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第71話





 頬に痛みを感じて目を覚ますと薄暗い森の中にいた。鬱蒼とした木々に太陽の光が遮られ、地面は湿っている。そこにわたしは俯せで倒れ込んでいた。意識を失う前は馬車にいたはずだが、いつの間にこんなところに……わたしはどれくらい意識がなかったのだろうか。

 吐き気と眩暈がする。まるで頭をぐるぐる揺らされたみたいな不快感が襲い、考えることを拒否してしまう。重くなる瞼に逆らえずに意識を手放してしまいたかった。

 しかし、もう一度頬に強い痛みが走り、眠る事は許されなかった。


「あら、ようやく起きたのね? 人を叩くって叩く方も痛いっていうけど本当よね……私の手が痛いわ」


 最悪と言いながら自分の手のひらを振っているのはリリーだ。

 口の中が血の味がするのはリリーに頬を叩かれたせいらしい。


「頬を叩いても全然起きないから死んじゃったのかと思ったわ。どう目覚めの気分は? まぁ、気分なんてどうでもいいか。今からここにやってくるバージル様の選択次第ではアンタ死んじゃうんだし」



 死にたくない。

 でも、来ちゃダメだよ……バージル様。きっとリリーはもう説得出来ない。何をしでかすか分からないレベルまでいってしまっている。

 乙女ゲームのヒロインになることに固執しているリリーは、バージル様に理不尽なことを求めるだろう。



「リリー様、大変です。連れてきた二人が逃げました」

「はぁっ? 逃げたってエリオットとレオノアのこと? それじゃあエリオットの意識は戻ったってことかしら」

「分かりません。ただ、ルーナの姿も見えません……あいつが手助けしたのではないかと思います」

「ちっ! 怖じ気づいたのね」

「どうしますか? 俺達のことをバラされたら……」

「まだ大丈夫よ。バージル様が正気に戻って私を愛せばそれで全部解決だわ。あー、バージル様はまだ来ないのかしら? 早く会いたいわ」


 頭の痛みを堪えながら意識を保っていると、急に周りが慌ただしくなった。

 リリーのもとにやって来た男の報告を聞いてわたしは少しだけほっとした。

 エリオットとレオノアとルーナが逃げたということは三人はまだ無事なのね。よかった、本当によかった。


 安堵して気の抜けたわたしの意識は再び沈んでしまった。






「……ふふふ、これでようやくシナリオ通りになるわ」


 リリーの声。


「やめろっ! アシュリーに手を出すな!」


 バージル様の声もする。


 顔を上げるのも億劫になるほど気分が悪かった。

 それでもバージル様の怒りの声に反応してゆっくり身体を起こそうとするのだが、首元に鋭い痛みがある。


「あら、ようやく起きたのね? 動いたら首が切れちゃうわよ」


 言われて首元の痛みの正体を知った。

 顔を少し動かすと切れ味の良さそうな剣がわたしの首元にあり、血が滴っているのが見える。生きているけど、最悪な状態は続いていたらしい。剣を持っていたのは顔を隠したリリーの仲間の男で、リリーはわたしのすぐ横で仁王立ちし、妖艶な笑みを浮かべている。残酷なショーを楽しんでいるのはギラギラとした瞳の輝きで分かった。


 口の中が血の味がするなと思ったが、それもリリーに頬を叩かれたせいで切れたのだと思い出した。心身ともにぼろぼろなわたしの視界にバージル様の姿が入る。あー、バージル様だと伸ばしかけたその手をリリーに踏まれた。


 痛かったが声も出ない。


「やめてくれっ! 何でもする。だからアシュリーを解放しろ」

「話が早くて助かるわね……それじゃあこれを飲んで下さい。そうしたらバージル様の望み通りアシュリーを解放するわ」


 リリーは小指ほどの小さな小瓶をローブのポケットから取り出してバージル様の方に投げた。小瓶はバージル様の手に落ち、躊躇うことなく小瓶の蓋を開けようとしている。


「ばー、じる様っ!」


 掠れていたが思ったよりも大きな声が出た。

 自分の叫び声が頭に響いたがそんなことに構っていられない。リリーのバージル様に対する執着がどう作用するか分からないのに、何か分からない怪しげなものを飲むのは絶対駄目だ。


「やめて、飲まないで」

「……アシュリー」

「だめよ、絶対にっ……お願い、それを捨てて……」


 わたしが捕まってしまったせいでバージル様が危険な目に合うなんて自分が許せない。目に涙が滲みバージル様の姿が揺らぐ。


「リリー、約束は絶対に守れよ」

「バージル様が私のお願いを聞いてくれるなら私だって約束を守るわ。アシュリーには手を出さないであげる」


 お願い、やめてと小さく首を振ってもバージル様は聞いてくれるつもりはないようだ。止めようとするわたしを無視し、バージル様はリリーの言うとおりにする気だ。小瓶の蓋を開け、ようやくわたしを見てくれた時には少しだけ困った顔になっている。

 覚悟を決めてしまった、そんな顔だった。


「アシュリー、泣くなよ」

「ご、ごめんなさい……全部わたくしのせいです、だから……」

「愛してる、アシュリー」


 そう言って小瓶に入っていた液体を一気に飲み干したバージル様の身体はすぐに横に傾き、そしてそのまま倒れてしまった。

 倒れていくバージル様の姿がとてもゆっくり見え、一人だけ違う時間の流れにいるみたいに感じた。あとからあとから溢れ落ちる涙を拭うことも出来ず、崩れ落ちたバージル様から目をそらすことも出来ない。


 バージル様の身に何があったのか、考えることを頭が拒否している。



「い、いやだっ! バージル様!」



 身体の力が入らず起き上がることが出来ないので、地面を這ってバージル様の方へ近寄ろうと試みるが遠すぎる。バージル様の名を呼んでもピクリとも動かない。

 まさかリリーに死に至る毒を飲まされたのではないだろうか。最悪な結末を想像し、震えてしまう。


「ふふふ、バージル様」


 絶望しかけたわたしの横を走り抜け、甘い声で倒れたバージル様の名を呼びながらリリーは素早くバージル様のもとへと駆け寄り、覆面の男の手を借りて助け起こそうとしていた。


「さぁ、早く私のバージル様を王宮に運び込みましょう」


 ぽかんとした顔になっているわたしをリリーは「バカね」と見下した表情で見る。


「私がバージル様を殺したとでも思った? そんなことするわけないでしょ?」

「いきてる、の?」

「ええ、バージル様は死んじゃいないわ。リセットされただけ」

「リセット?」

「そうよ。バージル様が飲んだのは記憶を操作する薬。違法のものでまだ世の中に出回るべきものじゃないからちゃんと効いてるか不安だけど、エリオットが飲んで平気だったみたいだから多分大丈夫でしょ。意識が戻ったらきっと私が特別だってバージル様も気が付くわ」


 記憶を操作する?


「でもバージル様がこんな目に合うのはアンタが悪いのよ。全部全部ぜーんぶ、アンタのせい」


 リリーが顎でわたしの側に残っていた男に合図を送る。


「バージル様と約束したから私はアンタを殺さない。でもアンタ邪魔なのよね……私とバージル様の未来にアンタは必要ない」


 男はわたしの両腕をロープで一つにしてきつく縛り上げてしまう。ただでさえ身動き取れない状態だったのに、背中側で両腕を結ばれてしまったら何も出来ない。


「あはは、芋虫みたいね。いい気味だわ」

「……何でこんなことをするのよ」

「何で? アンタのことが大っ嫌いだからよ。もう二度と私の前に現れないでちょうだい。悪役令嬢のアシュリーちゃん」


 どうやらわたしをここに置き去りにしていくつもりみたい。

 覆面の男達が二人でバージル様を連れ去ろうとしている。ぽつりぽつりと雨まで降り出し、このまま放置されたらきっと私が何もしなくてもアンタ勝手に死んじゃうわねとリリーの楽しそうな声が静かな森に響いた。


「それとも血の臭いに集まってくる獣の餌になっちゃうのかしら?」


 それも最悪の結末の一つだが、バージル様が生きているならそれでもいいか。


「さよなら、アシュリー」


 リリーはそう言い残し、覆面の男二人と意識のないバージル様を引き連れて振り返りもせずに森の中へと戻っていった。わたし一人を残して。

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