第75話
「そうなんだ! 信じてもらえないかもしれないが、レオノアから離れることが苦痛で……これでも目覚めたばかりのころに比べると大分マシになった方なんだ」
「へえ?」
「今もずっとレオノアのことを考えてしまっている。俺、ヤバくないか?」
ぐわっと両目を見開き、必死に弁明するエリオトットに吹き出してしまう。
「ちょっと必死すぎよ。別にいいじゃない」
「いや、ダメだろ……」
「ねぇ、本当はレオノアのこと……って、まぁそれは後でゆっくり聞くことにするわ。バージル様を助け出してからね」
「そうしてくれ」
「それよりもバージル様よ! リリーが言っていたの。違法のものでまだ世の中に出回るべきものじゃないからちゃんと効いてるか不安だって。きっと前世の知識を悪用していると思うの」
「そういえばリリーは俺の知らない“その先”を知っているらしいからな。もしかしたらまだ未完成だがいずれは記憶操作を出来る薬になるのかもしれない」
「……恐ろしい薬だわ」
「気を付けろよ。俺も一緒に行ければ良いんだが……」
「いいわよ。レオノアから離れられないものね」
「……そうだよっ! それに突然眠気に襲われて動けなくなることもあるから邪魔にしかならないだろうし」
少しからかいすぎたかしら。
最初からエリオットを連れて行くつもりはなかった。それにまだ全快していないエリオットを連れて行くなんて言ったらレオノアが怒り出してしまいそう。むくれているエリオットの肩を叩き、「良い子で待ってなさい」と言ったら今度は怖い顔で睨まれた。
「本当に気を付けろよ。リリーはマジでヤバいぞ」
「うん。知ってる」
そんなことエリオットに言われずとも知っている。
早く王宮へ行こう。バージル様を助けるために。
「おほん、もういいか?」
突然声をかけられ、声のする方を見るとアーノルドが立っていた。
「あら、アーノルド様。どうかしましたか?」
「どうかしたかだって? エリオットが身動き取れないんだから、俺がアシュリーちゃんをバージル様の所にお連れしないと」
「本当によろしいのですか?」
「それはもちろん」
差し出されたアーノルドの手を取り、感謝の言葉を口にするとアーノルドは楽しそうな笑みを浮かべている。
わたし一人じゃ不安過ぎるもの。アーノルドが手伝ってくれるならとても心強いが、巻き込んでしまって大丈夫なのかしら。エリオットもアーノルドの手を借りるのは賛成のようで、わたしを見つめて力強く頷いた。
「……アシュリーに何かあったら、目覚めたバージル様が恐ろしいからな」
ぼそっと呟いたエリオットの一言にアーノルド様が「全くだ」と肩をすくめる。自惚れているわけではないが、確かに二人の言う通りかもしれない。
それでは遠慮なく……ということで、わたしはアーノルドに案内されて王宮へと向かうことにしたのだった。
馬車での移動の最中に「落ち着いて聞けよ」と話し出したアーノルドから聞いたのだが、わたしを取り巻く状況はいいものではないようだ。というか、かなり悪いらしい。
目覚めたばかりのわたしには聞かせられないと伏せられていた話によると、リリーの証言によって誘拐犯の仲間とされたわたしの家族は屋敷に幽閉されているらしい。
今はまだ事件の全容が詳らかになっておらず、リリーが作り出した存在しない誘拐犯も捕らえられていないためまだ裁かれていないが、わたしが誘拐犯の仲間ならば一族郎党を直ちに処刑すべきという声は少なからずあがっていると聞かされ目の前が真っ暗になった。
王子の意識も戻らず、誘拐した犯人の足取りも掴めない。ならば王子が連れ出された原因を作ったと思われているわたしの家族がまず命をもって償い、責任をとるべきだということらしい。
「……やってくれたわね、リリー」
落ち着け、わたし。
震える手をぎゅっと強く握り、自分に言い聞かせる。
ルーナの罪が全てわたしのせいにされており、今すぐじゃないが家族に危機が迫っている。何としてでもバージル様を助けだし、家族のことも救わなければならない。
これじゃあ、まるで乙女ゲームのシナリオ通りじゃないか。
破滅への道が開きかけている。
嫌だ! そんなことさせないわ。
バージル様の意識さえ戻れば、リリーの悪事を白日の下に晒すことが出来るはず。破滅なんて未来は絶対に回避よ。
そんなこんなで今わたし達は王宮に忍び込んでいるわけだが、忍び込めたのはアルフィローネ様とクラークの手助けがあったからだ。
アルフィローネ様はわたしが生きていたことを泣いて喜んでくれ、リリーに陥れられた経緯を説明するとバージル様の側を離れようとしないリリーを引き離す役を買って出てくれた。
今、リリーはアルフィローネ様と一緒にいる。
つまりバージル様に会いに行く絶好のチャンスということだ。
クラークは王宮の情勢をこっそり調べてくれていたらしい。その結果どうやら王宮にはリリーの信者のような大人が数多くいることが分かった。
学園に入学して間もない時から複数の男子生徒を引き連れて校舎を練り歩いていた。リリーには相手の心を引きつけて、夢中にさせる魅了みたいな特殊能力でもあるのかしら。
リリーがバージル様を連れて帰って来た時に偶然クラークも王宮に居たらしいのだが、運ばれるバージル様の横に寄り添うリリーの背後には爵位持った男達が列を作っていたらしい。若い男もいたが、自分の父親よりも年配の男もいて異様な空気を放っていたそうだ。
そんな大人達がどんどん増え徒党を組み、わたしの家族を処刑するように国王様に嘆願しているらしい。バージル様の身に起きた不幸の責任は死んだことになっているわたしにあり、そんな娘を育てた家族も同罪だと訴えているとか。アーノルドが馬車で言っていたのはこのことだった。
他にもバージル様が帰還してから数日しかたっていないのに、献身的に看病するリリーを次の婚約者にと押す声まであるらしい。
全てリリーの望む通りに進んでいるのだろう。
邪魔なわたしを排除し、バージル様が目覚めればハッピーエンド。
でもそう上手くいくかしらね?
「アシュリーちゃん、この部屋だ。早く来い」
「今行きます」
「部屋の中にクラークがいるはずだ。俺は部屋の前で待機して誰も近寄らせない」
アーノルドが開いた扉の隙間からするりと室内に入る。
見張りはアーノルドに任せよう。室内を進むと天蓋付きの大きなベッドが部屋の真ん中に置いてあり、その上にバージル様が横たわっていた。ベッドの傍にはクラークが待機しており、薬のせいで身動き取れずにいるバージル様を守るために控えていたようだ。
「遅いですよ、アシュリー先輩」
「遅くなってしまってごめんなさい。それでバージル様の様子は?」
「相変わらずですよ。リリーのことはアルフィローネ様が引き離してくれていますがいつまでもつか分からないので」
「……そうですわね」
ベッドのすぐ近くに膝をついてしゃがみ、瞳を閉じたままのバージル様の手に触れる。触れたところはひんやり冷たいが、とくとくと動く脈音を感じて涙が溢れた。
無事だ、生きていると頭で分かっていてもこうして自分の目で確認出来たことで安心し、無意識に泣いてしまっていたらしい。
「バージル様」
白皙の頬に触れ、影が出来ている長い睫毛が動かないかと期待してしまう。早く目覚めて、わたしの大好きな黒い瞳で見つめてくれないだろうか。
「……アシュリー先輩、僕も部屋の外で待っていますね」
おっと、一瞬クラークの存在を忘れていた。
「は、はいっ! 分かりました。クラーク様、本当にありがとうございました」
足早に部屋を出て行ったクラーク。
空気を読んでくれたのだろうけど、ちょっと恥ずかしい。
「ねぇ、バージル様。起きていますか? わたしの声聞こえていますか?」
名前を呼んでみても深い眠りの底にいるみたいで反応がない。
そういえばエリオットが周りの音は聞こえているのに身体を動かすことは出来なかったって言っていたっけ。
まるで童話に出てくる美しい眠り姫のようだ。
バージル様がお姫様ならわたしは救いに来た王子様ってところかしらね。
「……わたしのお姫様、早くお目覚め下さい」
わたしは瞳を閉じ、そっとバージル様の唇に口付けを落とした。