8
更新は二日後と言ってましたが、書けました。
評価・ブクマ、ありがとうございます。
卒業後、公約通りに領地に戻ったアンナカメリアは、街に降りて情報をかき集めていた。
今、ナーシャ達はどうしているのか、行動の予測がついても、そのタイミングが分からなければ意味
がない。それを推測するための情報を求めていた。
情報を集めるとすれば、王都にいるよりも人の出入りの激しい所の方がいいに決まっている、だったらうちの港が最強ではないかと思いついたのは領地に戻ってからの話だったが。
勿論、貴族間での情報のやりとりも有るだろう。
そこは王都に留まる母に任せる。
社交に出るのが好きな母は、娘が王都から離れる事を渋っていた。
しかし、アンナカメリアが『殿下にお会いできないのなら、何処にいても変わりはありませんから』と言うと、憐れみを込めた目で領地に帰るのを許してくれた。
娘の置かれている状況は、日に日に悪くなっていく一方だと母も理解してくれたのだろう。
本来なら卒業後は、正式な婚約者として、ベルナールに連れ添い、外交をする予定だった。
それが、こうして一人で過ごしているのだ。
公式発表は未だに病床に伏している、との事だが、既に貴族の間で噂は流れ始めている。
曰わく、
・殿下は婚約者を捨てて、国を出た。
・殿下は秘めたる恋を捨てられず恋人と共に駆け落ちした。
・いや、恋人を殺してしまった為に、精神を病み表に出れなくなったのでは。
・アンナカメリアが殿下の恋人を殺したから許せなかったのではないか。
皆、好き勝手に大声で話しているが、一体どこまで尾鰭が付くのか、高みの見物をくくっているところである。
一応領地からは毎日、ベルナール宛に手紙を送り、噂など知らないという体で健気な様子を装っているが、読まれないと解っていながら書く手紙は一週間で既に飽き始めていた。
『本当は、知っているのです。貴方はこの国にいらっしゃらないのでしょう?
ジャンカルロと二人で遠くの国にいらっしゃる。
恋人と二人で生きていたいというならば、もう私を捨てて下さいまし。
それならば、私も諦められるというのに、私の殿下の婚約者という身分がまだ、貴方への恋心を捨て切れません』
検閲されるのを前提に、こんな文章を延々と、何故返事を書いてくれないのかとか、筆を持つ力もない程病状が悪化しているのか、などといったレパートリーを加えて続けている。
正直、書いていて頭が痛くなってくるので、いい加減王家から何らかのアクションが欲しい所だ。
手紙を書き終えれば、供を連れて港に出る。
海軍大将の父に代わり、次兄が治めているエストレイア領は、海に面する巨大な港を二つ抱えている。
一つはエスメラルダ軍港。もう一つは多くの商人が訪れる海の玄関口としても有名なアレキサンドリア港だ。軍港は流石に大将の娘であっても立ち入ることは出来ない。
アレキサンドリア港で行き交う人々の話に耳を傾けながら、散策をするのが日課となっていた。
欲しいのはサジェの商人シレール家と、ノルゼンの王党派の貴族の情報だ。
海賊の情報は、今耳にしても手遅れになる可能性の方が高い。
ならば、ハイグラム皇国で奴隷にされた二人を早急に保護し、さっさとノルゼンに引き渡した方が時間のロスを無くせる筈だ。
ノルゼンに行った後は、二人でなんとかして欲しいという他力本願なところも否めないが、原作に絡もうとしても所詮は悪役令嬢なのだ。下手に手を出して要らぬ波風を立てようとは思わない。
特に第四部のノルゼン編では、アンナカメリアはハイグラムとノルゼン軍部との橋渡し役として登場する。
ノルゼンでクーデターを成功させる為だ。
その時点でナーシャはノルゼン王家の血を引いているとアンナカメリアは知っており、もう王族全部皆殺しすれば良いじゃないか、とか言っちゃう。我ながら恋する乙女は恐ろしい。
とりあえずの目標はノルゼンの王党派の誰かと渡りをつけること、シレール家から二人を買い取る方法を見つけること。
そのために、人の多い市場にも出向くのは間違いではないだろう。
一部柄の悪い者もいるが、その点は護衛と侍女が付いているから大丈夫のはずだ。
市場の活気は何度見ても飽きない上に、見ている方も元気になってくるのが不思議だ。
色とりどりのフルーツ。香ばしい匂いをさせた串焼き。砂糖菓子を売っている店や、搾りたてのジュースを売る店もある。
そして、食料品を扱う市場の中心部から離れたら、異国の雑貨や布を扱う出店が立ち並ぶ区画に入る。
彩色豊かな硝子で彩られたランプが所狭しと釣られ、ランドルでは見ない鮮やかな色で模様が書かれているタイルや食器。首の細い香水瓶。滑らかな毛織りの絨毯や、極彩色に染められているシルクの布。
アイテムを見ている限り、中東系の店に割り当てられた区画らしいが、良い物が売ってあるというのに客の気配は余りない。
もっと奥の方まで見に行こうとした所で、侍女が声を掛けてきた。
「お嬢様、こちらの方はあまり行かない方が……」
侍女は怯えた様子で周囲を見る。
確かにここの辺りは、ランドルに住み着いた者達の為の物が売っているようで、数少ない客もランドル人ではない。
むしろランドル人のアンナカメリア達の方が浮いており、店の売り子達から不躾な視線を浴びていた。
「気にすることはありません。私達は買い物に来ているだけだもの。護衛も付いているのですから、身の危険なんてないでしょう?」
揚げ足を取るために行動を逐一監視する視線なんて、城で嫌と言う程浴びてきた。
今の視線達は単に警戒しているだけで、危害も精神的苦痛も与えようという意思は感じられない。
ならば、楽しんだ方が勝ちだ。
アンナカメリアは丁度目に付いたガラスのティーカップを手に取った。
飲み口周辺は透明だが、下に行くにつれて赤色が濃く彩色されている。下部縁取るように薔薇型の透かし彫りされた金属がはめ込まれ、その一部を伸ばすようにして取っ手が作られていた。
見事な細工に惚れ惚れとする。
「あら、ほらご覧なさい。こんなに綺麗なガラスのカップなんて私初めて見ましたわ。これでお茶を飲むと楽しそうね。取っ手は金なのかしら、上手くはめ込まれていること」
侍女に見せると、反応に困った顔をされた。
感性が合わないのなら仕方ない。と売り子の方に顔を向けた。
アクアブルーのサリーに似た服を着て、頭から薄いベールを被っている売り子のおばさんに向かって声を掛ける。
「あなた、このカップには違う色のものがありませんの? もしもあるのなら、見てみたいのだけども」
おばさんも戸惑っているのは何故だ。
「あなたランドル語はお分かり?」
困ったように首を振られる。
では、と他の異国語を話してみるが、ボーラン語、ノルゼン語、ハイグラム語、全て全滅。勉強不足を痛感した。
しかしおばさんもおばさんだ。ここはランドルだと言うのに、生まれ故郷の言葉しか話せないのは商売人として、致命的ではないだろうか。
良い年したおばさんに泣きそうな顔をされるのは、こっちも悲しくなってくる。最終的にはボディランゲージに頼りだ。
「これを、五個、お値段は?」
おばさんは木箱の中から、同じ色のカップを五個出して、黒板に300000と書いた。
違う色、というのを体で表現するのは諦めた。綺麗なカップだから、贈答用にも使えるだろう。
それよりも、五個で金貨三十枚はアンナカメリアからしてみても端金とは言えない金額だ。明らかにぼったくられている。
黒板の数字に斜線を入れ、100000と書く。
27000に書き変えられた。
150000、とアンナカメリア。
250000、とおばさんは首を振る。
170000、と顔をしかめるが。
230000、と首を振られる
180000、もう譲れない。
220000、と困ったように眉を下げられた。
180000、ともう一度。
200000、……よろしい。
数字をすり合わせて、金貨十枚分を値切る。一つ金貨4枚なら、納得の値段だ。初めての値切りにしては上々ではないだろうか。
侍女に預けていた財布を開き、金貨二十枚を渡すと、目を見開いて早口で何かまくし立てられた。
「え、何、どうしたと言うの。それよりも早く、カップを包んで貰いたいのだけど?」
怒っている様子ではないが、おばさんの勢いが怖い。
おばさんの勢いに気色ばんだ護衛が前に出ると、おばさんは笑顔で、中身の入った木箱ごと護衛に渡した。
「は?」
混乱するアンナカメリア達の背中から、大きな笑い声が聞こえてくる。
振り返ると、頭にターバンを巻いたおじさんが腹を抱えて笑っていた。
「カリファ!」
おばさんがおじさんらしき名前を叫び、聞き取れない言葉で怒っている。
おじさんはおばさんの怒りを笑いながらいなし、アンナカメリア達に話しかけてきた。
「申し訳ない、お嬢さん。こいつはうちの国の感覚で値段交渉をしていたようでね。思った以上の金貨が貰えて嬉しいやら、申し訳ないやらでおまけを付けたかったのに、言葉が通じないからとそこの兄さんに、無理やり渡そうとしていた所なのさ」
なる程。貨幣価値は国によっては随分と変わってくる。
「実際の価値はどれくらいなのかしら?」
「そうさなぁ、カップ五個だろう? ランドル金貨なら運搬費や関税合わせて…八枚か…いや、十枚だな」
おじさんの目つきは、アンナカメリアを試しているようだった。実際には五個で金貨五枚位が妥当ぐらいなのだろう。
しかし先程二十枚をぽんと支払った所を目撃されている。ここでくどくどと文句を言っても、貴族様が今更何を、という話だ。
「そう。なら金貨十五枚分で同じ模様のお皿はあるかしら。前菜を載せれば涼しそうで華やかな」
おじさんは片眉を上げた。
「金を上乗せして買い物してくれるのかい?」
「いいえ、私は正当な対価をお支払いしたいだけよ。私、このカップが気に入りましたの。本当なら色違いのカップで揃えたティーセットが欲しかったのだけど、赤のカップしかないのなら我慢しますわ。その我慢の対価を入れれば妥当なお値段になりますでしょう?」
そう微笑みを浮かべれば、おじさんは喜色満面の笑みを浮かべて「こりゃ参った」と口にする。
「貴族様にうちの商品を気に入られたのも、値切られたのも初めてだ」
そう言って、奥に詰まれている木箱の中身を漁り始めた。色々な皿を取り出しては戻し、取り出しては戻しを繰り返して、両手を伸ばして少し指が出るぐらいの大きさの分厚い硝子皿を取り出してきた。
その中には青色の硝子が曲線を描いている。川の流れを表現しているのだろう。
シンプルだからこそ、盛り付けの技量が試される皿となっている。
料理長に見せれば、前菜以外での使い道を考案してくれるかもしれない。
「これを五枚」
「それと、色違いのカップだな」
「ええそうよ」
赤、青、紫、緑、黄の五つのティーカップセットが揃う。
「ソーサーがあったの」
「うちの国じゃ、ソーサーは使わないが、こっちに合わせて作ってみたんだ」
市に出ても誰も見向きはしなかったがね、と呟く声は少し暗い色をしていたが、気付かないふりをする。
「勿体ないわね。こんなに見事な細工なのに」
「たまにお嬢さんみたいな上等な人が来るから、この商売は辞められん」
おばさんも手伝って丁寧に梱包し、木箱に詰められたそれを護衛に渡す。
流石にカップとソーサーのセットを五つと皿を五枚は令嬢と侍女の細腕では持てない。
今日の散策はこれで終わりにし、購入した品物を部屋で楽しもう。それと、今日という日を楽しませてくれたお礼に、店主に声を掛ける。
「私の名前はアンナカメリア・エストレイア。あの丘の上の館に住んでいますの。今度先触れを出していただけたら、おもてなし致しますわ」
名前を聞いた時のおじさんの顔はこれ以上無いほど呆気に取られていた。
おじさんの名前はカリファ・モハード、おばさんの名前はマニラと言うらしい。
サジェの商家で、シレール家とは商売敵の関係にあるとか。
ハイグラムに進出したシレール家に対抗し、ノルゼン、ボーラン、ランドルと大陸を順に販路を伸ばそうとしているが、異なる宗教文化の中ではなかなか順調に行かないようだ。
特に保守的なランドルでは、商いをする場所にも当初苦心をし、ようやく店が開けたと思っても客が来ない。そろそろ撤退しようかと思っていた所に、アンナカメリアがやってきた、という話である。
「ご苦労なされているのね」
「ノルゼンじゃ、案外すっと受け入れられましたから、調子に乗った訳ですな。ボーランでも多少の苦労は有りましたが、ここ程酷くはなかった。しかし、お嬢様にお会い出来たのが一番の収穫です。なんせランドルの為替はサジェの十倍だ。ここでサジェの商品を流通出来れば、あのシレールも目じゃない稼ぎが期待出来ますからな」
汚れ一つない白の民族衣装に身を包んだカリファは、緊張しているのか言葉数が多い。余計な事まで口にしているに気が付いていないのだろうか。
鮮やかな緑のサリーみたいな衣装に同じ色のベールを頭から被っているマニラは言葉が分からないのもあるのか、ガチガチに緊張している。
果汁を混ぜた砂糖水を進めるが、口を付けるのも恐る恐るといった体だ。
マニラの様子を気遣いながらも、先程カリファの口から出た言葉に注目する。
「ノルゼンに顧客がいらっしゃるの」
「ええ、何人かは御贔屓にさせて頂いておりますよ」
「貴方と同じく商家の方?」
「良い取引先も有りますが、有り難いことに貴族の方々からも直接ご指名頂いております」
「まぁ、ノルゼンには私よりも先にサジェの品物の虜になられている方が大勢いらっしゃるのね」
因みにどんな物を? と尋ねると、カリファに耳打ちされたマニラからカタログを差し出された。
長毛の絨毯、紅茶の茶葉、煙草にスパイス、南国のドライフルーツ、カシミアのストール等、北国であるノルゼンの貴族が欲しがる物だとよくわかる。
サジェなら宝石も有名だと勝手に思っていたのだが、それはカタログには載って居なかった。原石は商家専用に卸しているのかもしれない。
ノルゼン貴族に接触する機会をモハード家を通じて得ようと思うが、需要が被るのが紅茶とストール位か。
理想としてはノルゼン貴族の誰かが買う予定の物を先に購入し、抗議されるのを待つつもりであったが、これは少し厳しいかもしれない。
カリファの目が気になるので、頭を切り替え話を進める。
「これを用意してきた、という事は、ボーラン用のカタログもあるでしょう。そちらも見せていただける?」
こちらはノルゼン用のアイテムに加えて、硝子製品やシルクや麻の織物も加えられていた。貴金属系はやはりない。
「ボーランのカタログに、女性向けのアイテムをもう少し増やせないかしら」
「でしたら香油はどうでしょう」
「香油?」
「マッサージで使用する油です。ゴマの油に数滴混ぜ、全身をマッサージします。それをすると数才若返りますよ」
アーユルヴェーダか。それはとても興味のある代物だ。マッサージという概念のないこの国で、受け入れられたら爆発的なヒットを誇るはず。
「それは試してみたいわ。次に来るときにお持ちなさい。色々な香りが有るのでしょう。けれど、油だけを販売するのでは、用途が分からないと思うわ。いっそのこと、一度マッサージ専門店を立ち上げるのはどうかしら」
「専門店、ですか」
乗り気のアンナカメリアに反してカリファの反応は思わしくない。設備投資の面を気にしているのだろうか。
「出張形態にすれば良いのよ。全身をマッサージするということは寝台が必要ね。婦女子の寝室に入るのは憚られるけれど、どこの家でも余り部屋がある筈。そこで組み立て式の寝台を持って行き、施術をするのはいかが」
ふむ、とカリファも身を乗り出してきた。
「そうすれば、エストレイア領だけでなく、様々な領にも足を運べる……ついでに、うちの商品を勧めることも出来る、と」
「ええ、そうよ。マッサージを施術出来る者は?」
「おります。ですが、言葉の方が少々……」
「ああ……」
カリファの妻マニラですら、ランドル語を話せないという現状だ。アーユルヴェーダを広めようとしても、必要最低限のランドル語は、話せないと話にならない。
「しばらくは私専門のマッサージにしてもらうほかないかしら……」
カリファに多大な恩を売って、シレール家から奴隷となったナーシャ達を買い取る取り次ぎをして貰おうか、とも考えていたのに、早くも頓挫しているではないか。
二兎を追う者は、一兎得ずとよく言ったものだ。
「商売というものは、地道に信用を得ていくものですからな。もう少しこの国で腰を据えてやっていきたいと思っております」
残念がるアンナカメリアに、カリファは慰めの言葉を掛ける。
「お嬢様にこうも期待を掛けられては、頑張らねばなりますまい」
カリファの考えている事とは違う事で残念がっているのだ。
笑顔を見せるカリファに対し、逆に申し訳なくなってくる。
せめてもの気持ちとして、シルクの反物を買うことぐらいしか、アンナカメリアには出来なかった。




