ヴァノリス帝国での日常です
翌朝、部屋から出るとントラとヤナが既に身支度を整え出発の準備をしていた。彼らと朝食を共にしたかったのだが故郷の復興で忙しいだろうし仕方ないか。
名残惜しいが鰐顔の二人とはここでお別れだ。
「みんなありがとね」
ヤナが俺達に向かって優しく微笑んでくれる。ントラはというと照れくさいのかそっぽを向いていた。
「道中気を付けてな」
シラーが返すと、ントラは無言で手を振った。ヤナは彼に苦笑いしつつ言った。
「今度村に遊びに来てね。私達を救ってくれてありがとう」
ヤナが俺に握手を求めてきたので応じる。
「こちらこそ」
「ほらお兄ちゃんも」
ントラは目線を逸らして手を出さなかった。素直じゃないな、本当に。
俺もこういうの得意じゃないんだけどね。
「じゃあな。死ぬんじゃねーぞ」
ントラはそれだけ言うと早足に去っていった。ヤナも慌てて追いかける。
俺達はしばらく二人の背中を見送っていた。
それから二日酔いで気分が悪そうなヴィルクムントを見送ると、ラリッサが口を開いた。
「これからどうしましょ?」
「どうします?」
「ルギーさんについて行きますよ!」
「とりあえず魔術と剣術のトレーニングですかね。生活基盤も整えていきましょう」
「そうですね。楽しみです」
ラリッサが顔を綻ばせるのを見てコズミンが俺の二の腕を甘噛みしてくる。痛いけど可愛いから許す。
「コズミンさんも逸る気持ちを抑えられないみたいですよ」
噛んだのはそういう意味ではないと思ったが、コズミンはコクンと頷いた。
ノービルトの宿にいつまでも居候するわけにいかないので、まずは拠点となる家を探すことにしたのだがすぐに見つかった。
ルーンナッドの技術者が住んでいた家が、撤退により全て空き家になったということで一軒借りることができたのだ。
木造の広々とした建物。全体的に綺麗で新築のような輝きがあった。
居間、台所、風呂付きで、二階にガランとした部屋が三室あり、非常に快適な生活を送ることができるだろう。
一通り見て回ったアルデンは浮かない表情をしている。
「アルデンさんどうかしましたか? キッチンも広くて快適だと思いますが、気に入らないなら別に家を借りても良いと思いますよ。なんせお金はたくさんあるわけですし」
「あ、いえ。家が気に入らないとかではないんです。ただ引っ越してばかりなので環境に適応する時間が欲しくて」
アルデンは頭をかきながら俺の様子を窺ってくる。そこまで深く考えていなかったな。
とりあえず「そりゃそうですよね」と慌てて答えた。
「私はどんな環境でも大丈夫です!」
ラリッサが言うとリナルも頷いた。本当に強いな女子二人は。
「私達もう赤の他人じゃないの。アルデンの事は弟のように思っているからもっと甘えてもいいのよ」
リナルがママみたっぷりに言うが見た目年齢は二人とも変わらないので幼馴染みに例えたほうが近いか。
とはいえ優しい姉の言葉にアルデンもようやく安心したようだった。
「ラリッサ先輩、先に買い出し行きましょうか」
「買うなんて勿体なくない? 森で狩ってきましょ。リナルと私ならすぐ調達できるわ」
ラリッサはオルミガ族にすっかり染まったらしい。そのうち顔が鰐になるんじゃないか。
「確かに森の方が効率がいいかもですね。この国はまだ開放されたばかりで食料が不足してますし」
リナルはラリッサの意見に同調した。俺も異論はなかったので四人で森まで向かうことになった。
ヴァノリスには迷宮もたくさんあるらしいので、アルデン用に魔力供給石も獲得できればいいのだが。そんなことを考えながら、森の中へと足を踏み入れた。
「この辺りの魔物はどれくらいの強さなんでしょうか」
アルデンが尋ねるとラリッサはスンスンと鼻を鳴らした後に答えた。
「大したことないと思いますよ〜。ティケウルフの匂いもしませんし」
彼女の嗅覚は犬並みだな。
「それで何が欲しいの? アルデンが調理したいものなら何でも採ってあげる」
リナルが嬉々としてそう言うとアルデンは目を輝かせつつ言った。
「僕はどんな食材でも料理できる自身がありますが、キノコとか山菜とかこの地特有のものを使いたいのそういう食材がいいです」
「任せてください! 食べられる食材は把握してますから私が採ってきますね!」
ラリッサは意気揚々と茂みの中に入っていった。
「大丈夫かなぁ」と心配そうなアルデンに俺は昨日買っておいた薬草と毒消し草を取り出した。
「万が一の時のために毒消し用意しましたし大丈夫でしょう。ドクターであるアルデンさんに持っておいてもらいましょうかね」
「あ、ありがとうございます! 薬草もスープにしたら美味しいのかな」
彼は受け取ると大事そうに荷物にしまった。
俺達もラリッサに続いて周囲を警戒しつつ採取作業に取り掛かることにした。
しばらく散策しているとリナルが山菜とキノコの入ったバスケットを掲げた。
「いっぱい採れましたよ! みんな褒めて!」
リナルは満面の笑みでこちらに駆け寄ってきた。ボルベルトがここに居たらさぞ鬱陶しがっていただろうな。
「リナル先輩ありがとうございます! ラリッサさんは何処まで行ったんでしょう」
アルデンはキョロキョロと辺りを見渡した。ラリッサの姿は見えないが気配はまだ感じるのでおそらく近くにいるはずだと思う。
「そういえばさっきウサギを見つけましたよ。こっちの世界にもいるんですねー。ちょっと探してみましょうか」
アルデンはウサギを探して歩き出す。リナルも「危ないよー」と言いながら小走りで後を追いかけた。俺も後に続くがウサギって俺等の知っているウサギさんなんだろうか。ここは異世界である事を忘れてはならない。程なくしてアルデンはウサギを発見したが、次の瞬間「フグッ」というくぐもった声と共に彼は崩れ落ちた。
ウサギの鋭い後ろ脚が顔にクリーンヒットしたのだ。そして可愛らしくジャンプるすると一目散に走り去っていった。
アルデンが突っ伏しているとラリッサがやってきたので、困惑する彼女に事情を説明すると吹き出した。
「プフッ、まあ遭遇したのがウサギで良かったですね」
リナルはラリッサが笑いを堪えて小刻みに震えているのを見て釣られたのか涙目になっている。
アルデンは「ウサギに負けるなんて」と頭を抱えながら俺の方に振り向くと、彼の顔にウサギの毛が張り付いていたので俺も吹き出した。
俺が「ウサギが付いてますよ!」と言うと彼は慌てて顔中を手で払っていた。
(間違えた。ウサギは付いていないんだけど)
ラリッサは笑いが堪えられなくなって腹を抱えている。
「ウサギより僕はラリッサ先輩の方が怖いですよ! もう!」
アルデンは目を釣り上げて怒っている。ラリッサはようやく落ち着いたのか目元の涙を拭って、「ごめんなさい。だってアルデンがあまりに面白いから」と謝る。
うさぎの襲撃もあって、迷宮は見つからなかったが皆で野草をたくさん摘んだ。
「僕だけなにもしなかったな」とアルデンが言うとラリッサは「そんな事ないですよ〜」と笑って答えた。
「そうですよ、これから料理してもらうんだからね」
リナルもラリッサに同調している。
「そうっすね。料理で挽回させていただきます」
アルデンは胸を張って答えた。
街に戻り雑談しながら歩いていると横からか細い声が聞こえた。
「あの、すいません」
声をかけてきたのは長い黒髪と細い目をした女性だった。歳は俺より上に見えるが自信なさげな表情からは幼さも感じる。
「どうしました?」
俺が尋ねると彼女は言った。
「あの、この辺りに野草がたくさん採れる場所はありませんか」
弱々しい声で頭を下げるので慌てて答えた。
「ありますよ! 今採ってきたばかりです」
「顔色悪そうですけど大丈夫ですか? これから遅めの朝食なのですが一緒にどうですか?」
ラリッサが気遣うと彼女は顔を上げ嬉しそうに微笑んだ。
「良かったぁ〜助かります。私この辺りに来たばかりで全くわからなくて途方に暮れていたんです」
「お役に立てて嬉しいですけど、あなたは?」
リナルは平坦な口調で言った。少し警戒しているようだ。
「あ、ごめんなさい自己紹介がまだでしたよね。私はセレス&アレーナといいますよろしくお願いしますね」
彼女はぺこりと頭を下げるとアルデンが答えた。
「僕はアルデンです。ええと、セレスさんとお呼びすればいいんでしょうか? アレーナさん?」
(芸名みたいな名前だな)
「あ、はい。そう呼んでください。アレーナは私の姉の名前なんです」
微笑みながら答える彼女をじっと見ていたリナルが口を開いた。
「あなた人間ではないようですけど何者?」
リナルは淡々と言った。その言葉にセレスは少し驚いたような表情を浮かべたがすぐに答えた。
「え、気付いちゃいました? 実は私、海に住む種族なんです」
「ふーん、海に住む種属ねぇ」
リナルが意地悪そうに言うがセレスは特に気にした様子もないようだ。
「人魚って事ですか?」
アルデンは興味津々といった様子で質問した。
「陸ではそう呼ばれているのですね。私達の種族は水陸両用の身体なので、陸地でも呼吸や会話が可能なんです」
セレスの説明にアルデンはますます目を輝かせた。
「凄いですね! 他にはどんなことができるんですか?」
興奮した様子で尋ねると、彼女は少し困った表情を浮かべつつも丁寧に答えた。
「うーん、海だと水を操ることができますし、あとは色々とありますけど、陸ではそういった力はなくて姉の形見である剣を使っています」
「そうだったんですね。お姉さんも海で暮らしていたのですか?」
「姉のアレーナは陸で暮らしていましたよ」
それを聞いたラリッサは首を傾げた。
「アレーナ……。どこかで聞いたような」
俺はふと気になったことを尋ねてみた。
「能力も制限されて不便でしょうに、どうして陸に?」
「実はかつてお世話になった方が陸にいまして。その方にお礼を言いたいのと、あとは単にヴァノリスが静かになっていたので見に来たって感じですね」
「えっと、話は食事しながらにしませんか? 僕が料理をしますので」
皆、お腹が空いているのかアルデンの提案に賛成した。
自宅に戻るとアルデンは手際よく野草と茸を炒めたり、蒸したりして調理していく。俺も手伝おうとするが「ヴァノリスの英雄達に働かせるわけにはいきませんよ」と断られてしまい、大人しく座って待つことにした。
しばらくすると美味しそうな匂いが漂ってきたのでワクワクしながら待っていたところアルデンが皿に料理を乗せて運んできた。
「お待たせしましたー」
「ピィー!」
皿には沢山の野菜が盛られており、さらにコズミンも乗っている。
(野菜とキノコのコズミン添え?!)
と思ったが単につまみ食いしているだけだった。
「ありがとうアルデン。わぁ、いつものことながら美味しそうね」
リナルが嬉しそうに言うと手を合わせ「いただきます」と言って食べ始めた。それを見て俺とラリッサも手を合わせ、料理を食べ始める。
コズミンは皿に乗ったままだが、誰気にしなくなっている。ずっと食べているようだし先にお腹いっぱいになるだろう。
「コズミンさん、おかわりありますよ」
アルデンが言うとコズミンは嬉しそうに鳴いた。
(まだ食べるんかい!)
セレスはその様子を羨ましそうに見ながら無言で食べ進めていた。
食事が終わり、片付けをしているとセレスが話しかけてきた。
「皆さんのおかげで助かりました。お礼にと言ってはなんですがこちらを」
そういうと彼女は魔力供給石をくれた。
「これは?」
アルデンが尋ねるとセレスは答える。
「それは自然神が創造した緑の魔力供給石です。自然治癒力が上がり、回復魔法の効果も上昇しますよ。優しいアルデンさんにピッタリだと思います」
「ありがとうございます。人魚さんからの贈り物……えへへ」
アルデンは恥ずかしそうにお礼を言うとコズミンが突然飛び上がったので、皆の視線が集中した。
「ピィー! ピィ!」
どうやらおかわりした分も平らげたようだ。
「凄い食欲ですね。可愛いです〜〜」
ラリッサの謎の褒め言葉にコズミンは胸を張っているように見えた。
「魔力供給石を装着するなら自然神のところに行くしかないですよね?」
俺が言うとセレスは頷いた。
「はい、そうですね。それに私がお礼を言いたかった方も自然神なんですよ」
「丁度良いじゃないですか〜。ヴァノリスからそれほど遠くありませんし明日行きましょう」
ラリッサの案に皆賛成した。
「そうですね。アルデンさんも魔力供給石を装着した方が何かと便利でしょうし」
セレスも加わって賑やかになりそうだなと思い、俺も自然と笑みがこぼれた。
その後は自由時間となったので俺は久しぶりにトレーニングも兼ねて走る事にした。




