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評価・ブクマ、ありがとうございます。
この世界は『覚醒の少女』という少女小説の世界だ。
アンナカメリアの前世が中学生の時に第一巻が発売され、十三年の時と複数のレーベルを経て、ようやく完結した物語だった。
今夜のシーンは第一部のクライマックス近くにあたる。
ベルナールとナーシャのキスシーンを目撃したアンナカメリアは、ベルナールの裏切りを詰り、ナーシャを謗る。
普段は大人しいアンナカメリアの態度が豹変した事にショックを受けたナーシャは一人で寮に戻り、イグレシアス家の手により誘拐されるのだ。
誘拐された事に気が付いたベルナールは、ナーシャが殺害される寸前で救出に成功し、そのまま隣国ボーランへ出奔する、という流れで第一部が終わる。
アンナカメリアは二人が駆け落ちしたという知らせをジャンカルロの弟、ヘンドリックから受け、学園にいたジャンカルロが少女だったと彼の口から知らされる。
男色であればまだ諦めもついたというのに、同じ性別である女に寝取られたという事実は、彼女を病的思考に陥らせた。
そしてヘンドリックに唆され、ナーシャを亡き者にすれば、ベルナールは戻ってくる、と思い込み、ナーシャを殺す事に躍起になっていく。
そして何度も殺害の手を伸ばすが、ナーシャの運命力には打ち勝てず、ノルゼンの王族としてベルナールと共にランドルに戻ってきたナーシャを手掛けようとして、ベルナールに返り討ちにあうのだ。
前世の記憶を取り戻したアンナカメリアには、そんな死はとても受け入れられない。
若さ故の思い込みの激しさというのもあるのだろうが、愛故に狂い、殺意を持って返り討ちにあうだなんて、痛々しすぎる。
心ゆくまで泣いて、気持ちを切り替えた後は、誰にも見られないように気を配りながら寮の自室へと戻り、寝支度を整えた。
ランプの明かりを最小限まで落とし、今後の流れに備えなるために記憶している事をまとめようとしたが、ペンは一向に動かない。
なんせ十三年続いたシリーズだ。印象的なシーンは覚えていても、細かい所まではろくに覚えていない。時系列ですらあやふやだ。
今夜のシーンは第一部のクライマックス近くだったからこそ覚えていただけの話であって、後は大まかすぎる。
よくある異世界転生ものでは乙女ゲームの時系列を事細かに覚えて、イベントをノートに書き起こすヒロインの描写があるが、実際その立場に立ってみると素直に感心するしかない。よく覚えているな、と。
一応原作の中では成歴何年という記載があったはずだが、読者にとって重要なのはストーリーであって、年表なんぞ覚えていられないし、読んだ記憶も曖昧になっているのが現状だ。
レーベルが変わった後は表紙すら抽象的なデザインとなり、キャラのイメージを掴むのが難しかった。
どれだけ作中時間が経過していようが、脳内に現れるのは初期の挿絵のキャラ達で、彼らは皆十代のイメージなのだ。
第四部の終盤ではいつの間にか隣国ボーランの王子には子供が出来ていたし、後に登場する砂漠の国サジェの商人の子供は、初登場時は十二才の子供だったのに最終的には成人して嫁を娶っていた。
ランドルでは成人年齢は十八才。サジェならもう少し早いかもしれないが、二人がその子に出会うまでどれ程の月日が経っていたのかは知らない。
目標は原作の終わりまで生き延びる事だが、はたして何年耐えればいいのか気が遠くなる。
とりあえず、覚えている次のターニングポイントは、ヘンドリックとの初対面。
これがアンナカメリアの生死を分けると言っても過言ではない。
ヘンドリック・イグレシアスはジャンカルロの弟だ。
年齢はそれ程離れてなかったと思う。
体が弱い兄にはずっと母が付いていたが、彼には愛してくれる肉親が誰も居なかった。
父であるイグレシアス伯はジャンカルロを見限っており、ヘンドリックを正式な後継者として教育を施していたが、それだけだった。
伯爵本人は子供達に関わるどころか、本宅にも帰らず、愛人の所に入り浸っているというのは社交界でも公然の秘密となっている。
イグレシアス夫人は、下の子を贔屓する伯爵に反発し、ジャンカルロを後継者として認めさせるべく、ジャンカルロに瓜二つの健康体である平民のナーシャを攫い、身代わりとして学園に通わせた。
親元から離され、ジャンカルロとしての教育を無理やり受けさせられた孤独なナーシャにとって、イグレシアス家での理解者は、親からの愛情を受けていなかったヘンドリックであるのは覚えてる。
そして、主人公にとって良き理解者に見えるキャラが悪役である、というのも定番の展開だ。
ジャンカルロを殺したのはヘンドリックで、ナーシャを消そうとするのもヘンドリック。
アンナカメリアを狂わせるのもヘンドリックだ。
ネームド以外の死体も数多く作り上げていた原作の彼と、今の彼はほぼ変わらない性格をしているだろう。
とにかく彼とは接点を持たないのが最善だ。
確かジャンカルロの葬儀の時に声を掛けられる。そこで、ナーシャの秘密などを暴露されるのだが……。
別に婚約者が親しくしていた同級生という知人以外の何者でもない間柄で、葬儀に行く必要は無いのではないか? とアンナカメリアに天啓が降りた。
「そうだわ。行かなければいい」
そうすれば、もうヘンドリックとの出会いイベントも無くなるだろう。そしてヘンドリックが喪中で動けない間に、アンナカメリアも学園を卒業する。
そして、全てが終わるまで領地に引きこもっておけば完璧なのでは。
随分と穴のあいた大雑把な計画だったが、その時はそれが最善だと思い込んでいた。
アンナカメリアの恋敵とも言える存在の葬儀に、原作の彼女が何故出向いたのか。
そんな疑問を浮かび上がらせる暇も無い程、失恋した夜は思考を狂わせていたのだ。




