第74話
「アシュリーちゃん、この部屋だ。早く来い」
「今行きます」
アーノルドの案内でわたしは王宮の通路を走っていた。
長かった水色の髪を肩の辺りで切り揃えて邪魔にならないように一つに結び、アーノルドが昔着ていたという男物の服を着た今のわたしは中性的な少年に見えるだろう。
なぜわたしが貴族の娘らしからぬ姿で王宮にこっそり忍び込むような真似をしているかを説明するには少し前に遡らないとならない。
カトレア様の部屋で身支度をしていた時、自分の髪が片側だけ短くなっていることに気が付いた。そういえば皆が気の毒そうな顔をしてわたしのことを見ていたのはこれも原因だったのかもしれない。
貴族の娘は長く美しい髪をしているのが一般的だからね。
「あれ、切られたのかしら? まぁ、仕方ないか」
犯人は間違いなくリリーだろう。
長い髪を気に入っていたが左右の髪の長さをばらばらにしておくわけにもいかない。前世の感覚で言わせてもらえば、この派手な顔付きならばベリーショートだって似合うと思うのだが、そこまでいってしまうと貴族社会には受け入れてもらえそうにないので諦める。
髪の長さを短い方に合わせて切るから鋏を貸してほしいと身支度の手伝いに来てくれたレオノアとカトレア様に伝えると驚かれた。泣きそうになりながら「髪ならきっとすぐ伸びますわ」と慰めてくれるレオノアには悪いが、こちらはそこまで落ち込んでいない。
綺麗に手入れをしていたからちょっと残念だな、勿体無い。くらいにしか思っていなかったので、気を使わせてしまって逆に申し訳なかった。
「貴女の服はボロボロでとても着られる状態じゃなかったのよ。本当なら私の服を貸してあげられればいいのだけど……」
微笑むだけで決定的なことは言わなかったがカトレア様が何を言いたいのか二人の視線の動きですぐに分かった。カトレア様のたわわに実った両胸が答えだ。
年頃の少女と比較しても慎ましいサイズをしているわたしの胸じゃカトレア様のドレスを着こなすのは不可能だ。言い訳じゃないけど、わたしじゃなくても無理。腰は細くて巨乳という羨ましい体型をしたカトレア様のために作られた特注品のようなドレスを着こなせる人はきっとそうそう居るまい。
「ごめんなさいね。だからアーちゃんの昔の服を準備したの」
「アーちゃん?」
アーちゃんとは誰? と、首を傾けるとレオノアが小声で「アーノルド様のことです」と教えてくれた。親しげな愛称呼びに謎は更に深まる。事情を知っているようなレオノアも説明しづらいようで、困った顔になってしまったためそれ以上は聞かないことにしたのだが、答えはわたしの着替えを持ってきたアーノルドによって説明された。
どうやらカトレア様は、アーノルドの実母らしい。
実は複雑な家庭環境で育ったアーノルド。
アーノルドは父親である公爵様と妾だったカトレア様の息子で、正妻との間に跡継ぎが生まれなかったため幼い頃に公爵家に引き取られたという複雑な過去があるとか。
苦々しい表情からあまり良い記憶じゃないのだろうことは察することができる。
ずっと母親に会わせてもらえていなかったらしいのだが、自分でカトレア様の居場所を突き止めてこっそり会いに来るようになったそうだ。
今回も誘拐騒動の現場がカトレア様の住む場所に近かったことを心配し、様子を見に来た時にわたし達が保護されていることを知ったんだって。
カトレア様の灰色の瞳を見た時に誰かに似ていると思ったのが、二人が並ぶと良く分かる。アーノルドとカトレア様が母子ならそりゃ似るわよね。
「アーノルド様はお母様似だったんですね。美人なお母様に感謝ですよ」
アーノルドの表情が吃驚したものに変わったのが見えた。
何に驚いたのか分からなかったが、すぐに表情を引っ込めてしまったので気のせいかもしれない。着替えを受け取る時もアーノルドからちらちらと視線を感じるのだが何も言わない。わたし、何か気に障るような失礼なことを言ってしまったかしら。
「何か?」と気持ちを込めてにっこり微笑むと、じろじろ見てしまって悪いと謝罪された。
よく分からないが、わたしが悪いわけじゃないってことでいいのかな?
髪をばっさりと切り、男物の服を着たらまたみんなに複雑そうな顔をされたが、エリオットだけは変わらない表情だった。エリオットも日本での記憶があるのでわたしと同じような感覚なのだろう。
王宮へ出発する前にレオノアと離れたがらないエリオットと二人だけで話す時間を何とか作ることが出来た。
離れたがらないというか、離れられない状況のように見える。
「……ねぇ」
「俺もよく分からない」
何を聞かれるか分かっているのだろう。
苦しそうな顔をして話の途中で遮るエリオットは椅子の上で膝を抱え、そわそわと視線がなにかを探している。何かというか、誰かか。間違いなくレオノアを探しているわね。
「連れ去られてから何があったか聞いてもいいかな?」
「薬のことだろう? バージル様も同じのを飲まされたっていう」
「そうよ。何か分かることある?」
「レオノアに怪我をさせたくなかったら飲めって薬を渡された。俺は実験で、効果があるようならバージル様に飲ませるって言ってたぜ」
まるでわたしとバージル様の時みたいな展開だ。
「……それで?」
「リリーは記憶を操作する薬だって言ってたんだろ?」
「ええ」
「あの薬じゃそんなことは出来ない。あれは植物人間状態っていうのかな? 仮死とは違うと思うんだが……とにかく飲んだ直後に身体が冷たくなって、意識がなくなった。このまま死ぬのかって覚悟をしたが、暫くして意識は戻った……だけど、身体は全く動かなくてさ。周りの音は聞こえるのに目を開けることすら思った通りに出来ない状態だった」
「……そんな。それじゃあエリオットはどうやって?」
「薬を飲まされてから俺が目覚めないからリリーも随分やきもきしていたみたいだったぜ。そんで俺が動けるようになったきっかけって言うのが……」
珍しく言葉を濁し、言いにくそうにしているエリオット。
頭を乱暴に掻いてから両手で顔を覆う。気のせいかエリオットの耳が赤いような?
「いや、実はさ」
「実は?」
もにょもにょと聞き取りづらい声に「え?」と聞き返す。
「はっきり言いなさいよ。聞こえないんだけど」
「キスッ!!……した」
きょとん。
え? 今、キスって言った?
指の隙間から見える目元も耳と同じく赤かった。
「……え、誰と? まさかリリー?」
「違うっつーの。……レオノアだよ」
「あ、え、そうですか。おめでとうでいいのかしら?」
「いやっ! 違う。そういうことじゃなくてだな」
その後にエリオットから聞いた話は驚くことばかりだった。
身動き出来ずにいたエリオットにレオノアがキスし、そしたら不思議なことに身体が動くようになったということらしい。
「凍えきった身体に一気に熱が戻り、生まれ変わったみたいな感覚だった」
キスで目覚めるなんて童話の世界みたい。
疑わしいものを見る目でエリオットを見ると「本当だって」と目を三角にして怒りだす。いや、信用していないわけじゃないけど、正直「え?」となる話だったから、それが無意識に目付きに表れてしまったみたいだ。
「ごめんってば。それじゃあバージル様も同じ状態なのかしら?」
「これも多分、としか言えないがそうだと思う」
キスで目覚めさせるなんて出来るの?
前世の記憶と照らし合わせるとそんなファンタジーなこと有り得ないでしょってなるのだが、今世の常識では有り得ないことと否定出来ない。乙女ゲームの世界というのを加味すると可能性はあるのかもしれない。
「あ、もしかしてレオノア様にくっついて離れないのも何か関係があるの?」
わたしの質問にエリオットは首がもげるのでは? と不安になるくらい勢いよく頷いた。