act,12 失って気付くもの。
キマリはダンボールに何か詰めこんでいた。
「お昼くらいかな、一枚一枚、ポストから入れてたよ。入れ終わるまでしばらくかかったんじゃないかな…」
「お前、見てたなら止めろよな。何してんだって聞いてくれりゃよかったのに」
どうやら小笠原は昼休みに学校を抜け出して、わざわざ俺の家まで来て、ドアにくっついた郵便受けへ写真を入れて行ったらしい。ウチのドアの郵便受けは受け皿になるものがついていないから、写真は全て床に落ちた、というわけだ。…キマリは一日家に居たのだから拾ってくれてもいいものを…。
「聞けないよ…。なぜなのかわからないけど…先生泣いてたみたいだし…」
「…泣いてた?」
「君、何か嫌われるようなこと、したんじゃないの?」
と言われても、身に覚えはない。
小笠原とは戦いが終わった後も、毎日教室で顔をあわせた。キマリにキョクを破壊されたせいで、ハシラビトだと自覚したようだったけど、それについては何も言ってこないし、俺も聞いたりはしなかった。顔をあわせても至って普通で、俺に対しても他の生徒と同じような扱いだった。
「思いあたらねーけど」
「………」
俺は写真を抱えたまま部屋へ上がって、テーブルの上に写真をばら撒いた。カバンを下ろして床に座り、散らばっている写真を一枚ずつ重ねて揃えていく。中には自分でも結構気に入ってるやつとか、あげた当時の小笠原が特に喜んでいたものもあって、それなのに、無残にも床に落とされていた事実が、悲しくもムカつきもして、納得がいかなかった。その上拾ってくれもしなかったキマリにも、少しだけ腹が立つ。
「アイオくんって、先生のことどう思ってるの?」
「…どうって」
キマリまで笠馬と同じようなことを聞く。いい加減そういう質問はやめてくれ。
キマリは淡々と手を動かしてダンボールの中を埋めながら、俺に話しかけていた。俺は俺で写真を揃えながら、キマリの話を聞いていた。どちらも目を合わせず、夕方の少し薄暗い部屋で、灯りもつけずに作業をこなす。
「普通だよ。まぁ先生ってより、友達みたいっつーか。ちょっと家族か親戚に近い感じの、面倒見のいいねーさん」
「……ふうん……」
キマリの返事には何か言いたげな雰囲気があった。
「なんだよ。言いたいことあるなら言えよ」
「…アイオくんって」
そこでキマリが言葉を切った。気になるのに、続きを言わないから、俺は手を止めてキマリが居る方向を見た。キマリは困ったような、不機嫌なような顔をしてダンボールに封をしていた。ガムテープを貼り終わると、俺のいる方へ体の向きを変え、相変わらず何か言いたげな顔で俺を睨んだ。そしてやっと、口を開いた。
「…鈍いよね」
「……………………」
数日前にも同じようなことをクラスメイトから言われた。だけど、キマリにまで言われるとは思わなかった。ハシラビトは感じ取る力に優れているのだから、むしろ言われて当然なのかもしれないけど、なんだかキマリには言われたくない…。
反論もできないけど、このままキマリと顔を合わせているのは嫌だったので、
「こいつら、返してくる」
「…今行ったらハイリエ…、吾妻くんが居るんじゃない」
「それがどうした」
「…………いってらっしゃい」
キマリが制止するわけがわからない。俺は写真を揃え終えると、乱暴に立ち上がってそのまま玄関を出て行った。
人がくれてやったものを無碍につき返す小笠原も意味がわからない。どうして今更返さなきゃならないんだ。もらった当時はアイツも喜んでたじゃないか。
俺はずんずんと階段を下りて道路を渡り、職員住宅の階段を駆け上がった。インターホンを押し、イライラと廊下で待っていたら、出てきたのは小笠原ではなく吾妻少年だった。
こいつはいつまで小笠原の部屋に居るのだろう。一人暮らしを始めるならさっさとすればいいのに。転入は確か来週からとか言っていた。その数日後には、もう春休みだ。
「何の用だ、藍生眞旺」
「お前にじゃなくて小笠原に用だ」
いつも不機嫌そうな吾妻少年は俺が不機嫌に答えたことに、さらに不機嫌になったようだった。睨みを利かせてドアを閉めようとする。俺はすかさず閉まるドアを手で押さえた。寸でのところでドアは閉まらず、数センチ隙間が開いた状態になる。
「ようこさんは居ない。居ても会わせるわけにはいかない」
「何でお前に決められなきゃならないんだ」
「ようこさんはお前に会わない」
「理由はなんだ」
ドアの前で攻防戦を繰り広げる。俺は力では吾妻少年に勝ってるはずなのだが、少年が体ごとドアを中へ引き寄せているので、なかなか思う様にいかない。
「絶対、会わない」
少年はそればかりだ。
「…居ないなら、もういい。まだ学校だろ」
俺はドアから手を離した。全体重をかけていた吾妻少年は部屋の中へ転げたのか、ドアが閉まる音とともに、フローリングにぶつかる音がした。
俺はかまわず学校へ向けて歩き出した。するとすぐにドアが開き、鍵をかける音がして、吾妻少年が駆けてきた。
「会わせるわけにはいかない」
小走りに俺を追いながら、そんなことを言う。学校までついてくるつもりなのか。
「ついてくるなよ。お前、まだウチの学校の生徒じゃねーだろ」
「もうすぐ生徒だ」
「今は違うだろ」
俺は少年を適当にあしらいながら、階段を降りきったところで走り出す。コンパスでは少年は敵うはずもないだろう。しかし少年の足は回転率がいいのか、俺に遅れることもなく学校の校門までついてきた。
「ようこさんに会って何をするつもりだ…!」
「写真をつき返すだけだ。アイツ、人がくれてやったものを、わざわざ郵便受けになんか入れやがって…!」
少年はしぶとく玄関までついてきた。俺が職員室へ入ろうとすると、さすがにそれは躊躇うのか、黙ってドアの前に立ち、睨んだだけだった。すれ違う生徒が私服の吾妻少年を見てコソコソとささやきあっている。もしかしたら小学生が潜り込んできたとか、そんなことを言っているのかもしれなかった。
「2Cの藍生です。失礼します」
俺は勢いのまま職員室へ乗り込んだ。思ったとおり、小笠原はまだ学校に居た。パソコンに向かいながらのん気にコーヒーなんか飲んでいる。
俺は小笠原の机に近づくと、無言で写真の束を突きつけた。俺の荒々しい様子に、隣の机の先生も何事かと目をむいた。
「……藍生?」
「人がくれてやったものを、勝手に返してんじゃねーよ」
場所が場所だし、声を抑えるとか、敬語で話すとか、そういった常識的なことを守ればよかったかもしれない。でもそのときの俺の頭から、全くそれらは抜け落ちていた。
先生たちの視線が俺たちに注がれていたはずで、俺は気にしちゃいなかったけど、小笠原はすぐに気づいたのか「職員室でわめくな」と言った。
「来い。私もお前に話があったんだ」
そう言って小笠原は職員室を出た。ドアの前に居た吾妻少年には目もくれず、向かった先は生徒指導室だ。そこはいわゆる説教部屋で、俺は今まで一度も入ったことがない。
小笠原の形相がすごかったのか、俺の不機嫌さに今更ながら気づいたのか、無視された吾妻少年は俺たちを追いかけては来なかった。
「どういうつもりだよ」
「私も同じことが聞きたい。あの点はどういうつもりだ」
点と言われてピンとこなかった。
「はぁ?」
「期末の点数だ。ふざけてるとしか思えない。お前ならあんな点取らないはずだろ」
生徒指導室は案外狭い。
普通の教室のようだけど、黒板はないし、大きさも半分くらいで、机と椅子が三つほど並べてあった。教卓があってもおかしくなさそうな位置にも生徒用の椅子と机が置いてある。窓は普通の教室と変わらない。カーテンが半端に閉められていて、窓から夕日が覗いていた。
「テストかよ。今はそんなことどうでもいい」
「私はどうでもよくない。何があったか校長から聞かれるのは私だ」
「考えてもわかんねーから。ただそれだけだよ。勉強になんか集中できるかよ」
小笠原はある程度予想していたのだろう。「やっぱり」とつぶやいた。
「この前の、あの騒ぎのせいなんだろ」
「……」
「あのあとナツからいろいろ聞いた。思い出したくないことも思い出した…。戦ってたのは極やナツや叔父さんで、ほかにもたくさんハシラビトってやつは居るらしいけど、お前はホントは関係ないんだってな」
関係ないと言われると反論したくなる。確かに巻き込まされただけのような気がするけれど、関係ないという言い方は、さも俺が首を突っ込みたくて突っ込んだみたいなニュアンスが込められている気がして、突き放すような言い方だと思った。
「俺だって好きで関わり合いになったわけじゃない」
そう言う俺に、小笠原はまだ納得のいかなさそうな顔をしていた。顔は浮かなかったけど、それ以上何か聞かれることもなくて、俺は手にしたままだった写真の束を、再び小笠原に突きつけた。
「いらないなら自分で捨てろよ。俺に返すな」
さっきまで、小笠原が写真を持って帰らなければ、しつこく付きまとうつもりでいたけれど、なんだかもう、どうでもよく思えてきた。とにかく一度やったものは俺のものじゃなくて小笠原のものになったのだから、返されるのだけは嫌だった。自分で捨てるなりなんなりして欲しい。でないと俺が空しい。
「………捨てろって…」
小笠原は驚いたような顔をした。俺がそんなことを言うと思わなかったのだろうか。
しばらく、どちらも声をあげなかった。室内はシンとして物音一つしない。まだ誰か学校に残っているはずで、遠くで何か物音がしてもいいのに、それすら何も聞こえなかった。
俺と小笠原は部屋の真ん中で立ち尽くしていた。逆光気味なので、小笠原の顔は影っている。
沈黙を破ったのは、小笠原だった。
「捨てられ、なかったから、」
その声が震えているのは、怒りのせいではないとわかった。弱々しくて、泣き出しそうな声だったから。
そういえば、キマリが泣いていたようだったと言ってた気がする…。
「捨てられなかったから、ああしたんじゃないか…」
小笠原の声は泣きそうではなく、本当に泣きながら話している声になった。
逆光でわかりにくかったけど、眼鏡の向こうで目に涙が浮かんでいる。そのままでは、すぐに伝い落ちると思った。
「そもそも、何で捨てなきゃなんねーんだよ」
小笠原が泣いても、俺にはよくわからなかった。泣くほど嫌そうな素振りは今までなかったし、急に嫌になったのかとも思うけど、理由が思い当たらない。
「…お前が、そんなだから……お前の気配がしそうなものは、持っていたくなかったんだ」
「そんなって…どんなだよ……」
案の定、小笠原の目から涙があふれた。小笠原は拭いもせずに俺を見ている。何か、責められているような気分になってきた。けれども小笠原が何に泣いているのか、まだわからない。
よくわからない罪悪感も俺の心の中に現れ始めた。たぶん、年上を泣かせたせいだと思うけど…。
小笠原の目から逃れたかったけど、目線をそらしたらいけない気もして、俺はずっと、涙の伝う顔や目を見続けた。
「…私な、この学校から離れるんだ………」
「…え?」
小笠原は突然そんなことを言い出した。
「転任するんだよ…。あの部屋も出て行く」
「…まじかよ」
いきなりのことで、どう返したらいいのかわからなくなる。先生は転任するものだ。今まで何度も見てきたはずで、小笠原だって、いずれはそうなるのだろうとはわかっていたけれど、来年はもう居ないなんて、すぐそこの未来で起こるなんて、考えたこともなかった。
「部屋…片付けるなら、嫌でも写真は剥がさなきゃなんないだろ……」
「………」
俺は何も言えなかった。部屋で写真を剥がしている小笠原を想像する。
「剥がしながら、一枚ずつ全部に、思い入れがあるって気づいた…もらったときのこととか、それだけじゃない。写真を撮ったお前の目線が、そこにあるって思ったら………つらくなった」
「…つらい……?」
「思い出したくないんだよ…」
投げやりな言い方だった。責められている気がするし、訴えられているような気もする。いい加減わかってくれって、そう聞こえる。
「俺を思い出したくない……?」
俺は考えた末の答えを出した。写真から伝わる俺を感じたくない、転任先でまで思い出したくないんだろうって思った。
そのとおりだったのか、小笠原は頷く。それに俺は、結構なショックを受けていた。
まさかそう思われてるとは、思わなかった。
「………そんなに、嫌いなら、」
「早く言えばいいのに」そう言おうとした。
けれど小笠原は、俺の言葉を待たずに妙なことを言った。
「違う!」
違うと言われて、俺は戸惑う。
「…あーもー、意味わかんねーよ!わかるように言えっつーの!」
八つ当たりにも近い言い草だったけど、俺だって考えた。でも考えてもわからない。
「嫌いじゃないからつらいんだよ!お前が何とも思ってないのがわかるから、だからつらいんだろ!いい加減にしろよ!」
「嫌いじゃないって…」
「そうやって、意味わかんないとか言うからつらいんだよ!好きでもない人間に、思わせぶりなことしてんじゃねーよ!!写真見てもらいたいだけなら、私じゃなくてもいーだろ!馬鹿!」
「…な」
捲くし立てるように一気に言い終わると、小笠原は部屋を出て行った。引き戸が荒々しく閉められ、勢いがつきすぎたのか、また数センチ開く。
扉の閉まる音が廊下や室内に反響している。その余韻を聞き終わっても、俺は動くことができなかった。夕日はすっかり沈んで、部屋の中は暗くなっていた。
薄暗い部屋の中で、俺は呆然と立ち尽くした。