◯・開幕とフラグ
心地良い細波の音が聞こえる。
海の匂い、それから身体の上を這い回る蛇……。
のどかだなぁ。
んん?!
慌てて飛び起きた。
蛇も合わせてジャンプし、ナイス着地を決め込む。
周囲は薄暗くハッキリとは見えないが島にいるのは間違いない。今視界が確保出来ているのは水色の蛇が淡い光で照らしてくれているからだろう。
だが同じ場所だというには無理がある。地面はえぐれ、草木は灰と化していた。まるで隕石が衝突し、その爆風で何もかも吹き飛ばされてしまったかのような惨状だ。
自分が生きているのが不思議でならない。しかし、もっと不思議だったのは……意思疎通できる水色の可愛い蛇の存在だろう。
「ピィ……ピィィ」
『ピィ』としか鳴けない蛇は、同時に様々なイメージを送ってくる。
今受け取ったイメージは大きな円の上に小さな円が乗ったものだった。
何かを伝えようとしてくれているのは確かなのだが、大きな石に小さな石でも乗せろというのだろうか?
辺りを見回してみるとえぐれた地面から露出している台座のようなものがあった。大きさは人間が一人乗るのがやっとというサイズである。
蛇は変わらず同じイメージを送り付けてくる。脳をハイジャックされているような不快さはあるが、今はこの蛇に賭けるしかないと判断し、転がっている石を台座に置いてみる。
しばらく待ってはみたが変化なし。解釈が間違っているのだろうか。
脳裏に浮かんだのは最初に見たあの魔法陣。
ものは試しと尖った石を手に台座へと乗ってみる。
尖った部分を台座に押し付け、円を描くようにぐるっと一周する。
輪っか完成した瞬間に台座が輝き出し、グラグラと揺れたかと思うと重力を無視した水平移動を始めた。
蛇からにっこり笑顔の簡易的なイメージが送られくる。
どうやら正解を引き当てたらしい。
蛇はひょいと俺の肩に乗ると、台座はより強い光を放ちながらホバー速度を上げた。
この台座が特殊なわけではなく、蛇による特殊能力なのだろう。
俺は今、海上を移動している。
島から離れるにつれ濃い霧が出てきた。視界がほぼゼロの状態でバランスを崩さぬよう踏ん張った。
落ちないように全神経を集中させていた故、周囲を見渡す余裕はなかったのだが暫くすると台座のホバー移動が緩やかになり、視線を他へ移せるくらいの余裕は出てきた。
依然として周囲は暗いものの霧は晴れ、進行方向にうっすらと山が見えてきた。もう少しで上陸できそうだ。
水と食料がある安全な場所であるようにと祈り続けた。
散々な目に遭っておきながら都合良いお願いである。
そのまま上陸に成功した。
役目を全うした台座は光を失いその場に倒れた。お疲れ様、と労うように数回叩いてやる。
見渡す限り自然、自然、そして海。
もう海岸を歩く気はない。山の方へ行けば水溜りくらいあるだろう。
「これから水と食料を手に入れるため山へ向かってみようと思います。よろしくお願いしますね」
上陸してもなお肩に乗ったままの蛇に無意味な報告をする。
蛇に話し掛ける自分に恥ずかしさを覚えたが不思議と孤独感は和らいだ気がした。
空腹での登山は想像以上に体力を奪う。
俺はサバイバルの知識を持ち合わせていなかった。
転移前の俺、もうちょっと頑張って欲しかったな。
登れば登るほど木々は不思議な曲がり方をし、見たこともない鮮やかな植物が視界に入るようになった。一際目を引くのがオレンジに無数の赤斑点の入った果実だ。いくつかもぎ取って懐に入れておいたが、原色だらけの派手な実を口に入れる気にはなれなかった。
もっとも、限界を感じた時はこいつが最後の希望となるだろう。
食べられそうな植物を探しながら進んでいると、前方から爆発音のようなものが響き渡った。
微かだが人の声もする。
落ちていた小石を手に、身をかがめながら音のした方向へ急いだ。
切り開かれた広場に複数の人影があった。
騎士と思わしき緑色の鎧を着た人間が、巨大な蟻のような生物に向かって斬りかかる。
しかし蟻はステップで軽くいなし、離れた位置にいる別の蟻が巨大な果物を投げると、地面と接触した瞬間に激しい爆発が起こった。
人間は爆発を鮮やかな身のこなしで回避し、距離を保ちながら次の一手を探っているようだ。
静粛の後、先に動いたのは蟻だ。
数歩後退したかと思うと反転し物凄い速さで木々をかき分けながら暗闇へと消えていった。
撤退を確認した緑色の騎士が「ふぅ」と遠目にいても分かるくらい大きな溜息を吐くと、俺の方に視線を移した。
「そこにいるのは誰ですか」
茂みに隠れていたはずが、光っている蛇のせいで丸見えだった。
だが存在をアピールすることであちらから話しかけてくれたのだ。ここはプラスと捉えよう。
返事に困っていると緑色の騎士がツカツカと歩み寄ってきた。まだ幼さが残るも整った顔立ち、無駄のない所作にスラリと伸びた後髪。お嬢様がそのまま騎士の鎧を着たような出立ちだ。
彼女はチラッと肩の蛇に視線を移すと、急にぱあっと明るい表情に変わり、前屈みになりながら話しかけてきた。
「可愛い蛇ちゃんですね! 何処から来たのですか?」
「ピィ?」
「うんうん、山で迷子になっていたから運転手を拾ったんだ。なるほどね〜〜」
「ピィ!!」
蛇が大きな声で泣くと、俺の視界を覆うように手足をばたつかせるイメージが蛇から送られてきた。
騎士の圧にドン引きしているんだってことは直ぐに理解した。人のパーソナルスペースというものを守ってほしい。
蛇のイメージ攻撃と女性騎士の蛇愛を前に圧倒されそうになるが、このまま独りでいると待っているのは飢えだ。
蛇に釘付けとなっているお嬢様騎士を見かねたのか、別の騎士がコホンと咳払いをする。
状況を察した彼女は照れくさそうに頬を搔く。
話しかけるなら今しかない、俺は勇気を出して口を開いた。
「あの……水と食料を分けて下さいませんか?」
あまりにストレートな要求。だがこの一言で警戒心を解いたのか、奥にいた男性騎士が剣を鞘に収めると、穏やかな表情で話しはじめた。
「大変だったでしょう。外は冷えます。ささ、こちらへどうぞ」
騎士に案内されたのはテントだった。
ここは軍営らしく、山の調査に訪れているとのことだ。
ちなみにこの山はラカワノン山と呼ばれ、周辺地域の住民は滅多に足を踏み入れない神聖な場所らしい。
テントの中には見たこともない道具が大量に散乱していた。
案内してくれた男性騎士とも軽く挨拶を交わした。
彼の名はチエフス・シウガー。調査団隊長に初めて任命されたらしい。
先程会った蛇好きの女性騎士はラリッサというそうだ。
「さっきは驚かせてすまなかったね。ラリッサさんはちょっと変わった人でね、小動物に目がなくていつも暴走してしまうんだ」
「はぁ、そうですか。食料と水、ありがとうございました。調査の邪魔をしては悪い。長居はしませんのでご安心ください」
「君、転移者だよな?」
バレてしまったか。転移者という身分を隠すつもりはなかったとはいえ、この世界の住人が転移者に対しどのような印象を持っているのか知らないのだ。
少なくとも目の前の騎士、チエフスは友好的と言える。この機会に自分の身分について聞いてみるか。
「そうみたいです。転移者の身分のままでは危険だったりしますか?」
「いいやむしろ、多くの地域では歓迎されるよ。転移者はとてもユニークだし国に多大な貢献をした偉大な人物だっている。でも転移者の多くは転移から五日以内に命を落とすと言われてる。ロードネブナンド騎士団は転移者が保護を求めてきたら、任務の途中であっても安全な場所まで送り届ける。それが最優先事項だ」
つまり、俺が保護を求めれば騎士団は任務を放り出さなければならないのか。チエフスは隊長になって初の任務らしいし邪魔するのは悪いな。
と、強がってはみたものの武器も知識も持たない俺がこの先生き残れる保証は何処にもない。
とりあえず朝まで居させて貰おう。今必要なのは睡眠だ。
「疲れたので寝ますね。朝になったら出発しますので皆さんは任務を続けて下さい」
「そうか。無理に引き止めるわけにもいかないしな。じゃあ出掛ける用事があるので失礼する。何かあったら外にいる傭兵のダッパーを頼るといい」
チエフスはそう言い残すとテントから出ていった。
中は散らかっているが奥には仕切りのようなものがあって、ベッドが備え付けられていた。プライベートが保たれているだけ贅沢だ。
だが危機意識が高まっているのかベッドでリラックスする気分にはなれず、壁にもたれ掛かるように座って眠ることにした。蛇も膝の上でだらんとしている。
未だ正体不明だが一緒にいると安心する。これからも宜しくな。
目を瞑って直ぐ、外から大きめの声が漏れ聞こえて来た。一人はチエフスの声だがもう一人は聞き慣れない男性の声だ。さっき言っていたダッパーだろうか?
「英雄気取りはやめておけ」
「お前、それでも傭兵か? 再度襲撃を受ける前に巣を一掃して周辺の安全を確保する」
「忠告はした。後は勝手にしろ」
「へっ、お前も騎士になっていれば向上心というものが理解できたのにな」
「どうせあのお嬢様の前でカッコつけたいだけなんだろう」
「鋭いじゃないか。俺、この調査任務で大活躍してラリッサさんに……告白するのさ」
「泣きながら逃げ帰って来るのが関の山だろ。もういい、お前は昔からそういう奴だったもんな。行ってこい。残党はこっそり片付けといてやる」
「それでこそ友だ。行ってくる」
「ったく、縁起の悪いこと言うなよ……」
足音が遠のいていくと静けさが戻った。チエフスは単独でさっきの蟻を一掃するつもりなのだろうか。
縁起でもないことを言っていたが女性を前にすると意気込んでしまうのはどの世界も一緒らしい。
チエフスの単独行動は不安だったが疲れていたこともありいつの間にか深い眠りについていた。
2024/02/19
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