◯・未来の暗示と光の兆し
翌日、ドアをノックする音で目が覚めた。
起き上がるとあまりに広い部屋に驚愕した。昨日疲れすぎてラリッサの豪邸に泊まらせて貰ったのを忘れていた。
「ルギーさん起きてますか?」
声の主は城主だった。俺は慌ててドアを開ける。
「あ、起こしてしまって申し訳ありません」
ラリッサは俺の顔を見るなり嬉しそうに笑った。彼女の服装は普段とは違って軽装で動きやすそうな格好をしている。
「その格好……もしかして久しぶりに訓練に付き合わそうとしています?」
尋ねるとラリッサは少し照れたように言った。
「へ? あ、はい! ルギーさんに予定が無ければですが」
彼女は俺の返答を聞かずに腕を掴んで外に連れ出す。
溜息を一つ吐く間も与えられぬまま、王都内を連れ回された。
薄暗い中、騎士達が剣の素振りをしていたり、学院の生徒と思われる少年が魔法の練習をしたりしているのが見えた。
「こんな状況でも皆さん日常を続けようとしているんですね」
「フフフ、ルギーさんったらお顔暗いですよ。私達は騎士なんですから、不安な顔をしていれば周りの人達をもっと不安にさせてしまいますよ」
ラリッサの微笑みに呼応するかのように彼女の腹の虫が可愛く鳴いた。
「あ、すみません。ルギーさんはお腹空きません?」
「訓練の前に何か食べましょうか。アルデンさんとリナルさんまだ寝ているでしょうし、食材を買って二人で料理しましょう」
「いい考えですがお店開いているのでしょうか? 普段から非常事態に備えて食材を備蓄している家庭も多いですから、もしかしたら休業しているかもしれません」
考え込むラリッサの横を子供が走り抜けていく。笑い声と共に暗い路地へ臆する事なく入っていってしまった。
子供の好奇心は時に危険を孕むが、どんな状況下でも探求心は大切である。
路地裏は薄暗く、異界に続いているかのような不気味さがある。それは異世界でも同じことだ。
「あの、ルギーさん?」
ラリッサに顔を覗かれて我に返る。
「あ、すみませんぼーっとしてました。路地で思い出したんですけど、ラリッサさん行きつけのオムライスが美味しい店がありましたよね?」
「覚えていて下さったのですね。私もグレイさんが無事か心配ですし、行きましょうか」
「はい。場所何処でしたっけ」
ラリッサは「も〜」と言いながら俺の手を取ると軽い足取りで歩き始めた。
暫くして路地裏の小さな店に着いた。
店の明かりは消えており、扉の前には張り紙がされている。
「臨時休業」とだけ書かれているその紙をラリッサは悲しげに見ていた。
「あのーすみませーん!」
彼女が大声で叫ぶと店の奥から気怠そうな男の声が聞こえてきた。
「うるせえな、ったく。“休業”の張り紙が……って、ラリッサちゃん?!」
奥から現れたのは酒瓶片手にフラフラしているグレイだった。
「良かった、無事だったのですね!」
ラリッサの喜びと共に酒瓶が割れる音が店内に響いた。
そしてグレイが慌てて駆け寄ってくる。
「こんな所で何やってるんだ。 早く逃げろ! リーパーに殺されてしまうぞ」
「それならもう解決しましたよ。王都の安全は確保されました」
グレイはラリッサのドヤ顔を見て不思議そうに首を傾げた後、椅子に腰掛けた。
「リーパーの唸り声が聞こえなくなったと思ったら、君達が復讐を果たしてくれていたのか。騎士団は負傷者を出して皆、逃げたと聞いていたが」
「私達が王都に到着した頃は確かに人の気配すらありませんでしたが」
ラリッサがこれまでの出来事を説明していると、次第にグレイの表情が曇っていった。
そして俺達に頭を下げる。
「ありがとう二人とも! 娘の仇を取ってくれて……このままじゃあ死んでも死ねきれなかった」
「ええとグレイさん、娘さんがいらっしゃったのですね。その、お悔やみ申し上げます」
「ありがとう、ラリッサちゃん。親不孝者の娘だったが、リーパーの毒牙にかかって死んだと聞いた時、俺は奴等を許せないと思ったんだ。そして同時に俺自身の弱さも憎かった」
グレイは拳を握り締めて歯を食いしばっている。
店の荒れ具合から察するに、娘の死は気の良い彼が酒浸りになるほど深い傷を負わせたのだろう。
「あの、グレイさん。お酒は程々にしておいた方が」
ラリッサが遠慮がちに言うと彼は自嘲気味に笑った後、酒瓶を一気に飲み干した。
「俺なんざ生きてたって意味が無いんだよ。ラリッサちゃん、俺にはもう何も無いんだ」
「グレイさん! そんな事を仰らないで下さい。私はグレイさんの作るオムライスが大好きなのですよ! 任務で足を引っ張ってしまい落ち込んでいた時、何もうまく行かない最悪な日でもいつも明るいグレイさんの作るオムライスに何度救われた事か。だからそんな事言わないで下さい!」
「ありがとうなラリッサちゃん。でも、店を続けるつもりはないよ。そうだ、腹が減ってるんだろう?」
彼はすくっと立ち上がり厨房に向かうと、料理を作り始めた。
俺達はその様子を黙って見守る事にした。暫くしてテーブルにはオムライスが運び込まれた。
「さぁ、冷めないうちに食べるんだぞ」
「待ってました!」
ラリッサと俺は笑顔で答えると料理を食べ始める。その様子に満足したのか彼は涙を流すと静かに呟いた。
「まだ客も少なかった頃、俺のオムライスを美味いって言ってくれたのはラリッサちゃんだけだったな。娘は『こんな不味い飯食えるか』と文句を言って二度と食べようとしなかった」
「それは違うと思います。きっと、照れていたのですよ」
「そうかもな、素直じゃない奴だったからな。そうだラリッサちゃん、今度娘の墓参りに来てくれないか? 俺の恩人として紹介したいんだ」
「喜んでお伺いします。是非娘さんとのお話を聞かせてください」
ラリッサが笑顔で答えるとグレイはまた泣いた。
彼女も貰い泣きしそうなのか目を潤ませている。
俺はというとアルデン達に内緒でオムライスなんか食べている事に罪悪感を覚えてオロオロしていた。
でも、今は気にしない事にしようと思う。
「グレイさん」
ラリッサがグレイに優しく語りかける。
「オムライスをあと二つ作ってくれませんか? 私の後輩達にも食べさせてあげたいのです」
グレイは涙を拭うと笑顔になり、力強く頷いた。
「ああ、作ってやるよ。参ったな、ラリッサちゃんの後輩なら味の好みも同じだろうし、また特製オムライスのファンが増えてしまうなぁ」
「いえ、リナルさんの口には合わないかもしれませんね」
「ちょ、ラリッサさん」
俺が愛想笑いをしながら言うとラリッサが懐からお金を取り出そうしていたので慌てて割って入る。
「二度もラリッサさんに支払って貰うわけにはいきません」
俺はカウンターの上に金貨を一枚置いた。
それを見たグレイが目を丸くしている。
「こ、こんなに要らないよ。銀貨8枚……いや7枚にしてくれ」
グレイは申し訳なさそうに言う。
金貨は銀貨二十枚分の価値があるので確かに過剰だが、ノービルトの給与が全て金貨な上に、細かいお金を持ち歩けるほどスペースが無いのだ。
何より、受け入れるのはダサすぎる。
「いえ、銀貨あまり持ってないので受け取って下さい。お釣りは結構ですので! ご馳走様でした」
「まったく、人が良すぎるぞ二人共。心の整理がついたらまた始めてみようと思う。その時は奢ってやるからまた来てくれよ」
「ええ、次もルギーさんと……いや大勢で来ますね!」
俺達は笑顔で会釈しラリッサと共に店を出た。
路地を出て大通りに出るが、振り返るとラリッサが暗い顔をしている。
何か考え込んでいる様子だ。
「どうかされましたか? ラリッサさん」
俺が声を掛けるとハッとしたように顔を上げる。それから慌てて取り繕うように笑顔を作った後、彼女は自分の胸に手を当てた。
「ルギーさん、あのですね」
彼女はもじもじしながら何か言いたげな様子を見せる。またティケウルフの話か?
だが彼女は言葉に詰まってしまったようだ。ここは俺が元気付けてあげないとな。
「クエスト発生! グレイから受け取ったオムライス二個をアルデンとリナルに届ける。報酬、アルデンが特製オムライスを完コピ!」
「んえ?!」
ラリッサは変な声を出し驚いていたが「そうですね、アルデンさん達に届けて私達はトレーニングしましょう」と少し元気になった様子で言った。
俺達は豪邸に戻り、アルデンとリナルに達成報告をしたのだが二人ともキョトンとした顔で俺達を見つめていた。
「ルギーさん、お酒でも飲んだのですか? ちょっと臭いますよ」
リナルが不思議そうに尋ねてくる。グレイのせいだ。
「いや、飲んではいないのですが、酔っぱらいに絡まれまして」
俺は否定しながら鼻をすんすんと鳴らしてみる。特に臭いはしないと思うのだがこれもドラゴンの嗅覚が優れているからなのだろう。
「なるほど。こんな状況下ですし、お酒に逃げる人もいますよね。ルギーさんにお怪我がなくて良かったです」
「ところでこのオムライス、めちゃくちゃ美味しいですね!」
アルデンがモグモグと食べながら言う。リナルも口いっぱいに頬張って恍惚とした表情を浮かべている。
「いやぁ、まさかこんなに美味いとオムライスに出会えるとは。これは研究の価値がありますね。ご馳走様でした!」
アルデンが頭を深々と下げるとリナルも同じようにお辞儀した。
「それで、そのオムライスはどこで買ったんですか?」
アルデンが興味津々といった様子で聞いてきた。
俺はグレイに貰ったこと、今度アルデンも連れて行くと約束した事を伝えると彼は大喜びしていた。
(グレイ、良かったな)
俺は心からそう思った。
それから厨房に籠もり熱心に研究を始めたアルデンと別れてラリッサとトレーニングを始めた。街の見回りも兼ねたマラソンだ。
リナルはというと二度寝すると言い寝室に戻った。食後に寝ても太らないドラゴン羨ましい。
「ルギーさん、折角ですので競争しましょうか。ゴールは……そうですね、騎士団で」
「望むところです!」
ラリッサの提案に乗り、俺達は猛然と走り出した。
しかし、流石はラリッサだ。非常に速く追いつけない。
「ルギーさん! 遅いですよ!」
彼女の挑発的な一言で闘争心に火が付いた。
「まだ本気を出していないだけです。油断していると追い抜いてしまいますよ」
挑発し返すとラリッサも不敵な笑みを浮かべた。
俺は全力で走り続けたが、結局一度も追いつかなかった。
俺の中に闘争心の欠片が残っていた事だけでも驚きだ。転移前は、競争とは無縁の生活をしていたように思う。
「はぁ、ラリッサさん速すぎますよ」
息を切らしながら言う俺を彼女は余裕の表情で見つめていた。
「ふふふ、ルギーさんだって凄いですよ。最後の方は本気で走らないと追い抜かれそうでしたから」
彼女が拳を突き出すと俺は息を整えてからそれに答えるように拳を合わせた。
「はーっ、いい汗かいた。そうだ、折角ですし騎士団のテラスで一杯どうですか? そしたら次は剣術と魔術の訓練しましょう」
「テラスですか」
例の二人組がいる可能性があるがラリッサと一緒なら絡んでは来ないだろう。
「どうしました?」
「いいですね、行きましょう!」
俺は彼女に頷くと騎士団に入った。
中では騎士達が訓練していた。どうやら自主練のようだ。
リーパーの脅威は去ったとはいえ緑鱗軍団長のシラーと国王ヘルドロスが不在のままではさぞ心細いだろう。
適当に挨拶を済ませテラスに向かうと、蝋燭の灯りしかない薄暗い一角で赤鱗軍副団長のラインヴァディムと従卒のハインツがお茶を飲みながら話し合っていた。
「おや、ルギーじゃないか。約束通り友人を連れて来てくれたんだな」
ラインヴァディムはカップをゆっくりテーブルに置くと、嬉しそうに言った。
「その節はお世話になりました」
絡まれたか。まぁ、仕方ない。
俺はお辞儀をした後、椅子を引いてラリッサに座るように促す。
そしてラリッサが座ると俺は彼女の隣、ラインヴァディムの向かい側に座った。
「どうぞ」
すぐにハインツがお茶を入れてくれた。
「ありがとう、ハインツ」
ラリッサはそう言うとカップを手に取り美味しそうに飲む。
俺も一口飲んでみると香り高く美味しかった。「いい茶葉ですね」
カップを置いて言うとハインツが「恐れ入ります」と言ってお辞儀した。
「ハインツ、下がっていいぞ。私はルギーと大事な話があるからな」
ハインツは静かに去っていく。
「それで話というのは?」
「セシナードから聞いたんだが君達、船が必要らしいな?」
「はい。騎士団の保有する頑丈な船が必要です」
「分かった。手配しよう、君達に恩を売って置くのは悪くない。だが」
ラインヴァディムは腕を組み、俺とラリッサを交互に見た。
「目的地を教えてもらおうか。私の予想では……シターンの森か?」
「はい」
「そうか」
ラインヴァディムは立ち上がり、テラスの手すりに手を置いた。照明装置に照らされた彼の顔は真剣そのものだ。
そしてゆっくりと口を開いた。
「シターンの森にいる九大竜を封印して欲しいと頼んだら、やってくれるか」
「な、何を言って!」
ラリッサは驚き、立ち上がった。
「セヴィナーエ様はラプリアセント大陸を私達人間に譲って下さったのですよ! それなのになぜ!」
「ラリッサさん」
俺は彼女に落ち着くよう促した。
「それは知っている。だが、我々はこれから神や竜に頼らず生きて行かなくてはならない。その第一歩として九大竜を封印して欲しい」
ラインヴァディムはラリッサから俺に視線を移すと「ルギー、君はどう思う?」と言ったので俺は首を横に振った。
到底賛同出来ない。反対すれば船が手に入らないかもしれないが無理なものは無理だ。
「シターンの森のドラゴン達とは不干渉の協定を結んでいます。彼女達だって人間との争いは望んでいません。ルギーさん、行きましょう」
「待ちたまえ。ラリッサではなくルギー、君の意見が聞きたい」
「自分も反対です。神や竜だからといって排除していい理由にはなりません。共存の道を選びます」
俺は強い口調で断った。少しばかり怒りの感情も乗ってしまったかもしれない。
ラインヴァディムは溜息をついた。
「そうか、残念だよルギー。君はジェルドワと同じだな」
「ジェルドワ……。破壊神を封印したという転移者ですね」
俺が聞き返すと彼は頷いた。
「ああ、彼はゴルデの設計者でありこの世界に新たな転移の技術を齎した。だが彼は土壇場で臆病風に吹かれ、逃亡してしまった。人が神の上に立つなどおこがましいと言う理由でな」
「それは酷い話ですね」
俺の言葉にラインヴァディムは大きく頷いた。
「その通りだよ、わかってくれるか」
「いえ、そうではなく、ジェルドワさんは世界のパワーバランス、そして平和を脅かすような兵器を造り、怖くなって逃げてしまった。それが問題なのではありませんか」
「ほう?」
ラインヴァディムは興味深そうに俺を見ると続けてくれと促した。
「例えば九大竜や神々をも圧倒できる兵器があったとしましょう。それを使って人間達が他の種族を虐げ、そして最後には人間同士が殺し合いを始めるかもしれません。そうなれば世界は混乱に陥り、平和は失われます。再建者や九大竜の中には傲慢な者もいるでしょうが、そのような例外的な存在がいる事で人間達は自制出来ているのです。人が頂点に立ったとして、もし戦争になった時、誰が裁くというのでしょう? それこそ暴力が支配する世界になってしまいます」
「なるほど。だが、それは君の勝手な思い込みではないか? 神々や九大竜とて全知全能ではない。驕り高ぶる者もいる。現に戦争を主導しているのは再建者ではないか」
「それは分かっています。ですが人間の欲望に比べれば神々の傲慢さなど些細なことです。自分は九大竜と神々、そして人間が手を取り合い共存している世界を見てみたいと思っています」
俺の言葉を受けてラインヴァディムは考え込んでいるようだ。
「そうだな、君の意見も尊重せねば。さて、先程言った通り船は君たちに貸す」
「ありがとうございます」
俺は彼に礼を言うと椅子から立ち上がった。
「話は以上でしょうか?」
「では最後に……君が何をしようと神々が統治する時代は終わりを迎える」
「肝に命じておきます」
俺は答えると、困惑するラリッサを連れて騎士団を立ち去った。
ラインヴァディムと別れた後、ラリッサと剣術と魔術のトレーニングを行っていた。
「私達は今後、どうなるのでしょうか」
彼女は不安げな表情を浮かべている。
「さぁ、分かりません。でも今は出来る事をするだけです」
ラリッサはその言葉に対して黙ってしまったが暫く打ち合っていると口を開いた。
「そうですね、今を楽しみましょう!」
彼女に笑顔が戻った。先のことをあれこれ考えたって憂鬱になるだけである。
未来のことは未来の自分に任せればいいのだ。
それから俺達は体力の限界まで訓練を続けた。




