◯・戦争
俺達を乗せた船は無事に王都ヴァリアセントへと帰還した。
ラリッサの豪邸を借り、次の目的地を話し合いながら皆でゆったり過ごしていると、部屋に騎士が入ってきた。
「怠けているようだな、ラリッサ」
「隊長?!」
ラリッサが慌てたように背筋を伸ばし直立する。
隊長と呼ばれた男はがっしりとした筋肉と鋭い視線を持っており、銀髪はまるで鋼のように輝いていた。
「シラー団長は行方知れず、そして我が緑鱗軍の精鋭は船旅を楽しんだ挙げ句、豪邸でくつろいでいると」「申し訳ございません!」
ラリッサは深く頭を下げた。どうやら、彼は緑鱗軍の隊長らしい。
「いや、気にしなくて良いぞラリッサ。名誉挽回の好機だ。騎士団はエンラーピッドでの軍事作戦を命じられた。モルウゴズ帝国が闇に乗じ、エンラーピッドに軍を展開させている。我々緑鱗軍はへルドロス陛下と共に帝国の軍勢を打ち破る役目だ」
「お言葉ですが隊長、私はもうロド騎士団に相応しい騎士では」
「ラリッサ、お前はまだ若い。若さこそ武器になるのだ。お前の才能も野心も、俺はよく知っている」
「しかし私は二度陛下を裏切った身です」
「ラリッサ、今は耐える時だ。いずれ時が来ればお前にも理解できるはずだ。ラプリアセントに必要な存在が何かを」
隊長は俺やアルデンを一瞬だけ見ると、ラリッサに向き直り「では失礼する」と言って部屋を出ていった。
「エンラーピッドにモルウゴズ帝国が兵を展開させるなんて厄介です。私達はこれからコズミンさんを助けるための旅をしないといけないというのに」
「ラリッサさんは騎士団の優秀な方ですから。自分も一応端くれですがね」
「いえ、優秀なんて。私は落ちこぼれですよ。もう騎士団を辞めたも同じです」
「ラリッサ大先輩、さっきの隊長は誰だったんですか?」
アルデンがラリッサに尋ねる。
「彼は緑鱗軍騎士隊長のコルビン・エーケダールさんです」
ということはシラー団長の部下か。団長が行方不明で不在となると彼がその穴埋めとして指揮をとるのだろう。
「そんな事よりコズミンさんです。ルギーさん、そういえば以前ラカワノン山でアルノイド・ドレイク様にお会いしたと仰っていましたよね」
「はい、確かにお会いしました」
コズミンを見て固まったドラゴンの事はよく覚えている。だがあの山では爆弾フルーツに襲われ、生きた心地がしなかっただけに記憶が曖昧だ。
「そのドラゴンがどうかしたのですか?」
アルデンが首を傾げる。
「私はこれからあの山に行くつもりです。騎士団の命令ではなく私の意思でね。アルデンさんもどうですか」
「え?」
「これは私情ですが、私、幼い頃からアルノイド・ドレイク様をモチーフとした童話のファンでして、いつかお会いしたいと思っていたのです」
俺は一瞬迷ったがアルデンは乗り気だった。
「うん、良いですよ! 僕もドラゴン見たいですし」
「ありがとうございます。そうと決まれば今すぐ出発しましょう!」
「今?!」
ラリッサとアルデンに手を引っ張られ、俺達は家を飛び出した。
「すみません、馬を三頭貸していただけませんか」
「お前、ラリッサだろ。うちの馬はやらん」
町で馬を買おうとしたのだが、人々からは冷ややかな視線が向けられていた。
「そんな事言わずにお願いしますよ〜〜。ギレア金貨ならいくらでもお支払いします」
「お前、騎士団を抜けたんだろ。そうか、戻ったはいいが居場所がなくてまた逃げるつもりか。だったら、ちょうど良い馬がいるよ」
そう言って茶色い馬が一頭檻から出された。
「こいつだ。いつもフラフラしててやる気のないどうしようもない馬だ。誰かさんとよく似ているな。ハハ! こいつを連れて早く行け!」
馬屋の主人は急かすように鞭を振った。
ラリッサは手早く会計を済ませて馬の手綱を掴むとアルデンと俺に手を伸ばす。
「行きましょう」
俺達も馬の手綱を掴んで馬に跨った。
俺のイメージしていたより大きく、三人は余裕で乗れるサイズだ。
彼女は迷わず手綱を握ると人々の罵詈雑言から逃げるように馬を走らせた。
いくらなんでも王都の人達は酷すぎる。
「ラリッサさん、大丈夫ですか」
「大丈夫じゃないです。私、馬に乗るのはまだ二回目なんですよ!」
「ええ? ラリッサさんって王都の騎士ですし、てっきり乗馬なんて日課なのかと」
驚いたような声でアルデンが言う。俺が心配していたのはそっちじゃないのだが。
「馬は好きですよ? でも騎兵隊じゃないですし自分の足で歩くのが好きなので」
「なるほど。好奇心旺盛なラリッサさんらしい」
俺の呟きにラリッサは馬上で器用に振り返った。
「私が好奇心旺盛?」
「ええ。だって、ラリッサさんは何にでも興味を示すじゃないですか。最初会った時もコズミンに興味津々でしたし」
「あー! そういえば、私の大切なジェルシャークさんを家に忘れて来ちゃいました」
(海の生き物を連れ帰っちゃダメだろ)
「セシナード団長がお世話してくれると思いますよ。あの方も生き物大好きですし」
アルデンがフォローするがラリッサは頭を抱えた。
「お兄様ですか? そ、それは避けたいです。次にあった時、お兄様にべったりだったら悔しいじゃないですか」
「でもそれだけ団長が優しいって事じゃないですか」
「私が育てたかったんです!」
ラリッサが叫んだその時、馬が大きく揺れて急停止した。
「ど、どうしたのですか馬さん!」
ラリッサは降りて手綱を引っ張るが馬は動かない。
「馬が怖がっているようです。何かいるのかも知れません」
俺達は剣を抜いて周囲を警戒する。
「ルギーさんはアルデンさんを守ってください」
「分かった」
アルデンの近くへと寄り、剣を構えた。
「これは……。二人共来てください」
ラリッサに呼ばれ彼女のところへ行く。
「どうしました?」
「見てください」
ラリッサは地面を指差した。そこだけ奇妙にえぐれて土の色が変わっている。
「土がどうかしましたか?」
アルデンが地面に触れた。
「ルギーさんなら分かりますよね」
ラリッサに言われて地面をよく観察した。確かに不自然だ。
「誰かが魔法で地面をえぐったのでしょうか」
「いいえ、これは間違いなくへルドロスが剣を振り下ろした痕です」
「国王へルドロスですか?」
アルデンの問いにラリッサは頷く。
へルドロスに対して良い印象が無い俺はため息をついて頭をかいた。
「へルドロス自ら手を下す程の相手がいたという事ですか」
「ええ、間もなく国境ですし、用心はしておきましょう」
「分かりました」
馬が怖がって動かないので、手綱で引いて進んでいるが敵の気配はない。
やがて目前に国境、ヨーナヘルトが見えてくる。
ギレアッディ大陸と繋がる橋を渡るにはここを通る必要がある。
「止まれ!」
ヨーナヘルトは巨大な門で閉ざされており、その両脇には二人の騎士が槍を持って立っていた。俺達は言われた通りに止まる。
「何用だ」
騎士の一人が俺達に問いかける。
ラリッサは馬をポンポンと叩くと、騎士に答えた。
「コルビン隊長の部隊に合流しに参りました。ラリッサです」
「ラリッサだと? お前は騎士団から抜けたと聞いているが」
「抜けるどころか王都で大暴れした竜に味方していたとの噂もあるぞ」
「本当か? じゃあ裏切り者かもな」
「私はへルドロス陛下が誤った判断を下したが故、止めに入っただけです。騎士団道に反する行為は行っていません」
騎士は少し黙考した後、俺に尋ねる。
「では、転移者を何故連れている。お前達を称賛する者もいるが、俺は信用していない。それに九大竜は関わってはいけない存在だ。その竜を手なずけているなど、人間に仇なす行為ではないのか」
「どう捉えるかはあなた達次第ですが、九大竜も世界の大切な仲間です。もし危害を加えるのであれば自分は全力で戦います」
「それでへルドロス陛下に楯突いたのか。転移者という者はわからんな。まあいい、俺はここで死ぬ予定は無い」
騎士はため息をつくと門を開いた。
「通れ。ただし、余計なマネはするなよ」
騎士の言葉に従い、俺達は門を通った。
入国時はラリッサをあんなに持ち上げていた騎士たちが、手のひらを返すように態度を変えるのは何だかモヤモヤする。
「ルギーさん、アルデンさん。ヨーナヘルトに長居は無用です。いきましょう」
ラリッサが馬を進めた。ヨーナヘルトの内部は所々で火災が起きていたり、建物の破壊や何かの残骸が散らばっていたりと荒れている。戦いの跡だろうか。
「酷い有り様ですね」
アルデンは馬に揺られながら辺りを見渡した。
「ルギー先輩、ここは大丈夫なのでしょうか」
「ここに一般の人はいないと聞きますからおそらくは平気だと思います」
「確かに生活の気配がまるでないですね」
「橋を渡ったらグレイヴュール団に接触しましょう」
ラリッサの言葉に俺は頷く。
グレイヴュール団は荒野の用心棒だ。金さえ払えばゴルデにも乗せてもらえ、危険なエンラーピッドを安全に移動する事ができるようになる。
「荒野に人なんて住んでいるのですか?」
そうか、アルデンは他国の地を踏むのはこれがはじめてだった。
「グレイヴュール団は荒野に家を建てて生活していますよ。あと、チンピラもいます」
「チ、チンピラ?!」
アルデンは困惑した。
「ルギーさんが仰っているのはヘイエンラーの事ですか? 今の私達が恐れる相手ではありません。むしろ私達が手を出さない限り襲われる事もありませんから無視しましょう。ところで“チンピラ”って何ですか?」
ラリッサは振り返って首を傾げた。
「ラリッサ大先輩、チンピラというのは不良みたいなものです」
「ふりょう?」
ラリッサは更に混乱した。
「この世界にはいないのですよね、その概念」
俺は苦笑するしかなかった。
アルデンも諦めたのか話題を変える。
「それにしても長い橋ですね。落ちないのですか?」
「強度は大丈夫みたいですよ。ただ、下は海なので結構怖いですよね」
アルデンが身震いをすると馬も怯えるように嘶いたので、ラリッサが優しくあやす。
「ふふ、怖がらなくても平気ですよ。大丈夫ですから」
橋を渡り切るまで彼女は馬に向かってずっと語りかけていた。生き物好きは相変わらずのようだ。
それにしても俺達はいつまで敬語を使うのだろう。
ギレアッディ大陸に入ると風景は一変した。
至るところに鎧やら剣が転がっており、火災まで起きている。
道端には壊れた荷車や馬車が放置されていた。
「これは一体」
アルデンは絶句する。
「ルギーさん、アルデンさん、覚えておいて下さいね。倒れている兵士が着ている黒とオレンジの分厚い鎧を。あれはモルウゴズ帝国軍のものです」
「という事はもう戦争が始まっているのですか」
アルデンが震えた声で言うとラリッサは息を吐いた。
「恐らくそうだと思います。へルドロスやコルビン隊長も前線で戦っているのでしょうが、私達は戦がしたくてやってきたわけではありません。ラカワノン山まで飛ばしますよ」
ラリッサは馬の速度を上げた。この状況ではグレイヴュール団に頼る事も難しそうだ。
「ルギーさん、アルデンさん。ここからは警戒を怠らないようにして下さい」
「はい!」
ラリッサが言ってすぐの事だった。
前方に大勢の人集りができているのが見えた。
近付くにつれて彼らが黒い鎧をつけている事が分かる。
「あれは!」
ラリッサが慌てて馬を止めた。
「帝国軍です」
ラリッサの背後から前方を見ると、確かに黒鎧姿の兵士達が隊列を組んで道を塞いでいる。
だが全員俺達に背を向けており、気付いている素振りはない。
「ラリッサ大先輩、帝国軍が対峙している相手ってもしかして」
「ええ、ロド騎士団のようですね。コルビンの姿が見えます」
ラリッサは馬から降り剣を抜くと、気配を察知したのか帝国軍兵士が振り返り、雄叫びのようなものを叫び始めた。
「騎士団の犬共が! 背後から奇襲するとは、さては落ちこぼれだな?」
帝国軍兵士が挑発するように言うがラリッサは何も言わずに剣を構えた。
「ラリッサ大先輩、挑発に乗ってはいけません!」
アルデンが叫ぶと同時に帝国軍兵士達がポールアックスを振り下ろしてきた。
ラリッサはアルデンの言葉を聞き終わる前に動き出している。
「邪魔です」
ラリッサは魔法で風の刃を飛ばし、迫る帝国軍兵士を転ばす。
アルデンも剣を抜いて加勢した。
一瞬、俺の見間違いかと疑い目を擦ってみるがやはりラリッサとアルデンが戦っている。
俺も剣を抜き応戦した。
敵はポールアックスで力任せに襲いかかってくる。俺は数合打ち合った後、目の前の兵士に剣を振り下ろした。
「ぐあっ」
兵士防御する事もなく倒れる。剣から伝わってくる人を切る感触は慣れない。
前方ではコルビン率いる騎士が帝国軍と戦っているのが見えた。優勢のようだ。
「我らクルドフェカッに栄光あれ!」
兵士が叫んだ。
クルドフェカッ? 将軍か何かの名前だろうか。いずれにせよ帝国軍の戦い方はめちゃくちゃで戦略もへったくれもない。数にものを言わせた突撃の繰り返しだ。
俺は勿論、アルデンでさえ勝てるかもしれない。
一方のコルビン率いる騎士は統率が取れており帝国兵を圧倒していた。
歩兵が前衛で戦い、射手が矢の雨を降らせる。そして騎兵が隙をついて突入時し敵陣を崩す。
素人の俺から見ても明らかに練度が違う。
コルビンは馬上で指揮を執りながら自らも剣を振っていた。
「ラリッサ、ようやく戦場に出てきたな。相変わらず遅すぎる」
「それはすみませんでした。けど生憎、騎士としての仕事はしていませんよ。今は旅人のようなものです」
ラリッサは皮肉っぽく答えた。
「そうか、だが戦場に出てきた以上は我々と行動を共にしてもらう」
騎士が次々と敵を討ち取っていく中、コルビンはラリッサに向かってそう言った。
「終わりましたよ。もういいでしょう」
ラリッサは剣を鞘に収めた。敵の姿はもう無い。
「ルギーさん、アルデンさん無事でしたか?」
ラリッサが駆け寄ってきたので俺は頷く。
「はい、大丈夫です。勇敢に戦っていましたよ」
「良かった」
ラリッサは安堵する。
「ではコルビン隊長に絡まれる前にさっさと離れましょう」
「そうですね」
俺達は馬に乗ると再び走り出したのだがすぐに立ち止まる事になった。
というのも俺達の目の前に広がる光景があまりにも酷かったからだ。
「ルギーさん、アルデンさん。どうしましょう」
ラリッサが困惑したような声で言う。
見渡す限り装備品の山だ。その数は十や二十ではきかない。数百もの人間がここで命を落としたのだろう。
「これが戦争か」
俺は呟いた。この悲惨な光景は見るに堪えない。欲とはここまで酷いものなのか。
「帝国軍は戦争で死ぬ事を誇りに思っているようです。悲しむのではなく彼らの勇敢さを称えなければ」
ラリッサはそう言って馬を走らせる。
言葉数も少なくなる中、俺達は持ち主不在となった装備品の横を通り過ぎラカワノン山へと急いだ。




