No51 ドライブ
アリロスト歴1923年 9月
ジェロームが9月にロンドへ旅立って、もう直ぐひと月が経つ。
俺が本邸で仕事をするように成ってから、ジェロームの傍に着かなくなって居た。
その事に、俺は何も思わなかったけど、ジェロームが旅立った後のロッジは、何とも言えない物足りなさを感じていた。
ジェロームに就いてクロードとトマスも出掛けていて、セインも大学での講義を終えて、其の侭ポスアードの街で滞在している所為もあるけど。
俺に取って一番大きな理由は、ロッジに或るジェロームが何時も居たあの部屋が鍵を掛けられて、閉じられていたからかも知れない。
何処か気の抜けてしまった俺にウィリアムが鬱陶しく纏わりついて、、、、。
いや、気を使ってウィリアムは俺を励まして呉れていた。
なんとなくジェロームがウィリアムに『チッ』と舌打ちしていた気持ちが俺にも理解出来た、と言う貴重な期間だったと思って於こう。
俺が、違法なスピークイージの酔いでヒートランドと化していたヨークから、静かで落ち着いたデルラに戻って来るとマイケルが体調を崩して寝込んでいた。
デイジーの話を聞くとシェリーが書いた2冊目の原稿の挿絵を描き終えてから、マイケルは熱を出し始めたらしい。
それ迄も、心配させまいと俺が訪ねて行った日は、デイジーがマイケルに薄い化粧を施していた、と話して呉れた。
そんな中でジェロームがロンドへ旅立ったので、俺は余計に心細さを感じたのかも知れない。
1911年頃、この地デルラの暮しに慣れて無かった俺は、マイケルとの何気ない会話に救われて、此処での生活に無理なく馴染めて行った。
大学から戻ると、細い首の中程で切り揃えられた金の髪から覗いた若草色の瞳を煌めかせて俺に『お帰り』って部屋に迎え入れて呉れたマイケルの聞き安いアルトの声と端整な容貌が浮かぶ。
今の少し凛々しい短い髪のマイケルじゃ無くて、俺が想い浮かべるのは、行儀悪くベットの上で2人して古代語の詩を朗読していた頃のマイケルなのだ。
本当にマイケルは馬鹿だな。
俺に気を使ってそんな無理をして。
「体調の悪い時は言って。」と、俺は、何時もマイケルへ言っていたのに。
それとも俺が気にし過ぎるから、かえってマイケルが気を使ったのかな。
綺麗なアルトの声でマイケルが呼んで呉れた『ローグの裁判』の古典詩が耳の奥へ蘇ってきた。
マイケルが描いて居た挿絵の物語は、家族を亡くして苦労していた少女が、王子様と幸せに成るハッピーエンドなお話。
両親が亡くなり引き取られた酷い家で少女に次々に襲ってくる不幸。
それを昔少女が助けた青い鳥が色々と手助けをして呉れる。
終盤やっと、その酷い家族から自由に成れた少女は、嬉しくて感謝のキスを青い鳥にすると、青い鳥に掛かっていた呪いが解け、人間に戻った隣国の王子は少女へとプロポーズした。
めでたしめでたし。
著者のシェリーは「別に王子じゃなくても良かったのだけど、資産家って書くと夢が無い気がして。」と原稿に就いた手紙に書いてあったそうだ。
ジェロームに言わせると、此の『青い鳥』って話は、グレタリアン帝国の比喩で、出来ていると説明して呉れた。
「ソレを砂糖菓子で包んでシェリーは物語にした」と話して、ジェロームは綺麗な笑みを俺に作って見せた。
マイケルも描くのに苦労していて、父親のウィリアムに頼んで工場地帯や下町の写真を撮影して貰い、それを参考に挿絵を描いていた。
マイケルも俺も、貧困地域の暮しは知らないので、マイケルは写真を見ながらウィリアムから、説明を受けたそうだ。
ジェロームが言うには、俺が居た地域はチェスタでも最貧困層と呼ばれていた場所らしいのだけど、憶えていない。
それが良い事なのか、悪い事なのかは、俺にも未だ分らないけど、いつか歳を取って罪悪感が薄らぎグレタリアンに行っても良い決心が着いたら、俺が居たと言う場所へ行ってみようとその時に思った。
青く塗られたマイケルの屋敷で、マイケルと会えない状況なのに、ヌボーと立っているだけの俺を、デイジーや使用人が何処か邪魔そうにしていたので、俺はデイジーにマイケルの体調が戻ったら連絡して欲しいと話してロッジへと戻っていった。
俺は心細くて、思わずロンドに居るジェロームを想い、雲の無い抜けるような青い空を見上げた。
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アリロスト歴1923年 10月
世の中の資産家は、皆が乗っている蒸気自動車に乗るのは嫌らしく、アルコール燃料や植物の油で動かせる自動車を開発したらしい。
って、訳でも無いけど、新たな燃料で動く車が開発された。
補給するのに石炭は面倒だと言う事らしいけど。
つって、ウィリアムから、ニューモデル登場の噂。
「此れでジェロームの自動車嫌いも克服出来て、ジョアンと一緒にドライブ出来るかもな?」
そう言ってウィリアムは短い金の髪を右手で掻き上げて、俺に人好きのする深緑の瞳を細めてにこやかに笑い掛けて来た。
如何だろう。
蒸気自動車が嫌いと言うよりも、ジェロームは煩い音を嫌っているだけだから、出来上がった新自動車を動かした時に、出す音の問題な気がする。
でもって、克服したジェロームに運転させたら、ヤバいスピードを出して走り出しそうだ。
俺はジェロームとのドライブを空想すると、綺麗な笑みを浮かべて、スピードを加速していくジェロームの図が浮かび、頭を振った。
うん、ジェロームとのドライブ、俺は別にいいかな。
技術が日進月歩で進化する中で、移民法改正が行われた。
昨年決めたモノでは、本来望んでいた東ヨーアン諸国の規制出来なかったらしいが、今回策定したモノでようやく本来望んでいた西ヨーアン諸国の移民だけ認める事が出来るとの事。
なら始めから、西ヨーアン諸国の移民に限ると通知して置けば良い、と単純な俺は思う。
どうも人口構成を変えたくないと言う意識が根強いらしい。
そして、北カメリアでは1880年代に南北共、土地の取得が不可の為、国籍も取れない真龍国人規制が行われている。
同時期位にグレタリアンでも一斉に規制が行われていた。
俺とかは何も考えずにエイム公爵の言われる儘に北カメリアに着て、後はずっとジェロームにくっ付いていただけだから、出身国で悩んだことは北部では無かっただけに、胸がざわついた。
ロンドのプライベートスクールで、俺の見た目がルドア人だから、ルーニーと揶揄われていた事を想い出した。
あの頃は色々と悩みもしたけど、俺自身がルドア人てモノを知らなかったし、ルスランやセインの励ましで、自分が良いと思える人間に成って、ルスランやミューレン爺に認めて貰えるようなグレタリアン人に成るぞって決意していたっけ。
気が付いたら俺はグレタリアンでなく北カメリア人に戸籍上は成ってしまったけど。
俺が、オシリス帝国から連れて来たサラームも、此れから人種問題で悩む事も出て来るんだろうな、と思うと少しだけ申し訳なく思った。
でも俺がジェローム達からして貰ったように、サラームを守って行くと覚悟はしていた。
少なくとも此処デルラの本邸でされている教育は、サラームへ色々な可能性を育てて呉れるだろうと俺は思っている。
いや、幾ら同世代の子達がいたとしても、一日勉強漬けの日々は俺からすれば、中々にハードワークだとも思うけどね。
3歳で母国語はほぼマスターしていたと話すジェロームやウィリアムはソレ位普通だろって言うし。
実はサラームに、俺はもう足元にも及ばないと感じる事も屡々。
うん。
これでは俺がサラームに揶揄われても仕方ないか。
そんな凡人の俺にウィリアムが嗜みとして楽器を教えて呉れたんだけど、まあ、ナントカ形に成りそうなのはピアノだけって事で、ウィリアムからピアノを習っていた。
いや、ウィリアム。
絶対に俺は無理だと思う。
「諦めたら其処で試合は終了するんだよ、ジョアン。」
「でもですね、俺は終了させた方が良い試合ってあると思うんですよ。ねぇ、ウィリアム。」
単純な指の動きの練習曲を、ウィリアムの長く綺麗な指の動きを真似てみても、俺が弾くと曲に成らないんだよな。
30分くらい続けて居ると、ウィリアムが俺の右手を取って、「指を柔らかくして上げよう」と丁寧にマッサージを始めた。
あの、、、ウィリアム。
年配で、然もピアノを弾くのも激ウマなウィリアムに、俺の不器用で武骨な手をマッサージして貰うのは、如何考えても可笑しい。
俺の右手のマッサージを終えたウィリアムは、今度は俺の左手を取って、柔らかく両手で包み込み丁寧にマッサージを始めた。
矢張り、如何考えても可笑しい。
俺がウイリアムにマッサージするなら兎も角も、ウィリアムにマッサージさせてどうするんだ?
デルラで俺と気安く接してくれているけど、グレタリアンではウイリアムは伯爵さまだよ。
「あのー、ウィリアム。マッサージを有難う御座います。でも矢張り楽器演奏等は幼い頃から習って居ないと難しいと思います。俺は演奏を聞いて愉しむ事に専念するので、今までピアノを教えて頂き有難う御座いました、ウィリアム。なので手のマッサージはもう終わっても、、、。」
「諦めたら其処で試合は終了するんだよ、ジョアン。」
「でもですね、俺は終了させた方が良い試合ってあると思うんですよ。ねぇ、ウィリアム。」
そんな遣り取りを俺はウィリアムと交わしつつ、その日は蓄音機でレコード鑑賞をして過ごした。
ジェロームが居ないとウィリアムのフリーダム加減に磨きが掛かって行くのだった。
ウィリアムって、本当にアノ物静かなマイケルの父親なのかと、よく似た金の髪を見て俺は考え込んだ。
でも、マイケルの事を考えて落ち込み気味な俺をウィリアムは、こうして元気付けて呉れている。
タブン?
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アリロスト歴1923年 11月
12月も近付き俺は廻らねば成らない箇所を巡って、見慣れたデルラのロッジへと戻ってきた。
真鍮の扉をクロードが開いて、俺が玄関ホールの入ると泣きそうな顔をしたジョアンと飴色の瞳を細めて暖かい笑みを浮かべたセインが「「お帰り」」と出迎えてくれた。
俺はセインに只今のハグをした後、泣きそうなジョアンにも軽いハグをした。
クロードに俺の部屋の鍵を任せて、俺とセインとジョアンは一階に或る暖かな談話室へと、入って行った。
セインとジョアンは少し痩せたような気もするけど、まあ、12月の食事はどれもカロリー満載なので、喰わせて置けば直ぐに元に戻るだろう。
ジョアンには林檎のコンポートを使ったケーキやクッキーをコックのサニーへ頼んで作って貰おう。
ガスストーブが焚かれて温まった部屋のパインで作られたテーブルに俺とセインが並んでアームチェアーに座り、向かいにジョアンが座った。
「お帰り、ジェローム。思ったより時間が掛かったね。」
「ただいま、セイン、ジョアン。うん、御免。ノルセー伯爵とパトに摑まってさ。色々と引っ張り回されたんだよ。後は会って於きたい友人も居たしね。」
「サマンサには会えたのかい?ジェローム。」
「うん、会えた会えた。相変わらず確りお母さんを遣っていたよ。ジョアン、来年の夏にニック達が来るよ。」
「ホント!ジェローム。ソレは楽しみだなー。」
「ふふっ、サマンサもセインやジョアンに会いたがってたよ。」
「僕も来年なら4年ぶりに成るな。」
「どうせならオリビアも呼んだら?旦那のユージンは難しいとは思うけど。本邸なら部屋は一杯あるから気兼ねしなくても良いよ。」
「それは嬉しいなジェローム。後で連絡を取ってみるよ。」
そう言うとセインは目尻に横皴を作って飴色の瞳を嬉しそうに細めて、ルーサーが用意した珈琲に口を付けた。
ジョアンは透明な薄いアクアブルーの瞳を揺らめかせて、俺の方をじっと見つめていた。
「どうしたんだ?ジョアン。」
「あっ、う、うん。やっぱりジェロームが居ると落ち着くなと思って。」
「ふっ、30歳に成っても1人でお留守番はジョアンも寂しかったかい?」
「いや、寂しいとかは別に、、、。」
「僕は寂しかったよ、ジェローム。帰っても居ないと思うと寂しくて遂、研究室に泊まり込んだよ。」
「セインなら、そうするんじゃ無いかと俺も思った。だから帰国の連絡は大学へしたんだよ。少しは論文が進んだ?」
「ソレが面白い学説に行きあたってね。夜は殆ど彼の論文を読んで過ごして居たんだよ。彼も兵士の不眠問題や不安症に取り組んでいたみたいなのだけどね。」
「へぇー。」
「神話を取り入れた論文が興味深いよ。オーリア帝国の精神科医なのだけど、今度、論文の発表でヨークに来るみたいなんだよ。」
「当然、セインも行くんだろ?」
「ああ、来年の6月のバカンスシーズンなんだけど、サマンサ達が来るだろ?」
「ふふっ、何を言うかと思えば。気にせずセインは行っておいでよ。8月一杯迄は居ると思うから。」
「そうかい。それなら折角だし行かせて貰うよ。ジェローム。」
セインはそう言うと微笑み、丸い飴色の瞳を煌めかせ、彼が試みている催眠療法について、俺に説明を始めた。
俺なら殴りつけて昏倒させて眠らせるけど、世の医師は物理治療はしないモノらしい。
しかし、オーリア帝国の人間って規律を重んじた堅苦しい人間が多いから、ヨークの街の自由な空気に戸惑うのでは?と、要らぬ心配をした。
僅かの時間しか居なかったが、普段は気儘な俺でも、野放図な人々にウンザリした位だ。
そんな事を想いながら、俺はジョアンと細巻の葉巻に火を点してゆっくりと紫煙を燻らせた。




