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ロングロング  作者: くろ
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エクセレントナイト

 


   アリロスト歴1915年 7月



 


 慌しくロンドで俺とジェロームは移住の手続きを済ませて、お世話に成った人達へ挨拶回りをして北カメリアへと戻っていた。

 デルラに生えているオーク林を見ると俺は「戻ってきた」って懐かしく思えて少し戸惑った



 玄関ホールから螺旋階段を上がり、通路の右に或る白い木製の扉をノックした。

 室内から綺麗なアルトの声でマイケルは俺に「お帰り」を告げた。

 扉を開いて俺は室内に入り安楽椅子に腰を掛け本を閉じてマイケルの向い側の椅子へ腰を降ろした。

 細い首の中程で切り揃えられた金の髪に、カラーを開いた白いシャツを着てアイボリーのトラウザーを穿きゆったりとした仕草で俺に向き直って、若草色の瞳を煌めかせた。


 「ジョアンが戻って来て嬉しいよ。やっぱりミューレン氏や友人達が居るロンドが良いと僕はデルラへ戻らないかもと心配して居たんだ。」

 「ははっ、ミックに何も言わないで向こうで住むわけないだろ。と言うか俺はもうロンドでは暮らせないかも知れない。ロンドは騒がしいし空気が悪いし、戻ってデルラの森やオーク林を見てホッとしたんだ。」

 「ふふ、ロンドっ子だったジョアンがすっかりカントリーが似合うように成ったね。」

 「マッキーもナディアと此処で暮らして居る内に少し身体が大きくなったね。」

 「うん、このデルラのロッジでもデイジーに付き添って貰って、ゆっくりとだけど散策が出来るようになったんだ。て、言っても此の二階内だけだけど。」

 「凄いじゃないか、ミック。一階に部屋を移して貰えたら外へも一緒に出れるかも。」

 「おいおい、ジョアン、そんなに急には無理だよ。でも此れで僕からもジョアンの部屋に訪ねて行けるように成った。」

 「うん、楽しみにしているよ。」


 そこにデイジーがハーブ・ティーのセットを運んで来て、マイケルと俺の前に置いて礼をして部屋を静かに去って行った。

 デイジーはナディアで雇ったフロラルス人のメイドだった。

 ダークブラウンの髪を三つ編みにして左右で纏め、すっきりとした顔立ちに蒼い瞳をした良く笑う18歳の少女だった。

 今まで嫡男では無いマイケルには側付きの使用人が居なかったので、留守にしがちなウィリアムがマイケルの要望を言い易い使用人をと考え、ナディアで伝手を頼ってデイジーを雇いマイケル付のメイドにしたのだ。

 俺が「マイケル付の使用人に成っても良かった」って言ったらマイケルから「友達を使用人とかにしたくない。」と割とマジに怒らせた。



 でもデイジーも俺がナディアで知り合ったフロラルス女性のように奔放なのだろうかと簡素なグレーのメイド服に身を包んだ彼女の姿を想い出す。

 て言うか、奔放なのはフロラルスの女性じゃ無くジェロームに連れて行かれた場所の所為だけど。

 

 「約束通りにフロラルス女性をジョアンに紹介してあげよう。」


 整った顔で唇の右端を微かに上げて、ジェロームは綺麗な微笑を俺に浮かべた。

 そして俺はジェロームに連れて来られた娼館で眩暈(めくるめ)くドリーミーな一泊二日を過ごした。


 「ジョアン、ウィルの紹介だからヘンな所じゃないよ、安心して。」


 屋敷に帰る馬車の中でジェロームはそう言って俺の耳に馴染む声で低く笑った。

 そして何だか楽しそうにフロラルスに居た友人の艶文家な祖父の事を話し始めた。

 妻は居ないけど愛人が何人も居て90歳を過ぎても現役で子供を作っていたと言う。


 「俺も流石にあの爺さんには負けたよ。」


 そう言ってクツクツと笑っていたジェロームは懐かしそうに何処か遠くを見詰めていた。

 その後、数回ジェロームに、その娼館と呼ばれる屋敷に連れて行かれて、エクセレントな夜を過ごさせて貰った。

 ジェロームが言うには、俺が大学に通い出してポスアードの街で動き回り出した時、女にフラフラと騙されない為の教育の一環だと話した。

 ポスアード街では若い女性も気楽に出歩いているので、俺のように女性に免疫のない若い男は、偶に質の悪い女性に引っ掛かるのだと言う。

 なんて尤もらしくジェロームが言うけど、ギリギリまで自分だけ愉しんでマイケルに悪いと言う罪悪感と戦って居る俺の姿を見て愉しんでいると思うんだ。

 意志の弱い俺は結局、ジェロームの口車に乗ったフリをして、エクセレント・ナイトな方を選んじゃうけど、御免マイケル。




 「そう言えば、ジョアンの面倒を見て呉れていたと言うミューレン氏は元気だった?」

 「うん、禿げ上がった頭を艶々と光らせていた。あの艶具合は元気な証拠だと思うよ。」

 「ふふっ、もうお世話に成った人をそんな風に言うと罰が当たるよ。ジョアンを魔の砂糖ミルク生活から救って呉れたんだろ?」

 「うん、でもミューレン爺との会話はこんな感じなんだ。ルスラン夫婦やセイン・ワート博士との会話は丁寧な感じに自然と成るし、エイム公爵は怖くて上手く舌が動かない。ジェロームもエイム公爵と同じだったけど最近は可成り話せるようになったんだ。時々、意地悪だけど優しいし。」

 「僕はジェローム子爵は優しいと思うよ。だって浮浪児だったジョアンを引き取って、教育も施して呉れたんだよ。慈善家でも中々出来ないよ。」

 「そうだよね、俺って拾って貰って、ミューレン爺の煙草屋に住むまでの記憶が曖昧で、ジェロームって怖いってイメージだけが残ったまま寄宿学校生活に成って、18歳で此処にジェロームと暮らすまでは会って無かったからな。そのイメージが薄くなるのに時間が掛かった。」

 「ふふっ、ジェローム子爵も報われ無いな。」


 そう笑ってマイケルは左耳に金の髪をさり気なく左手で掛け、そして硝子のティーカップに入った淡い色味のカモミールティを整った唇につけて口へ含んだ。

 血色が以前より良くなったマイケルは父親のウィリアムと何処となく似て来た気がする。

 親子だから当たり前なんだろうけど、以前は血色が悪くて華奢過ぎた所為でウィリアムに似ている所をマイケルから探すのは難しかったのに、今は俺でも直ぐに感じ取れるように成っていた。

 まあ、ウィリアムのような男らしい色気は難しいだろうけど。



 「如何したんだい?ジョアン。僕の顔をまじまじと見て。」

 「いやっ、マイケルは父親似だなってつくづく思ったんだ。」

 「えー、そうかな?瞳の色も違うし自分では似てるって思った事がないよ。でも父に似てるって言われるのは嬉しいよ、有難うジョアン。」

 「ううん、きっとミックの身体には北カメリアやナディアの空気が合ったんだよ。」

 「かも知れない。それにジョアンと出逢えたしね、こうして何気ない事を話せる相手が出来て僕の気持ちは随分と楽に成ったんだ。」

 「そう?」

 「うん。ジョアンと出逢うまでは何時まで部屋に閉じ篭って居ないといけないのかと毎日が憂鬱だったんだ。それに今はジョアンとこうして話してるとお腹も空いて食事も食べられるようになった。ある意味ジョアンは僕のサプリメントだよ。」

 「フッ、そんな風に言われると俺も照れるよ、ミック。」


 互いに照れて笑い合い、そんな事をマイケルと話して居ると、扉の外からトマスが俺の家庭教師が来たことを報せた。

 俺は軽く息を吐いて、カップに残って居たカモミールティーを飲み干して、マイケルに「また後で」と告げて立ち上がり、白い木製の扉を開いた。







    ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



   アリロスト歴1915年 8月





 朝のランニングを終えて俺が庭の芝生に座り込むとコリー犬のハスキーと狼のグレーは二匹でじゃれ合い始めた。

 ハスキーが咥えて来た灰色の子犬は実は狼の子だったのだ。

 ハスキーが咥えて来て数日たったころジェロームがグレーは狼だと俺やクロードに話し、そして人に危害を加えそうなら殺すことを告げてハスキーに任せることにした。

 何事もなくグレーはスクスクと育ち、朝のランニング中はハスキーと一緒に俺を追いかけ回してくる。


 「それってジョアンを襲う心算だろ」


 って、ジェロームは俺を揶揄うけど、「大丈夫です」、ボスのハスキーが側にいるので、そんな事には成らない。

 グレーにとってはワンマン亭主のハスキーの命令は絶対っぽいので。

 ハスキーにとっての絶対君主がジェロームなので、必然的に此の敷地の最上位はジェロームに成る。

 余りにも、あり触れた結果に俺はガッカリした。

 其処で実はウィリアムがトップへと言う期待もしたけど、犬嫌いではどうしようもない。

 駄目な訳では無く苦手なだけと言う、ウィリアムとハスキーたちの距離は、今日も互いが視認出来ないくらいに離れていた。







  ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※





 枝分かれしたそれぞれに濃い緑の葉を茂らせている大きなホワイトオークの木陰に白いガーデンテーブルセットを置き赤い水玉のコットンクッションを白いガーデンチェアーの上に置いて俺はその上に腰を降ろし、遠くの芝生で座り込んでハスキーとグレーの戯れを眺めているジョアンを見ていた。


 妙な縁を感じて気紛れでジョアンを拾ってから約11年に成った。

 何故縁を感じて手元に置こうと考えたかデルラの此のロッジで暮らし始めて判った。

 掠れているけど聞き取り安いハスキーな声と、話す時に考え込む独特の間が友人のジャックに似ていたからだった。

 流石に11年前の11歳の幼いジョアンはハスキーボイスでは無かったけど、何となく音質が似て居たのだろう。

 俺と再会した時、身体だけは立派な青年に育ったジョアンが、声変わりをしてジャックに似たハスキーボイスと成っていた。

 ウィルも何だかんだとジョアンに構うのは、忘れていても何かを感じるモノが或るのだろう。

 だからと言って何かが変わる訳でも無いのだし。

 俺は銀色のシガレットケースの蓋を開けてハンドメイドの煙草を抓み口で銜えると、左隣に座っていたウィルがマッチを擦って煙草の先に火を点けて呉れた。

 俺はそれを深く吸って煙草の先の火を赤く点した。


 

 「ふふ、ウィルは此処に座って大丈夫?ハスキーとグレーが見えるけど。」

 「だから犬の毛が苦手なだけだとジェロームに何度も言っているだろ、全く。」

 「そうだったね。でもウィルはデルラに居て大丈夫なのか?イラドの方は、グレタリアンと手を組んでいたタラーマ王国と戦闘に成ったと聞いたけど。」

 「それね。どうも王家の後継者争いにグレタリアンのベルガーガ総督が介入して宰相側を推したんだ。其れに怒ったタラーマ王家とグレタリアン軍での戦闘に成ったんだ。」

 「でもウィル、軍の強さで言ったらグレタリアンが圧倒的だろ?」

 「まー、そうなんだけど以前は敵対していた二つの王国がタラーマ軍と共闘して数的に劣るグレタリアン軍が苦戦している状態だ。議会で承認が降りたらタラーマ王国へ平定に行くだろ。香木が或る領地のスタージャ王国とはベラルド家と契約して居るし、一応はグレタリアンと協力関係を続けて居るから大丈夫だろう。何か在れば管理を任せている園長から連絡が来るだろうし。」


 「当初グレタリアンが計画して居ていたようなイラド全域植民地化はどの道、難しいよな。まあ西部の海岸域はモスニアだし、南東部にあるマリド王国はフロラルスが根付いているし。俺はグレタリアンが今、手にしている植民地から不満を出さない運営した方が良いと思うけどな。」

 「そういうのは苦手だからなグレタリアンは。イラドも其々の王国で宗教が違うから、今迄は纏まれなかったけどね。それでグレタリアンは分断工作で対応が出来ていたけど、此れからは難しくなるね。」

 「今のフーリー党のグスラン首相は如何なんだろうね。ホリー党のデバーレイ元首相はイケイケドンドンな覇権主義だったけど。」

 「グラスン首相は好戦的な人じゃ無かったと思うよ、恐らく抑制的な外交を望む筈。ただフーリー党なので穀物の関税は自由化するかな。後は労働時間の規制とかはするんじゃないの?社会労働党との兼ね合いも有るだろうしね。」

 「うーん、外交はそれで良いけどな。ウィルは如何なんだ?関税自由化。兄は以前、関税の自由化推進だったけど今は反対の立場だなー。」

 「まー、大抵の地主は反対じゃないかな。以前の議会なら提議されても否決されて終わりだったが、地主じゃない議員も増えているから下院は通るかもね。俺も自由化には反対だよ。それに小麦が安く成ったら、それに合わせて賃金も下がる体制だから労働者にメリットゼロだし。」

 「相変わらず資本家の考えはえげつない。賃金が下がるんじゃあ小麦が下がっても無意味じゃん。ホリー党のデバーレイ元首相は国外の拡張路線さえなければ、国内は概ねイイ感じだったのに。でもまあ、暫くはグスラン政権は内政問題に励んで呉れるってことで。ウィルの香木園も無事なようだし。」

 「うふふふっ、心配してくれて有難う、ジェローム。」

 「別に俺はウィルの心配とかしてねーし。」


 俺はそう言って慌てて二本目の煙草に火を点けようとすると、ウィルが右手て風を避けて隣から燐寸で煙草に火を点した。

 サワサワと樹々の葉を揺らして吹く8月の風は、俺とウィルの淡い金糸と短い金の髪を、陽の光に舞い上げて吹き抜けて行った。

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