no39 柳に風
アリロスト歴1920年 12月
ぬらりひょんデニドーア外務卿の愛弟子、アワギレのロレンスが窮地である。
いやまあ、ソレは俺に取って如何でも良い事なんだけど。
『ドリード条約』って奴をトルゴン皇帝とグレタリアン、オーリア、アシェッタ、グロリアが締結した。
モスニアは見届け人として参加している訳で、別に条約を結ぶ為にいるのではない。
余りのも無茶な要求をトルゴン帝国へ飲ませ無いかを心配して同席していた。
でもまー、皆様は、飲ませちゃうんですよ。
貸し付けている資金やトルゴン帝国を助ける為に起きた今回の大戦での被害状況とか諸々を告げて。
押し付けた親切で居直り強盗を始めるヨーアン外交。
1920年8月の講和会議の結果、ドリード条約としてトルゴン皇帝は調印した。
1) 小アーリア(アナリア)のトルゴン領はスタンブルとアンコロ周辺のみとする。オーリアは東南部、グロリアは南部を勢力圏とし、西部はアシェッタに割譲する。
2) 小アーリア東部のアルニアおよびクルディスはそれぞれ独立させる。
(意図は、ヴェイト=ルドラに対する防御線とすることにあった)
3) クイラ・トランス・エデリアナはグレタリアンの、シリアス(バノン含む)はオーリアの委任統治とする。
4) パブロン島はグレタリアンに割譲する。
(グレタリアンは、オシリス、コメソンラーメン、エデリアナからイラドへのルートの確保を図った。)
5) ダークネス=ポスト海峡は国際管理とする。
6) 治外法権(カピチュレーション以来の権利)はそのままとし、財政はグレタリアン・オーリア・グロリアの監視下に置かれる。
戦争に負けた訳でも無いのに同盟国だったグレタリアンから此の仕打ち。
此れとの引き換え条件は、革命政府から皇帝一家の安全保障、そして、革命政府が倒れたら地位の保全。
トルゴン皇帝陛下が身の安全と引き換えに帝国を売っちゃった、テヘペロっ。
このドリード条約の屈辱的な内容を知って軍人と知識層で作られた革命政府は、カンカンの激オコになった。
其処へアシェッタがダイナミックお邪魔しますとヒャッハー!侵攻。
負けじと革命政府は負けられない戦いを行い、勝利してアシェッタ軍を追い払う。
「アシャッタ軍は我らの中では最弱」って感じで、第2、第3の控えしタブロ民族の国々がアワギレのロレンスに率いられ、トルゴン革命政府に襲い掛かった。
しかし英雄戦士ハフィー・ゴォリ大佐はアワギレのロレンスが差し向けて来るタブロ民族の王国を次々と撃退していた。
そして、1920年12月アワギレのロレンスが指揮する軍勢を全て撤退させた後、最高司令官として称号を得たハフィー・ゴォリは、スラットル制(国王制)を廃止し、ドリード条約を破棄して、トルゴン共和国を創り国際連盟と新たな条約を結ぶことに成った。
まあ、『此の戦いはグレタリアンと関係が無いモノで、独立を目指す各タブロ民族との戦争だ』と、責任追及されそうになったグレタリアン政府側は、トルゴン共和国や国際連盟で抜け抜けと発言してるんだけどさ。
オイリ―な舌に厚い面の皮。
ぬらりひょんデニドーア外務卿による立て板に水、柳に風外交であったそうな。
流石は、妖怪ぬらりひょんデニドーア外務卿である。
そんな報告をロンドから来たインテリ研究者風な補佐官クラークから俺は聞かされていた。
「ベリカワ地方は、各宗派のタブロ王国の独立が相次ぎ、混沌としてきました、ジェローム様。」
「いや、クラーク。混沌としている元はグレタリアン外交の結果だよね。面倒な場所だからトルゴン帝国もユルーい専制政治を行ってたのに、民族意識教育とか遣らかしただろ。」
「ははっ、まあーそうですが、その頃の外務にはエイム卿もデニアード外務卿も全く関わっては居ないので如何しようもありませんよ。秘書官の兄ヒューイから聞いた話では、動いていた計画を補正しながら、利を選択するしか無かったようです。」
「乱れている方が利用しやすいのは解るけど、余りグレタリアン・ルールで遣り過ぎて居ると次の大戦へのトリガーになるよ、クラーク。ヨーアン大陸でも不況に陥った小国や公国が国際連盟に加入せず、ヴェイトと同盟を組んでいると聞いたし。マイクロフト首相は如何いう判断?」
「はい、ジェローム様。マイクロフト首相は元々が戦争を反対している立場ですので、トルゴン共和国にも直接的な軍事介入の許可は出ませんでした。それも合って仕掛けられていたタブロ民族の王国を利用する事に成ったのですよ。」
「まあ、マイクロフト首相は反戦をスローガンにしていたものなー、クラーク。」
「ええ、流石にあの大戦から、2年も経たない内に戦争と言うのは、有権者も許さないでしょう。」
「そりゃそーか。そういや北カメリアは好景気に沸いているけど、グレタリアンつうかロンドへは波及していないの?」
「そうですね、富裕層の消費が落ち込んでますね。中産階級や庶民は戦争中に節約して生活する方法を学んだので、以前のような景気に戻すのは難しいかも知れません。でも中産階級のミドルクラス以上では、家電や蒸気自動車等を購入する家庭が増えていると思います、ジェローム様。」
「富裕層は仕方ないか。増税させない為の活動はするだろうけど、労働党のマイクロフト首相が進めようとしている政策を知っているから、並行して資産を逃がすだろうし。人民社会税だったかな?富裕層へ税を課して、医療や国民の年金にするって奴。俺とかは資産家って多くの社会資本を使ってるから徴税するのに全く異論はないけどね。」
「そんな事を言って居るとエイム公爵が機嫌を損ねますよ。」
「ふふっ、其処は気兼ねない次男坊である俺の意見としてクラークも聞き流してよ。」
俺は銀縁眼鏡を掛けて神経質そうに眉をひそめるクラークの顔を見ながら、クロードが淹れた熱い珈琲の薄桃色した陶器のカップを両手で持って、冷えた手を温める。
12月のこの時期、俺は少し前まで寮から戻って来るジョアンの帰宅を待っていた、不意に思い出し、俺の左向いで座り買って来たラッセル・アクセルードが描いた綺麗なクリスマスカードへ、一心にメッセージを綴っているジョアンを見詰めて、寒さを溶かす美味い苦味の珈琲を味わった。
神か悪魔のくそ野郎って思っている俺がクリスマスを祝う気のも慣れず。
かと言って拾った当初は11歳だったジョアンにクリスマスを祝う事を辛抱させるのも可哀想で、誕生日が解らなかったジョアンの誕生日を12月25日した。
1年近く下宿112Bでジョアンと過ごした後、俺は単身で此のデルラに引っ越して来てしまったけどな。
まっ、あの頃は俺も兄もジョアンに怯えられていて、殆どコミュニケーションは取れなかったけど、毎年セインに頼んで『青い鳥』のチョコレートをプレゼントとして、短いメッセージカードと共に贈って貰って居た。
思えば16年の月日に成る。
俺自身は歳を取った気など微塵も全くしないのだけど、130cmに満たなかったジョアンの背が175cmを超えて、しなやかな筋肉を纏いスッキリとした目鼻立ちで、共に歩けば170cmにほんの少しだけ背の足りない俺を庇う様に前を進む。
ちくせう。
いや、うん。
ジョアンの成長に俺は喜びを覚える、タブンな。
偶に来る兄の配下ーズや本邸の者達にも素直なジョアンは可愛がれ、ロッジでも本邸でも寛げているようで、一見冷たく見られる人見知りの俺よりも皆に慕われているような気がする。
あくまでも気がするだけだからな。
ジョアンの飼い主は俺だし。
まー、あの堅苦しいクロードと気軽に会話出来るのだ。
俺やセインより対人コミュニケーション能力は高い事を認めない訳にもいかない。
其処ら辺もジャックに似ていると思うんだよ。
俺がジャックの思い出を探して、ウェットリバーまで行った帰りに拾った野良猫だからか、ジャックが俺を心配して寄こして呉れたのかは謎だけど、ジョアンのお陰で周囲に漂っていた寂寥感が見えなくなる位には薄まった。
それは俺だけじゃ無くウィルも、そして恐らく兄も。
ホントは自由に生きて欲しくて、俺はジョアンを手放すつもりで、北カメリアへ移り住んで見たけど、兄の有難いお節介のお陰で、まだ暫くはジャックに良く似たジョアンと共に暮らせて行けそうだ。
こんな事をしみじみと俺が想うのは、ハスキーが老衰で死に、その後、グレーが何処かへ消えたからだ。
ハスキーとは15年も一緒に過ごして、9年一緒だったグレーは最後まで俺に慣れなかったけど。
生れた時の顔の模様が、眉間に皴を寄せているジャックと余りにもクリソツだったので、俺はジャックの声を想い出して『ハスキー』と名付けたのだ。
開かないハスキーの瞼を撫でてジョアンが堪え切れずに涙を水色の瞳から零していた。
俺は屈んで丸く成って居るジョアンの背中を静かに撫ぜて、ハスキーを失った哀しみが凪いで行く迄、傍に居た。
そして、ボスのハスキーが消えた後、狼のグレーを如何しようと考えて居たら、肉も食べずに何処かへ消えた。
来た時もハスキーに連れられ突然現れて、居なくなる時も夫でボスのハスキーと一緒かよ、と俺は内心で最後まで俺に慣れなかったグレーへ呟いた。
俺はある意味グレーを羨んでいるのかもな。
軽くウェーブが掛かったベージュ色の髪が額に落ちて来るのも気にせずに、ジョアンは5枚目のクリスマスカードへと摂り掛かった。
俺はそんな事を想い出しながら、銀色のシガレットケースから煙草を一本抓み出し、口に銜えてマッチで火を点けた。
クロードが淹れた薫り高い珈琲に口を付けてるクラークへ、シガレットケースの蓋を開けた侭、俺は序に煙草を勧めた。
「そう言えばジェローム様、北カメリアで女性の選挙権が認められそうですね。キャメロン大統領が反対して居るらしいですけど。」
「まーね、4つの州でも認めら次々と広がっているから、その内憲法修正案が発議されるんじゃないかな。自由党の中でもキャメロン大統領は保守党寄りだから難しいけど、そう言う人が議会で増えて下院で可決されたら拒否も出来なくなるよ。プリメラ人への参政権も同時に求める運動もしているし。」
「ジェローム様は、相変わらず投票には行かないのですか?」
「ああ、クラーク、余程の変人が出て来ない限りは、生温かく見守るよ。あっ、そうだ、クラークってフレデリックと親しい?」
「親しいとは言えませんが、大戦後エイム公爵に連れて来られて以降はフレデリック少尉とは、ロンドの南セントラルに或る男爵邸で議会前の業務を偶に話し合うように成りました、ジェローム様。」
「おう、兄はフレデリックにアノ執務邸を継がせる心算なんだね。内務の仕事は自分で最後にするとか、俺にはケニーの持って来た手紙へ書いてきていたのに。ふふっ、クラークも中々、楽は出来そうに無いね。」
「矢張り娘のセレーネ様が誕生され、シルビア夫人も又ご懐妊なさったから先の事を心配されたのではないでしょうか。それに私は今の情報を整理する仕事が楽しいので、エイム公爵が不要と申される迄は働いて居たいですよ。皆もそうだと思います。まあ、エイム公爵は、若干まだ恐ろしいですが。」
「恐ろしいかな?ふふ、まあいいや。所で、クラーク。」
「はい。」
「クラークはフレデリックが男色家かどうか知ってる?」
「はい?えっ?なんで、そんな事を、、、。」
「いやー、ちょっとフレデリックの婚姻相手、つうか女性の噂も何も聞かないから俺は心配になってさ、兄はあの通り、余りフレデリック達に興味を示さないだろ?で、俺も色々考えていたんだ。」
「はぁー、考え過ぎですよ、ジェローム様。何を言い出すかと思えば。」
「あっ、違うの?(チッ、それはそれで面白くねーなー。)」
「勿論です。大学に行きながらも士官学校へ通い、そして卒業後は戦場へも行き、今は領地とロンドを往復して居て、女性とお付き合いする時間が取れないだけですよ。確かに社交などはエイム公爵に似て苦手ですが、今は30代で婚姻される方も多いですから、ジェローム様の心配は要らないかと。」
「そう?」
「はい、ヨームや私の兄ヒューイも気に掛けておりますから。(ジェローム様は、どうせ碌な事をしなさそうだしな。)」
「そっか、了解だよ、クラーク。ヨームやヒューイにも宜しく頼むと伝えて於いてよ。」
「はい、畏まりました。ではエイム公爵からお預かりした書類はこの鞄に入っておりますので。私は此れで失礼致します。」
そう言うとクラークは静かに席を立ち、銀縁の眼鏡のフレームを左手で軽く押さえて、クロードからダークグレーのソフトハットと厚手の黒いオーバーコートを受け取り羽織って、艶の或る重厚なオークの扉を開いて、ステッキを受け取りながら丁寧な挨拶をして俺の聖域から帰って行った。
僅かな時間、開いて居た扉から冷たい空気が入り込んでいて、暖炉の熱で暖められた俺の頬と肩を冷やして行った。
クリスマスカードを粗方書き終わったジョアンは、クロードが淹れた熱い珈琲を大きなマグカップで美味しそうに飲んで居た。
俺は、冷えた肩と頬を温める為に、陽だまりに居るようなジョアンの座る緋色のベルベットを張ったアームチェアーの方へと足を向けて歩いていった。




