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※死体描写注意
ヘンドリックに連れてこられたのは死臭漂う冷ややかな地下安置室だった。
どのような防腐処理を施されているのか解らないが、一週間経ってもまるで眠っているかのように、瞼を閉じているジャンカルロ。
ナーシャと同じ艶やかな銀髪、ナーシャと同じ位の身長、瞳の色もきっと同じ空のように蒼い瞳だったのだろう。しかし、学園にいたナーシャ扮するジャンカルロと同じ者か、と問われれば即座に違うと答えられる。
どれほど顔に死化粧は施されていても、頬は痩け、目元は窪み、肌には蕁麻疹の跡か青白い肌に点々と黒い斑点として残っている。流石に病死といえども、一週間でここまで急変するとは考えにくい。
「葬儀は蓋を閉めたままで行うので、中に入っている者の容姿なんて分からないですが、どこで誰が、何を言うかは分かりません。ならば事情を知る貴女に来てもらうのが一番手っ取り早い」
「そうですね……」
そういえば、本来ならば身内だけしか入れないはずの安置室に入っても、大丈夫だったのだろうか。
今更ながらの質問をぶつけると、大丈夫ですとの返答があった。
「喪主は父ですが、家内の取り仕切りは僕に任せられていますので」
「え」
葬儀屋への発注、弔問客の選別、新聞に載せる死亡通知の作成、葬列のルート決め、人手の手配、使用人の配置決め、教会への寄進等。本来ならば、当主夫妻が行う筈のものを、変声期も終えていない子供が取り仕切ったというのか。その異常性に目を見張る。
「お母様は、どうなされたのです。貴方の年の子供がなすべき仕事ではないでしょう」
「母は、ジャンカルロが亡くなってから部屋に籠もってばかりで、姿を見ていませんね。愛する息子が死んだことに耐えられないのでしょう」
「……」
他人事のように言う姿に、言葉が出ない。
両親がヘンドリックに愛情を注いでいないのは、原作で知っていたが、知識として知るのと、実感して理解するのはまた別の話だ。
使用人がフォローしているとはいえ、これは明らかな虐待ではないか。
「貴方は大丈夫ですか?」
その問いの意味が判別出来ないようで、ヘンドリックは首を傾げて「何がです?」と問い返す。
その顔が、何故そんな事を突然聞かれたのか分からない、と言っていて、ぐっと喉が詰まった。
この家の異常性を異常と知らないままに、育った子供。
この家はおかしい、と言う事は簡単だ。しかし、その異常さを改善できる術があるのか、と聞かれればそんなものはない。偽善者の自己満足にしか過ぎないものを、アンナカメリアが手出し出来る筈もない。
「……なんでも、ありませんわ」
「そうですか。ではそろそろ移動しましょう。大人達がやってきます」
自然と手を差し出され、その上に自らの掌を乗せていた。まだ子供と言っても差し支えない筈の少年の手は、やけに冷たかった。
まずい、まだ出会って二回目だ。
だというのに、ヘンドリックの置かれている状況や、それをなんとも思わない彼を、憐れに思い始めているのを自覚する。
前世での記憶が尾を引いているのかもしれない。平和な日本で暮らしていた頃には『そういう過去を持つ人もいる』という認識で、実際にその現場に居合わせた事がなかった。
だから、余計に心を配ってしまうのだろう。
ヘンドリックがこの物語の悪役で、アンナカメリアが近付けば身の破滅が待っていると分かっているのに。
彼は、兄のジャンカルロを殺し、ナーシャの命を狙う張本人だというのに。
そう言えば……何故、彼はジャンカルロを殺したのだろうか。いや、彼は本当に殺したのだろうか。
今のイグレシアス家の状態や、それを他人事のように見ていたヘンドリックに、兄を殺す動機が見えないのだ。
アンナカメリアは探偵になりたいわけではない。探偵役をするほど観察力があるでなし、推理に必要な閃きや、その元となる教養も貴族的なものと、前世の知識に偏っている。
あの遺体の症状では毒なのか、本当に病だったのか、判別がつかない。
判ることはそれだけ。
あとはこの少年が、殺人を犯したとアンナカメリアが信じたくないだけのこと。
聖堂での葬儀が始まりから終わるまで、イグレシアス伯の隣に立ち続けるヘンドリックの後ろ姿を見続けていた。
葬儀はつつがなく終わり、葬列の準備を行っている間にヘンドリックがアンナカメリアに声をかけてくる。
「何か気になることでもありましたか?」
「どうしてそう思われますの」
「貴女、ずっと僕を見ていたでしょう」
何故ばれた。式の最中、彼はずっと前を向いていたし、気が付いていないものだとばかり思っていたのに。
それ程熱心に見つめていたと言われているような気がして「知り合いが貴方しかいらっしゃらないものですから」と苦し紛れの返答をすると、目を細めて口端を上げられた。
張り付いた笑顔というのは女装している時よりも、男装している時の方が迫力がある。
気圧されているのを気取られない様に、眉を潜めて「どうかされました?」と尋ねると、「いえ、何も」と応えられたが、何もないという顔じゃない。
何を考えているのか、少しぐらい面に出せば可愛げがあるというのに。
「左様ですか。それでは私はこれで失礼致しますわ」
ここから先は主に身内で行われる儀式であり、ただの同級生であるアンナカメリアには用のないものだ。
もうさっさと撤退しよう。これ以上彼には関わらないでおこう。
ジャンカルロの死因も、殺害した犯人も全て藪の中でいいのだ。過ぎたことに固執するより、これから先の事を考えていかなければならない。
具体的にはナーシャとベルナールが安全にノルゼンに到着し、ナーシャが王族と認められる為の布石を、だ。
その方がアンナカメリアの身のためにも、心の為にもなる。
ナーシャ達が隣国ボーランに行ってそろそろ二週間。ナーシャが母の形見としてずっと首から下げていた指輪は細工したものであり、中にはシグネットリングがはめ込まれていた。その紋章がノルゼン王家の流れを組んだものだと判明する頃か。
産みの母の正体が知りたい、と言うナーシャ。ナーシャ一人では心配だからとベルナールもついて行くことが決まり、ノルゼンに向かって旅立つ準備に差し掛かっているはず。
「もう帰られるのですか?」
その思考を、余裕のない声が遮った。一瞬誰が発した声なのかと疑ってしまうほど。
「ええ……葬列はお身内の方とジャンカルロと親しい方でされるものでしょう? 身内でもない、彼と親しくもない私が列席するのは筋違いでしょうに」
その様子に戸惑いながらも答えれば、畳みかける様に、彼が言う。
「彼と親しい友人は一人も居ませんでした。貴女が学園からの代表者ですから、貴女が居なければ彼は友の一人もいない事になる」
ヘンドリックの言い分は理解できる。しかし、付き合う義理はアンナカメリアには無いはずだ。
けれど、
「お願いします」
縋るようなその瞳は、拒否を言い出しにくくさせる。
結局、葬列まで付き合い、その後参列の礼として晩餐を共にし、イグレシアス家に泊まるという淑女としてあるまじき無計画な行動を取ることになった。




