No82 慈雨
アリロスト歴1951年 7月
セインが居なく為って寂しくない訳が無いけど、互いに別れも近いだろう、と兄が亡くなった後から独り相手を残してしまう事を語り合って、セインも俺も互いに「泣き暮らして欲しくない」と同じ事を言葉にしていた。
で、1948年にはクロエがクリストン特区に或るアレークタウンの屋敷に遣って来て、俺とセインとクロエ3人で、ジェローム探偵事務所の話をし乍ら、それぞれ人生の後片付けを始めていた。
クロエは、ミッシェルに「ルスランは旧ルドア帝国の皇太子だったけど皇帝だった祖父に皇族の資格なしとして廃嫡されて名も消された」事や、それでもルスランを皇帝に就けたい人から逃げる為、グレタリアンへ亡命して来た人間であった事を話した。
そして、下宿112Bでルスランとクロエは運命的な出会いをした。
きっとクロエは、其処からルスランとのスィートメモリーをウンザリした表情をしている娘のミッシェルなどお構いなしでロマンティックに語ったのだろうと思う。
クロエは、キッチリと白く成った髪を編み込み小さく纏め、ベールは流石に止めて黒のクロッシェを被り、黒にも見える紺色シンプルなウール地のワンピースを纏う、小柄な品の良い老婦人に化けている。
此の何所から見ても、上品なグレタリアンの老婦人が若い女性に負けないくらい恋バナを好物にしている、と思うだろうか。
自分も激アマなラブロマンスをしてからは、クロエのラブストーリー・チョイスは益々糖度高めのモノを所望するようになったので、娘婿のジョアンは映画選びに苦労していた。
養子に入った訳でも無いのに苦労している婿殿ジョアンだった。
俺に取っては飼い猫ジョアンだけど、映画会社の人達からすれば見目は悪くなくても50代のオッサンだからな?クロエ。
クロエのリクエストをポリウッドランドの事務局へ電話で伝えている姿は哀れを誘うだろうが。
ルーサーやニノはジョアンの背後で忍び笑いを漏らしてるのに1ドル俺は賭ける。
帰宅したクロエに話した後のミッシェルの様子を聴くと「父さんは天然だ天然だと感じていたけど、母さんも良くそんなふざけた立場の人と婚姻したわね。」と素気無く言われたらしい。
「娘の癖に可愛げが無い。」
ミッシェルはルスランとの運命的なラブストーリーにも興味を示して呉れなくて、クロエは少々?てか、かなり不機嫌だ。
「教育の仕方を間違えたかしら。」
クロエは俺にそう言ってオリーの淹れた珈琲を口にして小首を傾げてみせるけど、まあ、アレだけ幼い頃から恋愛小説ばかり読まされたら、夢見る夢子に成るか下手したら恋愛嫌いに成るかだろうと、俺は内心で呟いた。
間違えているのは、次男のダリウスだけだから、クロエも安心しなさい。
ダリウスは戦場大好きな現場主義で、浮いた話も無く未だ独身の50歳。
幼い頃から走り回りながら喋り続けていたダリウスは4歳児の侭オッサンに成長したようだ。
ルスランに似た色男だと母親のクロエは語るけど、それで浮いた話を聴かないのはヤバイと思うけどなあー。
ダリウスは考えるのは苦手らしく副官に助けられて、今はイラド方面の副司令官らしい。
そんなダリウス坊やに比べれば、ミッシェルは普通に良い子だと思うよ。
俺から見るとリアリストな所もジョアンとの相性を考えると良いしね。
ミッシェルのリアリストな所は、クロエの金勘定にシビアな教育が行き届いていると感心している。
大体、元皇太子のルスランにも経理を教えて娘にも経理を教えて、挙句の果て嫁にまで経理を教えるって、クロエは何を目指していたのだろ。
そうだった。
クロエは自分も働きたいし、遊んでる人間は働かせたいって奴だった。
俺なら「取り敢えず一服吸う?」って手持ち無沙汰な相手へ煙草を勧めるみたいに、クロエは「取り敢えず経理でも遣っとく?損は無いし。」って勧めるんだよ。
こんなクロエの子育てで、ミッシェルは良くジョアンと恋愛して婚姻したなと思う。
何でもジョアンの話ではミッシェルと親しく成ったきっかけつうのが、クロエと俺の話題で互いに盛り上がったからだそうだ。
詳しく話さない所を考えると碌な内容じゃないんだろうけどさ。
でもまあ、俺達の話でジョアンとミッシェルが仲良く為れたのなら、良しとしよう。
この歳になると余計そう思う。
ジョアンにはミッシェルが居て呉れるから俺も安心出来ているんだし。
そう言う事を想うとミッシェルを産んで呉れていたクロエに感謝するしか無いよな。
ジョアンには母親代わりみたいなモノだったしね。
セインが居なく為った今もクロエが居て呉れていることに俺は感謝している。
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そしてセインはオリビアに俺と愛し合って付き合っていた事を遺書で告白して於きたいって言うからさ、「やめとけ」って俺は告げたんだよ。
俺は、セインの父親であるデビット・ワート、実名ハンス・ロードは自分の罪を告白した遺書を書いて亡くなった。
手に入れたその遺書を俺はセインやセインの兄の目に触れさせたく無くて燃やした。
デビット・ワートが罪を犯して30年も経ってからの事だし、生真面目なセインが知ったら、一生父親の罪を背負って生きることに成ると考え、俺は1886年の春、燃やして遺書を消し去った。
そんな事も思い出し、苦い珈琲を飲み込んで、俺はセインへ話し掛けた。
「いやさぁ、セインは秘密を綴ってスッキリするかもだけど、打ち明けられた娘オリビアは、どうだろう。開戦前の北カメリアなら同性愛であっても許される空気はあったけど、今は白い目で見られて迫害されそうな空気だろ?時代や世情に寄って倫理的な問題はプラスにもマイナスにも変わっていく移ろいやすいモノなんだよ。グレタリアンの現状は分らないけどね。」
「うん。今は僕も分らないね。こういう話を他の人とはしないからね。誰かに此の手の話題はセンシティブだから、オリビアの為、気楽に話してはいけないと注意されたんだよ。ルスランだったかな?」
「かもね。」
注意したのはジャックだよ、セイン。
俺は内心で言えない台詞を、そう呟いた。
「オリビアは敬虔な新教徒だっただろ?それにセインに似て生真面目だしね。だから、そう言う手紙を敬愛している父親のセインから貰っても、対応に困るのじゃ無いかと思ってね。オリビアの事だから父親から貰った手紙を捨てるなんて事は出来ないだろ?それにセインだって、今では著名な人間の1人だし、もし他の人の目にその手紙が渡ったら、セインの孫達が迷惑を被るかも知れないよ。」
「はぁ、そうだね、ジェローム。オリビアに別れた妻のアリッサを、今も恨ませているのが申し訳なくてね。確かに他の男性の元へ僕と婚姻中に行ったけど、それは僕にも原因があるから。愛されていないと妻も感じていたのだと思ってね。オリビアには、たった一人の母親なのだから。」
「もし、そうだったとしてもセインと離婚してからでも、ソイツと付き合えるんだからアリッサの問題だよ。それにオリビアがアリッサと会いたがらないのは、オリビアが幼い頃、見聞していたアリッサのヒステリーの記憶が残ってるからだろ?そんなことまでセインは責任を感じる必要はないよ。まあ、一番悪いのはワート家を困窮させた怪盗バートだけどな。」
「ふふ、そうだったね。怪盗バートの起こした不況の所為で我が家も兄の事業も大変だった。」
全くだよ。
怪盗バートことウィル。
でも俺個人としては、それが切っ掛けでセインは俺の助手として正式に雇えたから良いんだけどな。
だからと言ってウィルには感謝なんてして遣らないけど。
バートに成る為の隠れ蓑に人の好いセインを騙していた事は、今もって俺は許して無いから。
そんな話をセインとして、俺はセインへどれ程オリビアを愛しく思っているのかを書いて残してあげる事を提案した。
俺もそうだけど、男って照れ臭さくて素直に思っていることを相手へ伝えきれないじゃん。
セインは素直過ぎるけど、それって無意識で口に出しているだけだから、愛しいと言う想いをセインの文章で綴って貰えたら、きっとオリビアにも励みになると思ったんだ。
なんだかんだ言ってもオリビアが大人に成るまで、俺が殆どセインを独占していたし、俺がデルラに引っ越してからは、セインは仕事で忙しかったし、共に過ごせる時間は少なかったからね。
俺と話して居ると結構オリビアの話題ばかりなんだよね。
オリビア自身も知らないと思うんだよ。
セインがどれ程オリビアを大切に思っているかをさ。
「書けるかなぁー。」
そう言いながら、俺の大好きな飴色の瞳を黒縁眼鏡の下でセインは輝かせていた。
きっと俺の息子のユージンも、此の飴色の瞳をしたオリビアに惚れたんだと思うんだよね。
オリビアの顔の造りは、アリッサに似ているけど、瞳の色と髪の色はセインそっくりだから。
ジャックもクロエも「オリビアの顔の造りはアリッサに似て良かった」と、俺に失礼な事を言う始末だったけどな。
緑藍時代に人の嫌な所ばかりを強制的に体験させられて、数えるのも面倒な程、命も狙われて此の世界で目覚めてから、セインの優しい飴色の瞳や手の温もりは、俺の中で足りなかった何かを少しずつ満たして呉れて、セインと話していると悪意に染まって行こうとする俺の精神をリセットして癒して呉れていた。
前世で悪意に触れ過ぎた所為か、ジェロームに成った俺は他人の嘘や悪意に敏感に出来ていて、ソレが依頼の捜査や兄からの頼まれ事の役には立っていたけど、乾いてささくれ立って行く精神に暗く沈んでいったりもしていた。
でも、セインは飴色の瞳で俺を包み、俺への想いを惜しみなく注いで、乾いてささくれていた俺の内面を素直な優しさで潤して満たして呉れていた。
セインは俺に慈雨を振らせてくれていたんだ。
セインの人の好い優しさは、困っている人達にも振り向けられるので、セインと会えない期間が長くなると偶にセイン不足で俺が拗ねたりするんだけどな。
其処でジョアンや他の人を揶揄ってストレス解消するのだけども。
ジョアンやクロエから俺の性格が悪いと言われるのは、此のあたりの所為かもね。
だけどまあ。
俺が野良猫ジョアンを拾ったのも、人の好いセインが人助けで忙しく為っていて、1人で居るのが寂しく成っていた所為なのだけど。
ジェロームの身体に残って居た記憶を辿ると15歳位からセインと知り合っていて、気が付いたら68年もの時間を共に生きてきた。
俺の意識が覚醒する迄はジェロームのセインに対する感情は最悪だったけどね。
その後グレタリアン式友情で互いに和解してから、セインも婚姻したり色々在ったけど、概ね良好な人生だったと思う。
セインも、勿論、俺も。
真っ直ぐに生きている奴って不幸せに成りやすい世の中だけど、セインの飴色の瞳を歓びで満たしたくて、面倒臭がり屋の俺が動き回った甲斐もあるってモノ。
俺はセインと歩いて来た長い道のりを思い出の中で辿りながら、新しい煙草を咥えて火を点けた。
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アリロスト歴1951年 9月
俺の穏やかな隠居の日々を、爺臭くなっても生真面目な体を装う銀縁眼鏡の補佐官クラークが複雑な蔦模様をカーヴィックした白い瀟洒な扉を開いて、俺の聖域へ飄々と入り、ブチ壊した。
いや、別に補佐官クラークが壊した訳じゃあないけどさ。
俺は、ウォールナットのライティングデスクに両肘を立て組んでいた両の手の甲へ顎を乗せ、目の前に立つ一見神経質に見えるクラークへ話をするようにと促した。
こいつの真面目な顔も神経質な表情も擬態だからな。
俺をおちょくってストレス解消していると言う図太さだ。
ジョアンなんかすっかり手玉に取られて、仕事熱心で生真面目な人だ、とクラークを高評価してるんだぜ。
マジでジョアンは、この先コレで大丈夫なんだろうか?と心配に成って来る。
要注意人物と俺が話していた亡くなったモリアーニとも仲良く付き合ってたし、ジョアンの持つ良い人センサーって故障してるだろ、絶対。
「ジェローム様、あのミントペッパー議員の常設調査委員会でジョアンの名が挙がったそうです。」
「はぁ?ジョアンは政治的は発言を外ではしてないだろう。寄付も社名で各政党へ均等に出している筈だよ?クラーク。」
「委員会でもそう言って、またc・エイム子爵家の人間だからと反対されたのですが、ミントペッパー議員は、どう見てもルドア人であるジョアンを審査して於きたいと話したようです。」
「全く、何時の間にか、自由党員の上院議員に成ってるかと思ったら、今度は魔女狩りのトップに為ってやがる。つうかミントペッパーの告発って2転3転して信憑性はゼロだろ?なんでトリスマン大統領は、信頼性ゼロのそんな奴を委員会のトップに据えたんだ?」
「有力な支持者も多く有権者の人気も高いのでトリスマン大統領も無視が出来ないのだと思います。それに敵対して勝手にデマゴーグを流され、失職した官僚や批判に晒されている元閣僚もいるので、皆が恐れて口を噤むしかないようですね。若い頃の発言の記録や文章をヴェイト共産党員の証拠であるとして告発されるので、皆は戦々恐々としているのですよ。」
「ゲルン帝国のレーヴェだけじゃ無いんだな。可笑しな人間が沸いて大衆が熱狂するのは。あの第二次ヨーアン大戦を振り返る間もなく、東西に別れて戦争だものな。忘却こそが人類への福音であるのかね。まあ、それはさて於いても、あんなイカレた奴にジョアンを悪しざまに言われたくは無いな。」
「はい、ジェローム様。第一忙しいジョアンにそんな暇はありませんよ、引き籠りのジェローム様では或るまいし。ああ、気にしないで下さい、ジェローム様。気のせいですから、ふっ。」
「おい、クラークてめぇー。」
「さて、先ずはリトリーを呼んで、ミントペッパー議員の知恵袋のロイド検事を潰してしまいますか?ジェローム様。」
「うん、そうだな、クラーク。次に誰を告発するかのシナリオを考えて居るのはロイドと言う話だし、頼むよ、クラーク。」
「はい、畏まりました。」
そう俺へ告げて、生真面目を装った補佐官クラークは銀縁眼鏡の細いフレームを右手の指先で整え、来た時と同じ飄々とした足取りで、白い扉を開いて俺の聖域から出て行った。
うん?
クソっ!クラークにまた遣られた。
俺の性格を手玉に取るクラークの顔を思い浮かべて、俺は、腹立たしさで歯噛みをするのだった。




