成績向上対決 七海雫編
「さて、邪魔者が減ったところで今日は理科やろっか」
「う、うん」
理科のテキストを広げたのち、雫は今の位置から俺の隣へと移動する。
雫の家の時は対面する様に座っていたため、距離がめちゃくちゃ近く感じてしまう。
感じるというか実際近いんだけど。
うっわ、めっちゃいい匂いする。なにこれ。
「じゃあ一問目からやっていこうか」
「あ、あの」
「なに?」
始める前に、指摘しておかないといけないことがある。
「この手はなんでしょうか?」
「何か問題でも?」
そう、雫は俺の左手を右手で握っている。
しっかりと、離さないように。
「いや、問題はないけど……」
「じゃいいじゃん。それとも嫌?」
「嫌じゃないけど、その集中できないというか……」
「秋斗くんはいやらしい事でも考えてるの?」
「え?」
「いやらしい事を考えてるから集中できないんだよね?」
「ち、違う」
ごめんなさい、本当は考えてました。
「考えていないなら今はただ手を握っているだけだよね?」
「……そうです」
「なら大丈夫だね。じゃあ早く問題やろ」
雫のうまい口で言いくるめられた情けない男、榊秋斗です。
それからというもの、雫は握っているだけでなく俺の手を撫でたり、俺の指一本一本指先でこすったりと、手に関しては落ち着きがなかった。
それでいてちゃんとテキストの内容を教えられるんだからすげぇよ。
そして顔が近い。吐息が頬にあたる。やばい。
「ふふ、秋斗くんかわいい」
「な、なんだよ急に」
「手撫でたり息あてたりしてるのに無反応演じてるのがかわいくって」
「そうでもしないと集中できないんだよ。ただでさえ雫みたいな美人が隣にいるだけでもドギマギしてるのによ」
「私のこと意識してくれてるんだね。嬉しいな。彼女にする気になった?」
「……なってない」
「なんで顔をそらすの? ねぇ?」
「う、うるさい。早く終わらせるぞ」
その後も雫は俺の反応を楽しむようにちょっかいをかけながら勉強をする。
はっきり言って半分くらいしか理解できていない。
「半分くらいしか理解してないと思うけど心配ないよ。テストの時は語群があるらしいからそこまで覚えなくても大丈夫」
「ホントか? なんでそんな事知ってるんだよ」
「先生から聞いた」
「マジかよ先生」
テストの内容簡単に生徒に教えるなよ。
「もうそろそろ閉館だし、今日はここまでにしよっか」
「お、おう……」
「夕飯は何時に食べるの?」
「七時から八時の間かな、まだ時間あるけど」
「私も迎えが車で時間あるんだよね。なので」
きた。
雫の『なので』これは絶対何かあるぞ。
「そこの喫茶店に――」
「よし行こう」
「さっすが~」
どちらにせよ『拒否権』がないから断っても無駄だろう。
それに、俺だけ帰って一人で迎えを待たせるのも悪いしな。
どうせなら一緒に待つとするか。
「うわぁ、思ったよりオシャレだね」
「初めて入ったの?」
「うん。あまりこういうところ連れていってもらえなくて」
「なるほど、お嬢様ゆえにってやつか」
「そ。こんなところのコーヒーよりミスミさんの入れたコーヒーのほうが美味いだろって父がね」
「確かにミスミさんの入れたコーヒーは美味しかったな」
二人で頼んだコーヒーを啜りながら時間を過ごす。
俺もこういうところは数回しか行ったことないけどいつもよりコーヒーが甘く感じた。
「私ね、本当は違う学校に入学する予定だったんだ」
「え? そうなの?」
「うん、都市部にある有名な女子高知ってる?」
「もちろん、まさに雫みたいな天才やお嬢様が通うような高校だろ?」
誰もが知っている超大手企業の令嬢という雫の知名度は一年の時から高く、今や学校で知らない人はいない。
他校にもその名前が届いてるとも聞いたことがある。
そんなお嬢様がなぜこんなちんけな学校に? と疑問を抱いたのは俺だけじゃないはず。
「普通の学校生活を送りたかった、ただそれだけなんだけど私にとっては大事な夢だったの。だけど普通高に通ってもあまり変化はなかった」
俺は黙って相槌を打つ。
「でも、秋斗くんを好きになってから毎日がすごい楽しいの。好きな人ができるだけでこんなに変わるんだって思った」
目の前でそんなこと言われるもんだから体がむずがゆいのなんの。
「秋斗くん」
「!」
先ほどのちょっかいをかけている時とは違う、優しく包み込むように雫は俺の両手を握る。
「私の気持ちは変わらない。秋斗くんの事大好きなの、愛してるの。まだ……ダメ?」
「う、う……」
「ふふ、まだダメっぽいね。あら? もう迎えが来たみたい」
俺が返答に困っている最中、タイミングがいいのか悪いのか雫の迎えが来た。
お会計をすまし、外に出る。
「じゃあね、秋斗くん。明日は真鳥さんの番だからお休みだね」
「お、おう……」
「あ、首に何かついてるよ」
「え?」
「とるから動かないで」
言われた通り、動かないで立っていると雫の手は俺の首に触れるのではなくなぜか肩に置き、そして
「ん」
雫の柔らかい唇が俺の頬に触れた。直接見えてなくとも感覚でわかった。
しっかり、しっかりと自分の唇を押し当てる強いキスだった。
「えへへ、なかなかいい返事をしないバツだ」
耳元でささやいてくる。
「またね、秋斗くん。次はほっぺじゃなくて違うところにしちゃうからね」
そう言い残し車に乗り込んだ。
あっけにとられながら走り出す車を見つめる。
「クソ、反則だろ。キスとあの顔は」
心臓の音がうるさくいつまでたっても治まらない。
そして家に着くまでずっと頬に手を当てながら帰った。
「あ、もう終わったの? まだ夕飯できてないけどうちで待ってなよ」
「悪いな」
お言葉に甘え彩花の家で夕食を待つことにした。
誰かと話していないとずっとぽけ~っとしたままなのでありがたい。
「あっくん明日も図書館でやる?」
「いや、明日は家のほうがいいかな」
「わかった」
図書館に行くたびにあの事を思い出してしまうので勉強に身が入らないだろう。
それだったら何もない自分の家でやりたい。
「おねぇちゃんの部屋ではやらないの?」
「コラ! 朱音!」
「別に彩花の部屋でもいいぞ。ここ何年も行ってなかったしたまにはな」
「だ、ダメだよ。部屋散らかってるし! 入ったらあっくん絶対引いちゃうから」
「別に部屋が汚いのなんて気にしないよ」
「それでもダメなの!」
「そ、そうか」
彩花の部屋はある日を境に突然立ち入り禁止になった。
いつだっけ、中学上がる前かな。
普通に何気なく部屋に遊びにいったら、『ダ、ダメ! あっくん立ち入り禁止!』と怒られて、それ以降立ち入ってない。
年頃の女の子だし、男に入られたくないのも無理はないかと思っている。
「違う意味で引かれちゃうもんね」
朱音が小声で何か言ったような気がしたが、気にしないでおこう。
* * *
一方その頃――
「うわああああああああん!! 恥ずかし恥ずかし恥ずかし恥ずかし恥ずかし恥ずかし恥ずかし恥ずかし恥ずかし恥ずかし恥ずかし恥ずかし恥ずかし恥ずかし恥ずかし恥ずかしい!!」
枕に顔をうずめて大声で叫び倒す。
思い出すだけで自分を殴ってやりたい衝動に駆られる。
「何やってんだ私のバカ! 時と場合っていうものが……ああああああ恥ずかし恥ずかし恥ずかし恥ずかしい!!」
顔をうずめ両手でマットレスをポカポカと叩く。
それだけじゃ恥ずかしいのは消えない。
「うう……嫌われたらどうしよ……秋斗くんに嫌われたら生きてる価値ないぃぃ!」
「お嬢様どうされました!?」
「ミ”ス”ミ”さ”ぁ”~ん”」
私の異変に気付き、咄嗟に部屋に入ってきたみたい。
今日のあった出来事と今の状況を説明した。
「なるほどそんなことが……」
「どうしようミスミさん私……」
「大丈夫です! むしろ榊様にとってはクリーンヒットです!」
「クリーンヒット……?」
「そうです! 普段のお嬢様から想像できない姿からそういう行為をなされた、しかも本気で! これにはさすがの榊様もお嬢様の気持ちを真剣に考えること間違いありません!」
「ホント……?」
「はい! なのでお嬢様がやることは一つ! もっともっと攻めまくるのです!」
「今日みたいなこともっとやれば秋斗くんは……」
「必ずオチますね」
「……」
「お嬢様?」
「フフフ、ありがとうございますミスミさん。おかげで自信がつきました」
「なによりです」
「フフフ、秋斗くん待っててね」
侍女ミスミさんの手によって、雫はさらなる進化を遂げたことを秋斗はまだ知らない。
ミスミ(ほっぺにキスだけでこんなに恥ずかしがるお嬢様が可愛いすぎて尊死……)