No44 アンビバレンツ
アリロスト歴1921年 8月
黒縁眼鏡を掛けたクラークが、俺へトンデモなアワギレ地域の状況を説明したのは、北カメリア北部に居るモリアーニがデルラに来訪した時、状況を知らない俺が戸惑って、モリアーニに言質を取られるような話をさせない為だった。
だ、そうだ。
幾ら俺でも兄に相談せず、物事を確約とかしねーよ。
然も俺が警戒し捲くっているモリアーニだよ?
下手な発言なんて俺が怖くて言えやーしねぇ。
その後、クラークは、氷を浮かべたアイス・ティーを飲み干して、グレタリアン国内の報告をした。
一先ずは国民保険法は可決され、健康保険の掛け金は被用者と雇い主そして国家が4対3対3で負担し、被用者は病気の際に無料で医療を受けられることに成った。
マイクロフト首相は失業保険も提議したかったそうだけど、議会の様子を見たデバーレイ副首相から増税だけでは無く、財源を検討し直すべきだと言うアドバイスを受け入れたそうだ。
大戦前から続いている不況を乗り越えるべくデバーレイ副首相たちグレタリアン拡大政策派は、イラドを含めたアーリア地域の再取得の政策を幾つか提議し、再び植民地政策へ乗り出すことに成った。
反戦派のマイクロフト首相を説得する為に、失業者の多い現状を話し合い、失業保険や年金の財源創出の為でも或ると持ち出した。
「結局はイラドへ派兵するの?クラーク。」
「ええ、デバーレイ副首相やアーサー・バレン自治相は、大戦の影響で一旦放棄したコロニーもあるので、グレタリアン側の大使を派遣し直し、南部の沿岸沿いからイラド中央へ、そしてアガスタン王国から今回トルゴンから得た領土へと繋げたいようです。」
「そう巧く行けば良いけどな。」
俺がそう呟くと補佐官クラークは神経質そうな目を黒縁眼鏡の下で瞬かせて、「そうですね。」と息を小さく吐いて答えた。
「そう言えばジェローム様、ジョアンの姿が見えませんが?」
「あー、ウィルが社会見学とか何とか云って、バカンス中ヨークの街へジョアンを連れ出して居るんだよ。ジョアンもジョアンだよ、ウィルになんて付いて行ってさ。」
「ソレはジェローム様がヨークの街を嫌がるから、ジョアンも気を使ったのでは?流石に此のデルラの地でジェローム様と静かに過ごすには、未だ若いジョアンに退屈でしょう。」
「そー云うモンかね。行くたびに蒸気自動車の数が増えて空気が悪く成ってるし、煩いし、俺は行きたい奴の気が知れないよ。」
「ジェローム様の言葉はとてもロンドに住んでいた人とは思えませんね。そう言えばロンドの空気は少しマシに成ったかも知れませんよ?」
「そう?マイクロフト首相がモスニアの技術提供を受けて、煤煙の排出規制法を策定してから、そんなに日が経って無いだろう、クラーク?」
「ええ、ですからマシに成ったかも?と、冗談ですよ。」
「クラークって性格が悪く成って無いか?」
「そうでしょうか?ジェローム様の気のせいですよ、ふっ。」
そう言ってチラリと俺を見てクラークは黒縁眼鏡の下の瞳を細めて微笑んだ。
ムカついた俺は、指先で挟んだ煙草を燻らせて、紫煙をクラークへと吹きかけた。
クラークは煙たそうに顔を顰めて黒縁眼鏡を外して、チーフで器用にレンズを拭きつつ、兄の近況やスチュアート4世の新たに出来た恋人が女優である事や、ロリコン皇太子ジュリアスと兄の娘エレインとが初々しいプラトニックデートを重ねている事等を俺に報告して、艶の或るオークの扉を開いて、俺の聖域から、いそいそとヨーク市へ向かって出て行った。
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アリロスト歴1921年 9月
すっかり家主然として、俺の聖域で俺の煙草を燻らして居る忌々しいウィルへ、俺は兄からの書類を丸めて投げ付けやった。
顔面を狙って投げたので、丸めた紙が当たったウィルの短い金の髪がパサリと撥ねた。
「何をするんだよ、ジェローム。」
「なんで当たり前みたいに座って、俺の煙草を吸って居るんだよ。居候は居候らしく弁えろってーの。」
「何だよ、ジョアンが本邸で仕事するのが、そんなに不服なのかい?ジェロームは。」
「ふん、どうせウィルがジョアンを唆したんだろ。俺はジョアンに仕事として、情報に触れさせたく無かったのに。大体、俺だって兄から頼まれる事以外はやっていないつうのに。」
ジョアンがヨークから戻って来て、俺に薄い水色の瞳に強い光を灯して「本邸での仕事を学びたい」と、キリリとした表情で宣言してきた。
近くに居たウィルを見ると、微笑みながら俺を深緑の瞳で見て、「させて遣れ」と合図して来た。
その時は、傍にセインも居て、心配そうな飴色の瞳で俺を覗き込んでいたから、遂、「うん。」と、頷いた俺は馬鹿野郎だ、と自分でも思ったよ。
デルラの本邸には北カメリア北部の情報が集まり、兄からのオーダーで俺に必要な情報が届き、ソレを俺は伝書鳩ウィルや兄の配下ーズへと渡して居る。
俺の仕事と言うか暇潰しの一環みたいなモノだ。
昔やっていた探偵の延長だったりする。
その情報管理を一手に担って居るのは家令のディックなのだけど、ジョアンは其のディックに学びたいと言うのだ。
つうかさ、知らなくて良い事も世の中には多いんだよ。
それを純情なジョアンが知る必要も無いし、知ったからと言って動けないんだし、無意味な心痛が増えて行くだけじゃん?
俺みたいにジョアンは癒しのセインも居ない訳だしさ。
ウィルのジジイなんかは、ヤラシイことは出来るだろうけど、ジョアンを癒したりするのは、無理だからな、基本は悪い奴だから。
ウィルは面倒な事に正義感を持った悪党つうアンビバレンツなアホなんだよ。
ホントにこいつはいつもいつも。
「つうかウィル、なんでジョアンにディックの説明なんて、したんだよ。」
「ふふつ、いやジェローム。ディックの説明だけじゃ無いよ。本邸に居る人達やエイム公爵の配下達の役割、って言うか役職も説明したよ。それでジョアンは、ディックから学ぶ事がジェロームの役に立つ、と判断したんだと思うよ。本当に良い子だよな、ジョアンは。」
「はぁ、ジョアンはノンビリ趣味の植物採集か、トーエン・ビレッジの農園で気になる作物でも、育てて居れば良いのに。それにルイスって言ったかな?折角、ジョアンは投資したんだから、其処の企業経営でも遣ってれば楽しいだろうに。」
「一応は電球会社には役員として参加して居るらしいよ。ルイス&ミューレン・エレクトリック・カンパニーって会社。」
「本当にウィルって余計なことばっかするよなー。」
「そうかな?」
「そうだよ。ジョアンには平凡に生きて欲しかったのに。」
そう。
ジャックは何時も望んでいた。
『今世では平凡に生きて行くのが俺の人生目標なんだ。』
そうジャックは何時も話してたけど、俺と兄の所為で、少しも平凡に過ごせなかったけどな。
『コレだからエイム兄弟はっ!』
何かが起きる度に、ジャックはそう言って、苦虫を噛み潰いたような表情をしていた。
だから俺的にはジャックと縁あると思えるジョアンには平凡な暮らしをさせたかったのに。
「でもさ、ジェローム。」
「ん?」
「ジョアンが、そう望んでいるなら兎も角も、僕やジェロームが選べる事じゃ無いよね?」
「はぁー、そうだけどさ、ウィル。」
「それにジョアンの人生の先は長いんだよ。今28歳だろ?僕の歳に成るまでだけでも、後37年も或る訳だよ。」
「あー、ウィルって65歳だもんな。」
「ふふ、で、ジェロームも54歳だろ?如何考えても、僕やジェロームの方が先に神に召されるだろ?そう考えたら、自分の生き方はジョアンが考えて、自ら選んで行く事に慣れてないと駄目だろ?今回もヨークで色んな人たちに俺はジョアンを紹介して、何人かは自分の所へ来ないか?と誘って呉れていたんだ。でもジョアンはジェロームに訊いてみないと、って僕に言うんだよ。」
「まあ、ジョアンの癖みたいなモノだな。大分、嫌な事は俺にも、断れるようになったけど。」
「全く、ジェロームもジョアンのソレに慣れたら駄目だよ。だから僕が、ジョアンに絶対したいと思って居る事を尋ねて、その希望に沿う形を考えたら、ディックの紹介に成ったんだよ。」
「んー?ジョアンは情報処理をしたいって?」
「違うよ、ジェローム。ジョアンは、ジェロームの傍に居れて、役立つ人間に成りたい、って僕に話したんだよ。」
「全くさー、そんな事なんか考えなくても、、、。」
ジョアンは、俺の近くに居て呉れるだけで、充分なのに。
本当に馬鹿野郎共め。
セインもジョアンも、俺には必要不可欠な存在なのに、2人共が、俺に役立つ人間に成りたい、って宣いやがる。
セインもセインで付き合い出して長いのに、未だ俺と釣り合う人間で居たいと話して、せっせとポスアードの大学へと働きに出て、夜遅くまで論文を纏めている。
セインもジョアンも俺が無価値な人間を傍に置くと思うのかね。
俺は銀色のシガレットケースから煙草を取り出し指に挟んで口に銜えると、ウィルが深緑の目を細めて、マッチを擦って銜えた俺の煙草の先端へと火を点した。
そして、その炎が灯っている間に、ウィルは形の良い唇に銜えた自分の細巻の葉巻へ火を点した。
開かれたフロラルス窓から、夏の熱を帯びた9月の風が吹き込み、俺とウィルが燻らした紫煙を散らせていった。
「ウィルは近頃、兄の伝書鳩を遣って無いよな?もしかして首になった?」
「ジェロームは、何を言うかと思えば。僕達の年齢なら、後を任せられる人間を育てているモノなんだよ、普通ね。」
「いやウィルは普通と違うだろ。怪盗の2代目なんて誰が継ぐんだよ。もしやベラルド伯って代々で怪盗バートを遣ってたとか?」
「あのね、ジェローム、ベラルド家を貶める言い方は止めて呉れるかな。あの時はグレタリアンの資本システムがクラッシュするかな?と言う僕の実験だったの。あの時期の硬直した資本経済は、不幸な人を量産していたからね。ロンドに風を吹かせたかったんだ。」
「確かにバート不況で風は吹いたな。その所為でセインが勤めていた病院も潰れたけどな。」
「まー、あれは僕が思ったよりも被害が大きくて吃驚したけどね。でも悪い事ばかりでは無かっただろ?会計監査もアレで厳しくなったし。バートって言うのはアノ時だけのペンネームみたいなモノだよ。それが仕事って訳じゃ無いから、ジェロームは間違えないように。」
「じゃあ、亡くなったセドリックの弟が伝書鳩を遣るのか。」
「いや、ベラルド家の人間はそっちの仕事を教えていない。フロラルスで育てた子がエイム公爵に就いているよ。」
「へぇー、ウィルも隠居ジジイかあ。」
「そうだな、ジョアンに色々と教えるのが楽しくてね。ジェロームは余りジョアンにアレコレ教えないよな。まあ、戦争講座の時に各国の思惑とか理由を丁寧には教えていたけど。」
「まあね、俺って物理で解決しちゃう人間だから、教えるって言ってもな。クロードにナイフ術を教えさせていたけど、ジョアンにはそっちの才能は皆無だと報告を受けたからな。」
それに俺は兄と同じで余り人へ教えるのは向いていない。
此の世界で目覚めた時にしたジャックとの約束もあるしな。
「そういやウィルは、イラドに香木園と工場を持って居たよな。イラド中央を目指して、また本格的にグレタリアンは進むみたいだぞ。」
「ああ、実はスシャータの香木園を手放そうと思ってね、ジェローム。」
「へぇー、ジョアンもあの薫りを気に入ってたのに。」
「そうなんだけど、スシャータ王家に其の侭で売るよ。今でも香木園や工場を守って居るのはスシャータ王家だし、幾ら植民地的では無いと言っても、他のイラドの王家から見ると、グレタリアンと戦おうとしているのに、ベラルド家の者がスシャータ王国に居ると、裏切り行為に見えるだろ?僕としても無用な戦闘は避けたいからね。グレタリアンの方針が変わったら、またスシャータ王家へ買い付けに行くよ。」
「ウィルは、割り切りが良いよね。其処ら辺をグレタリアン帝国も見習って欲しいよ。」
「ふふっ、だってスシャータの香木園は僕一人だけの判断で済むから。グレタリアンの場合は多くの利害が絡むからね。」
「ふむ、そうなったらイラドの情報を兄へ渡す人が居なく成るかな。」
「ソレは大丈夫だよ。マリドに協力者がいるからね、ジェローム。」
「もしかして故メクゼス博士の娘さんか?ウィル。」
「ふふっ、良く判ったね、ジェローム。良くしてもらった恩返しとしてフロラルス経由で情報がエイム卿へ入る筈だよ。」
「はいはい、ウィルの親切のお陰だよ。サンキューな。」
「いえいえ、人として当たり前の事をしただけで。」
そう言うとウィルは深緑の瞳の片目を瞑って、ワザとらしい笑みを作って俺に見せた。
だからウィルのそう言う態度が忌々しいって言うんだよ。
つうか、収監されている囚人を脱獄させるのは、当たり前じゃ無いからな、ウィル。
俺はこんなウィルに教育されるジョアンの事が心配に成って来た。
いや、マジで。




