No62 ポリゴン博士
アリロスト歴1927年 4月
ポリウッドランドでの式典を終えると事務局から俺に伝言が在った。
「ミューレン夫人が懐妊されてたとデルラのお宅から言付かっております。おめでとう御座います、ミューレン氏。」
「ええーっ!!」
俺は、驚いて慌てて電話を借り交換手に繋いで貰いミッシェルに確認の電話を入れると「体調が悪くて本邸に居た医師を侍女のロンダが呼び、診て貰うと懐妊が分かった」と受話器の向こうから、笑って話すミッシェルの声が聴こえて来た。
俺は戸惑って「俺の子、、、。」と言葉を切ってしまい、ミッシェルを憤慨させて、怒ったミッシェルに電話を切られてしまった。
違うよ。
そう言う意味じゃ無くて驚いただけなんだ。
俺の子かどうかなんてミッシェルを疑うはずないよ。
男女がそう言う事をすれば、妊娠する事くらいは理屈としては知っていたんだけど、此の俺に子供が出来た事が不思議で戸惑ってしまったんだ。
俺は大人に成ったミッシェルと再会して、離れ難くて当たり前のように婚姻式を挙げて夫婦に成り、デルラの新居で2人で暮らして居た。
サマンサ義母さんに仕込まれていたミッシェルは、使用人たちが驚く程クルクルと良く動いて、俺が本邸や外出先から家へ戻ると何時も居心地の良い空間で出迎えて呉れていた。
そしてミッシェルは時間があると、トーエンビレッジへ行きコミュニティハウスで一層ジジイに成ったミューレン爺を手伝っていた。
出会った頃から今までの優しく華麗なミッシェルの姿を想い出して居ると、俺の中で会いたい想いが募ってミッシェルへの愛しさが溢れて来た。
それから慌ててデルラに飛んで帰った俺は、屋敷に居たミッシェルに平謝りをして、「有難う」と告げて柔らかな身体を抱き締めた。
すると俺の中でフワフワとした歓びが込み上げて来たのだ。
「有難う、ミッシェル。俺に家族を与えて呉れて。」
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アリロスト歴1927年 5月
そう言えば、ジェロームからは「ジョアンもミッシェルも新婚の癖に働ぎ過ぎだ!」と言う小言を俺がロッジに行くたびに貰うように成っていた。
まぁ、ジェロームは基本的に労働は悪だと思い込んでいる節があるので、その件に関して俺は気にしない様にしている。
ウィリアムから聞いた話では貴族社会では、労働は下々のするべきモノだったらしい。
でも1924年から課税法が変わってからは、そうも言っていられない貴族も増えていて、余裕のない家では必然的に当主も仕事を熟すようになったと言う。
上級使用人は賃金や維持費が高額なので家令や執事でさえ暇を出した屋敷も多いらしい。
詰りは、領地の管理を自らしなくては成らなくなり、金儲けは下劣だとも言っていられなくなったのだ。
大戦の頃から兆しは在ったらしいけれど、貴族や地主『郷士』制度が大きく揺らいでいるとウィリアムは俺に語って呉れた。
戦争も21歳以上の男性全てが徴兵制になって貴族や地主達のモノではなくなったしね。
ジェロームは2重国籍だからグレタリアンでは貴族で居るけど、国籍もコッチで直系で無い養子の俺は北カメリア北部で自由に生きて行くと良いよと話していた。
お陰で俺は養子に入った今もミューレンとして生きて行けている。
大体ウィリアムがヨーク市で俺をc・エイム子爵の養子だと紹介し捲くらなければ、あんなに目立たつ事もなかったのに。
でもそのお陰で面倒にも巻き込まれたけど、面白い人とも知り合えたので良しとするかな。
昨年ヤング反トラスト法違反がクレソン社に言い渡されて、それからはヨークやカーゴ、ニューダー州に等に在った北部カメリア映画の会社も次々とポリウッドランドへと移って来て、その契約で俺も忙しかった。
一応は上訴される準備もしたり。
で、チョコチョコとウィリアムが顔を覗かせてヤング氏やモリアーニ氏やモスニアの外商関係の人達との会食をセッティングしていって俺のデルラで過ごす時間を圧縮させていった。
選挙応援のパーティーには3党とも、一度訪れただけでジェロームの心配する様な関りは多分していない筈、、、と思う。
俺の傍にはルーサーやニノが居たのでヤバかったら、何かアドバイスがあったと思うし、うん、大丈夫。
俺が感じたのは、北カメリア北部の発明家や企業は技術を独占して支配して行くのを、当然の権利として主張する頑迷な意志の強さだった。
皆でディスカッションして行けば、新たに欲しい技術も早く開拓出来そうなのに。
そうジェロームに、ゴタゴタで疲れた俺が愚痴を零すと「グレタリアンだって同じだよ。」と、整った顔の唇の右端を僅かに上げ、例の綺麗な笑みを作って、ジェロームは甘く低い声で俺へ呟いた。
そして、ジェロームお手製のカカオの薫りを僅かに含んだ煙草を俺に「お疲れ」と柔らかな低い声で告げ、手渡して呉れた。
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アリロスト歴1927年 9月
ウチのジョアンがアホな事を言って妊婦のミッシェルを怒らせたりしつつも、俺とセイン、そしてお邪魔虫なウィルとの生活はのんびりと続いていた。
浮世は争いばかりだけどな。
ポスアード大学での講師を依頼されていたセインは、不安症の知見と緩和方法をある程度教えたと言う事で引退し、今は交流を持ったオーリア帝国の精神科医ポリゴンとヨークでアホな実験をしては、デルラでポリゴン博士の論文を読み、所見を書いて遊んでいた。
そもそもセインが試そうとしているポリゴン博士の催眠療法って、ヒステリーを治そうとしている試みだから、方向性が違うだろうと俺は思って居るのだけど、新たな論文や治療法と言う言葉の魔力には逆らえないモノらしい。
時折りポリゴン博士にヨーク市へ呼ばれて、セインは助手のリオンと出掛けて行っている。
「何?セインはまたポリゴン博士と浮気?ジェロームも可哀想に。」
「ちげーよ。セインはヨークでポリゴン博士の実験をリオン達と観測しに行ってんだ。ウィルも暇そうだな。」
南側に或るフロラルス窓から入ってくる風にウィルは白髪の混じった金の短い髪を遊ばせて、深緑の目を細めて俺へ人の好い笑顔を向けて話している。
ゆったりとモスグリーンの背凭れに身体を預けて座るウィルの組まれた長い脚が、マジで忌々しい。
「別にジェローム程、暇ではないけどね。喜ばしい事にジェロームのような富裕層へ減税をしてくれるみたいだよ。企業と富裕層への減税だよ。ジェロームは北部へ移っていて正解だったな。」
「はぁ?ソレをクーリッツ大統領は議会へ諮ったのか?ウィル。」
「先ず反対する議員は少ないだろうから、此の議会で通過すると思う。クーリッツ大統領が、必要以上の税を取るのは合法的な犯罪行為だと言う談話を発表していたのだよ、ジェローム。グレタリアンの資産家が聞いたら大きく頷くだろね。」
「此れ以上、経済を加熱させてクーリッツ大統領は何をしたいのだろうな、ウィル。」
「うん?小さな政府を目指すとか?かもよ、ジェローム。」
「折角、此の前、ヤング氏が暇潰しに来た時、俺が珍しくクーリッツ大統領を褒めたのに。」
「へぇー、ジェロームはなんて?」
「いや民間企業を政府へ関わらせる事を規制しただろ?ウィル。今までそう言う議員て、余り表に出て来なかったからな。新聞などメディアは企業からの宣伝費で動いてるから、そう言う政策を打とうとする議員は大抵が隅に追い遣られるからさ。」
「まぁ、ソレは緊縮財政の一環だよ、ジェローム。支出を減らして国の債務を縮小させるって奴。今は景気が良いから丁度いいけどね。不況の時に遣られるとマジで死人が増えるから。」
「正に小さな政府だな、ウィル。でも禁酒法は継続させているんだぜ?つうか、酒税を取れないから減税している場合じゃねーだろ。あぁ、ソレで緊縮かー。碌でもねーな、やっぱ。」
「でもフリーウェイは国が作るらしいね、ジェローム。」
「だってウィル、電気や電話、水道、下水、他のインフラは各自治体に遣らせているんだぜ。まあ、各州の自治体が自ら遣りたいって手を上げるから仕方ないんだけどさ。疫病が流行った後、ロンドの水道のメンテナンス料をアーサー・バレン議員が試算してたけど、あの金額って継続して自治体に払える額じゃないと思うけどね。」
「1900年以前の頃よりは、技術も進歩して居るよ、ジェローム。それに利益が出るって試算結果が出たから、自分達で遣ると政府へ伝えたんだろうしさ。」
「まー、良いんだけどさ。デルラは主幹道以外のインフラはグレタリアン人らしくエイム家で遣っているし。そういやウィルは北部の不動産て持ってたっけ?」
「いや不動産は南部と南カメリアだね。北部はヨークとニューダー州で部屋と屋敷を借りているだけだな。メインはジェロームの此のロッジだし、土地への投資なら値段が下がってからだね。かと言ってジョアンみたいに役に立ちそうにない西の葡萄農園や南西の辺鄙な場所に在るポリウッドランドみたいな土地は安くても僕も使い道無いから。」
「つうか、ポリウッドランドはウィルの差し金だろう。あの半島から北の州だろ?ランダ共和国とグレタリアンの係争地は。まあ広い土地だから、遠く離れているから良いけどさ。しかしグレタリアンもなんでランダ共和国へ返さないのかな?大昔に金も取り尽くしたから、今は不毛の地だろうに。」
「それはジェローム、場所的に船ならナユカ連邦国もカレ帝国も近いし、北カメリアへの牽制にもなるだろ?余り北部をフリーハンドにしたく無いんだよ。」
「ふふっ、グレタリアンは身内だから、北部を警戒してるってか?ウィル。」
「恐らくグレタリアンは南カメリアの植民地をランダ共和国へ返還する筈さ。」
「あーああ、ウィルはジョアンを盾にする気かよ。グレタリアン、ランダ、カレ、北カメリア北部が揉めそうになった時に。」
「僕がジョアンを盾にする訳ないだろ。ただポリウッドランドは今を時めく映画業界の王国だろ?そんなモノが近くに在る場所で何かを起そうとしたら正当な理由も必要に成るからね。」
「マジでウイルは碌でも無いな。」
「カレ帝国とモスニア帝国とも話をつけたから、土地は、ほぼタダ同然で手に入ったんだよ。でも、只で譲ったのでは有難味がないだろ?だから一応僕への相談料かな?と思ってジョアンに地代を請求したんだ。カレ帝国が交通インフラを整備して呉れていたから、それを地代として料金を各映画会社に請求して居るんだよ。北部への保険代わりのカレ帝国も映画会社も僕もジョアンもウィンウィンだろ?」
「ホントにウィルって悪徳商人だな。ジョアンなんて知り合いの監督達を何とかしようとミッシェルとの婚姻前から慌しく動いていたのに。ウィルなんて頼るからさ。全く馬鹿猫めっ。」
「ふふっ、エイム公爵へジョアンが困っている事を話して上げるなんてジェロームも優しいよな。ジョアンの為なんだろ?」
「ウィルは、五月蠅いつうの。ウィルも課税で困れば良かったのに、くそっ。」
全くジョアンもジャック体質かよ。
本人が知らぬ間にカオスな政治の場に近付いて行っている。
いや、一番悪いのはウィルなんだけどさ。
なんか俺がジョアンへウィルの碌でも無い所を話して遣っているのに、ニコニコと淡いアクアブルーの目を楽し気に細くして、分っているような無いような表情で頷いているだけだし。
こう言う人の良さそうな表情を造れるジジイなんて悪党しか居ないんだぞ、ジョアン。
ウィルってジャックに似た奴を誑し込む才能でも持って居るのか。
俺が警戒しているモリアーニに対しても「品の良い優しい方でしたよ。」つって報告する始末。
街で生息しているマフィアみたいな奴は良いんだよ。
見るからにヤバくて悪いから、ジョアンも警戒して近付かないもん。
もうカッポレに暗殺されちまったボスなんて、両手の指全てにダイヤの指輪着け、一目見て危なさが良く判るファッションしていたって言うし。
通り名は『ダイヤモンド・ジョー』ってマンマな人だ。
ダイヤモンド・パンチとか言って欲しかったんだよな、俺的には。
怒りのダイヤモンド・ホールドとか叫んで、銃じゃ無くてダイヤモンドを嵌めた指で相手をクランチして欲しかった。
はぁー。
ウィルなんて頼っていると何時か痛い目を見るのはジョアンなんだぞ、全く。
ん?
ジョアンが困って居たら、きっと俺が動いちまう。
、、、、てめぇー、ウィル。
その考えに至った俺はウィルを睨みつけると、短い金の髪を搔き上げて、深緑の瞳を細め目尻の横皴を深くして、人好きのする笑顔を作る忌々しい奴が居た。




