act,1 不可解な光。
その夜、月の写真を撮るのに四苦八苦していると、いきなり空が真昼になった。満月は普段より明るく地上を照らしていたが、そんなものは比較にならない。以前ニュースでスペースシャトルが空へ飛び立つ映像を見たけれど、それをも凌ぐほどの光の波が、街全体を覆っていた。
「…まじか………」
光源に向かって首をひねりながら、俺は思わずそう呟いた。そして自然と、手にしていた一眼レフのカメラを構えた。ファインダーを覗いて、続けて何回かシャッターを切る。
光はその間も強さを失わずに、同じ量で輝いていた。光源は街の中心に位置する高架橋のド真ん中だ。そこを中心にして僅かずつだが、光の量が減っているから、そうだと思った。
俺の立つ土手は高架橋に程近い場所だった。光の中心からの距離は、多分三百メートルほどだろう。寒さも未だ健在の三月、真夜中の零時を過ぎていたので、俺以外に辺りに人影はなかった。
道路を走っていた車が一台、ウインカーを出して路肩に止まった。運転手は俺と同じように空を仰ぎ見ていた。
これは、一体、どういった現象なのだろう。
人工的なものとは思えなかった。かと言って、自然現象とも思えない。
光の中心部に目を凝らすと、僅かに動くものが見て取れた。
「………人…?」
あまりの光の量に、光の中心部は真っ白く発光しているように見えた。カメラのフラッシュを見たときに、感覚が似ている。チカチカと残像が目に残る。
俺は顔をしかめて、尚も目を凝らした。すると光の中心に居た人物がコロンと転げた。なぜだかわからないが、尻餅をついたようだった。
「あ」
それと同時に、一瞬にして光が止んだ。真昼のようだった辺りが、闇に包まれた。少し前までと同じように、僅かなネオンが夜空に輝く。
残像は俺の目に残ったままで、その目で高架橋の中心を見たからか、人らしきものは発見できなかった。
「……!」
俺は軽い興奮状態にあった。首から提げているカメラの中には、先ほどの異常な光景がはっきりと記録されているはずだからだ。
俺は三脚を手早く片付けると、土手を駆け下りた。早くこのデータを現像したかったからだ。夜中のうちに、写真屋の受付に出しておけば、明日中には必ず写真が上がってくる。憂鬱な授業も、写真が出来上がるわくわく感で、どうにかやり過ごせそうな気がした。
小走りに写真屋へ行ってデータを出した。そこから二百メートルほど先にある市営住宅の自室へは帰らずに、隣の建物の階段を上がる。
俺の住む市営住宅の真向かいには同じ形の建物がある。こちらのアパートは職員住宅になっている。四階建ての最上階に住んでいる担任教師の部屋を訪ねるつもりだった。
時刻は既に真夜中で、朝になれば学校へ登校しなければならないということは失念していた。それほど、先ほどの光景に興奮していた。
「小笠原!さっきの見たか!?」
「………藍生…、お前なぁ…」
インターホンを鳴らし、ドアのロックが外されるや否や、俺は外側から勢いよく玄関扉を開け放った。中から開けてやろうとした、担任、小笠原の手がドアノブに伸ばされた状態で固まっていた。そうして俺の顔を見ながら、反対の手は顔を覆っていた。指の間からため息が漏れ、外気の冷たさで白くなって目に映った。
「今何時だと思ってる」
「とりあえずテレビ貸せ、俺んちの、コードがいかれてるんだ」
何度か訪ねたことのある部屋なので、気兼ねなしに靴を脱いで上がった。小笠原は迷惑そうな顔をしながらも、渋々ドアの鍵を閉めなおした。
キッチンと生活スペースを仕切る引き戸を開けて、テレビのリモコンに手をかける。小笠原はまだ仕事をしていたのか、こたつの上に飲みかけのコーヒーと電源の入ったパソコン、一昨日俺もやった漢文のテストが乗っていた。
そういえば一昨日の漢文のテストは我ながらよく出来たような気がしていたので、
「俺、何点だった?」
と、国語教師である小笠原に尋ねてみた。
俺から尋ねてはいるものの、実のところテストのことなどどうでもよかった。リモコンをいじって適当にチャンネルを回す。緊急ニュースをやっているところはないかと思った。
「残念だが、また二番手だな。トップはやっぱり極だ」
今の今まで、テストなんてどうでもよかったのだが、小笠原の答えに心穏やかでいられなくなった。
また二番か、いつもいつも、あいつは俺の前にでしゃばってくる。
俺はどんなに頑張っても二番手だ。学年二位で何の文句があると、周りの友人達は言うけれど、今度こそ完璧だと思って臨んでいるのに、二番手だったときのがっかり感は、信頼していた友人に裏切られたような、何とも切ない気持ちになるのだ。
キマリというのは、俺とは逆に入学以来常にトップを維持している隣のクラスの優等生だ。聞くところによると麗しいという形容が似合う田舎くささの欠片もないやつらしい。ド田舎生まれで日々カメラを片手に町をうろついている俺とはオーラが違うそうだ。
二番手だとはわかっていたけれど、それを淡々と話す小笠原が、あまりに可愛げがなくて、
「こんなに努力してる俺がいつも二番手なんて、何か裏があるんだろ。キマリには個人レッスンしてたりして」
と可愛くないことを言ってみた。
「あれ、知ってたのか?極はわからなければ頭を下げて聞きに来るし、そういう健気な子には私もついかまってやりたくなるんだよ」
嫌味な答えが返ってきた。これだから小笠原は彼氏も出来ずに居るのだ。
妙齢の女教師で、ひっつめ髪とメガネで惑わされそうにはなるが、よく見ればそこそこ美人だ。もったいないと思う。
テストのことは考えると憂鬱になるので、俺はテレビに集中することにした。
とあるチャンネルに回したら、緊急ニュースが始まったところだった。思ったとおり、先ほどの異様な光についてのニュースだ。気象関係の専門家がコメントしているが、つまるところよくわからないという見解のようだった。
「俺はあれ、誰かがやったと思う」
「…人工的な光にしちゃ明るすぎるって言ってるじゃないか」
「でも、光の中心に誰か居た」
「見間違えたんじゃないのか」
「…、かどうかはコイツが知ってる」
俺は愛用のカメラを右手で撫でた。
「明日になればわかる。もしかしたら俺が撮った写真の中でとんでもなく価値ある一枚になるかもしれねー」
「報道に使われたり?」
「かもしれない」
んな馬鹿な、と言いながら小笠原がこたつを挟んで向かい側の座布団に座った。さっきまで小笠原が座っていたはずのこたつの座椅子は俺が陣取っていた。
「事故か何か……、とにかく人に被害がなくてよかったな。私はガス爆発でも起きたのかと思ったぞ」
テレビを見つつ、小笠原が言う。
「馬鹿、音がしなかったろ」
光源に程近い位置に居た俺が何も聞いていないのだから、光は無音で放たれたに違いなかった。
俺は気付いたことを指摘しただけで、特に小笠原を馬鹿にするような意図はなかったのだが、
「…お前な、馬鹿とか言うなよ」
と、返された。小笠原の機嫌を損ねたようだった。
「あー、悪い悪い」
俺は小笠原の抗議を適当に聞きながら再びテレビを見ていた。教師に向かって全く非常識だとか、テレビ早く直せとか、明日も学校だとか、小笠原は俺の興奮に反してそんなことばかり言っていた。俺はそれらに、うんとかああとか、そうだなとか、適当に返しながらテレビを見続けた。
先ほどから同じことばかり繰り返し報道されているが、とにかくよくわからないらしい。俺と同じようにあの異様な光を記録していた人が居たらしく、ケータイの動画らしきものが流れた。俺が見たのと同じように、高架橋の中心から強い光が放たれている。中心部は、やっぱり俺が見たのと同じように、真っ白く発光している。
「ホラ、人なんていないじゃないか」
「画質の問題かもしれないだろ。もっと鮮明な絵だったら絶対なんか映ってるはずだ。俺は中心に居たそいつが尻餅つくのも見たんだぜ」
ホントかよ、と小笠原がため息を吐く。それに俺はムッとしながら、
「馬鹿にすんならもう写真やらねーぞ」
と、小笠原の部屋の壁一面に貼られている写真を指差して言った。
「じゃあ、私はもう晩飯作ってやらねーぞ」
小笠原が子供のように言い返した。
「俺の舌を殺す気か。惣菜と外食ばっかだと味覚障害に陥るだろ」
「だったら自分で自炊しろ。たまにはオカーサンに電話して教えを乞うんだな」
「ふざけんな。ウチのかーさんははなから料理下手だ」
小笠原が呆れ顔をした。お前な…、と言って、そこから先、言葉が続かないようだった。
「とりあえずもうテレビはいいだろ。今日は早く帰りな。私は明日の授業のために新しいテストを作らなきゃいけないんだから」
言いながら小笠原の長い指が漢文のテストを指した。
「現像、上がったら見せてやるよ。明日の予定は?」
さっきのやり取りはなかったことにして、俺は尋ねた。
「…五時から会議」
「じゃ、晩飯期待してるから」
俺は後ろ手を振りながら立ち上がって部屋を出た。小笠原はまだ文句を言いたそうな様子だったが、遅くなってもいいんだな、と晩飯の話に答えてくれた。どうやら小笠原の中でも、さっきのやり取りはなかったことになったらしい。
「いい。待ってるから」
「……じゃあな、気をつけろよ」
ドアを開け、外灯の燈る廊下に出て、小笠原に向き直った。にやりと笑って目線を合わせると、小笠原が顔を背けた。やっぱり、可愛くない女だ。なにより、別れの言葉が気をつけろよ、だからな。お前こそオカーサンに教えを乞えと言ってやりたい。
ドア越しにチェーンのかかる音を聞き届けてから、俺は来た道を引き返した。職員住宅の階段を下まで下りて、小笠原の部屋を振り返る。部屋の灯りはついているが、窓は閉まっていて、中には厚手そうなグレーのカーテンがかかっている。グレーなんて可愛げのない、と以前言ったことがあったが、女の部屋だとバレるのはよくないと、そんな答えが返ってきた。
俺は首を回して向かい側にある自分の部屋の窓を見た。こちらは灯りが消えていて、ブルーのカーテンがかかっている。
きっと、部屋は寒いんだろうなと思った。小笠原の部屋はエアコンがついていて、こたつも暖まっていた。
腕時計に目をやると、時刻は間もなく夜中の一時だった。
今から寝ると七時間は寝れる。アパートの真裏が俺の通う高校なので、予鈴が鳴ったら走って行けばいい。
寝ることを考えたら欠伸が出た。三脚を片手に車の一台も走っていないシンとした道路を、のんびりと渡りながら伸びをする。
そういえば、朝には数学の小テストがあったな、と思った。普段は予習をしてから眠りにつくのだが、今日はなんだか、ぶっつけでいいと思った。たまには真の実力を試してみたい。
部屋のドアの前でコートのポケットに手をやる。鍵を取り出して回す。部屋はガランとしていた。自炊が皆無なキッチンは、二年も住んでいるというのに綺麗なままだ。
適当に着替えて布団に潜る。右手でケータイのアラームを八時にセットして、明日の小テストに出そうな公式を思い返しているうちに、いつの間にか眠っていた。