閑話 転生者リリー
私はリリー。転生者だ。
日本人だったこと、引きこもりの女子高生で乙女ゲームが大好きだったことだけはっきり覚えているが、前世の名前も家族や友人のことも覚えていない。思い出そうとすると何故だか嫌な気分になる。
きっと残しておく必要もないつまらない記憶だったんだろう。
ただ、一番大好きでやり込んだ乙女ゲームの内容だけははっきり覚えていた。三部作で発売された超人気作品で、発売直後は魅力的なキャラ達を攻略するために寝食よりも優先してプレイした。ストーリーだって、選択項目だって全て頭に入っているし、クリアをして違うゲームに手を出してみてもやっぱり推しのキャラに会いたくなって引っ張り出すくらいそのゲームを愛していた。
まさかそのゲームのヒロインであるリリーに自分が転生出来るだなんて、夢のような幸福だ。
この美しい容貌を以てすれば誰だって私を好きになる。
この世界は私のための世界なのだから。みんなに愛され、私は特別な女性になるのだ。
きっと私の推しキャラ、ううん、バージル様も私に会うのを待ち遠しく思っているはず。貴方が愛しているのは私なんだもの。
長く続いてくゲームの中で攻略キャラ達は増えていき、たくさんの男性達が私を好きだと言って奪いあっていたけど、私の気持ちが一番大きく動いたのはバージル様だけ。そのバージル様に会えるなんて、これはきっと運命なんだわ。
前世だったらゲームのキャラクターを好きになるなんて気持ち悪いって言われるだろうけど、ここはそのゲームの世界なのよ。誰もヒロインの“リリー”を否定なんて出来やしない。
結局馬鹿は私じゃなかった。
あいつらが馬鹿だったんだわ。……ん? あれ? あいつらって誰のことかしら。
まぁ、いいわ。きっとこれも残しておく必要のない記憶の残滓なのだろう。
「リリー?」
声をかけられてハッとアルフィローネを見る。
「ごめんなさい、バージル様のことが心配で少しぼーっとしていたみたい」
アルフィローネの侍女が準備した紅茶を飲みながら切なそうな声を洩らす。しかし何でバージル様は目覚めないのかしら。薬が効きすぎた? 目覚めたところを私は見ていないが、時間的に考えるとエリオットは割りとすぐに意識が戻っていたはずだ。
さっさと目覚めてくれないかしら。もういい加減眠ったままのバージル様の看病をするのも飽きてきたわ。
美味しいものを食べたり、お忍びでデートをしたり、どうせならもっと恋人っぽいことを満喫したいのに。
ゲームで見たイベントスチルを思い出し、妄想でにやにやしてしまわないように小さく咳払いしてから紅茶をテーブルに戻す。
「ちゃんと休めていますか?」
「ええ。でもバージル様のことが気になってぐっすり眠れないの」
「まぁ……それは……」
アルフィローネの侍女の表情が不愉快そうに歪められたのが視界に入った。主に対する私の態度が気に食わないのだろう。
だが、侍女ごとき無視だ。
わたしはヒロインよ。ふざけんじゃないわよ。
ぎろっと睨むと侍女は焦ったように変化した顔を伏せ、私から視線を逸らした。何も言えないなら最初からそうしていればいいのよ。
「バージル様を助けて下さったことお礼を言うわね」
「アルフィローネ様にお礼を言われるようなことはしていないわ。私がバージル様を助けたくてやったことだから」
「……バージル様をお慕いしているのね?」
「はい。バージル様も私と同じ気持ちです。彼にとって私は特別なの」
だって運命の相手なんだから。
「……私はバージル様の婚約者のアシュリーのこともよく知っているの。バージル様を罠に嵌めたりする子じゃないし、二人はとてもお似合いだったわ」
「あら、アルフィローネ様の目は節穴のようね。あの二人のどこがお似合いだっていうの? 誘拐犯の仲間なのに? ふふふ、面白い冗談だわ。バージル様が目覚めれば全部はっきりする。彼がどれくらい私を愛しているかがね」
バージル様が飲んだのは乙女ゲームの三作目に出てきた人の記憶を操作出来る薬だ。時代で考えればあと五年ほど後に世に出回り、メインイベントに繋がるのだが、先のことまで知っている私は伝を使って試作品の薬を手に入れることが出来た。
女神のように美しいヒロインのリリーだからとても簡単に味方が増え、お願いすれば何だって叶えてもらえる。甘い飴とそれに群がる蟻か、美しい花に誘われる虫か。私はこの世界で皆が求める御褒美のような存在なのだ。だから何をしても許される。乙女ゲームちょろいって思っていたのに、私の意に反した出来事が増え始めたのはいつからだったか……
全部、全部アシュリーのせい!
しかもアシュリーとエリオットまで転生者ってどういうことよ。
悪役令嬢のアシュリーは悪役として働かず、バージル様の次に推していたエリオットからもちやほやされない。それどころか転生者じゃない残りの攻略キャラ達まで私に靡かない。どうでもいいモブばっかりに好かれたって何の意味もないっていうのに……
何より腹が立つのはバージル様が私に興味を示さないこと。
乙女ゲームでは出会ったその時から二人の恋が始まるはずなのに、バージル様はアシュリーのことしか見ていない。これはおかしい。何かのエラーとしか思えない。
可哀想なバージル様。運命の相手がここにいるのに、それにも気がつかないなんて……
そう、全部悪いのはアシュリーなのよ。
飢えた獣の餌になりもう生きていないでしょうけど、アシュリーは最初から処刑される運命だったのだから、死に方が多少変わるくらい別に構わないわよね。
私を守るために悪役令嬢を弾劾する凛々しいバージル様を生で見たかった気もするが、このストーリーだって充分ロマンチックだわ。悪党から王子を救い、献身的に看病するヒロイン。バージル様も目覚めれば本当の愛に気が付くはず。
私は寛大だからこれから先、私だけを愛して大事にしてくれれば今までのひどい仕打ちを許してあげるわ。あー、早くバージル様起きないかしら。何でこんな女と一緒にお茶を飲まなきゃならないわけ?
ちらっと紅茶を飲むアルフィローネを見る。
どうせ眠っているバージル様のところにいても暇なだけだし、王都で一番人気のケーキ屋さんの最新ケーキが食べ終わるまでは付き合ってやるわ。
アルフィローネに声をかけられ、わざわざ着いてきてやったのはケーキのためだけだ。貴女がバージル様の新しい婚約者になるならいずれ私の義妹になるわねなんて言われたから、気紛れに少しだけ構ってやろうかって気持ちになっただけ。
私のヒロイン力は女にまで効くようになったのかしら。
「……私が言うことが信じられないんですよね? アシュリー先輩、アルフィローネ様の前では猫をかぶっていたんだと思います。私、学園に通うようになってから毎日アシュリー先輩に意地悪をされていたんですよ」
「あら、そうなの?」
「はい。そうなんです……私、本当に辛くて……」
ほろりと涙を流す。
悲しくなくても泣ける特技はこんな時に役に立つ。涙をハンカチで拭い、声を震わせればアルフィローネも同情するだろう。
「あら、そうなの」
「あら」とか「そうなの」ってそんなことしか言うことないわけ?
可哀想にとか慰められないものかしら。気の利かない女だ……泣くふりを続けなければならないじゃないか。
「でもそんな私をバージル様が助けてくれたの」
「……あら」
「みんな言ってます。アシュリー先輩はバージル様の婚約者だってことを笠に着て好き勝手やっているって……生徒のみんなはアシュリー先輩のことを恐がっているのよ」
「……そうなの」
可愛い子がしくしく泣いてんのに、このおばさん何でこんなに無反応なのよ。これが男だったら簡単なのに、女って本当に面倒だわ。
期待した言葉をかけてこないアルフィローネをハンカチをずらして盗み見ると、聞いているのかいないのか全く興味無さそうな表情で紅茶を飲み続けていた。
一緒にお茶を飲みましょうと微笑みながら声をかけて来た時とはまるで違う愛想のなさだ。
「アルフィローネ様、私、何か気に障ることを言ったかしら?」
ここまで反応が悪いことってある?
ってか、何で私が気を使ってあげないとならないのよ。
「……私、邪魔みたいなのでバージル様の部屋に戻ります。バージル様が目覚めてないか心配なので……」
不愉快なんでさっさと此処を離れたかった。
立ち上がろうとした私を「お待ちなさい」とアルフィローネが引き止める。この女、本当に一体何なのよ。
「もうその必要はないみたいね」
ふふふと不敵な笑みを浮かべるアルフィローネが手を叩くと室内に衛兵が雪崩れ込んできた。皆の剣先が私に向いている。
「どうやらバージル様が目覚め、貴女を捕らえるように指示を出したようですわ」
「……うそよっ!」
悲鳴を上げた瞬間に衛兵に押さえ付けられ、背後で腕を一括りにしてロープで縛り上げられた。
「やめろっ! 離せっ! 私に触るなっ!」
叫び声をあげても冷ややかな視線を向けられるだけ。
こんなこと有り得ない。これは嘘だ。
「バージル様を呼びなさいっ! こんな無礼な真似をして、バージル様は絶対に許さないわ……彼は、私を愛しているのよっ! 私達は運命の相手なんだからっ!」
「……早く連れて行きなさい」
「いや! やめてっ!」
きっとこれは何かの間違いよ。
バージル様はすぐに助けに来てくれるはず。私は王宮の薄汚い地下牢に連れていかれた後もバージル様が迎えに来てくれると信じ続けた。