ガッテム
アリロスト歴1918年 8月
朝のナイフ・コミュニケーションをクロードと終え、俺はシャワーを浴びて、朝食を摂り、玄関ホールから左の通路を歩いて行き艶の或る重厚なオークの扉を開いて、ジェロームの居る部屋へと入った。
その俺の後ろには、ルーサーが確りと付いて来ていた。
ポスアード大学からバカンスでデルラに戻って来てジェロームに帰宅の挨拶へ行くと「荷物持ちに使うと良いよ」と改めてルーサーを俺に就けたのだ。
ダークブラウンの髪と瞳を持つルーサーは、目鼻立ちが整い人目を惹く、恰好が良い陽キャラな青年だった。
ナゼかジェロームには無駄な美形と言われてるけど。
全体的に色味が薄い地味な俺がルーサーの荷物持ちに成る方が似合って居ると思う。
「いえ、ジェローム、荷物持ちを態々俺に付けなくても。それに俺は余り荷物を持つことも無いし、困ったらトマスやロビンが手助けをしてくれるので必要が無いと思いますけど。」
「そう?でもジョアンにルーサーは就けるからね。」
そう言って整った顔の右端の唇を微かに上げて飛び切り美しい微笑を俺に向けた。
あうっ、此れって決定事項かよ。
それ以降ルーサーは俺の傍に居るように成った。
ヨーク市のサマーキャンパスでもデルラのトーエン・ビレッジでも。
ルイスにはルーサーの事を友人だと紹介した。
まあ、一緒に居てもルーサーは楽しいから良いし、朝食を食べる仲間が出来て嬉しいけどね。
淡い金糸の髪を左肩で緩く一つに纏めて、何時もの緋色のベロアを張った猫足のアームチェアーにゆったりと腰を掛けて、金でアラベスク文様を描いた珈琲カップを右手に持ち、俺を見て、斜め前に置いてある臙脂色のアームチェアーへと美しい瞳で促した。
「おはようございます、ジェローム。」
「お早う、ジョアン。ふふっ、今朝もクロードに扱かれていたようだけど。」
「はい、俺には才能が無いって言ってるのに。ルーサーのお父さんなんだからルーサーが止めて呉れて良いのに。」
「うん?誰が誰の父親だって?ジョアン。」
「え?ルーサーのお父さんはクロード、、、え?秘密だった?クロード。」
「いいえ、私が話して無かっただけですのでジョアンは気にせずに。」
「ええー、俺は知らなかったよ、クロード、ルーサー。最初の説明の時、話して呉れても良かったのに。ジョアンが知っているのに俺だけ仲間外れかよ。全くクロードは。」
「申し訳ございません。私事ですので主人であるジェローム様に話す事でも無いと。」
「もう、そう言う所が固いよね、クロード。でもルーサーはクロードと全く似て居ないよね。気儘と言うか、自由と言うか、エイム公爵家使用人のニューウェイブと言うか。今、育てている使用人たちは皆、ルーサーみたいな感じなのかな?」
「いえ、私とトマスが躾ける訳にも行かなかったので公爵領で預けて居たら、こんな我儘な奴に成ってしまって、申し訳ありません。」
「いや、クロード、俺にはルーサーが楽しくていいよ。使用人とかじゃ無くてルーサーとは友達で居たいんだ。」
「ふふっ、だそうだ、クロード。俺はジョアンが気に入って居るなら、ソレで良いよ。で、あの鉄仮面セーラを崇拝してる変態リオンがトマスの息子か。まあ、リオンはジョアンのホームドクターにする心算だから現状で良いだろう。本邸の医師から学んでいるみたいだし。後でトマスも揶揄って遣ろう。ふふっ。」
ジェロームはそう言うと楽し気な声を上げて微かに微笑み、クロードにルーサーと共に俺に珈琲を淹れて来るように頼んだ。
如何やらルーサーはクロードに就いて珈琲を淹れる特訓中だとか。
うーん、クロードの珈琲をルーサーが習得するのは難しそうだ。
ルーサーはクロードの後ろを借りて来た猫のように大人しく就いて行った。
陽キャラルーサーもクロードには弱くて、気配を極力薄くしてクロードの視界から逃れようと無駄な努力をしている。
クロードって恐らく後頭部にも目が在るのでは?と俺は疑っている。
「如何だった?ヨーク市はジョアンに合いそうだったかい?」
「うーん。」
ジェロームにそう尋ねられ、俺は6月にルイス達と訪れたヨークの街並みや人々を想い出していた。
石炭コンクリやスラブ・レンガで塗装された道路や街には、円筒型の蒸気タンクを乗せ、窓ガラスで仕切られた運転席の後部には、上等な馬車のような座席が付いた黒く光る蒸気自動車が幾台か走っていた。
デルラで走っている蒸気トラクターの親戚のような大きくて四角い箱型では無くて驚いた。
ウィルが話すにはデルラで走っている蒸気自動車はグレタリアン産だと言う。
国が違うと車のデザインも変わるモノなのかと俺は1人考え込んだ。
駅から出て歩いて行くと、ビルディングと呼ばれる5階建てや4階建ての高い建物が並び、大きくて直線的な長方形の窓が規則正しい感覚で太陽光を反射して、街全体を眩しく見せていた。
バスと呼ばれる一台車両の蒸気機関車のような乗り合い蒸気自動車がバス・ストップへ入って来る度に、多くの人がバスから吐き出され、そして行列を作った人々が乗り込み、整備された道路を走って行っていた。
その慌しい人の群れに俺は入って行く勇気を持てなくて、尻込みして居るとルイスとルーサーが笑いながら腕を組んで宿をとっている五番街へと連れて行ってくれたのだ。
ルイスに寄ると今は年間200台も蒸気自動車が売れているそうだ。
他にも自動車会社が在るから、北部全体ではモット蒸気自動車の所有者が居るだろうと話して呉れた。
そして夜でも煌々と灯りが点いたスクエア通りは、俺の時間の感覚が狂いそうだった。
「無理だと思います。ジェロームが住めと言えば住みますが。ロンドとはまた違う形の華やかな喧騒で、俺とは合わないと思います。四週間居たけど慣れませんでした。」
「ふっ、そう。良く考えたら静かな所ばかりでジョアンは暮らして居たからな。じゃあ、ジョアンは卒業したらオーエン・ビレッジで子供たちの教師をするっていうので良いのかな?」
「はい。もう暫くジェロームにはお世話に成ります。」
「はっ、何を言って居るんだい?ジョアン。卒業しても此処で暮らすに決まっているだろ。自動車と運転手は手配して居るし、問題は無い。」
「あのー、ジェローム。それって俺の貰える賃金より高額な支払いに成りますよね。それだと俺って何時まで経っても一人前の大人に成れない気が。」
「うん?ジョアンは忘れたの?デルラに来た初日に俺は小姓としてジョアンを雇ったんだよ?俺はジョアンとその契約を解除した記憶もする気も無いし。」
「ああーーっ!それは、確かにそうだけど、、、。でもジェロームは俺が他で働こうとするのを止めなかったし。」
「ふふ、俺がジョアンの遣りたがってくることを止める筈が、無いだろ。ふっ。」
ジェロームはそう言って整った顔の唇の右端を微かに上げて、俺に向き直り、あの綺麗な笑みを作って、美味しそうにクロードが淹れた二杯目の珈琲に口を付けた。
『ガッテム、ジェローム。』
俺が将来について悩んでいた、此の3年間は何だったんだよーー!
俺は心の中で絶叫していた。
ジョアンが微妙な顔をしてルーサーの淹れた珈琲を飲んで居ると、艶の或るオークの扉が開いて、にこやかな笑顔を浮かべ、お邪魔虫なウィルが俺の聖域へと入って来た。
そして当たり前のようにウィルはモスグリーンのベルベットを張った猫足のアームチェアーに優雅に腰を降ろした。
「やあ、ジョアンお早う、あっ、ジェロームも。」
「おはようございます。ウィリアム。」
「おはよ、ウィル。ウィル、此の部屋の主は俺で、序にその椅子はセインの為に用意したんだ。ウィルは其処に或る寝椅子にでも座って居ろ。」
「いやー、てっきり僕の瞳に合わせてジェロームは用意して呉れたんだと思ったよ。」
「阿保か、何が悲しくて俺がウィルの為に椅子を作らせるんだよ。大体、俺と関わり合いが無い客は本邸で応対する筈だったのに。何時も堂々と入って来やがって。」
「ふふ、でも此のロッジで滞在させて貰っているから、俺とジェロームとジョアンは、もう家族みたいなもんだろ?なあ?ジョアン。」
「えっ、ええーとマイケルとは友達だし、えと。」
「ジョアン、真面目に考えなくても良いから。この屋敷でウィルの家族はマイケルだけだ。気味の悪い事をワザとらしい笑顔で話すんじゃねーよ、全く。」
「ホントにジェロームはジョークが通じないな。そうそうセドリックの遺産相続の手続きを終わらせて来たよ。今の所、上院は否決しているけど、議会だけはどう転ぶか読めないからな。先に選挙法改正にシフトが移ったしな。」
「うん?この間って、まあ、15年か、、改正したばかりだと思ったよ。じゃあ、滔々一般の人全てに選挙権が行くのか。」
「まーね、納税書と引き換えだけどな。」
「ソレは本人確認の意味もあるからな。でも、それで改正されたら、上院も今のように安穏としていられないね。暴動をセットにした選挙民を味方につけたら下院は強くなるし、うふっ、マジで、貴族制度が無くなったりして。」
「うん、バカンスなんて言ってられない位に、ロンドは騒がしかったよ。上院は反対しているから、アッチコッチで集会が開かれているし、ヴェイトが出来た事で労働組合も勢いついているし、熱気が凄いよ。まあ、ロンドではクーデターは起きないと思うけどね。」
「メクゼス博士の社会論を支持しているウィルは貴族制度が無くなってもオッケーなんだよね?ウィルくらいじゃない?伯爵家当主でメクゼス博士を支援して居たのって。大抵は準貴族の次男やブルジョワジーなんだけどね、支援者って。」
「ふふっ、そうかもな。でも今回は、今までの支配階層がガッツリと戦死して居なく成って居るから置き換わるのには、良かったのかもよ。しかし、エイム公爵は案外、通常運転と言うか、淡々としていると言うか。」
「ふっ、あの兄の事だよ。色々と遣らかして居ると思うよ。兄の唯一の弱点は、エイム公爵家の領地に縛られている事だろうね。それさえなければ兄は好きな所で国を興して居るよ。」
「いや、もう1つジェロームも弱点だろ。エイム公爵は。」
「ふっ、ソレが在るから俺が北カメリアに引っ越すのも許したんだろうなー。何をしでかすか分からない俺を激動期に自分の傍に置いて、兄自身の気が逸れないようにするために。でも、そう考えると俺の娘が兄に嫁げて良かったよ。精神的なフォローをする人は兄にも必要だったからね。」
そう、兄もウィルと同じで無自覚に何時もジャックを捜していた。
俺に国内外の問題を報せるように成ったのも、ジャックと話して考えを整理していた癖が何時の間にか俺に置き換わったのだろう。
見たことも無い俺の娘が兄をフォロー出来るか如何か分からねーなーっと心配していたけど、兄の手紙を読んでいる限りは上手く遣っているようだ。
そう言えばクロエの息子ニックも、メクゼス博士の論文に感化されて大学での集会に、良く参加すると書いてあったな。
30年以上も昔の論文なのに、ソレを元に2つの帝国の体制が変わり、そして今も尚、ニックのような若い世代の心も捕えてしまうとは、なんつう恐ろしい才能なんだ、メクゼス博士。
そして悪党の癖に正義マンな62歳のイケ爺ウィル迄も手中にするとは、なんてオソロシイ子。
ジョアンは思想に感銘を受けるけれど、メクゼス博士が望むような闘争には惹かれないようだ。
うんうん。
俺の「楽しい戦争講座」が無事にジョアンの中で活きているようで喜ばしい。
2度と自ら望んで戦争に行きたいなんて思わせないように、戦争が起きた理由や起こした国の望んだものを親切丁寧に解説してあげている内に、ジョアンはニヒリズムに成ってしまった。
でも俺は、それ位がジョアンには丁度いいと思っている。
だって、セインと同じくらいに人が良いからさ、少し醒めた目で見る位でジョアンは良いと思うんだ。
ウィルが深緑の瞳を細めて目尻に横皴を増やし、相好を崩してジョアンと2人の将来についてスイートホームな夢を語っていた。
ジョアンは薄く透明な水色の瞳を煌めかせて、ウィルのトラップに掛かって、どんな内装が好みなのかをジャックと良く似た懐かしいハスキーな声と間合いで話していた。
ジョアン、それはウィルがマイケルの部屋じゃ無くてジョアンの部屋にする心算だぞ。
本当にウィルは油断も隙も無い。
俺は思わずウィルとジョアンの会話へと割って入り、野良猫をウィルから回収した。




