閑話 王子様の選択3
ぴちょん、ぴちょん。
水滴が落ちる音を聞きながら地下へと続く階段をアシュリーと一緒に下りていく。本当ならこんな場所にアシュリーを連れて行きたくなんかない。
じめじめとした地下の一番奥の鉄格子前までやってくると、足音を聞きつけた女が顔を上げた。
「……あぁっ! バージル様、来てくれると信じてました」
美しかった少女が今や見る影もない。
目は窪み、頬は痩け、艶を無くしたぼさぼさの髪。大罪を犯したリリーが地下牢に閉じ込められてから、もう一年が過ぎた。
アシュリーもリリーの変化に驚いているように見える。何度か体調を崩していたと報告があったのでそのせいもあるかもしれないが、此処は犯罪者を収監する場所で環境が快適とは言えないので仕方ないことだ。それでも瞳だけはギラギラさせ、まるで私が助けに来たと信じて疑わないリリーの相変わらずの妄執に辟易する。
私とアシュリーはすでに学園を卒業し、一月後には夫婦となるために結婚式を迎える。学生の頃から綿密に計画を立てており、卒業後すぐに式を行えるよう根回しもしていた。
父もアシュリーの父親も結婚に反対しなかったのに、まさか結婚を望む相手であるアシュリーに「そんなに焦って結婚しなくてもいいのでは?」とやんわりストップをかけられるとは思わなかった。本当は今すぐにでも結婚したいという自分の気持ちを必死に訴え、残りの学園生活を費やして結婚の合意を得たわけだ。つまり説得を続けた私の粘り勝ち。
学園で行われた卒業式のパーティーでプロポーズしたのだが、アシュリーは嬉しいような困ったような顔で微笑み頷いてくれた時のことを私は一生忘れない。
幼い頃から愛しいという気持ちが日々増して際限がない。自分の気持ちが重いことは自分が一番理解していて、それに気が付かれる前にしっかり捕まえておきたいのだ。婚約よりもっと強固な絆が早くほしい。
こうして私の幼い頃からの夢があと少しで叶う。
妻になり、彼女は私だけのアシュリーになるのだ。想像しただけで胸は高鳴り、何とも言えない幸福感でいっぱいになる。たった一月も待ちきれないなんてまるで子どもに戻ったようだ。
本当に待ち遠しい。
だが何の憂いなく結婚式を挙げるためには、その前にどうしても片しておかなきゃならない案件が残っていた。
それがリリーだ。
リリーを崇拝して手を貸していた家臣は罪を裁かれ、リリーの配下は自害した。あの厄介な薬の出所を探しだすのに時間がかかってしまったが見つけ出し、二度と世に出回ることがないように先日厳重な処分が下された。
リリーの悪辣な行いは既に知れ渡っており、誰も救うことは出来ない。大事件を起こしたリリーが処刑を免れることは不可能だし、私も救う気はない。
この女のせいでアシュリーは傷付けられ、下手したら死んでいたかもしれないと思うと八つ裂きにしてやりたい衝動を抑える自信がなくてずっと地下牢を避けてきた。
それなのになぜこんな所に来ているのか……
結婚式が近付き、なぜかアシュリーはリリーのことを気にしている。たまに思い詰めた表情で考え込み、私にバレないようにリリーに会いに来る算段をしていたらしく、それを知った私は自分も一緒に会うことを条件にアシュリーを地下牢に連れてくることにした。たまに予測の出来ない大胆な行動をするアシュリーが心配で付きそうことにしたのだが、牢の前で来たことを早々に後悔している。
アシュリーをリリーから少しでも遠ざけたくて背後に庇うようにしながらリリーと対峙した。
「……相変わらず妄想がひどいな」
「妄想ですって? うそよ! 私に会いたくてここに来たのでしょ? いいわ、全部許してあげる。ここから私を出してっ! もうこんなところに一秒だって居たくない……ちょっと待って、何でアシュリーを連れてきたのよ」
鉄格子を掴み「出せ」と暴れだしたリリーとこれ以上同じ空間に存在することすら堪えられない。
「アシュリー、もういいだろう? 戻ろう」
「少し待ってください」
アシュリーは私の後ろから出て来て鉄格子を挟んで立つリリーを真っ直ぐ見つめている。無表情で顔色が悪い。すぐにでも此処から連れ出してしまいたかった。
「……リリー」
「アーシューリィーッ! 馴れ馴れしく私の名前を呼ぶんじゃねーよっ! あんたのせいよ。私の人生返してっ! 返せっ! 何でヒロインの私がこんな扱いされてんのよ!」
鉄格子の隙間から手を伸ばし、アシュリーに掴みかかろうとするリリーの腕を掴む。アシュリーは避ける気がなかったように見えた。
腕を掴まれたリリーは仰け反りながらキャハハハと狂気じみた笑い声をあげる。地下牢に慟哭が響き渡り、瞳と鼻から大量の液体が流れ落ちて顔がぐしゃぐしゃになっていた。
「……バージル様、リリーを助けることは出来ませんか?」
なぜかアシュリーまで泣き出しそうになっている。
胸を痛めると分かっていたからこんなところに連れて来たくなかった。きっとリリーに情けをかけても無駄だ。反省も何もしていない。
「……父上に話してみるが期待はするな」
許せないと思っているのに、それでもアシュリーの気持ちを優先してしまうのは惚れた弱味だ。アシュリーの願いなら何でも叶えてあげたいと思うが、こればかりはきっと難しい。
もう部屋に帰ろうとアシュリーの肩を抱き、地上に戻るために階段へ向かって歩きだした背後から「あんな女に同情されるなんて」と絶望したリリーの声が聞こえた。
「アシュリーが望んだから今回は此処に来たが、死のうが生きようがもう二度と私達がお前に会うことはないだろう」
顔だけ振り返るとリリーは床にペタリと座りこちらをじっと見ていた。涙で濡れた顔を真っ青にして鉄格子にしがみつき、「嫌よ。待って、嘘でしょ、私死にたくない」とようやく悟ったらしい。
今まで何度も処刑の話をされていたはずなのに、本気にしていなかったんだろうか。リリーの悲鳴が暫く続き、アシュリーは何度も足を止めかけるのだが、その度に促して先に進ませた。
部屋に戻ってからすっかり意気消沈しているアシュリーを私は慰める。
「ごめんなさい」と謝るアシュリーに、明日父上に面会してリリーの罰の軽減を願い出ようと言うとアシュリーは驚いた顔をした。アシュリーが何を考えているか何となく分かる。
どうにもならないと分かっていてもリリーに会いに行き、自分は痛めつけられたのに相手のことを考えて苦しんでいる。
アシュリーが苦しむくらいなら処刑をせずとも良いと私は思い始めていた。
もちろん二度と会うことがないように策を講じるが、国外追放や流罪などでもいい。無罪放免は有り得ないのでそれが出来る限りの譲歩だ。
「……いいんですか? バージル様、リリーに酷いことされたのに」
「酷いことをされたのは私じゃなくてアシュリーだろ。それでも見捨てられない……それがアシュリーだったって思い出した。」
「バージル様」
珍しくアシュリーから私に抱きついてきた。
不安そうに小さくなる柔らかな身体を受け止め、大切な宝物を扱うみたいに優しく抱き締め返す。
私はアシュリーのためなら慈悲深い人間にも、その反対にだってなれる。
しかし、その日の深夜。
リリーは地下牢で毒を飲んで死んでしまった。自殺なのか他殺なのかはっきりせず、いずれ処刑される女ということもあってそれ以上は調査されなかった。