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悪役沼には嵌まりたくない!  作者: 一味芥子
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※ベルナール視点


 旨い飯、広い部屋、柔らかい絨毯。

 肌触りの良い清潔な肌着。スプリングのきいたベッド、軽い毛布。

 チェストには眠気を促すブランデーとチェイサーが置かれており、いつでも飲めるようになっている。


 昨日までは、悪臭にまみれ、小蝿が飛ぶ小屋で寝ていたベルナールの体は、二ヶ月前には当たり前だった環境に慣れないようだ。目が冴えきっており、まだベッドに横たわる気にもなれない。


 ベルナールは一人掛けソファに寄りかかりながら、ブランデーを舐めるように飲んでいた。


 熟成されたブランデーは口に含んだだけで芳醇な香りが鼻に通る。ゆっくりと喉に滑らせれば、喉から鳩尾まで熱くなる感触が心地よい。


「流石、エストレイア家。良い酒持ってるな……」


 グラスを目の高さまで持ち上げ、しみじみと呟くと、ネグリジェに着替え、脱いだサジェの衣装を侍女に渡したナーシャが声を掛けた。


「ベルナールさん、久しぶりのお酒だからって飲みすぎたら駄目ですよ」

「……」


 ナーシャが小言を言うと、いつも一言二言を言い返すベルナールだが、反応する気も起きない。


「ベルナールさん?」


 いつもと様子が違うのをすぐに察したナーシャが屈み込んで顔を覗き込んでくる。蒼の瞳がベルナールの目をじっと見つめたかと思うと「寝れないんですか」と聞いてくる。


「お前一緒に寝るか?」

「馬鹿言うな、この変態野郎。ベッドぐらい一人で使わせろ」


 打てば響くような罵倒の言葉に思わず、くくと喉で笑う。


「なんだよ、キスした仲じゃねぇか」

「キスなんてあの一度きりでしょうが。自惚れるのも大概にしろこのナルシスト」


 もう慣れたものだが、仮にも王子に対しての態度ではない。最初のうちはまだ遠慮も可愛げもあったが、この2ヶ月で余計に酷くなっている気がする。


 そこが面白くて、放っておけない。けれど、『放っておけない』という理由だけでは、ここまで面倒を見れるものではない。

 最初のうちは、憐憫が先にあった。男の身代わりとして、育った家から攫われた少女。親兄弟の元から離れて貴族の仕草を付け焼き刃で仕込まれて、学園に放り込まれたその人生を想像するのは、生温い生活を送っている身には出来なかった。

 どれだけ厳しい人生を歩もうとも、前を向くその姿勢に手を貸すぐらいならしてやろうと思っていただけだったのに。

 いつの間にか、彼女が美しいと、目が離せなくなっていた自分がいた。


 女にしては高い上背、乱暴な言葉使い。下町で育った為か、可愛いげなんてものは母親の胎の中に置き忘れてきたんじゃないかと思うような言動。

 それでも銀糸からのぞく蒼い瞳を独占したい、そう思うようになっていた。


「なぁ、お前、もうちょっと俺を労ってもいいんじゃないのか」

「いや、あんたがそういう意味で誘っていないってのは分かってますよ? でもここ何処だと思ってるんですか。エストレイア嬢の館ですよ。あんたと私が一緒のベッドで寝てたら流石にエストレイア嬢も嫌な気持ちになりますでしょ」

「何故だ?」


 ブランデーのグラスをテーブルに置き、直接視線を合わせると、ナーシャはベルナールから視線を外し、口をモゴモゴとさせながら「一応、あんたとエストレイア嬢は婚約者、なんですから」と言う。


「俺とあいつは無関係だ。もう、な」


 どうやら、アンナカメリアに遠慮をしているらしい。そういえばあの国から出奔した夜も、ナーシャはアンナカメリアの事を心配していた。

 ナーシャは当初、アンナカメリアがベルナールに恋心を寄せていると知りながら、ベルナールの手を振り解けなかったのを後悔しているようだった。けれど、ベルナールは掴んだナーシャの手を離したくなかったのだ。

 流石に船が海賊に襲われ、奴隷という身分になってからは、そんな事を考える余裕はベルナールにもなかったが。


 命は保証されていても、女というだけで危険度は増す。性別を偽るのも手慣れていたナーシャだが、警戒するに越したことはなかった。ずっとナーシャの心配をして気が気ではなかった。起きてる時も、寝ている時も、身を寄せ合い続けた2ヶ月は余りにも濃厚な日々だと言えるだろう。


 久しぶりに再会した婚約者の顔も分からなかったぐらいに、ベルナールの記憶の中を占めているのはナーシャの事ばかりだったのだ。


 アンナカメリアは以前とはまるで別人のようだった。

 黒いストレートの髪、切れ長の翠の瞳、薄い唇、凛と立つ姿勢。


 パーツはアンナカメリアを構成している物に違いなかったが、子供とはいえ商人相手に交渉をするような女じゃなかった筈だ。


 人と会話をするのが苦手だからと二人で会う時も本を読んで過ごしていた女が、懇意にしている商人までいるとは考えられない。


 ベルナールが変わったのと同じく、彼女も変わったと言えばそれまでだろう。

 ベルナールを見る瞳の温度も変わっていたのがまた、別人と感じる一因になっていた。

 彼女のベルナールを見る目には親しみ以外の何の感情も浮かんでいなかった事に、安堵する己と、虚しさや寂しさを感じる己がいた。

 他人のように見られるよりかは、親しみが籠もっている分まだましだと分かっているのだが、そう思ってしまった。


『私と貴方の婚約解消を願うお手紙ですわ。殿下が無事である便りのついでで良いのです。殿下から、申し出てくれれば、私も後腐れなく新たに婚約を結べますから』


 あの言葉で、馬鹿みたいに衝撃を受けた自分がいたのだ。言われるがままにペンを手に取りその場で手紙を書いた。


 アンナカメリアもその文面を確認し、満足そうに頷いていたのが忘れられない。


 八歳から続いていた関係は、紙切れ一枚で解消だ。

 昔は家柄の事情だとか血筋の問題だとかで、雁字搦めとなり、どこかで諦めていた事が、こんな簡単な事で覆されるのか、と呆気に取られた。



「ベルナールさん?」


 ナーシャに呼びかけられ、意識が思考の中から外に向けられる。


「大体なぁ、誰も俺がお前みたいなまな板に欲情するとか思わないだろ」


 冗談めかしてそう言えば、視線が人を射殺せるぐらい鋭くなった。


「喧嘩なら買うぞ? 私にだって乳くらいあるわ」

「乳言うな、せめて胸って言え。年頃なんだろ? 恥じらいを持てよ。言った俺の方が恥ずかしいじゃないか」

「ベルナールさんにも恥じらいなんて言葉あったんですね。私、初めて知りました」

「いい加減殴るぞ」

「先に言いだしたのはあんたの方でしょうが。殴られた瞬間倍にして返してやる。兄妹喧嘩で鍛えた拳を味わってみろ」


 ぐっと拳を握って見せれば、ナーシャも握った拳を振り上げてくる。細い腕だが男として動いているせいもあってか、それなりに力があるのは知っている。殴らせたらきっと痛いで済まないだろうと思うと、馬鹿馬鹿しい会話に、気が抜けた。


 気が抜けたことで、思っていた事が素直に口から零れ落ちる。


「まぁ、確かに、ここがあいつの館だから余計に目が冴えてるのはあるかもな。お前が目の届くとこにいないと不安なんだよ」


 ベルナールの言葉が予想外だったのか、ナーシャが目を丸くした。


「……本当に? あんたそんな繊細な人でしたっけ」

「うるせぇな」


 口に出すのではなかった。滅多に見せない弱気な所を面白がっている。

 にやにやと笑いながらからかってくる所は流石に好いている相手でもうざったいと思う。


「やー、けれど。エストレイア嬢のこと警戒する必要あります? だって、アンナカメリア様ですよ?」


 と、第三者が聞いていれば、アンナカメリアを軽視しているように聞こえる発言をナーシャは事も無げに放つ。

 イグレシアス家からの追っ手の情報や、今回のこと。二回に渡って二人を救ったのは事実だが。


「あいつ、どうやって俺達がシレール家の奴隷になったって情報掴んだと思う?」


 ベルナールが問題にしているのはそこだ。

 ハイグラムの奴隷商に売られ、二週間はコロシアムでナーシャと二人組の剣闘士として生きるか死ぬかの瀬戸際にいた。


 そして剣の腕を買われ、シレール家の奴隷となってから三日目。

 ランドルでベルナール達を買いたいというお嬢様がいるからと、アンナカメリアの前に連れ出されたのだが、いくら何でも情報が早すぎないではないだろうか。


「サジェの商人と懇意にしてるんでしょ? そこからの情報じゃないんですか?」

「たかが剣闘奴隷だ。噂が出回るにしても早すぎる」


 ナーシャの答えを打ち消す様に次々と疑問を口に出すベルナールの様子に、ナーシャは眉を顰めた。


「ベルナールさん……あんた、何を疑っているんです」

「あいつは、ハイグラムに俺達を売ろうとしてないか?」


 荒唐無稽な仮説だが、一度口に出した物は止まらない。ナーシャは「何を馬鹿なことを」と吐き捨てる様に言った。


「何の為に? ハイグラムに私達を売ったとして、エストレイア嬢に何の利があると言うんです。しかもあの人、わざわざハイグラムで活動するシレール家から私達を買い戻してくれましたよね」

「それは分からん。だが俺達に金貨350も出して、その代償が婚約解消の手紙を出せだぞ? 普通ならあり得ないだろ。懇意にしてるっていう商人もサジェ人だ。サジェ人同士で通じ合わせて、ハイグラム皇室に売る可能性も……」


 ある、と続けようとした矢先にバチンと額をたたかれた。


「だったら、直接聞きに行けば良いじゃないですか」


 ドスのきいた声が、ナーシャから零れる。ナーシャは、静かに憤っていた。

 不意打ちを打たれて驚きのまま固まり、声が出ないベルナールに、威圧感を保ったまま押し殺した声が話を続ける。


「私は、エストレイア嬢を信じます。あの人は人を売るような低俗な人間じゃない。それはあなたの方がよく分かっている筈でしょう?」


 腐っても、元婚約者だったんですから、と小さく呟かれた声。婚約者たったから、今のアンナカメリアが分からないとは言えない。

 ナーシャに言い返す事もせず、ただ呆然とするベルナールに業を煮やしたのか、彼の腕を引き上げ、有無を言わさず部屋の外に追いやった。


「ここで、酒飲みながら、グチグチ、グダグダ、言ってんだったら、あんたが、一人で、聞きにいけ」


 扉口でまだ立ち尽くしたままのベルナールの胸板に、ナーシャは文節ごとに人差し指でドスドスと重い一撃を食らわせる。

 その瞳は、明らかに据わっている。


「ジャンカルロ、おい……」


 思わず、学園で呼び慣れていた名前を口にするが、男の名前を呼んでナーシャが止まる筈がない。


「私は先に寝ます。おやすみなさい」


 目の前で扉がバタンと閉まる。

 鍵は掛かっていないので、戻ろうと思えば直ぐに戻れるのだが……。


 ベルナールは近くを通る侍女に、アンナカメリアへの面会を申し出たのだった。



評価・ブクマありがとうございます。

ナーシャは下町育ち。捨て子ではないけど、血の繋がっていない両親と兄、弟がいます。男兄弟に挟まれて、分け隔てなく育てられ、生活していたある日の日曜日。ミサの帰りに貴族の馬車が家族の目の前に止まり、いきなり家族達の前で浚われたという経緯。

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