第9話
結局わたしもバージル様に肩を貸しながら、昼寝をしてしまっていた。
バーベキューの準備のため、ロゼが起こしに来るまでずっと眠っていたらしい。わたしは寝不足でもなんでもないのだけど、バージル様に眠りの世界に誘われて熟睡してしまっていた。
まだ少し眠そうなバージル様の手を引いてバーベキューの準備をしている場所に行く。騎士団の方達の食材も急ぎ手配してもらい、指示を出しながら料理人達が作業するところを見ていた。遅めの朝食だったとはいえ、昼食を食べずに昼寝をしていたので空腹状態だ。早く美味しい食事を頂きたいわ。
みんなで頑張った甲斐があり、夕食のバーベキューはとても好評だった。
わたしが作った甘いタレの他に、ロブソンがもう少し薬味のきいた大人向けのタレを作っていた。さすがロブソンだわ! 騎士団の方達も二種類のタレを褒め、お世辞か本音か分からないが是非レシピを教えてほしいと言われたので「ありがとうございます」と微笑んでおいた。本当に知りたいならロブソンに対応してもらおう。
食事は本当に最高だった。炭火焼きなのでお肉や野菜はもちろん、市で買ってきてくれた魚介類を焼き、醤油や塩やレモンをかけるだけの凝っていない簡単な食材が文句なしに美味しかった。新鮮さに勝るものなしね。でも鉄串に直接かぶりつくのは貴族のおもてなしに適切ではないと判断され、綺麗に皿に並べて持ってこられたことだけはショックだった。確かにそう出てくれば串に刺さっているものよりずっと食べやすいですよ。でもそれもバーベキューの醍醐味なのにと一人肩を落としてしまう。本当にそれだけが残念だったわ。
他にバージル様がお肉を食べたことに驚き、バージル様が料理の手伝いをしたことを聞いた両親と騎士団の方々は更に驚いていた。手伝いの件を聞いたお父様は本当に腰を抜かしていたかもしれない。ごめんなさい、お父様。
バージル様の食生活がこれで少し変わっていってくれればいいのだが。お父様に怒られそうだが、またこっそりバージル様を厨房にご案内しようかしら。
深夜。
自室でロゼから借りた本を読んでいた。町で流行しているロマンス小説作家の新作で、眠る前に寝台の中でちょっとだけ読むつもりが止まらなくなり、あと少し、あと少しと思っているうちに子供が寝なければいけない時間はとっくに過ぎてしまっていた。
「あー、もう! 止まらなくなっちゃったじゃないの。明日の朝ちゃんと起きれるかしら」
起きられずにロゼに怒られてしまうかもと思いながらもページを捲る手は止まらない。
たまに寝返りをうちながら本を読んでいる時、とんとんと扉がノックされる。遅い時間なので気のせいかなと思ったのだが、またとんとんと聞こえた。
誰かしら? と思いながら寝台から下りて扉に近寄る。
「誰?」
扉に近寄ったものの、よく考えたらちょっと不気味で扉を開けるのを躊躇ってしまう。ドアノブに手をかけたまま、扉の向こう側にいるであろう人物に呼び掛ける。
人間だよね? オバケじゃないよね?
扉に耳をあて、返事を待つ。
「……アシュリー」
聞こえた声に慌てて扉を開けた。
「バージル様!? どうしたんですか?」
廊下にいたのはやはりバージル様だった。
目を真っ赤にさせ、頬が濡れているのは涙のせいだろう。肩を震わせ、嗚咽を我慢している姿はとても痛々しい。
廊下に出て泣いているバージル様の肩に手を乗せる。ふと、廊下の曲がり角の所にメイナードが立っているのが見えた。わたしと目が合うと、こくりと頷き踵をかえして離れていってしまう。どうやらメイナードはこっそりバージル様の後をついてきてわたしの部屋まで送ってきたようだ。
「どうぞ、中に入ってください」
足元を見てみるとバージル様は裸足だ。
立ち止まったままのバージル様の手を引いて室内に招き入れる。椅子に座らせ、寝台から掛け布団を引っ張ってきてバージル様の肩にかけた。
「怖いのをみたんですね?」
バージル様は無言で頷く。
「バージル様、何か飲みます?温かいものを飲めば落ち着きますよ」
「……やめてくれ、こ、こんな姿を誰にも見せたくない」
誰かを呼ぶつもりはなかったのだが、弱っている姿を見せたくないのだろう。怖いものを見たとき、バージル様も一人で我慢していたのだろうなと分かる。前世のわたしと一緒だ。
「呼ぶつもりなんかないですよ。わたくしでもホットミルクくらいなら作れます。まぁ、その時はバージル様に火を熾すのを手伝ってもらわないといけませんが」
「今はいい。だからここにいてくれ」
「分かりました。ここにいます」
バージル様がわたしの手を取った。
最近一緒にいる時はこうして手を繋いでばかりいる気がする。女の子である私の手より小さく華奢な白い手が今ではすっかり馴染んでいた。
「……私は今までずっと一人で我慢出来ていたんだ」
ぽつりと瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
「がまん、できてたんだ」
辛く、苦しそうな声だ。
バージル様の手を両手で包み胸の前で抱く。無理に急かしたりせず、吐き出されようとする言葉を待った。
「アシュリーに会ってから、我慢の仕方を忘れてしまった」
「……そうなんですか?」
「怖い思いをした時はいつもアシュリーが私に手を差しのべてくれる。私はそれに甘えてばかりだ。何でいつも私を助けてくれるんだ? 私が触らなければ怖いものを見ないですむのだろう? それなのに何でいつも私を助けてくれるんだ?」
真っ黒いバージル様の瞳がじっとわたしを見る。
何でバージル様に手を差しのべるのか?
うーんと唸りながら首を傾げる。わたしは何も考えずにバージル様といつも手を繋いでいた。明らかに何か見えているなと分かる時は手を差しのべていた。確かにバージル様が言う通り、彼に触らなければわたしはあの不気味なやつらを見ないですむが、単純に放ってはおけないと思った。
助けるといってもわたしが何か出来るわけじゃない。追っ払えるわけでもなく、ただ一緒に堪えることしか出来ない。ーーそれでも。
「見てみぬふりなんて出来ませんもの」
「普通の人は見てみぬふりをすると思うが」
「それじゃあ、私は普通の人じゃないのかもしれませんわね」
くすくすと笑いながらバージル様の目尻に溜まる滴を親指の腹部分で拭う。顔を触るなんて失礼かしらとも思ったが、もう今さらよね。このままバージル様を部屋に一人帰すわけにもいかないだろうなとぼんやり考えている時、バージル様もわたしの顔を触ってきた。
頬にそっと触れ、確かめるように何度も肌の上を滑っていく。
「アシュリー、貴女は普通の人じゃない」
「まぁ! ひどい」
「……特別な女の子です」
いつもは真っ白い頬がピンク色に染まり、蕩けるような笑みを浮かべたバージル様の天使みたいな御尊顔を至近距離で拝んでしまった。