第8話
どこかとろんとした表情でバージル様は続ける。
「……伯爵家に来たのは偶然だったが、ここに来れてよかった」
最後の方は呟きのように小さくなっていく。バージル様はそのまま瞳を閉じてしまい、すぐに寝息まで聞こえてきた。
相変わらず目の下にくまがあるので夜眠れていないのかなとちょっと心配だった。少しでも眠れればいいのだけれども。それにしても食事の心配に睡眠の心配まで、わたしは最近バージル様のことばかり考えている気がするわ。
「……アシュリーお嬢様」
どうやらロゼが戻ってきたらしい。身体を動かしてしまったらバージル様が起きてしまいそうだったので、「バージル様が寝てしまったから静かに」とロゼの方を見ずに言う。
「あの、お客様が」
「お客様? わたくしに?」
「いえ、バージル様に会いにいらっしゃったそうなんですが」
「あらそうなの? それじゃあバージル様を起こした方がいいかしら?」
「いや、それには及ばない」
第三者の声に思わず首だけ振り返る。
ロゼと一緒に黒い騎士服の大柄な男が立っていた。服の上からでも分かる鍛えた身体。炎のように真っ赤な髪はサイドとバックを短くしたツーブロックで、癖のある髪をオールバック風に流している。三十代くらいだろうか? 目を大きく開いて驚いた顔でこちらを見ている男が動かないようにとわたしを手で制して止める。
「俺は第二騎士団の団長のメイナードだ」
何と。第二騎士団とは王族警護を許された騎士団だ。
強いだけじゃなく、家柄も良くないと入れないらしい。このメイナードもおそらく伯爵家以上の階級の貴族様なのだろう。しかも団長だ。バージル様と同様に失礼は許されない方だ。
「わたくしはアシュリーと申します。座ったままの挨拶になってしまい、謝罪致します」
「いや、それは構わないのだが」
メイナードはわたしとバージル様が座る椅子の前までやってきた。ぐっすり眠りこんでいるバージル様を見て、今度は口をぽかんと開ける。
「バージル様が昼寝とは珍しい」
バージル様の寝顔と、わたしと繋いだままになっている手を交互に確認し、ふむと顎を触りながらメイナードは何度か頷いた。
「ずいぶんと無防備な」
「夜あまり眠れていないみたいで、だから眠くなってしまったのだと思います」
「いや、まぁ……バージル様の睡眠不足はいつものことだ。城にいた時から眠りが浅く、護衛の者がうっかり近付き過ぎたくらいで目覚めてしまうような方だったからな」
「まぁ、そんなに眠りが浅いだなんて大変ですわ。だからバージル様の目の下にはいつもくまがあるんですね……」
「そうだ。だが、会話をしていても目覚めないとは」
熟睡しているバージル様を見るメイナードの視線から安堵のようなものを感じる。メイナードのきりっとした一重の目がちらりとわたしを見て笑った。強面だった顔がくしゃっとなったそのギャップにきゅんとなる。
何この人、ちょっと可愛いかも。
「お嬢さんと一緒だからかな?」
「そうだといいんですけど」
ふふふと笑っているとバージル様の頭が肩から滑り落ちて膝の上に落ちてきた。膝枕状態になってもバージル様が起きる気配はない。「本当に驚いたなぁ」とメイナードは寝たままのバージル様を見てしみじみ呟いた。
本当に珍しいことなのだろう。
「あの、メイナード団長様、よろしければバージル様を客室に運んでいただけますか? 私の膝なんかじゃなく寝台の上でゆっくり眠れるように」
「そうだな。俺が運ぼう」
「お願いします」
メイナードがバージル様をそっと抱き上げる。所謂お姫様抱っこだ。
しかし熟睡していたはずのバージル様は抱き上げられてすぐに目を覚ましてしまった。目を開けメイナードの姿を見たバージル様の表情は無だ。
「……メイナード、降ろせ」
「何だ、バージル様。もう起きたのですか? 寝台にお連れしようと思っていたんですよ」
「何でここに?」
「王の命令です。バージル様が突然行き先を変えたことを王は心配なさったのです」
「……どうせ口だけだろ。いいから降ろせ」
バージル様は今まで聞いたことがないような低い声でメイナードを拒絶する。メイナードの肩を突き放すようにしてバージル様は床に降りた。
眠っているバージル様を見つめるメイナードはとても優しそうで、良好な関係なのかなと思っていたが二人は仲が悪いのだろうか? バージル様はそれ以上何も言わずに俯いてしまった。
「バージル様?」
名を呼ぶとバージル様は顔を上げてわたしを見た。
「……アシュリー」
「はい」
「アシュリー、眠い……」
「眠っていいんですよバージル様」
ふらふらと不安定に身体が揺れ、倒れそうになったバージル様を抱き締める。立ってられずにもう一度椅子の上に逆戻りだ。「たすけて」「ねむい」とわたしの肩に顔を埋めたバージル様の小さな声が聞こえ、宥めるためにゆっくり背中を撫でる。長椅子でもあれば良かったのだが、残念ながらこの椅子じゃ足を伸ばすことが出来ない。
結局最初のようにバージル様に肩を貸して仮眠させてやることにする。メイナードにも、多少窮屈でも良いからそのまま寝かせてやってほしいと頼まれたのだ。座ってすぐにバージル様はまた眠りについてしまった。
「……また眠ってしまったみたいです」
バージル様を起こしてしまわないよう注意しながらメイナードに声をかける。
「キミはすごいな」
「何がすごいんですか?」
「バージル様がそんなに気を許しているところを初めて見た」
「まぁ、そうなのですか?」
「他の王子に比べてとにかく気難しい猫みたいな子だからな」
メイナードはバージル様の秘密を知っているのだろうか。
普通の人には見えないものが見えていることを。そのせいでとても苦しんでいることを。でもそれは見えない人間には理解することは難しい。
「ふふふ、猫だなんて。第二王子のことをそんな風に言って良いのですか?」
「赤ちゃんの頃から知っているからついな。バージル様には内緒にしておいてくれ」
「分かりましたわ」
「それとキミのお父さんには言ってあるんだが、しばらくここで世話になることになる。俺と騎士団から数人がバージル様の護衛のためここに派遣されることになった」
「まぁ! そうなのですね。それではこれからよろしくお願いします」
夕食のバーベキュー用の食材は追加が必要ね。
騎士の方達ならきっとたくさん食べるでしょうから。