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主人公が男装した少女なら、悪役は女装した少年もありうるだなんて、一体誰が想像しただろう。
というよりも、まさか接触を図ってくるだなんて。
初対面がジャンカルロの葬儀だと思い込んでいたせいで、完全に油断していた。
原作を読んでいるのだから、外見で気付くポイントがあったのではないかと思うが、先程までは違和感があったにしろ、令嬢にしか見えなかったのだ。
驚きが勝って声が出ないアンナカメリアの様子に、ヘンドリックは満足そうに目をすがめ、話を本題に戻す。
「エストレイア様、教えてはいただけませんか?」
「この国から出て行きなさい、と申し上げました」
ヘンドリックの言葉に我に返ったアンナカメリアは簡潔に答える。嘘は言っていない。
その後の台詞はでっち上げだが、嘘は真実が一割混じっている方が信憑性が増すという話だ。
「男同士の恋愛はこの国では認められてはいません。卒業すれば、すぐに私達は結婚する手筈でしたから。殿下も焦ったのではないでしょうか」
「貴女は認めていらっしゃったんですね。殿下とジャンカルロの恋を」
「ええ、認めたくはありませんでしたけれど」
意外だと片眉を上げるヘンドリックに、アンナカメリアは目を伏せた。
「二人が口付けを交わすのを見てしまったからには認める他ないと思いましたわ。男と口付けた唇に私も唇を合わせなければならないなんて、こちらも願い下げですから」
吐き捨てるように告げる。
これでヘンドリックを言いくるめられたら良いのだが、反応が伺いしれないのが怖い。
「そうですか……ご存知でしたか? 殿下と共に学園生活を送っていたジャンカルロは女だったのです」
「今、何と仰いました?」
ヘンドリックが軽いジャブを打ってきた。
よく聞き取れず、聞き返しただけなのだが、ヘンドリックには理想的な反応だったようだ。
「殿下は男色ではなく、ちゃんと女性を性対象として見ていたのですよ」
うん、知っている。
しかし、その反応は決して顔に出してはいけない。ため息と共に「そうですか」と声を吐き出す。
「私には殿下を引き止める魅力がなかったのでしょうね」
「それだけですか?」
「元から私があの方のお心を支配するなんて、どだい無理な話だったのです。あの方にとっては、私は取るに足らない者だったのでしょう。あの日、嫌というほど泣きましたから。もういいのです」
思い出すと、今でも胸がじくじくと痛みだす。
この痛みはアンナカメリアだけが触れて良いものだ。
他の者に晒して、何の得ににもならない傷は『もういい』と言う他無いのだ。
ヘンドリックが無言になった。これは言いくるめ成功なのではないだろうか。
予鈴の鐘が鳴った。アンナカメリアは勝利を確信した。
「時間ですね。もうよろしいかしら。私も次の授業が有りますので」
次の授業といっても、もう卒業式までの消化時間だ。授業らしい授業はなく、アンナカメリアも図書館に籠もり、今までの歴史の復習をさらっているのだから、まだ話そうと思えば時間はある。
「ええ、本日はありがとうございました」
大人しく引き下がったという事は、ヘンドリックはこの学園のシステムを知らない年齢なのか、それとも、アンナカメリアに譲ってくれたのか、判別は出来ない。しかし、今が離脱のチャンスには変わりない。
ヘンドリックは鬘を付け直し、手櫛で整える。髪の毛が長くなるだけで令嬢に見えるのはやはり不思議な感覚がした。
少し向きが傾いていたので、苦笑しながらポケットに入っていた小さな手鏡を差し出すと、驚いた顔をされる。
「差し上げますわ。寮に戻ればいくらでも有りますもの」
「ありがとうございます……」
戸惑いながらも受け取る様子は、何となく人に慣れていない野生動物に歩み寄れたという気持ちにさせる。
いやいや、もしかすると悪役でも可愛らしいところがある、そう思わせるのが彼の作戦なのかもしれない。
「いえ、頂いたお礼をせねばなりません。よろしければ兄の葬儀にいらして下さい」
律儀だと思うか、それとも罠だと思うか。
アンナカメリアが思うのは、断然後者だ。にっこりと笑って、はっきりと断る。
「私と彼には接点がありません。行く義理などありませんわ」
「では、今お聞きしてもよろしいですか?」
何がでは、なのか。やはり罠の方だった。
正直なところ、聞かれたくない事ばかりなので、聞いて欲しくないのだが、そんなアンナカメリアの心情も知らず、ヘンドリックは口を開いた。
「何故貴女は、二人が失踪した日にジャンカルロが死亡した事を知っているのです?」
まさかそんな所を指摘されるとは思わず、アンナカメリアの笑顔が固まる。
「貴女は、兄が死亡した日について、何度も矛盾しているはずの日付を僕が口にしていたというのに、疑問を挟む事はありませんでした。イグレシアス家にスパイを放たれていた、という可能性もありますが、そこまで殿下に執着しているのなら、卒業間近を待たずとも、学園にいるジャンカルロが身代わりであったと暴露していたでしょう」
前世の感覚を思い出した身には、十歳以上年下の子供から、理詰めで追い詰められるのは、かなり精神的にくるものがある。
それだけアンナカメリアの詰めが甘かったというのを目の前で見せつけられるのは、本当に、キツい。
しかし、アンナカメリアの心情を知らないヘンドリックは容赦なく言葉を畳み掛けてくる。
「けれど、貴女を見ている限りスパイの可能性も無さそうだ。なら何故?」
言えない。それはとてもじゃないが言えない。
しかし、ヘンドリック相手には何を言っても誤魔化せないだろう。
「それは、言えません」
アンナカメリアは、正直に答えた。
「私はまだ死にたくありませんから」
その一言は余計だったかもしれない。
しかし、ヘンドリックはその言葉によって、第三者が介入している可能性を勝手に思い浮かべてくれた。
小さな声でブツブツと何人かの名前を呼んでいる。呟いているのはイグレシアス家に敵対する家か、それとも親戚か。
兎に角ヘンドリックの思考の中にアンナカメリアが占める割合は先程のブラフで大幅に減少しているようだ。
この隙に、脱出しなければ。
「あの、もうよろしくて?」
「……ありがとうございました。ではまた葬儀でお会いしましょう」
釈然としない顔だが、アンナカメリアを解放する事に決めたようだ。
アンナカメリアがジャンカルロの葬儀に行くのは決定事項のようになっているのが腑に落ちないが、この場を去ることを優先したアンナカメリアはただ別れの挨拶を告げるだけに留めた。
そして、翌日。
学年代表であるベルナールの代理として、ジャンカルロ・イグレシアスの葬儀に参列してくれないか、と王家からの『お願い』に頭を抱える羽目になる。
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