No50 手札
アリロスト歴1923年 9月
俺のセーフティーネットの話の後に、続いた兄の愚痴。
兄の配下ーズの中でまあまあ有能と思っていた3人をデニドーア外務卿に抜き取られたり、文句を言ううと、「そうそう、そう言えば13年前のあの時とかは、、、。」そう言って兄がコッソリと議会を通さず、独断で片付けた事とか、国費の流用とかを、持ち出して来て『NO』と言えない状況を作られてしまったそうだ。
ここぞと言う時迄、手札を見せずの持っておく。
正に、プロのギャンブラー魂をしたぬらりひょんデニドーア外務卿、恐るべし。
俺は、兄が珍しい愚痴を手紙に書いた理由が分かった。
プライドが激高の兄はさぞや悔しかっただろう。
まあ、こんな話は俺以外に出来ないしね。
ホント、兄にしてもデニドーア外務卿にしても、碌でも無いって、俺は思って居るんだけどさ。
壮大な俺のセーフティーネットは、イラドではマリドに住むメクゼス博士の娘一家、タブロ民族地帯では、トランス王国の高等弁務官アワギレのロレンスを置き、アシャッタ王国では昔ジャックが助けたサナシス・モロッソと妹のアデルに任され、グロリア王国は、グリーンオブグリーンの宝冠を盗み逮捕され収監されていたリチャードが就いた。
刑期が開けた後、兄が誘ったら了承したそうだ。
真龍国は今、人材を探索中。
真龍国には良い一族が居るんだけどグレタリアン人だと言ったら、反対に殺されそうだ。
緑蘭だった頃の俺の教育が良くて、グレタリアン帝国をとことん嫌っているからなー。
つうか兄よ。
俺はどれだけデカいんだよ。
英雄レオンハルトじゃ無いんだから、俺は大陸を跨いで大地を駆けたりしないから。
精々、デルラでセインやジョアンと一緒に馬で暢気に駆ける位だからな。
歳を取った兄の心配性は極大に膨張している気がする。
きっと、デニドーア外務卿に、兄のこういう所を利用されているのだろうなと、何と無く、俺は分ってしまった。
そしてデニドーア外務卿と仲が悪かったと言われる亡き父も、母が命の全てだったらしいから、其処を突かれて喧嘩して居たのだろう。
人生が楽しそうだな、ぬらりひょんデニドーア外務卿。
俺って案外、ジャックに酷い事をしていたのかも。
反省しない事をモットーにしている俺だけど、今、反省している。
兄が見たことも無い嬉しそうな笑顔で、リノに用意させた冷えた葡萄の一粒を、長く白い人差し指と親指で抓んで、俺の口へと入れて来る。
「好きだっただろ?ジェローム。」
甘く蕩けそうな瞳と声で、俺が兄から口へ押し入れられた葡萄を食む様子を伺っている。
兄よ。
果物を『あーん』されていたのは、俺じゃ無くてジャックだっ!
って、言える訳も無く。
如何考えても、56歳の俺が兄から指で抓んだ葡萄を、一粒一粒食べさせられる図は、精神的なダメージが大きくて、5粒目を皮ごと飲み込んだ後、「ご馳走様」つうのが精一杯だった。
こう言うプレイは、若い妻のシルビアと一緒に是非とも戯れて頂きたい。
俺も、この歳で羞恥プレイを堪能出来るほど、精神的なM属性持ちじゃないんで。
思わず、74歳に成った兄のマニアな趣味を知った弟の切ない気持ちを知って欲しいと、俺は内心で嘆息した。
そんな嬉し恥ずかし一泊を、南セントラルにある兄の執務邸で過ごし、翌朝、這う這うの体で馬車に乗り、急いで駅へと向かわせた。
クロエと待ち合わせのストランド駅の3階に或るホテルへえっちらおっちら階段で登って行くと受付ロビーでクロエが待っていた。
「相変わらずエレベーターは嫌いみたいね、ジェローム。」
「ああ、久し振りサマンサ。」
「ふふっ、久し振り、ジェローム。其処のソファーに座りましょうか。知り合いも居ないからクロエで良いわよ。もうジェロームしかクロエって呼んでくれる人は居ないし。」
「じゃあ、俺も緑藍で。俺もクロエしかいねーし。」
俺とクロエは、受付カウンター付近から離れて、受付やポーターを待つ人が座るチェストへと向かい、腰を落ち着けた。
クロエは、髪を後ろで小さく纏めつばの広い青いエレガントなガルボハットを被り、焦げ茶色の質の良い脹脛迄隠すワンピースドレスにカカオ色のパンプスと鮮やかなブルーのベルトとブルーのスカーフで首元を飾っていた。
「うん、品が良くて綺麗なおばさんだっ、じゃなくて、、。 いや、お姉さんだよ、クロエ。」
「良いわよ、おばさんで。」
「いやいや、飛んでも無いよ。兄とも18年ぶりだから、クロエとも、あっ、クロエとは15年のバカンス期に一度会ってるから8年ぶりか。クロエは子育ても一段落したんだろ?ミッシェル連れてルスランと来年のバカンスにでも北カメリアへゆっくりおいでよ。」
「そうね、良いかも知れないわね。一家で行きたいけどダリウスは駄目ね。軍隊マッチョラブだから、軍務第一だし。兵役嫌いのニックとは大違いよ。久々にジョアンと会える、って言ったらニックも喜ぶわ、きっと。」
「うわー、ダリウスは相変わらず暑苦しそうだな。顔はルスランに似ているのに勿体ない。」
「そうなのよ、緑藍。ホントにアレで落ち着きが在ったら、ダリウスもモテると思うのよね。ニックはニックで小難しい本ばかり読んでるし。」
「ふふっ、子育てで、クロエも苦労して居るんだ。」
「まあ、私のは苦労と言えないわよ。子供が皆、元気なのだもの。」
「ソレは、まあ皆、背負う物が、それぞれに違うからね。喜びや悲しみは人と比べるモノじゃないし。クロエはクロエの事を想って居れば良いって思うよ。」
「わぁぉ、暫く会わない内に、緑藍も大人になったねー。チョット前まで、悪戯を仕掛ける悪ガキみたいだったのに。」
「うん、俺も、ジョアンに育てられてる最中だからな。」
「ふふっ、ジェロームが拾って来た時はどうなるかと思ったけど、ミューレン爺は流石ね。下宿112Bでジェロームって餌だけ与えて放置してたけど、ミューレン爺の煙草屋に行った途端、ビシバシ鍛えていたからね。アレで健全な生活態度がジョアンに身に着いたのよ。」
「えー、俺もクロードもジョアンの面倒を見てたよ、クロエ。」
「アレは、甘やかしていただけよ、緑藍、クロードもね。本当、野良猫を相手にしているみたいだったわ。私も丁度子育てが忙しかったから、キチンと面倒を見れなかったし。ミューレン爺の所でジョアンが育って居るのを見て、ホッと胸を撫で下ろしたモノ。」
「ふふっ、でもクロエ、ジョアンも子供をオシリスで拾って来たんだぜ?」
「はあぁー、何を遣ってるのよ、ジョアンも。犬猫じゃ無いんだから。」
「だろ?俺も思ったからそう言ったら、ジョアンは俺の真似をしただけだから、文句を言う権利は無いってセインもウィルも突っ込むんだぜ。」
「はぁー、アンタ等男共はジョアンに甘々なんだから。ジョアンて何歳に成ったの?」
「一応は30歳かな。」
「一応って何よ、緑藍。」
「クロエだって知ってるだろ?ジョアンの記憶が無いの。だからレナード・ホームの書類に取り敢えず記載した生年月日だし。でも、そんなにズレてはいない筈だ。」
「まー、11歳から今まで育ったんだから良いか。真っ直ぐな良い子に成長したしね。」
「そういやニックはメクゼス博士熱が醒めた?クロエ。」
「いいえ、もっと社会論を発展させられ無いか、とエイム公爵家のタウンハウスで、本の虫だとミッシェルが、電話で話していたわ。」
「学士を目指して論文を書いているのか。ふふ、クロエも未だ未だ教育費が掛かるな。」
「ソレは緑藍、良いんだけど、就職先よ。恐らくニックはロンドを離れたがらないと思うの。ウィック島へは来ないだろうし、かと言って、私の商会を継ぐって言うのも、性格的に無理だし。」
「まー、ノンビリ待ったら?クロエ。本当に、ニックに寄って新たな考えが、導き出されるかも知れないだろ?」
「そうね、緑藍のご教示を有難く頂いて於くわ。」
喉が渇いた俺とクロエは、クロエが予約していた同じ3階フロアに或る落ち着いた作りのティー・ラウンジへクロードと共に入って行き、植物の蔦や花の形の曲線デザインを活かした一室へと足を踏み入れた。
アプリコット・ティーとアッサム・ティーを注文して、俺は座り易い軽妙なフロラルス製の椅子の感触を愉しんだ。
「此処はフロラルス製のモノで統一されてるみたいだけど、最近は北カメリアのデザインした家具や調度品も輸入されているのよ。」
「あー、あの規格化された大量生産品か。俺の好みとは合わないけど安価だし入手しやすいだろ?」
「ソレが関税があるから、安くは無いのよ。新しいデザインと言うので、ミドルクラスの人達に人気よ。なんとなくアーリアテイストで。」
「アーリアテイストねぇー。ふっ、俺はのんびりと眺めて於くよ。」
「本当に緑藍もジジイに成ったわねぇ、ジャックみたいよ。まあ、陽の本や真龍国を知っている緑藍や私からすれば、あーいうのはアーリアテイストとは違うって感じるけどね。」
「俺はグレタリアンなら北部より、南部のモノが人気なのかと思ったよ。」
「北カメリア南部のモノってカレ帝国やイラドの影響は受けているけど、今までを継承しているデザインだから目新しいさには欠けるのよね。」
「まあ、俺みたいに、昔から使っているモノが一番て人間ばかりだと、新たなモノは産み出され無いか。」
「緑藍みたいな考えは、意外に多いと思うわよ、貴族や準貴族の中では。ミドルクラスの人は数が多いからロンドの流行みたいに成って居るけどね。」
「そういやマイクロフト首相は貴族の数を増やすそうだけど?」
「まー、年金や失業保険の財源の為って言ってるけど、噂では上院の力を削ぐ為だって。」
「だろうね。どうせ増やすならと、兄がクロエの所を推すらしいよ。」
「ええー、嫌だわ。カタチばかりなのにお金は支払うなんて、勿体ない。そう言う政治の数合わせに利用されるなんて私は勘弁よ、緑藍。」
「ふっ、クロエなら言うと思った。」
「なら緑藍がエイム公爵に断って於いてよ。」
「ソレは兄に言ったけど決定事項らしいよ。お金は支払わなくて良いってさ。まあ一代限りで土地も無いし、称号の1つとして考えて於いたら?その内に上院の議員には据えられると思うけど。」
「はあ、マイクロフト首相は何を考えてるのかしら?」
「貴族の有名無実化じゃない?まっ、革命を起こされるよりは良いけどね。」
「でも、労働党のなかでも反発が起きそうね。労働組合は階級社会打破を謳って居るし、前回ローソン代表のラジオでの呼び掛けに応えて出国しようとした組合員を逮捕させたりしていたから。」
「ふっ、真っ当な政治家なら逮捕させるよ。グレタリアンて自由経済で大きく成った国だから共産主義とは相容れないし、ヴェイト信望者をグレタリアンでは世情安定の為に放置は出来ない。はぁ、組合って労働者の生活や労働環境を改善する事に労力を使えよ。」
「ホントにね。政権与党に成ったから党も組合も浮かれてるのかしら。」
「しかし、俺はヨーアン諸国が不況と聞いていたけど、このホテルもロンドも活気が在ったけどな、クロエの生活は如何なんだ?」
「不況は不況なのよ、主に男性がね。男性の失業率は高い侭なのだけど、代わりに女性の職種が増えて、接客業は今や女性の職種に成ったしね。今、若い女性に一番人気は電話の交換手よ。」
「ソレは又、面倒な構図だな。」
「我が家はボチボチね。商会は縮小させているから、老いて引退した工房の人達の補充は10年頃からしていないのよ。石鹸や化粧水やオイルは昔からのお得意様だけに作っているわ。私が結婚して、そしてジャックも居なく成ったから、老後を緑藍やジャックと南の島で暮らそうと言う私の野望も消えたし、ガツガツと資金を貯めなくても良く成ったから、ノンビリと生活してるのよ。」
「あーあ。そんな話を3人で夜、飲みながらしていたな。」
「そうよ。緑藍もジャックもフワフワフラフラしていたから、私が2人の老後を看なければ。と必死で働いて居りました。」
「ソレはお疲れ。でもクロエがルスランに惚れるとは俺も思わなかったよ。」
「ソレは私もよ。緑藍。」
俺とクロエは過去と今の話をしながら、互いに二杯目になる、深みの或る香りを放つアールグレイを口にした。
窓の外に見える僅かに紅葉した楡の樹々を見ながら、俺はデルラに生えている立派なオークの樹木を想い出し、あの自然に満ちた俺の屋敷へと戻りたくなった。
そんな事を考えながら、俺はクロエに来年の夏の再会を約束して、クロードと共に階段で一階に或る駅の構内を目指した。




