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イグレシアス伯が玉座に向かって発言の許可を取る。申請は受理され、イグレシアス伯は席から立ち上がり、両側の席に座る面々の視線と一人一人合わせながら、朗々とした声を出した。
「お集まりの皆様、本日我々が御前に参上した本来の目的は、第三王子であらせられるベルナール殿下と、ここにいらっしゃるアンナカメリア・エストレイア嬢との婚約解消についての議論を交わすためであり、一人の女性を大罪人に貶める為ではない、と言うことをご理解頂きたい。王族の婚儀に関しては議会の承認を得るたけの会議であります。言い争う、ましてや成人したてのか弱い女性を陛下に讒言する場ではありません。それはご理解頂けますでしょうか」
会議場に響き渡る声。これが劇場なら、イグレシアス伯は看板役者の座を欲しいままにしていただろう。
しかし、相手はイケメンにコロッと靡くような若い婦女子ではなく、渋面の蛙達。
口々に「ふざけているのかイグレシアス伯」だとか「婚約解消ではなく、婚約破棄についての議論を交わすべきだ」等と言った声が上がる。
喧騒が収まらない中、イグレシアス伯の声の良さ似も負けない「確かに」という低く重厚な声が場を支配した。
「この議会の議題はベルナール殿下の婚約関係の見直しについて、という話だったな」
神経質な顔に見合わず、深い声を出すクンツァイト大公は厳しい視線をアンナカメリアに投げかけると「しかし、それは婚約破棄か婚約解消かで随分と話は変わってくる。エストレイア嬢の様子を見る限り、破棄としても問題は無いようだが?」とイグレシアス伯に問いかける。
先程のイグレシアス伯に遮られた言葉の先を知っているかの様な台詞に、アンナカメリアは息を止める。イグレシアス伯はクンツァイト大公の視線を受けても、肩を竦めるだけだった。
「別に、破棄ではなくとも、解消で十分でしょう。お二方の婚約が白紙撤回となる事実は変わりない。エストレイア嬢がベルナール殿下に捨てられた、という事実は変わりないのです。エストレイア嬢の精神的苦痛、今後の社交界に降りかかる影響を考えれば、エストレイア嬢には然るべき保証をする義務が王家にはあると思いますが」
ちょっとイグレシアス伯。もう少し婉曲な言い方をして下さい。
確かにアンナカメリアはベルナールに捨てられた。ベルナールはアンナカメリアではなく、ナーシャを選んだ。アンナカメリア自身もベルナールに別れを告げて、見切りをつけたと言っても差し支えは無い。
それでも、本人を目の前にして捨てられたという事実を突きつけられるのは心にナイフを突き立てられるのと同じ事だ。
言った本人は全く持ってアンナカメリアの心の傷に気付かない。悪気がないのが一番質が悪いというのを身をもって知った。
この場に鬼の様な表情でイグレシアス伯を睨む代わりに娘を凝視する父の姿が無ければ、アンナカメリアは狼狽した姿を晒していただろう。
父の視線は有り難いと感じると同時に、いつ爆発するかと考えるだけで恐ろしい。
「それは、ベルナール殿下に愛想を尽かされるエストレイア嬢に問題があったから、こうして議論となるのだが?」
「問題とは? ベルナール殿下を引き留められる程の魅力を持ち合わせて居なかった事についてですか? それとも、エストレイア嬢が婚約者としての責務を果たしていなかったと?」
「両方だ」
クンツァイト大公はともかくとして、イグレシアス伯は、本当にアンナカメリアを弁護する気が有るのだろうか。
「両方? 魅力の件についてはともかく、婚約者の責務と言っても、結婚するまではエストレイア嬢はエストレイア家の子女であり、エストレイア大将の被保護者であるのでは? 寧ろ王家の行事に婚約者であるベルナール殿下を差し置いて、参加する方がおかしいでしょうに」
「病床の身であるベルナール殿下を見舞いに訪れる事もなく、他国の商人に入れあげる令嬢に対し王家が慰謝料を払えと言うのか」
「王城に殿下は居ないと解っているのに、行けというのは酷な事では」
「それでも、国民に対してのパフォーマンスは必要だった」
イグレシアス伯の思わぬ口撃に心が折れそうになっていたが、大公が口を滑らせた事で心を持ち直す。
今現在、ベルナール殿下は病床の身であると言うのが公式の発表だ。行方をくらまし、現在は居場所が掴めていないというのは、秘匿された情報の筈。
だというのに、大公はイグレシアス伯の疑問に対して違和感を持たずに答えた。
王城では既に噂が蔓延していたのだろうか。
それとも、それ以上に『アンナカメリアが悪女である』という事実無根の噂に根を張る自信があるのか。
「今現在の世論では、エストレイア嬢は国を売った悪女と見なされている。そんな女に王家が慰謝料を払い婚約を解消したと報道されてみろ。王家の威信は地に落ち、この階級社会にも綻びが生まれるだろう。我々は数多の民草によって地位が約束されているのだ。それが崩壊するとなれば……答えは貴族に生まれたならば赤子でも解ることだ」
勝ち誇った顔を見せる大公。そういう所は甥のベルナールと悔しい程に似ていると、場違いながら思ってしまった。
アンナカメリアからしたら、程度が知れる稚拙な議論を交わし、会議を行ったという実績だけを振りかざす国など、もう王政を廃止して共和制に移行した方が良いのでは? と思うが、そこは口が裂けても言えやしない。
今は、アンナカメリアが何を言っても不利になるだけなのだ。同じくエストレイア家の代表として参加している父も口をつむぐしかない。弁護はイグレシアス伯に掛かっている。
「エストレイア侯爵令嬢への質問許可を」
クンツァイト大公の勝利宣言を受けてか、大公の配下であるサーウェル伯が挙手をする。ここで一気に畳み掛けようという算段か。髪だけは若々しいぬばたま色をしているが、顔は蛇に似た面構えのサーウェル伯は、当に獲物を前にした蛇の様な笑みを浮かべながら、アンナカメリアへと問う。
「エストレイア嬢、貴女はベルナール殿下の婚約者であるというのに、何故国内の社交に顔を出さず、自領に客人を招き、サジェの商人を引き合わせるという行為を度々繰り返したのでしょうか。他国の商人がスパイだった可能性は考えられなかったのでしょうか」
最前まで何も言えないと思っていたアンナカメリアに対し、サーウェル伯はとどめを刺したくて仕方がないようだ。
「スパイなど、とんでもない。私はただ一個人として彼らと取引をしただけですわ。それに『国内の』社交をとおっしゃるなら、うちで行う茶会や夕食会は社交の価値がないとサーウェル伯はおっしゃるのですね」
「そのような話はしておりませんが」
小娘の発言に怯み、頬をひくつかせるサーウェル伯。所詮は大公の腰巾着でしかない男に対して、こちらは腐っても王子妃教育を受けた身だ。毅然とした態度を貫けば、向こうから勝手に自滅する。
「いいえ、私にはそう聞こえました。先程イグレシアス伯がおっしゃいましたが、ベルナール殿下の名代になるにも、私はまだ、ただの婚約者の身。それこそ越権行為となるでしょう。王都の社交は母が、その他には義姉が出席しております。エストレイア家の顔はこのお二方ですわ。彼女らを差し置いて、パートナーも不在のまま一人で社交に出ればどんな噂が立つか。余計な火種を抱えるよりも、大人しく引きこもっていた方が良いかと思われますが?」
「……そして他国の人間を引き入れたと、いやはや、エストレイア家の手腕は恐ろしい」
下手な挑発だ。むしろ大公派はこの程度の人材しかいないというのか。
「彼らの取り扱う品物を見て、紹介して欲しいとおっしゃった方に取り次いでいるだけです。彼らは純粋に商いに熱意を傾けています。仮に彼等が諜報を行うにしても、夫婦とその奉公人、合わせて十数名の商家に何が出来るとおっしゃるの」
「それでも、呼ばれた先の館の構造ぐらいは調べられるはずです。イグレシアス領の都市構造もすでに調べ尽くされているのでは? 都市構造は戦略的情報価値がある。それを持ち出された可能性は、本当に無いと言い切れますかな」
それは、無いとは言い切れない。
しかし、モハード家の者達の商いに対するプライドは並大抵のものではないはずだ。
「商人は信用が基本です。顧客の情報をおいそれと他人に流すような者と私は懇意になるつもりはありません」
「引きこもりのご令嬢に人を見る目があるとお思いか」
「ええ、人は鏡という言葉も有りますでしょう?」
目を眇めて、サーウェル伯を見やった。端から見れば微笑んでいるようにも見えるだろうが、これはほんの挨拶だ。
勝った、と思った次の瞬間、クンツァイト大公の一言で胃が凍りついた。
「では、奴隷を購入するような令嬢に、相応しい商家であったのだな」