったから。
彼女が覚醒したとき、僕はあちらの世界で、一体の巨躯が暴れるのを見た。そのとき感じた力は、先生のものと吾妻氏のもの、そしてハイリエのものだった。幹部の巨躯と、誰か知らないけどとにかく暴れる巨躯、知らない巨躯を守る巨躯、その光景は今もはっきり覚えている。想像でしかないけれど、人間世界でもそんな構図が取られていたんじゃないかと思う。
ハイリエが言うには、ハイリエの覚醒も先生の覚醒と同時だったらしい。二人とも吾妻氏によって覚醒させられたに等しい。実際はどうなのかわからないけど、ハイリエの心の傷は、多分、先生が覚醒したこと、だと思う。
話がそれてしまったけど、僕がアイオくんに仲間になって欲しかったのは、先生がアイオくんを意識しているのはよくわかったし、心の傷を癒せるのは、愛しかないと思っていたからだ。僕自身、ヴェノバが僕を愛してくれたから、楽しい時は笑えるし、悲しいときは泣けるようになった。先生が最初の被害者だったから、特別彼女には、支えになるような人が居て欲しいと思っていた。もしかしたら、これは僕のエゴでおせっかいなのかもしれないけど、先生がアイオくんの写真を見てうれしそうだったから、これしかないって、思ってしまったんだ。
二度目の交戦は僕にとって得るものが大きかった。ニールと出会えたし、力の加減がとことんできないことも確認できた。それに、吾妻氏の居場所も、大体把握することができた。
ニールの情報量は頼りになった。彼女は毎回会合に参加しているらしく、持ち前のバイタリティーで柱人とのつながりも多かった。
実を言うと、僕は会合へはほとんど参加していない。吾妻氏の考えにはどうしても納得できなかったし、裏で途方もない計画が練られていると知りながら、何も言い出さない会合参加者も好きになれなかったから。でも、ニールのように情報やつながりを持てるなら、嫌わずに参加すべきだったとも思う。
二度目の交戦では互いに被害はなかった。僕も彼らも巨躯を持たなかったから、彼らの共鳴を僕が邪魔した形で、すぐに終わりを告げた。
三度目の交戦は一見穏やかに見えた。僕が力のコントロールを習得したからだ。相変わらず力の暴走している幹部は、二度目の交戦で僕がいる限り巨躯を得ることもかなわないと悟ったのか、戦いに参加してこなかった。だから戦ったのは非擁護派の何人かと、僕側の5人だ。
ハイリエはすでに幹部の仲間ではなかったから、吾妻氏がどれだけ僕らの様子を知っていたのかわからない。アイオくんの写真で顔はわかったのかもしれないけど、僕はニールが送ってくれた変装道具も活用してたし、結果的に人間世界で危害を加えられることはなかったから、多分僕を発見するには至らなかったのだろう。
交戦の結果はよくもなければ悪くもないと言ったところで、僕個人としては上々だった。エリンツェを手にできたからだ。
交戦の最中に、幹部の筆頭とも言える吾妻氏の名前を初めて知った。そして先生の親類だということも判明した。まさか幹部の身内に被害者がいて、それが自分の学校の先生だったなんて…。
先生の様子からして、先生は柱人のことは忘れているんじゃないかと思っていた。僕を見ても何も気づいていなかったようだし、それとなくヴェノバの話をしてみたけれど、ゲームか何かの話だと思ったみたいで「極も見かけによらず、普通の少年ぽいとこあるんだな」って言われただけだった。
無自覚の先生に、心の傷は思い出して欲しくなかった。よりどころはアイオくんだって、僕はますます思った。彼自身は…そうとも思っていなかったみたいだけど。
ハイリエの存在も、僕にとってはありがたかった。それというのも、最初に写真を入手したハイリエは、僕の居場所は不明だと幹部に伝えていたからだ。力の出所は二度目の交戦である程度絞れたはずだけど、正確な位置までは特定できない。僕がいそうな範囲に捜索は及んだのだろう。けれども幸い、幹部が僕を発見する前に、ハイリエが再び僕の周辺に現れた。
幹部は未だハイリエを仲間だと思っていた。まさか幹部の筆頭をひた走る吾妻氏の息子が、擁護派でも、非擁護派でもないなんて、誰も思わなかったのだろう。僕だってそう思った。
つまるところ、ハイリエが捜索することになっていたエリアに僕は居たわけだから、捜索の手が及んで、手が下されることはありえなかったのだ。
最後の戦いは、あっという間だった。アイオくんの言う巨躯で戦わずに解決するやり方もできれば実行したかった。けれど、僕らが相手にしているのは幹部以下何十、何百の巨躯で、それと同じ数だけ、柱人は居るわけだから、一発ずつ殴っても、どれだけかかるのかわからなかった。それに殴りにいったところで、和解できる見込みもないし、更なる争いも引き起こしかねなかった。例えば僕以外の擁護派の面々が、人間世界で狙われるとか、そんなこともありえただろう。
でも、アイオくんがそう言ってくれたのは、うれしかった。戦わなきゃとか、守らなきゃとか、使命感で動いていた僕に、自分の好きにしていいって、言ってくれたような気がしたから。
今思えば、あのあとすぐに戦いを始めたのは、間違っていたのかもしれない。少なくとも三度目の交戦の直後に、僕は力を使うべきじゃなかった。ましてエリンツェを手に入れたばかりだし、思うようにいかなくなるかもしれないって、体力的に目に見えていたのだから。
それでも僕が動いたのは、アイオくんに、思わず先生の秘密を暴露してしまって、アイオくんの戸惑いとか、先生の心の傷とかを考えたら、早く終わりにして、皆を幸せにしてあげたいって、思ったから、なのかもしれない。実際のところ、どうして衝動的に力を使ったのかわからない。ハイリエの言うままに殲滅なんて、一番避けたかった道を選んでしまったのもよくわからない…。そうしたかったからそうしたような気もするし、あまりに疲れていて、アイオくんやハイリエに流されてしまっただけなのかもしれない。それで終わりにしてしまったのは、破壊された巨躯たちにも申し訳ないし、僕を助けてくれた仲間やニールにも申し訳ない…。
僕は、どこかで殲滅以外に解決策はないって思っていたのかもしれない。いや、きっと思っていたんだ。だから、殲滅は僕の意思で、巨躯を死なせてしまったのも僕なんだ…。アイオくんなら、僕がこう言ったとき「お前だけのせいじゃない」って言ってくれるかな…いや、虫が良すぎるかもしれない。
巨躯を殲滅して、エリンツェも僕の手で破壊してしまった…。せっかく僕の巨躯になってくれたのに、エリンツェには仲間殺しをさせてしまった…その上、最後は……。
巨躯は巨躯同士でコミュニケートすることはない。互いを仲間とも思わない。ニールはそう言っていたけど、それならヴェノバのかんしゃくはどう解釈すべきだと思う?あれはきっと、裏切られない愛が欲しいと願った僕に、無償で愛を与えたはずのヴェノバを、僕が裏切ったから怒ったんじゃないかな。共鳴はただひとつの巨躯に限定すべきだった。自分のものだったはずの柱人が、他の巨躯とコミュニケートするというのは、例えばそう、好き同士だった恋人が、他の誰かに話しかけたり、触れたりするのと同じことだと僕は思う。だからヴェノバは、幹部の巨躯に嫉妬したんだ……。
巨躯は多分、その世界から姿を消した。僕が破壊してしまったから…。幹部が巨躯を放棄したのは、そうせざるを得なかったからだ。けれどもし、巨躯の世界に、まだ生きた巨躯が残っているとしたら…彼らは再興するのだろうか。そのときもまだ、幹部は巨躯を放棄すると言ってくれるのだろうか。
「…それは僕ら次第、かな………。これから管理していけば、きっとうまくいくよね…」
「俺は金輪際力は使わない。管理するならお前がやれ」
ハイリエはそっけないことを言う。
「僕だって、できることなら力は使いたくないよ。使わずにいれたら一番いいけど、万が一ってこともあるじゃないか。いざとなったら協力してくれるよね?」
「俺は知らない」
「………せっかく同じクラスになったのに、これも何かの縁じゃない」
「それとこれとは別問題だ」
口では冷たいことを言うハイリエだけど、多分いざとなったら協力してくれるに違いない。彼も僕と同じで、心の傷を増やしたくない人だから、心根は優しいはずだ。
「……アイオくんはどうしてるかな………」
桜が舞う校庭を見つめながら僕は言った。卒業の季節はとっくに終わって、入学の時期ももう過ぎた。僕らは三年生になっていた。
離任式で、小笠原先生が転任することを知ったのは僕だけで、アイオくんもハイリエも事前に知っていたみたいだった。とかくアイオくんはわかりやすかった。
あのあと呆然とした様子で帰ってきたと思ったら、話しかけても何の反応もなかった。僕はその日のうちにアイオくんのアパートを出たのだけど、多分、アイオくんはそれすら気づいていなかったんじゃないかな。
僕が自分の家に帰って、それから何日か学校もあったけど、アイオくんはずっと欠席だった。溜まりかねて部屋をのぞくと、かろうじて反応はあるものの、誰にも会いたくないと言って追い帰されてしまった。
アイオくんが欠席のまま、終業式はすんなり終わって、学校では学年二位が落ちぶれたとか、うわさのカップルが別れたとか、アイオくん関係のうわさで持ちきりだったのに、それでもアイオくんは音沙汰なしだった。
先生の方も無理に気にしないようにしてるみたいで、アイオの三文字は先生の前では禁句になった。発するとすごい勢いで睨まれるからだ。
それもあってか、校内のうわさはだんだん廃れてきた。ハイリエが転入してきて、彼は彼でアイオくんの話題を毛嫌いしていたから、誰もアイオくんのことを言わなくなった。
僕はさすがにそろそろ立ち直って欲しかったから、また部屋を訪ねてみた。今度は部屋に入れてくれて、お茶も出してくれたけど、先生と何があったのか、話してはくれなかった。…まぁ、想像するに、やっと自覚したんだと思うけど……。
僕としてはアイオくんと先生がうまくいくといいなと思っていたんだけど、本人たちの様子を見ると、そううまくいきそうに無かった。しばらくはそっとしておいてあげた方がいいのかとも思ったから、春休みの間は彼らにまったくコンタクトを取らなかったのだけど。
アイオくんは、新学期になっても学校へ出てこなかった。
失踪したとかそういうことはなくて、家には帰っているみたいなんだけど、学校には出てこない。先生とは顔を合わせることもないし、できるなら僕は登校して欲しいと思ってるんだけど…。
放課後、アイオくんを探しに町へ出た。アイオくんの行動パターンは単純で、大抵は人がいなさそうなところとか、子供が探検しそうなところへ行くと出会うことができる。出会うといつもカメラを覗いていて、飽きもせず、写真ばかり撮っている。
「アイオくん」
今日は意外なところで遭遇した。土手の真ん中でぼんやりと座っていたのだ。カメラは首から提げていたけれど、無造作にお腹の上に乗っている。両手を後ろに伸ばして体を支え、足はだらりと伸ばされている。ぼんやりと、何を見ているのかと思えば、空か雲を見つめているみたいだった。今日は天気がいいから。
僕の声には気づいているはずだけど、返事が無い。背後から近づいて、隣に腰を下ろしてみた。それでもアイオくんは無反応だ。
無気力な横顔をしばらく眺めていたら、アイオくんの右手が動いた。そういえば、今日は珍しくカバンを肩から提げている。いつも学校に持っていくカバンだった。何を取り出すのかと思えば、厳重に梱包されたちいさな小包のようなものだった。茶色の包み紙で包んであって、十字に赤い紙ひもが縛ってある。
ポンとこちらに投げて寄越されたので、
「…プレゼント?」
と尋ねると、
「違げーよ」
と言われた。無言で渡されたのだから、勘違いしても仕方ないと思うんだけど…。
「あけていいの?」
「お前宛じゃないっつーの」
僕が包みを解こうとすると、慌てた様子で奪い返した。その姿に、包みの中身は何か大事なものじゃないかと思った。
「…写真?」
「……」
無言ということは多分当たりだ。アイオくんが大事にしそうなものといえば写真くらいしかないし、大きさも丁度そのくらいだったからすぐわかった。
「…先生に、…じゃないの?」
「…やったけど、返された…」
ということは、多分あの時先生が返しに来た写真たちなのだろう。それらをまた返してくると言ってアイオくんは家を出て、放心して帰ってきたのに、結局あれはアイオくんの手元に残ったのか…。
「…包んであるってことは、また返しに行くんでしょう?」
「……どこに居るかわかんねーんだよ…」
「……」
先生の居場所をアイオくんは知らないらしい。
「…学校名ならわかるけど」
「…なんでお前が知ってる」
「だって、離任式で紹介されてたよ…新聞にも載ってるじゃない」
離任式を欠席したアイオくんは知らなくて当然かもしれなかった。新聞は取ってなさそうだし。
こういうところが抜けてるというか、天然っていうか…。
「そんなに遠い学校じゃなかったから、日が暮れるまでには渡せるんじゃないかな」
「…今から行けっての?」
「行くつもりで包んだんじゃないの?」
アイオくんは図星なのか、苦い顔をした。面白くなさそうにため息をつく。
「カメラは預かってあげるから、行ってきなよ」
「……」
「多分、待ってるんじゃないかな、先生」
「……」
「僕、何度も言ったよね。先生を救えるのは君しかいないって」
「……それ、」
アイオくんが口をとんがらせて言った。
「お前はそう言うけど、根拠は何だ」
僕がなぜ、そう思うのかについては、何度か言ったつもりだったんだけど、アイオくんはいまいち理解していないみたいだった。
僕はもう一度、ゆっくり言うことにした。
「先生は、君が、好きだから」
「…なんでだよ」
「…それは、僕に聞くことかな?」
というか、ぶっちゃけるなら、僕だって知らない。先生が何でアイオくんを好きなのかわからないけど、好きなんだなぁとは伝わってくる。
素直にそう答えると、やっとアイオくんは腰を上げた。カメラを下ろして、今度は丁寧に僕に渡した。
「傷つけるなよ」
「もちろん」
僕は笑顔でアイオくんを見送った。これでうまくいったなら、僕も安心だ。ハイリエは不機嫌になりそうだけど。
*
キマリが教えた学校は、二駅ほど離れた土地にあった。
田舎の二駅は都会の二駅とは尺が違う。気候も違えば校風も違う。
「……女子高かよ……」
○○学園でなく○○女子高等学校とかにしとけ、と俺は思った。誰が名前をつけたのか知らないが、女子高なら女子高らしく、それなりの名前をつけてもらわないと困るやつだっているんだ。
丁度、部活終わりの時間なのか、校門からは同じような背格好の女子がわらわらと出てきている。俺は知らずに通学路を歩いていたらしく、ずいぶん同じ制服の女子ばかり見ると不思議に思いかけていた。まさか目的地が女子高だったとは、誤算だった。
学校へ着いたら適当に校門前で待とうと思ったのに、これじゃ迂闊に近づけねーっつの。
時計に目をやると時刻は五時半だった。今までの経験から察するに、先生が帰る時間はもっと遅いはずで、かといって万が一早く帰られたりしたらまずいし、そうそう学校から目も離せない。でも凝視したり、気にしすぎたりしたら、わらわらと出てくる女どもに何を思われるかわからない。しかも転任したばかりの小笠原も、怪しがられるかもしれない。
連絡して、新しい家で待とうかとも考えたけど、連絡がつくのか疑問すぎる…。こちらも連絡を避けてきたとは言え、あっちからもかかってこないし、あれから互いにメールも電話もしたことが無い。俺の方なんて、むしろしばらくは何か言われるのが嫌で、電源を切りっぱなしにしていたくらいだ。
しかし、女だらけの校門で待つか、勇気を出して連絡するか、二つに一つだろう…。ここで踵を返したりしたら、今度はキマリに怒られそうだ。
俺は悩んだ挙句、後者を選んだ。履歴に残っていた番号にかけてみる…。
しばらくコールが鳴った。鳴ればすぐ出るのが小笠原の常だったけど、何度も鳴ってるのに出やしない。俺からだと気づいてわざとそうだったのだろう、留守電に変わる前に切られたみたいだった。
突然ツー、ツー、と鳴るようになって、俺は画面を睨んだ。
「あの女……!」
話も聞かずに拒否るとは…。
ケータイを耳に当てず、ケータイ画面に怒りをぶつける俺を、すれ違う女生徒たちがクスクスと笑っていく。睨み返すと、慌てたように走り去って行った。
こーなりゃ、自棄っぱちだ。
俺を振り返って笑ったり、囁きあったりする女子はなるべく視界に入れないようにして構内へ入って行った。部外者の立ち入りを禁ずるとか、そんなことが校門に書いてあったけど、気にしたら負けだ。
大抵、学校のつくりなんて似たようなものだ。職員室は一階にあるはず、と検討をつけて、校舎をぐるりとまわってみる。小笠原以外の先生につまみ出されないように、気をつけながら、目に付く窓を片っ端から確認していった。
幸いなことに、正面玄関から右に数部屋進んだ辺りだろう、大人ばかりがいる部屋を見つけた。しかし、まだ安心はできない。もしかしたら教科ごとの部屋かもしれないから。だとすれば国語科の部屋へ行かなければならない上、そこまで行ったら一階には無い可能性が高いし、アウトだ。
嫌な予感と期待で、俺は動悸が激しくなった。少しだけ顔を覗かせて、中にいる人間を確認していく。
「…………、」
年配の女性ばかりだ。小笠原らしき姿は無い。
俺が落胆しかけたとき、不意に誰かに耳をつままれた。
「―――――い、」
痛いと発する前に窓の前から連れ去られる。ぐいぐい引っ張りやがって、女の力とは思えない。が、後ろ向きに引きずられているので、誰なのかわからない。男女の判別もできやしない。
俺が後ろ足に数歩よろけると、相手はようやく耳を離した。
「何やってんだよ馬鹿」
言いながら、姿勢を低くして植え込みに身を隠したのは小笠原だった。手招きするようにして、俺を呼んでいる。俺は痛む耳を押さえながら、その隣にしゃがみこんだ。
「馬鹿はどっちだよ!電話したのに切っただろ」
「阿呆!用事の最中に鳴ったから切っただけだよ。後でかけなおしたじゃないか」
言われて、ケータイを見ると確かに着信が一件入っていた。自棄になった直後だろう、そんなことには微塵も気付かなかった。
ここまで行動しておいて、途端に焦ってくる。だったらかかってくるのを待てばよかったとか、こんなにすぐに連絡がつくなら早く電話するんだったとか、いろんな後悔が頭を過ぎる。
「……くっそ、馬鹿は俺かよ。キマリにも文句言ってやる」
俺は言いながら、カバンの中から例の包みを取り出した。この姿形では、中身が何かはわかるまい。
「黙ってもらっとけ」
「は?」
俺は包みだけ渡すと植え込みから立ち上がった。
が、すぐに小笠原に引っ込まされる。火事場の馬鹿力ってやつか、さっきから小笠原の力が妙に強い。
「今出てくなんて正気かよ。生徒の目につくだろ」
「うるせーな!入ってくる時だって十分目立ったっての!」
「でかい声出すな!」
それからというもの、しばらくの間互いを罵りあっていた。馬鹿はもちろん、鈍いとか鈍感とか、空気読めないとか、天然とか、散々な言われようだった。まぁこっちもその分言い返したのだが。
言うことが無くなると、どちらも何も言い出さなかった。
俺は脱力しながら、ここ最近ぐるぐると考え続けていたことを口にした。
「…俺、愛とか恋とかよくわかんねぇ」
「そんなの、知ってる」
「でも、何も思わないわけじゃない」
俺の考えてることが、愛なのか恋なのか、友情なのかわからないけど、思うことはたくさんある。思いの名前は知らないが、何を思ってるのかははっきりしてる。
「写真やるなら、小笠原だと思うし、晩飯せびりたいとか、せびっていいとか思うのも小笠原だけだし」
小さな声で「私はお前の料理人か」とツッコミが入った。いいから黙って聞けっつの。
「馬鹿やっても許してくれそうだとか、多少荒っぽく扱っても、次の日にはケロッとして水に流してくれそうとか、そう思えるくらい心を許してんじゃないかって、俺は思ってる、」
「……」
「でも、まじに泣かれたり傷つかれたりすると困る、俺が嫌で避けてるんじゃないなら、小笠原にはいつでも…」
言いながら照れてくるのがよくわかった。小笠原もそんな感じだったけど、何より俺が、傍から見たら湯気出てんじゃねーのってくらい、照れてる気がした。だからその先が照れすぎて言えない。俺のキャラじゃない、そーゆークサイ台詞は。
でも言わなきゃ進まない気がした。好きとか嫌いとか以前に、恋愛がわからないなんて告白してる時点で、小笠原に失礼すぎたし、それくらいは、恥をしのんで言うべきだと思った。
「…笑ってて欲しいし、幸せだって思って欲しいし……これから、新しい写真とか、撮ったらもらって欲しいと思うし」
「……」
「ずっと、持ってて欲しい、と、思うんだけど………これって…」
ああ、シミュレーションでもここが一番言いにくかった。これが肝心とも思うのに、こういう単語が俺の口から出ると思うと逃げたくなる。
そしたらふと、一瞬、キマリの顔が浮かんだ。アイツは恥ずかしげもなく、よく言うよな。好きとか愛とか、そういうこと。
『先生は、君が、好きだから』
何を根拠に言ってるのか、わかりゃしねー。
でも、キマリに背中を押された気がした。だから、最後のワンフレーズがふっと出た。
「…好き、ってことなのか?」
言い終わって、小笠原の顔も見れた。俺ほど照れた様子もなく、むしろようやく言ったかって感じの、緊張が解けてほっとしたような、そんな顔だった。
俺は思わずみぞおちの辺りに手をやった。カメラがあると思ってたからだ。右手が空を切って、そういえばさっき、キマリに預けて出てきたことを思い出した。しまったと思ったけど、もう遅い。
だって、表情が、変わってしまったから。
人間を撮りたいと思ったのは、初めてだったのに――――――。
ネット公開初の、中編。
執筆初心者のお目汚しを、最後まで読んでくださってありがとうございます。
感想、ご指摘等、頂ければ幸いです。
ありがとうございました。




