act,11 決断、決別、決戦。
いつの間にか、光が止んでいた。止んでからどれくらい経ったのだろう、止んだことにも気がつかないで、俺は強く目を瞑り続けていたらしい。ハッとして目を開き、キマリが居るはずの方向を見た。
「キマリ!動けるか!?」
直前に、倒れる、倒れないという会話を交わしたことを思い出して、俺はそう声をかけた。キマリはかろうじて倒れはしないものの、廊下の手すりに寄りかかっていた。
「…大丈夫、だと思う」
「よかった…」
キマリは俺を振り返りながら言う。弱々しいけど、この前みたいにぶっ倒れる心配はなさそうだ。俺はキマリの背を支えながら、今度は小笠原の部屋を見上げた。
先ほど放った光のせいで、アパートの住人が扉を開けたり、窓を開けたりしている。中には隣近所で何事かと話す者もいたし、俺達の居る廊下に出て、辺りを見回す者も居た。
けれどもすでに光は止んでいる。騒ぎの元凶が俺達だと気付く者は居なかったようで、助かった。小笠原の部屋も他の部屋と同様に、窓が開け放たれ、中から小笠原らしき人影が出てきた。部屋の中に向かって何か話している様子が見て取れる。多分、吾妻少年に声をかけているのだろう。小笠原はきょろきょろと辺りを見まわして、次いで、俺の部屋を見た。玄関先にいた俺と目が合う。
「…やっぱり、近くにハシラビトが居る……」
キマリがそう呟いた。眉間に皺を寄せて、苦しそうな表情だ。
「ちょっと、戦うね」
「お前、大丈夫なのか?」
「穏便にできないだけ、大丈夫…。すぐに決着はつくよ」
「相手はそんなに強くない」とキマリは言った。今度は力をコントロールしているのか、確かに力を使っているはずなのに、光らしい光も見えない。右手の手のひらは天に向けられているけれど。
俺はしばらくキマリの右手ばかり見ていた。開かれたままかと思えば、何かを掴むようなしぐさをする。何度か開いたり閉じたりを繰り返すと、今度は一際強く握られた。
「……終わった…」
すぐに決着はつくという言葉は本当だった。およそ1、2分の出来事だったのではないか。
キマリが小笠原の部屋を見上げた。ベランダに出ていたのは小笠原ではなく吾妻少年だった。小笠原は部屋の中から、窓越しにキマリを見ている。何事かと思案するような目だ。
吾妻少年は真っ直ぐにキマリを見つめていた。元々睨むような目つきなのに、その目はさらに鋭くなっている気がする。
「どうなったんだ…?」
俺はキョクの世界は見えない。様子からして戦ったのはキマリと吾妻少年だろうし、勝ったのはキマリだとは思うけれど、念のため戦況をキマリに尋ねた。
「彼のキョクを破壊した…さっきの騒ぎで他の幹部も動き出したみたいだ…こちら側も何人かで応戦してる」
「また戦いが始まったのか…」
「…先生の部屋に居た、あの少年。前にもあちらで会った事がある。先生のキョクを庇うようにしてたキョクの持ち主だ……」
「そいつが吾妻の息子だ。確か、夏柘彦とか言ってたな」
再び小笠原の部屋を見ると、電気が消えていた。
俺は焦って、廊下から身を乗り出した。階下に目を凝らして、二人の姿を探す。まだ住人は興奮が冷めないのか話し込んでいるらしかった。数人が歩道でたむろしているのが見える。一通り階下の人間を眺め、ようやく、道路を横切ろうとする人影を発見した。小笠原と、吾妻少年だ。どうやら俺達のところへ来るつもりらしい。
「アイオくん、」
キマリが俺を呼んだ。俺の胸元に居たキマリは、僅かに震えているようだ。振動がこちらにも伝わる。
「…どうした」
「破壊と管理はイコールって言えるかな…?今の僕じゃ、キョクを守って応戦するのは無理だ」
壊すことは簡単でも、守ることは難しい。
キマリの目には涙が滲んでいるように見えた。
「出来るなら、破壊は避けたい、けど、僕が戦わないと仲間のキョクがやられていく」
「キマリ…」
「僕って博愛なのかな…キョクも人も同じに思えて仕方ないんだ…」
俺の言う、戦わずして解決できるレベルの話じゃないのかもしれない。
やらなければやられる世界、守りたければ一方を諦めるしかないのかもしれない。
「…俺、無責任すぎたな……お前が戦ってるものとか、抱えてるものとか、何もわかってない」
「…でも君の考えは新しいと思ったよ、もっと段階が早ければ、戦わずに終わらせられた気がする……僕らは臆病すぎたんだ」
キマリが目を閉じた。一滴、涙が落ちたと思った瞬間、再び意志の強い目が見開かれる。
そしてハッとしたように背後を振り返った。視線の先には吾妻少年と小笠原が立っていた。
戸惑った様子の小笠原と、キマリを睨む吾妻少年。キマリと少年の間の緊迫した空気に、俺は息を呑んだ。
少年は口を開く。
「…殲滅しろ」
放たれたのは、意外な言葉だった。
「父を止めるには殲滅しかない。それが出来るのはヴェノバだけだ」
「……君は、彼らの味方ではないの?」
キマリが問う。俺もそう聞きたかった。父である吾妻氏の考えに、少年の言葉は反している。
「俺は父の考えに則らない。けれど、お前たちの味方でもない。俺が望むのはキョクの完全放棄だ」
「放棄…?」
「キョクにすがっている限り、心の傷は癒えない。決別の為には完全放棄しかない」
吾妻少年は右腕を伸ばした。キマリと同じように、手のひらを天に向けている。
「戦況はよくない。このままではお前はまたキョクを失う。そうなれば父側のキョクに押し負ける」
キマリも再び力を使ったようだった。右手が開かれ、戦況が見えたのか、小さく息を呑む。
「ヴェノバでも、キョクなしではだめだ。今のうちに殲滅しろ」
「………ナツ、何を言ってる…!?」
小笠原は吾妻少年の肩を掴んだ。俺やキマリ、少年の後姿を見ながらわめく。
「何が起こってるんだ!?お前らが最近の騒ぎを起こしてたのか!?」
キマリが言っていたことは本当らしかった。少なくとも、小笠原はハシラビトやキョクについて何も知らないようだった。
「藍生…!お前もなんか知ってるんだろう!」
「…小笠原」
少年は小笠原に全く取り合わない。キマリを見つめて右手を伸ばしたままだ。身内が意味不明なことを言って、殲滅などという聞きなれない言葉を発せば、心配にもなるだろう。けれど、俺だって、どう話せばいいのかわからなかった。キマリや少年は何も言わない。最近首を突っ込んだばかりの俺が、キョクやハシラビトの戦いについて、話していいとも思えなかった。
「小笠原、大丈夫だ。多分、今日で、全部終わる」
「……終わるって…」
でも、事態は収束に向かっている。穏やかに解決できそうにない状態だってのも理解した。あとは、キマリがどう動くかにかかっている。
「……さよなら」
キマリが呟いた。
「僕の、母さん」
キマリは崩れ落ちそうだった。俺はキマリを支えながらキマリにあわせて腰を落としていった。
キマリの顔は左手で覆われ、右手だけが、不自然に身体の前に伸びている。先ほどと同じように、何度か握ったり開いたりを繰り返して、また強く握られた。
「ハイリエ…彼も、破壊するの」
指の隙間からキマリの目が覗いている。視線の先は吾妻少年だ。キマリはどちらかというと柔らかい印象の人間で、怖さや威圧感を感じないタイプだと思っていたが、今だけは、吾妻少年以上に怖い目をしていた。悲しみを通り越すと、人は怒りを感じるのだろうか。
ハイリエと呼ばれた少年は、一度小笠原を見た。
「ナツ……?」
見られた小笠原は、意図がわからないのだろう。眉間に皺を寄せたまま、ゆっくりと少年を呼んだ。
「…殲滅だ。例外はない」
少年はつらそうだった。口ではそう告げる。でも本心は、まだ迷っているのではないか。
キマリが言う彼とは、おそらく小笠原の所有するキョクのことなのだろう。
無自覚のまま、所有するキョクを破壊したら、どうなるのだろう。
もし、小笠原が、ハシラビトであると自覚したなら…。
俺には当時の詳しいことはわからない。でも、何かショックな出来事を思い出してしまうのではないだろうか。
「……アイオくん、僕が言ったこと、覚えてるよね?」
「………」
キマリは顔を伏せたままそう言った。俯いているので、どんな顔をしているのかわからない。
「先生を、救えるのは、きっと、君だけ、だよ」
「キマリ…」
「彼で最後だ…」
キマリの右手が握られた。
途端に、甲高い叫び声が聞こえた。
「ようこさん!」
少年が小笠原の側に蹲る。
俺はその様子をただ無言で眺めていた。
「なんだよ…あれ…」
小笠原はあちらの様子を「見ている」らしい。何かに怯えたように目を見開き、信じられないとばかりに首を横に振る。
「ここ、どこなんだ…!?地面…真っ赤で…何か、何かが無数に倒れてる」
俺の中でぼんやりとしていたキョクの世界のイメージが、少しだけはっきりしてくる。
小笠原が見ているのは、本当に、戦地の様子なのだろう。
キマリはそれ以上聞きたくないのか、両耳を押さえた。最早身体は廊下にへたり込むようになっていた。
「ナツ、お前も見えるのか?あの大きな塊りはなんだ…」
「見えるよ、ようこさん…」
少年は小笠原をあやすように背中を撫でた。小笠原は気分が悪そうにして、口元を押さえる。
キマリは再び右手を伸ばした。手のひらが握られた瞬間、少年と小笠原も衝撃が走ったようにビクリと身体を振るわせた。
「……エリンツェ、さよなら」
キマリの呟きになんとなく事態が読めた。殲滅を終えたキマリは、自分のキョクを破壊したのだ。
「……アイオくん…、ニールと連絡とってくれる…?みんなのキョクも消してしまったから…お詫びがしたい」
「…今すぐか…?」
俺の問いかけには答えず、キマリは身体の力を抜いた。意識を失ったようだった。
「…藍生眞旺」
俺を呼んだのは吾妻少年だ。声の方へ顔を向けると、小笠原もぐったりしていた。戦地の酷さに気を失ったのかもしれなかった。
少年は俺に背を向けて、小笠原の腕を肩にかけ、気の抜けた身体を抱えて立ち上がった。
「大丈夫か…?」
体格は少し小笠原の方が大きい。そのまま抱えて部屋まで戻るのは困難に思えたので、俺は立ち上がって小笠原の身体に手をかけた。けれどその手は少年によって乱暴に振り払われる。
「俺は、お前たちが嫌いだ。結果的にようこさんを傷つけた」
「………殲滅しろって、提案したのはお前だろう」
「彼女の心の傷は、お前なんかに癒せやしない」
少年はそう言い残して、フラフラと階段を下りていった。
野次馬は遠巻きに俺達を見ていたけれど、声をかけられるような雰囲気ではないと悟っているのか、誰も話しかけてはこなかった。
廊下の冷たいコンクリートに突っ伏すキマリは、酷く疲れた様子で目を閉じたままだった。
これで、争いは終わったのか…。
キョクの世界を見れない俺には、実感が湧かない。
けれど数分の後、泉原さんとの電話で、事の次第を聞かされて、想像以上に酷い争いに、終止符が打たれたことは十分に理解できた。
戦いが終わっても終わらなくても、日常は、待ったなしだ。
頭の中では血の海の戦地と、粉砕するキョクの身体、小笠原の叫び声とか、キマリの涙とか、いろんな事が巡っていたけど、それでも日常はやってくる。
俺はいつもどおり学校へ駆け込んで、一時限目からみっしり詰まったスケジュールをこなさなければならなかった。今日から期末テスト開始なのである。
数式や単語はまるで頭に入っておらず、考えてもわからないと悟ってからは、テスト開始と同時に机に突っ伏すことに決めた。いつもなら手が勝手に答えを導くのに、考えようとすると浮かんでくるのは、ここ数日の濃密な記憶ばかりだった。
嫌な夢を見そうだから眠ることもできない。まわりの皆が動かす鉛筆の音に耳を澄ませ、時折感じる風の気配に神経を集中させた。
数日後、予想どおり散々だったテストが返って来た。俺はそれらを丸めるとカバンに突っ込んだ。学校のゴミ箱に捨てると、後でバレた時騒ぎになるので、家に帰って捨てようと思った。
廊下から、バタバタと足音がしたと思ったら、息を切らした笠馬が顔を覗かせ、俺の顔を見るなりこう言った。
「眞旺に勝った…!!」
「……ああそう……」
表情には見えてこないが、多分喜んでいるのだろう。
いつもどおり廊下に順位表が貼られているはずで、そこに載っているはずの俺の順位も散々な結果であることは目に見えていた。だから俺は見に行くこともしなかった。
もう、順位に一喜一憂する俺はいない。笠馬に負けていたところで、悔しいとも思わない。
「…なんかあったの?」
俺のあまりの無関心さに、今度は心配したのか、頬杖をついた俺の顔を恐る恐る覗きこんでくる。
俺はある種の虚脱状態に陥っていた。実際戦ったのはキマリで、俺は戦地なんて一度も見たことがないけれど、それでも、心に大きな穴が開いている気分だ…。
ぼんやりしたまま一日が終わった。
玄関を開けると、玄関先に、靴と一緒に紙切れのようなものが無数に落ちているのが目についた。
「……おかえり」
「…何だこれ……」
キマリは未だ俺の家に滞在中だった。しばらく学校へは足を運んでいないので、今回のテストも後で追試を受けるつもりらしい。
しかし、この紙切れはなんだ…?
一枚拾って見ると、どこかで見た写真だった。よくよく見れば、紙切れは全て写真のようだった。
「…これって…」
俺はハタと気付いた。この写真は全部、俺が小笠原にやったものだ。
俺は写真をかき集めた。事情を知っているかもしれないキマリに、目線で問う。
キマリは、言い難そうに口を開いた。