No63 イントロダクション
アリロスト歴1929年 1月
面倒な事にヴェイト共和国のローソン代表が死去した。
一年近く秘されていたけどね。
経済の部分開放を維持した侭で、共産国家を運営する合間に数々の著作を発表し、世界各国に居るファンサービスも忘れない、思想実践派のカリスマが逝った事実は世の中に大きな衝撃を与えた。
過労死だろと俺は思って居るのだけど、暗殺説もまことしやかに囁かれている。
ヨーク・タイムス新聞の記事なので囁いては無いけどな。
因みにローソンと言う名はペンネーム若しくはラジオネームだったらしい。
俺は記事を読んで驚いた。
国内や公式書類でもペンネームのローソンでもサインしていたと言うのだ。
流石は新たに出来た超大国。
ある意味で大らかなのか。
そして「革命の父」ローソンの後継者を誰にするかで争われていたそうだ。
ローソンの右腕同志ハーフシチと左腕同志フルボルシチとが争って居るらしいのだけど、どうもローソン代表が病で倒れている間にハーフシチは共産党内を掌握して居たらしい。
まあ、あの大国が分裂瓦解などしたら、東ヨーアンや小アーシア地域も混乱に陥ってしまうので、早めにヴェイト共和国の後継を決めて欲しい。
つうて俺は考えて居たのだけど、ヨーアン諸国ではウキウキと小躍りして歓びのステップを踏んでいるらしい。
上がトップが死んだくらいで共産思想は消えないと思うんだけどな。
そのハーフシチとフルボルシチも代表ローソンが2人に与えたペンネームだとか。
こうしてペンネーム文化がヴェイトで継承される様になった。
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アリロスト歴1929年 3月
そして俺のセインは昨年ポリゴン博士と性の不一致で別れ、、、。
基、考え方の違いで昨年末に決別し、傷心の日々をセインはファンタジックな文章で書き散らして紛らわせていた。
ポリゴン博士は、催眠療法で患者の精神を解放し癒している内に、己の欲望も解放して、患者とエロい仲に成ったらしい。
セインは医師として、倫理的に患者である人妻と不道徳な関係に成ったポリゴン博士を許せなくて厳しく叱責したそうだ。
「セイン博士、此れも治療だし。」
「それは、尚更許され無いですよ、ポリゴン博士。」
「だが、セイン博士。催眠状態にい或る患者と施術者には感情の転移が無意識下で起きるモノなのだ。この転移の論文は先日、セイン博士にも読ませただろう。」
「読みましたよ。ポリゴン博士。催眠が成功する患者に回数を重ねて施術する医師へ患者は好意を抱くように成り恋愛感情を抱くように成るって論文ですよね。そして患者からの好意は施術者にも同じような感情を引き起こすと言うモノ。でも、此れを許して居たら精神医学はモラル無き学問に成ると僕は批判しましたよね?ポリゴン博士。」
「大体がセインワート博士のようなモラリストが彼女たちのようなヒステリー患者を産み出していることに気付き給え!」
「なんでもかんでもヒステリーをセックスをして居ない欲求不満の理由付けにしているポリゴン博士こそ、浮気をしたいだけの快楽主義者じゃないかっ!」
「君とはもう遣っていけないよ、セイン・ワート博士。」
「僕もお断りだ、ポリゴン博士」
つう様な遣り取りをした後、ヨーク市に或るポリゴン博士の部屋からセインは出て来たと俺に告げて、がっくりと肩を落として俺の近くに置いてあった寝椅子で不貞寝をした。
別にセインは不倫など悪だって言うガチガチのカリント教信者ではない。
俺の相手でも或る訳だしね。
治療行為では無く、プライベートな不倫や恋愛ならセインも何も思わ無いんだけどな。
セインが専攻した精神医学は医学界に置いて歴史の新しい分野なので、その普及に悪影響を及ぼしそうなポリゴン博士の言動を許せないって話なのだ。
既にポリゴン博士は無意識の研究と言う領域を開拓して著名に成り、芸術家たちもポリゴン博士の論文に影響を受けて、俺から見ればイカれた文学やイカれた絵画、建築、造形なども、フロンティアを見付けた開拓民よろしく無意識を表現しようとネオ・アートが百花繚乱状態。
様々なジャンルで崇拝されているポリゴン博士をセインは心配してもいた。
無神論者を公言して憚らないポリゴン博士を、聖書の教義第一の新教徒の純教徒や美教徒に目を付けられない訳もなく、著名なだけに荒を見付けられて攻撃され、ポリゴン博士の学説を全て否定される可能性もあったからだ。
北カメリア北部では彼等信徒は力が在るからな。
何せ、禁酒法を実現されちまうんだから。
まあ、ポリゴン博士を攻撃するだけなら未だしも、精神医学の可能性を否定されると困るしな。
外科や内科と違って、見えないモノを対象にしているから、今でも胡散臭い学問と思われている節もあるし。
つうても俺ってポリゴン博士の学説とかどうでも良いんだけどな。
俺は、丸く大きな飴色のセインの瞳で見つめられるとザラついた気持ちも癒されるので、セイン療法一択なのだし。
それとジョアンのジャックに似たハスキー・ボイスと話し方を聴くと気分も落ち着くので、他の精神科医の出番はない。
精神の定義作りは学者の使命かも知れないけど、俺にはどうでも良い話だ。
って、こんな事をセインに言うと余計凹んでダウンしそうなので、俺は内心で呟いて、寝椅子で不貞寝をしているセインの広く大きな背中を優しく撫でて慰めて遣るのだ。
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アリロスト歴1929年 5月
俺は未だにダウナーなセインを元気付ける為、セインと共にロンドへ行き、セインの愛娘オリビアと孫に逢わせてリフレッシュさせようか等と考えて居ると、艶の或るオークの扉を開いて、優雅な足取りで忌々しいウィルが俺の聖域に入って来て、モスグリーン色のベルベットを張った猫足のアームチェアーへ長身の身体を預けて長い脚を組み、当たり前のように銀色のシガレットケースから、俺の煙草を取って口銜えて火を点けた。
「ジェローム、ただいま。流石にデルラは未だ寒いよね。」
「お帰り、ウィル。デニドーア外務卿の具合はどうだった?熱は下がったと兄から電話は貰ったんだけど、あのジジイも良い歳だろ?今、外務卿が変わっても7月に選挙だしなー。」
「ロンドのタウンハウスで執務は続けていたけど、流石に表に出て動くのは無理だろうな。声も余り出て無かったし。」
「ウィルはデニドーア外務卿と面会が出来たのか。兄は訪問伺いの使いを出すと会えなかったみたいだからな。俺は、デニドーア外務卿が熱で倒れたと言う一報を聞いた時、コレって兄を揶揄う悪巧みか?と思った位だ。デニドーア外務卿も一応は人間だったのかな。」
「ふふっ、でも89歳だからね、デニドーア外務卿も。風邪だと思って甘く見て居たら、会議の後で倒れたと話していたよ。まあ、声が掠れて苦しそうだったから、直ぐに辞したけどね。」
「つう事は外務卿交代か。ウィル。」
「そうだね、ジェローム。もう少しデニドーア外務卿には頑張って欲しいのだけどな。」
「90近いジジイを働かせようとかウィルも酷い奴だな。」
「はぁー、ヴェイトのトップがローソン代表からハーフシチに変わって、同盟国と組みヴェイト社会社会主義共和国連邦にして行っている此の時期にデニドーア外務卿が外れるのはヨーアン諸国には痛いな、ジェローム。」
「矢張り一国社会主義のハーフシチが党首に成ったのか、ウィル。党内を既に掌握して居ると言う情報は得ていたんだけどな。でもフルボルシチが失脚したとしたら、世界革命は無くなったんだろ?ウィルの方の仕事も楽に成るんじゃないのか?フロラルスを共産化する為のコミンテルンも入って来なく成るだろうし、ヴェイト一国で行う制度なら、文句言う国も減るだろ?皆は、自国が共産化されるのを恐れていたのだからさ。」
「如何だろうな、ジェローム。今回デニドーア外務卿が倒れていた所為で、スロン王国のロルカで行われた地域安全保障条約にヴェイトを呼べなかったみたいだしな。流石にモスニア一国だけでヴェイトを呼ぼうとしても無理だったらしいよ。」
昨年1928年12月、グレタリアン帝国・モスニア=フロラルス帝国・オーリア帝国・ゲルン共和国・ギール王国・ハンリ王国・バンエル共和国・ポーラン共和国・グロリア王国つう9カ国で不戦条約を結び、集団安全保障体制『ロルカ体制』を締結した。
確かにヴェイトを国際連盟へ組み込みたかった妖怪ぬらりひょんデニドーア外務卿なら、オーリアやグロリアを騙くらかしてロルカ体制に組み込んだだろうな。
代打で行ったネバレル副外務卿は、大戦時、息子を旧ルドアとの戦闘で亡くした反旧ルドアな人だったしな。
実質はヴェイト包囲網だよな、コレって。
「ローソン代表が亡くなって権力闘争があっても、ヴェイトの内部が瓦解し無かった事にグレタリアンやオーリアは警戒感を強めたみたいだよ、ジェローム。」
「俺なら大きなお世話ってシカトするな。ふふっ、グレタリアンなんて自由貿易をしろって軍隊使って他国に攻めて行っている癖にな。今は戦わなくても、どの道ヴェイトとはイラドやトルゴン方面でぶつかるだろうしね。グレタリアンに取って仮想敵国で在る事は社会体制が変わる前から変わってないよ、ウィル。」
「僕はハーフシチ元首の政敵を一掃する遣り方は嫌だけどね。ローソン代表も強権的では在ったけど、理屈で納得出来る部分もあった。でもジェローム、ハーフシチ元首は何処か感情的なんだよ。それにゲルン共和国でロルカ体制に反対する国粋政党の暴動が在っただろ?ゲルン国民党って政党なんだけど其の党首が一時ヴェイトで軍事訓練を受けていた軍人らしい。」
「ロルカ体制に反発してハーフシチ元首が仕掛けたとウィルは考えているのか?」
「いや、ジェローム。僕も確信を持って居る訳では無いし、内密でヴェイトで軍事訓練を受けていたゲルン共和国の軍人は多いからね。ゲルンでは共産党も出来ているし。まあ、ヴェイトがロルカ体制に批難声明を出して直ぐの暴動だったから気に成ったんだ。今、調べている所だよ。」
「折角、ゲルン共和国も奇跡的な経済政策が成功したんだから揉めないで欲しいよな。北カメリア南北の景気が好調なお陰でヨーアン諸国も息が吐けているんだからさ。グレタリアンの男性失業者が多い侭なのは北カメリア南部の安い労働力をグレタリアンの企業が重宝している所為だけどな。」
「まあ、マイクロフト首相や労働組合の所為で、コスト高に成ったと雇用主が思っているからだろうけどね。従業員の保険や年金の負担は嫌だったのじゃないかな?ジェローム。」
「ちっ、結局は奴隷が欲しいだけかよ。ウィルがメクゼス博士を応援してた気持ちが少し分るぜ。」
「何だよ、ジェロームは、今更かよ。」
「ふふっ、俺にはお伽話に思えたんだよ、ウィル。」
俺とウィルはマホガニーのテーブルに置いてある銀色のシガレットケースから煙草を取り、俺はウィルと自分が咥えていた煙草の先端へマッチで火を点けた。
出会った頃は金髪の貴公子だったウィルも、今や白髪や横皴の増えた73歳の爺に成ったけど、細める深緑の瞳は相変わらず人好きのする笑顔を作るのに一役買っていた。
セインに聴いた話だと俺が緑藍としての意識を取り戻す1884年以前から、怪盗バートのウィルとは出会って居たらしい。
まあ、その頃の俺はアヘン窟で正体不明に成ってたらしいけどな。
お陰で俺は怪盗バートを捕まえ損ねたかと思うと実に残念だ。
気が付けばウィルとも45年以上に成る長い付き合いか、、、そんな事を想いつつ、俺は煙草の煙を燻らせた。
其処へ艶の或る重厚なオークの扉を開いて、静かにジョアンは俺の聖域に入って来て、ウィルと俺に律儀に挨拶をした後、俺に勧められる侭、緋色のベルベットを張ったアームチェーへと腰を降ろした。
俺はジョアンから本邸の報告書を受け取り、クロードに珈琲を頼んだ。
柔らかなベージュの短い髪をウィルを真似て右から分けてセットして優し気な淡いアクアブルーの瞳を俺に向けて、ジャックに似たハスキーボイスでジョアンは話し始めた。
「凄いですよね、ジェローム、ウィリアム。劇場の裏方の子までもが株を買って居るんですよ。今って誰でも株を遣る時代なんですね?」
「ウィル、どうよ?」
「まぁー、元がギャンブル好きなグレタリアンの子孫だからな。ある意味では仕方ないけど、ちょっとヤバいかもな。ジョアンはあれから株への投資は増やした?」
「いえ、俺は友人二人の企業にだけですね。ジェロームが企業情報を集めても信用は出来ないって話して居たので、俺も面倒に成って。それにルイスの研究報告書を読んで居たら、そんな暇も無く成りますよ。俺には難しいから送らなくて良いって言ってるのに。」
「ジョアンがそんな話を聞く時期に成ったと言う事は、そろそろ違和感を覚えていた人たちも危険を察知して動き始めそうだね、ウィル。」
「はぁ、クーリッツ大統領も結局は何の対策を打たずだったな、ジェローム。」
「為すが儘な経済は自由党の党是みたいだしな、ウィル。」
俺はウィルの切なげな深緑の瞳と視線を合わせて、先の事を想って2人で大きく溜息を吐いた。
そんな俺達を気にする事なく、ジョアンはクロードが運んで来た珈琲の薫りに誘われる様に、腕を伸ばして自分用の水色の猫が描かれた陶器のマグカップを取り、嬉し気な笑顔を浮かべて、クロードへ邪気無く珈琲の礼を告げていた。




