◯・出港
翌日はラリッサ、リナル、アルデンと共に剣術の訓練をして一日を過ごした。ラリッサと模擬戦も行ったが、彼女はやはり強かった。というより俺が全く成長していないのだ。
もっと強くなってラリッサと対等に戦えるようになるまでなりたいものだが、コズミンがいないとこればかりはどうにもならない。ラリッサは俺が手を抜いていると思っているようだが。
リナルとも剣を交えたかったのだが、うっかり斬られでもしたら竜の毒によって死ぬ恐れがあったため止める事にした。
そんな日々を繰り返しているうちに約束の日を迎えた。
船の用意は完了しているのだろうか。
俺たちとは心配になりながらも集合場所である騎士団へと向かった。
「おはよう!」
リナルが声を掛けてきた。彼女は白いワンピースを着用しているようで、まるで良家のお嬢様に見えた。
「リナル、あなたも騎士なんですからもっと緊張感を持って下さいよ」
ラリッサはため息をつきながらリナルに注意した。
「防御面の事でしたらご心配なく! 鎧を着てようが私には変わりませんから」
リナルがおどけて見せると、ラリッサはやれやれと諦めた。
「あ、セシナードさんが待ってくれていますよ」
アルデンはセシナードの姿を見つけると嬉しそうに駆けて行く。
「おはようございます、準備は万全なようですね」
「はいお兄様、約一名を除いて」
俺は勿論と答えようとしたが、ラリッサが先に返事をしたので答えるタイミングを失ってしまった。こうなると会話に入れなくなるのが俺の嫌なところだ。
「船は用意してありますが、最後にもう一度お尋ねします。本当に行くのですね? 今ならまだ間に合います。あの海域は本当に危険ですので」
セシナードがこれほど念を押すなんて珍しい事だ。しかしここまで来て逃げるわけにはいかない。
「我々は大丈夫ですから気にしないで下さい! アルデンも平気ですよね」
「勿論ですルギーさん。コズミンさんの為なら命を投げ出す覚悟はできています」
アルデンの言葉に同行するの騎士たちも頷いている。
「わかりました。では港へ案内します。こちらです」
セシナードについていくと港が見えてきたが、そこに停泊している船は異様に大きかった。
「うわぁ、大きい船ですね!」
リナルも驚いた様子だ。
「この船は全長150メートルあります。最大乗員人数は230名。また、海中からの攻撃に耐えられるよう鋼鉄の他、強力な防御結界も備わっています」
それなら沈没する危険も無さそうだ。
「これから乗船するにあたって注意点がございます。海中から魔物が甲板に侵入する可能性があります。その場合、速やかに排除するか、直ちに船室へと避難して下さい」
「海の魔物ってそんなに危険なんですか?」
アルデンは不安そうに尋ねた。確かに海中から突然襲われたら対処できないだろう。
「陸上地中に生息する魔物と比較すると危険な魔物が多く、また縄張り意識も強いため注意が必要です」
「補足です。大型の魔物が出現したら逃げるのが鉄則です。この船には武装がありませんので、逃げ遅れると魔物のお腹に入っちゃいますよ」
妹の補足で余計不安になってしまった。
「大丈夫です! 私がいれば一部の魔物は寄ってきませんから」
不安そうな俺たちを安心させるためか、リナルは胸を張って言った。頼もしい限りだ。
「まぁ、私もいますので安心して乗船して下さい」
セシナードに促され、俺たちは船内へと乗り込んだ。
大型調査船 “パラディウ厶ネブナンド”
船体は白を基調に、所々に騎士団カラーである緑や赤の装飾が施されている。
全体的に綺麗だが細かい傷はところどころに見受けられる。
「調査船なので先程も言ったとおり武装は無いのですが緊急時はロードネブナンド騎士団の臨時拠点として機能し、戦略的な位置に停泊して騎士団員の休息や戦術会議が行われます」
俺達は船内でセシナードから大まかな説明を受けた。
船内の見取り図も渡され、どこに何の部屋があるのかを確認しながら進んでいく。
「部屋はこちらです」
セシナードが扉を開けるとそこは広めの一室だった。部屋の中にはテーブルと椅子、そして二段ベッドがあるだけだった。
「ご自由にお使い下さい。一つの部屋に二人までなら泊まれます」
「ありがとうございます! 私はルギーさんと同じ部屋で寝ますね」
リナルが元気よく宣言するとラリッサが頬を膨らませながら抗議した。
「な、何を言っているんですか! ダメですよ。男女が一緒の部屋で寝るなんて不純です」
珍しく強い口調で怒っているラリッサだが、リナルも負けじと言い返す。
「ラリッサ先輩はお兄さんと一緒に寝ないのですか?」
「ふむ、ラリッサと寝るのはいつぶりか。幼い頃を思い出しますね」
「そ、それは」
ラリッサは顔を赤くし言葉を詰まらせた。
セシナードの援護射撃もありリナルが勝ち誇った顔をしているとアルデンそっと手を挙げた。
「僕もルギー先輩と同じ部屋がいいです」
「自分と居ても退屈ですよ」
俺は苦笑いしながら場を収めようとしたがアルデンもリナルも折れず、俺も断り切れなかったので結局三人で同じ部屋を使うことになった。
「よし、じゃあ荷物を置いたら早速甲板に出ましょう。僕、船旅は初めてなので楽しみです」
「私も楽しみです。船旅なんて滅多に体験できるものじゃないですからね!」
アルデンもリナルもウキウキとしている様子。
そんな楽しいものじゃない気はするが、二人に水を差すのも悪いので俺もテンションを合わせることにした。
甲板に出るとそこには大きなマストが立っていた。マストの先には巨大な帆が風を受けてはためいている。
アルデンは走り出すと船の縁に両手を置いて真っ暗な海を眺めた。
「わぁ、凄い。先輩方も見てください! 光るクラゲが回っていますよ」
興奮するアルデンの隣でリナルも海を眺める。
「エレクトロゼアゼリーですね。緑色の微光がとても綺麗です」
俺も後ろから覗き込むと確かに海上を光るクラゲが舞っているのが見えた。幻想的な光景だ。
「皆さん、エレクトロゼアゼリーは脅威レベル5に指定されている危険な魔物ですよ」
「うわっ、ラリッサ先輩いつの間に」
いつの間にか後ろに立っていたラリッサが笑顔で教えてくれた。
「このまま進んで大丈夫なのですか?」
「それはですね」
俺が尋ねると、彼女は丁寧に説明してくれた。
エレクトロゼアゼリーの脅威レベル5。半透明で緑色のクラゲのような魔物で、海上に浮かびながら無気味な音を発しているのが特徴だ。
船が近づくとその透明な身体から強力な電撃が発射されるという。
観察してみると、透明なジェル状の身体の内部には複雑な器官が配置されているのがわかる。
あれで放電するのだろうか。船体に穴を空けるほどの威力がある上に見た目に反し頑丈で、倒すのは大変だという。
「何故かドラゴンに対し友好的でダンスするようクルクルと回転する姿がとても可愛いんですよね。ふふん、これも私のお陰ですね」
リナルが自慢してくる。いくら海の魔物でもドラゴン相手では分が悪いようだ。
「それにエレクトロゼアゼリーは美味しいんですよ」
(ドラゴンって亀みたいにクラゲを食べるのかな)
リナルの言葉に人外らしさを垣間見えながら俺は海を覗き込んだ。
すると、突然リナルが声を上げた。
「あ! 見てください! あそこにいるのってもしかしてクラーケンじゃないですか?」
言われてみると確かに船のライトに照らされた先に巨大な影がある。
クラーケンはイカのような姿で八本の触手を持ち、船を目掛けて突進してきた。
「あれって海で一番恐ろしい伝説の魔物ですよね?! ルギー先輩魔術で何とかして下さい!」
ビビるアルデンが興奮して声を上げた。しかしラリッサは首を横に振った。
「何言ってるんですか。クラーケンさんは船に付いた貝や海藻を食べに来ているので、危害を加えようなんて考えちゃいけませんよ」
そうなのか。てっきりあの触手で船を襲うのかと思ったが、魔物ですらないらしい。
とはいえ船体は綺麗に磨かれており、クラーケンは餌が手に入らなかったのか、触手がガックリ項垂れている。
その後ろからまた別のクラーケンが現れた。
「クラーケンの夫婦みたいですね。あっ、見て下さい」
ラリッサが指さした先には小型のイカのような生物がいた。
「あれはクラーケンの幼体です」
なるほど、魔術などで生み出される魔物と違って、クラーケンのような生物は繁殖するわけか。
クラーケンの幼体は船体に吸い付いたかと思うとゆっくりと船内へ侵入してきた。
「可愛いです〜〜」
ラリッサが楽しそうにクラーケンの幼体と戯れる。
「うわぁ……」
わかりやすくドン引きしているアルデンの顔に、突然水が降りかかった。
「ぶっ」
どうやらクラーケンの幼体が吐いた水のようだ。アルデンは顔面に水を滴らせながら呆然としている。
「ちょっと何するんですか! 船上で溺れるところだったじゃないですか」
クラーケンの幼体はアルデンの大きな声にビックリしたのか海へ帰ってしまった。
ラリッサは名残惜しそうにクラーケンの家族が去っていくのを眺めている。
「楽しいひとときでしたね。でも、水溜りがあったらすぐにその場を離れるか船外へ捨てるようにして下さいね。水溜まりにジャンプして来る魔物がいますので」
そんな移動方法で襲撃して来る魔物がいるのか。今はまだ漁船でも大丈夫な比較的安全な海域らしいが油断は禁物だ。
クラーケンの幼体と別れた俺達は甲板を後にする。
シターンの森付近の海域は非常に危険らしく、船を防衛するためにも今のうちに休んでおく必要があるという。
「先輩方、ベッドを使って下さい。僕は床で寝ます」
「いやいや、自分が床で寝ますのでアルデンさんこそベッドで寝て下さい」
「一番タフな私が床で寝ますよ。ドラゴンは普段ベッドなんて使わないんで大丈夫です!」
船内に戻った俺たち三人は早速ベッドの譲り合いを始めた。しかしこのままでは埒が明かない。
「じゃあこうしましょう、空いている部屋から布団を持ってきて床に敷きましょう」
俺の提案が通り、早速布団を調達して敷いた。
「私は床で寝ますね。ベッドは慣れないので……。お休みなさいルギーさん、アルデン」
「先輩方、おやすみなさい」
そう言ってアルデンも布団に潜り込んだ。
俺はバッグからコズミンを出すと一緒に布団に潜り込んだ。
初めての船旅という事もあって、なかなか眠れない。
静寂の中、目を開けて横を見るとランタンの薄暗い光で照らされたアルデンの顔が視界に入った。
「ビックリした。眠れないんですか?」
俺が小声で尋ねると彼は小さく頷いた。
「ええ、先輩は聞こえませんか?」
耳を澄ましてみるが聞こえて来るのは波の音だけだ。
「何も聞こえないですよ」
「波の音に混じって笑い声が聞こえた気がするんです」
アルデンにそう言われて俺は波の音に集中して耳をすませてみた。すると確かに笑い声のようなものが聞こえてくる気がする。
「本当だ、何か聞こえますね」
「でしょう? そのせいで怖くって」
(無言でベッドの横に立っているアルデンの方が怖かったけどな)
俺は少し迷った後、思い切って言った。
「ちょっと確かめに行ってみましょうか?」
「ええっ、今からですか?!」
アルデンは驚いているが俺は構わずベッドから降りて靴を履くと、ランタンを持って部屋を出た。
通路に出ると笑い声はかなりハッキリ聞こえた。
「こっちです。やっぱり船内に何かいるようですね」
「戻りませんか?」
俺はアルデンの制止を無視して声のする方へ歩き出した。
しばらく歩くと通路の影から突如三人の騎士が姿を現した。
「わっ! 鎧のお化け〜!!」
「ぎゃー! 何処に?!」
アルデンと騎士は驚いて尻餅をついた。俺が騎士に向かってランタンを掲げてみせると、アルデンは安堵した様子で立ち上がった。
「驚かさないでくれ」
「誰かと思えばルギー様か」
「俺の剣が無いー!」
「騎士の皆さん、見回りですか?」
「はい、実は」
どうやら三人の騎士も女性の笑い声に気づいて見回りをしていたらしい。
「この船、実は亡くなった騎士の亡霊が出るっていう噂が流れているんです」
「なるほど、訳ありの船なんですね」
俺が尋ねると騎士の一人が頷いた。
「はい、幽霊船で毎日怯えながら寝るなんてごめんです。正体を突き止めようかと思いまして」
「そんな噂が流れるくらいですからやはり何かいるんでしょうね。では」
俺はギレア金貨を一枚取り出した。
「お金が好きかどうかは分かりませんが釣ってみましょう」
俺はギレア金貨を通路の影に放り投げた。騎士達は興味津々で様子を見ている。
しばらく待つと足音が近づいて来た。
「来るぞ!」
騎士達は緊張した様子で剣を構え、アルデンは俺の後ろに隠れた。
「おや、皆さんお揃いで」
現れたのはセシナードだった。
「セシナード団長でしたか」
「なんだ、みんなビビり過ぎだぞ」
「お前が一番ビビっていたじゃないか」
騎士たちは口々に言いながらはホッと胸を撫で下ろす。セシナードは手ぶらだったが微かに魔力を感じたので尋ねてみた。
「もしかして侵入者の対処にあたっていたのですか」
「鋭いですね。実は甲板に出てセピアウォークスの排除を行っていたんですよ」
セシナードは苦笑いしながら答えた。彼によると、セピアウォークスとは大牢獄ガンジガンテで死んだ者たちの怨念が魔物となった存在だという。
その死者たちは呪縛から逃れ、生者に復讐するために夜の海に現れると言われいる。
「夜の海域にのみ現れるセピアウォークスは、半透明で恐ろしい亡霊のような存在です。夜の海を眺めていると時折、死者のような顔が浮かび上がり、私でも恐怖を覚えますよ」
セシナードはそう口にしながらも、どこか楽しんでいるように見えた。
さすがはラリッサの兄だけあって変わり者だ。
「セピアウォークスは青い魔力供給石の光を苦手としています。この船もランタンなどに青い魔力供給石を使用して対抗していますので、襲われる心配はありませんよ」
「襲われたらどうなるんですか?」
アルデンが尋ねるとセシナードは一歩踏み込んで答えた。
「セピアウォークスは生ける者の寝ている間に忍び寄り、その生気を吸い尽くしてしまいます。これにより、目覚めた船員は衰弱した状態となりますが、まぁ死ぬことは稀ですので脅威レベルは三です」
アルデンは騎士と顔を見合わせた後、肩をすくめた。
「僕、寝れなくなったんですが?」
「それは困りましたね」
セシナードは真顔で言うと、顎に手を当てて考え込んだ。
「なら、怖がらせてしまったお詫びに皆さんに温かい飲み物をご馳走しましょう」
「そうですね、大勢でいれば恐怖も吹き飛ぶでしょう」
アルデン達はセシナードについて行ってしまったが、俺はコズミンをベッドに残したままだったので部屋に戻ることにした。
「コズミン、戻りましたよ」
セシナードやアルデンとも話したかったが、眠気に負けた。




