七海さんは勉強を教えたい
とうとう来てしまった。
学生がもっとも嫌うイベント、その名も『期末テスト』
高校ともなると赤点を取るととてもマズイ。
俺の学校では三教科以上赤点を取ると留年確定である。
過去にそれが嫌で夏休み半日以上潰して補習を行い留年を免れたなんて生徒もいるらしい。
だから嫌でも勉強をしなくてはならない。
そんな俺は全教科赤点ギリギリの成績を残すバカであり毎度のように苦しんでいた。
という話をお昼休みの屋上でお弁当を食べながら雫に話していた。
「え! 秋斗くん勉強苦手だったんだ!」
「う、うん」
「へ〜そっか〜」
雫はニヤッと口角をあげて俺の顔を覗きこむ。
「秋斗くん、留年嫌だよね?」
「嫌だね」
「私も秋斗くんが留年するのは嫌。なので」
「なので?」
「私が教えましょう!」
「だと思った……」
この流れは確実だったろ。
だがまあ雫は学年トップの成績だし、教えてもらうのはアリだな。
「何が苦手なの? 数学? 英語? 化学?」
「全部です……」
「全部ぅ!?」
「はい……」
「フフ、これは教えがいがあるね。安心して、今日からやれば本番で全教科平均八十点は行くよ」
「マジで!?」
「うん。だ、だから……」
「だから?」
「テストまであと二週間、私の家でべべべ勉強しししししよ?」
「え」
雫の家で? 勉強?
「私の家だったら……ハァ……ハァ……いっぱい勉強できるよ……お、お泊まりも全然大丈夫……ハァハァ」
「いや違う勉強もさせられそうなんだけど……そして同時に身の危険すらも感じるんだけど」
よく見たら雫の口元に唾液が垂れてるし。
目も据わって……普通に恐怖だわ。
「俺の家はどう? 親帰ってくるの夜遅いから気にせず勉強できるよ」
「ご両親がいない!? 気にせずあんなことやこんなことが……! ゴホン! 残念ながら私の家では異性の家に無断でいってはいけないという変な決まりがあるからそれはできないかも」
「いや、それでよく俺を家に誘ったね。ルールアバウト過ぎない?」
「迎える場合は別なの」
* * *
というわけで、来てしまいました。七海邸。
あれ? これ本当に家? 明らかに屋敷だよね。
「秋斗くんったら車ばっかに目がいっちゃってね」
「だってマイバッハだよマイバッハ! まさか乗れると思ってなかったから。すげぇよエレベーターみたいに滑らかに走るんだから!」
「私はいつも乗っているからわからないけど。あとイギリス女王が乗るやつもあったかな」
「ロールスロイス!? マジで!?」
「私はあっちの方が好きかな」
「高級車を『好きかな』で片付けるのマジパネェっす」
「まあ、車は後で見してあげるからとりあえず中に入ろうよ」
恐る恐る扉の前へ。
玄関ってこんなに大きいんだっけ?
大型観光バスすっぽり入るよこれ。
扉めっちゃ重そうだし。
「お帰りなさいませ、お嬢様。そしていらっしゃいませ榊様」
うわー!
マジモンのメイドさんだ!
この世にいたんだ! メイドさんって!
秋葉で嘘くさい演技して無駄に金ぼったくり、オムライスにケチャップで落書きして平気で二、三千円とるニセモノとは大違いやんけ!
『ご主人様』の『ご』すらセリフになかったぞ!
「この人は侍女のミスミさん。身の回りをお世話をしている人。わかりやすくいうとメイドさんだね」
「は、初めまして、榊と申します。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
「じゃミスミさん私たちはお部屋にいるから何かあったら来てくださいね」
「わかりました」
「父さんは?」
「ええ。今日は会議があるとおっしゃっていたので遅くなるかと」
「ふん、社長なんだから平気な顔で定時退社してんじゃないわよ」
あ、これ雫はお父さん嫌いなタイプだな。
結構娘に甘い父親だと聞いてるけど、嫌いな理由はやっぱりそこなんだろうか。
「ここが私の部屋。入って入って」
「お邪魔します……」
彩花以外の女の人の部屋に入るのは初めて。
なので俺の中の女の子部屋は彩花が基準となっている。
彩花の部屋はいかにも女の子っていう部屋だった印象が強い。
それに対して雫の部屋は、彩花の部屋と比べると女の子さは劣るが、シンプルなデザインで落ち着きを感じるそんな部屋。
そしてなによりバカ広い。
おそらくドッジボールできそうな気がする。
本当に部屋か? ここ。
「いきなり全教科を今日だけで終わらすのは無理だから何日かに分けて勉強しよう」
「そうだね」
「じゃあまずは数学からいこっか」
「おっけー」
こうして雫先生による補習が始まった。
ミスミさんがお茶とお菓子を持ってきたりして途中休憩を挟みながら進めた。
結論から言うと、雫の説明めっちゃわかりやすい。
俺みたいなバカでもスラスラとけてしまうくらいに分かりやすく丁寧。
「おーかなりできるようになったね。テスト範囲分はこれで終わりかな」
「ありがとう雫。おかげで数学好きになりそう」
「解けるとなんでも楽しいよ。じゃあ次の教科……って言いたいところだけど、もう十八時過ぎてるね。どうする?」
「俺は別に大丈夫だけど――」
スマホの時計を見ていたらちょうどRINEのメッセージが届く。
送り主は彩花だった。
《あっくん家にいないの? 夕飯はどこかで済ましてくる?》
そうだった。ここ最近、というか昔からだが夕飯時は彩花の家にお邪魔して一緒に食べていた。
なんも連絡してなかったからさすがにしびれを切らしたのだろうな。
「なぜその女が秋斗くんの夕飯を気にするの?」
テーブルに画面を上に向けた状態で置いておいたため、通知が来た事は雫も気付く。
別に読まれても問題ない内容だったし隠す必要はない。
「ほら親帰ってくるの遅いって言ってたじゃん? それで昔からなんだけど、夕飯の時彩花の家にお邪魔して一緒に食べてるんだよね」
「家、一緒に夕飯……また私にないものを次から次へと……」
雫の表情が一気に暗くなり始める。
怒りなのか悔しさなのかわからないが、機嫌を損ねているのは間違いなかった。
「雫お嬢様!」
扉のノック音と同時にミスミさんの声が聞こえた。
少し焦っているようなそんな声色だ。
「どうしたのですか?」
「吉永様がお見えになりました!」
「え!? 今日は会議だから遅いと……!」
「申し訳ございません。私も油断しておられました。予定より迅速に進み早く終えたとのことです。えっと榊様もいらっしゃるので?」
「ええ。マズイわね、父さんにこの事がバレたりしたらとんでもない事になる」
「マジで? どうなっちゃうの?」
「存在を消されるかも」
「マジかよ」
「とりあえずクローゼットに隠れて!」
「う、うん」
俺は言われるがままクローゼットに身を潜める。
うわめっちゃいい匂いする。
って今はそれどころじゃない。
下手すれば死ぬんだぞ俺。
「雫〜パパ帰ってきたよ〜」
七海吉永……俺も名前だけは知っていたが、いくつものグループ会社をまとめ上げる本社のトップ中のトップ。
『鬼の経営者』と呼ばれ、使えないものはすぐに切り捨てるという斬新な経営からその名が付けられた。
一部では『鬼神』と呼ばれているらしい。
ソースは雫。
普段からもの厳しい人なのかと思いきや、先程の雫を呼ぶ声はデレッデレの親バカのそれだった。
「おかえり父さん。会議早く終わったんだね」
「うん。雫が帰りを待ってるのに長々とやってられるかと思ってね。それで予定より早く終わらせたんだよ」
「いや別に待ってはいないけど……」
「あ〜テスト勉強してたんだね。そんな雫はいつもトップなんだから勉強なんてしなくていいのに」
「勉強してるからトップなの。いいから早く着替えて来てよ」
一瞬ヒヤッとしたが、俺の分の筆記用具もろもろは隠してたみたいだ。
「わかったよ。その前にさ」
「ん?」
「俺じゃない男の匂いがするんだけど」
「「!?」」
マジかよ!
匂いでわかるかよ普通!
「五分四十九秒前にここに居たね? まだいるのかな? いるんだったら《《挨拶》》しないと」
秒単位で把握するとかもう人間の所業とは思えない。
「何言ってるの父さん? 私男になんか興味ないから連れてくるわけないじゃん。ミスミさんにも聞いてみてよ」
「そうだよね? 雫はパパにしか興味ないもんね」
「父さんも大した興味ないけど」
「だったら、なんでティーカップが二つあるのかな?」
「そ、それは」
しまった!
そこは隠しきれなかった!
ミスミさんと一緒にという嘘もすぐバレてしまうかもしれないがそれしか方法がない……!
「吉永様」
「お〜ミスミさん。ご苦労様です」
「そちらのティーカップは雫お嬢様と一緒にお茶をしていたのです。片付けそびれてしまい申し訳ありません」
「そうだったんですね。いや〜とんだ早とちりでした」
「そ。だから早く着替えてよ」
「はいはい。じゃ夕飯でね」
ミスミさんによる超ファインプレーで危機を逃れる事に成功。
雫のお父さんはスタスタと雫の部屋を後にした。
「もう大丈夫だよ秋斗くん」
「ふぃ〜嫌な汗かいた……」
「ごめんね、変な父で。あの人私に近づく男性を見ると見境ないの」
「ハハ……たしかに娘思いって感じがしたよ」
「ミスミさんもありがとうございます。あのフォローがなかったらどうなってたことか……」
「いえ私もヒヤヒヤしましたので。とりあえずは逃れたので良かったです」
「秋斗くんは今のうちに帰る準備して。家の近くにタクシー呼ぶからそれに乗って」
「……わかった」
筆記用具その他諸々荷物をまとめてミスミさんに出口まで案内してもらう。
「ご迷惑をおかけしました榊様」
「いえ、とんでもないです。では失礼します」
なんとかバレずに家から出てこられた。
勉強しにきたつもりがなんかスニーキングミッションみたいになっちゃったな。
いっそのことフルトン回収してくれよ。
ってもうタクシー来てるし、どんだけ早いんだよ。
「はぁ……今日はいつもより疲れたな」
揺れる車の中。
タクシーのエンジン音でかき消されるぐらいの小声で独り言を呟いた。
ミスミ「私も榊様みたいな顔の人がタイプですね」
雫「わ、渡しませんからね!?」