閑話 王子様の選択2
アルスが準備した馬に乗り、私は地図が示していた場所へすぐに向かう。
王宮を出る時にアルスから報告があった。
『アシュリー様の他に二人の女子生徒が学園から姿を消したそうです』
姿を消した二人の生徒のうち一人が転入生のリリーと聞いた時は舌打ちをしたい気分になった。一緒に連れ去られたのか、それとも別々に連れ去られたのか分からないが、リリーの名前を聞いてからなぜか嫌な予感がする。
アシュリーはリリーのことを気にしていた。する必要のない余計な心配までしていることを知ったのはつい先日のことだ。リリーに対して劣等感のようなものを感じていたらしい。
それはリリーの特別な力が関係しているみたいだが、私はアシュリーがそんなことで不安になっているのかと逆に驚いた。正直、人ならざるものが理由だなんて馬鹿げていると。
そんなことが些細なことに思えるくらい、アシュリーがどれだけ特別な存在なのかもっと伝えたいことはたくさんある。
アシュリー、絶対助けるから大人しく私のことを待っていてくれ。
ようやく辿り着いた場所は森の中にある、朽ちて今にも崩れ落ちそうな小屋だった。
馬から下りて静かに小屋に近寄る。窓から小屋の中を覗き見ると、小屋の隅に小さく丸まっている人影が一つ見えた。
「アシュリーっ!」
冷静に考える間もなく小屋の扉を開けて丸まっている人に駆け寄る。
ローブから覗く細く白い手を握り、抱き上げて深く被っているローブを外すと期待した人物じゃなかった。
「……リリー」
「ああっ!バージル様っ。怖かったわ」
「……アシュリーはどこだ?」
「私を心配して助けに来てくれたのよね? ありがとう」
「話を聞け。アシュリーはどこにいる」
腕の中にいる存在がアシュリーじゃないことに失望を感じながら放り出す。まさか手を離されるなんて思っていなかったリリーは薄汚れた床の上にそのまま落ちた。
「いたっ……ひどいです、バージル様」
「それより答えろ。アシュリーは?」
床にぺたりと座り込んだままリリーは信じられないと言いたげに瞳を見開いて責めるように私を見上げている。
「……アシュリー、アシュリー、アシュリーって、それしか言えないわけ? バージル様のヒロインは私でしょ?」
「なにを言っている?」
「ねぇ! 私が特別だとは思わない? 私を自分だけのものにしたいと望んでいるんでしょ!? だったらそうしなさいよっ!!」
服の裾を掴み必死に言い募るリリーはどこか不気味だった。
目を血走らせ、バージル様と何度も私の名を繰り返して呼ぶリリーはまるで壊れた人形のようにも見える。意味が分からず、リリーの肩を押して距離を取った。
「そんなもの望んでいない」
「うそよっ。あの女に操られているのよね? 大丈夫。私なら解決出来るわ」
「私に近寄るな……お前、錯乱しているのか?」
「錯乱なんてしていないわ。貴方を幸せに出来るのは私だけよ。気がついているでしょ? 私と一緒にいる時、バージル様は嫌なものを見ないのでは? 眠れない夜に苦しむことも、具合を悪くすることもなくるのよ。あの女じゃそんなこと出来ないわ。私だけがバージル様を癒してあげられる」
じりっと一歩詰め寄られた分だけ離れる。
もう不快さしかない。お前に私の何が分かるというのか。
「今、目の前に見たくもない嫌なものがいるのはお前のせいでは?」
「え?」
「消えることなくずーっと私の目の前にいる。そのせいで吐き気がするのだが」
見下したままお前のことだよと鼻で笑うとリリーの顔が怒りで赤く染まった。求めるように伸ばしかけていたリリーの手がぶるぶると震え、そのまま下に落ちていく様子を見ながら言葉を続けた。
「眠れぬ夜の心配など最初からお前には関係のないことだ。アシュリーがどこにいるか知らないならお前に用はない」
もしアシュリーと出会うことなく孤独な幼少期を育ち成長していたら或いはリリーの能力に執着したかもしれない。しかしそんなもしもを想像しても意味はない。
私の隣にはいつも、苦しみを分かち合い一緒に恐怖に立ち向かってくれる特別な少女がいてくれたのだから。
これ以上の会話は無意味だとはっきり拒絶する。
アシュリーの居場所を知らないならリリーと一緒にいる意味はない。小屋の中をぐるりと見渡し、他に人がいないことや続き部屋がないことを確認してから小屋を出ようとリリーに背を向けて歩き出す。
「……知っています。アシュリーの居場所」
「何?」
歩きだした足を止めて振り返ると濁った目をしたリリーがこちらをじーっと見ていた。
感情の読めない表情をしていたが私と視線が合うと、唇の端を持ち上げてにたりと笑う。
「やっぱり一度リセットしないとダメなのね」
アシュリーがどこにいるのか問いただそうとした時に背後に人が立つ気配がした。気も漫ろになり、背後に立たれるまで人が近付いてきていたことに気が付かなかった。
背中に剣を押し付けられ、動くなと低くくぐもった声が聞こえる。顔に布を巻いているせいで声がこもって聞こえるようだ。顔は見えないが、私より背の高い男が立っていた。
「無駄な抵抗はやめてね。私はバージル様を傷つけたくないし、そんなバカなことしたらアシュリーが大変なことになっちゃうかもしれないわよ?」
「リリー様、このままでは危険なのでは? 誘拐もそうですが作戦が上手くいかなかったのならこの王子は処分した方がいい。これ以上の失敗はリリー様の首を絞めることになります」
「何を言っているのよ。そんなことさせるわけないでしょ……仕方ないわ。やっぱりあれを使うしかないようね」
リリーはローブについた埃をゆったりと払いながら私の前に立った。逃げられない私の胸から肩の辺りを撫で、うっとりした顔で身体を寄せられるとおぞましく、身の毛がよだつ気持ち悪さだ。
新たに現れた男に慌てることなく、会話を始めたこの女が一連の犯人ということか。
「……そうか、誘拐の犯人はお前か」
「もう、犯人だなんてそんな意地悪な言い方をしないでよ。私は貴方のためにやったんだからね」
「ふざけるなっ!」
「安心して。すぐに全部をリセットしてあげるから」
この女には何を言っても話が全く噛み合わず苛立つ。
今すぐ離れてしまいたかったが、アシュリーの身の安全が優先だ。背中に両腕を回して抱き締めてくる女がどんなに気持ち悪くても動かずに我慢するしかない。
「早く全部終わらせましょう。さぁ、アシュリーのところに案内してあげるわ。着いてきて、バージル様」
小屋を出て、後ろにあった獣道のような細い道を進む。
私、剣を持った男、リリーの順番だ。背後から剣を突きつけられたまま指示の通り進み、鬱蒼とした深い森の奥に足を踏み入れる。木々が太陽の光を遮り、薄暗い道がどこまでも続く。「止まれ」と後ろの男に止められるまで歩き続けると、森の途中をスパンと切られたみたいな崖が現れた。
「崖に沿って歩け。落ちるなよ」
向こうだと指された方向に再び歩きだしながら崖の下を見る。
崖は高く、下はまた木々が生い茂っていた。落ちたらきっと死ぬ。
「止まれ」
草が生えていない岩肌の崖近くにアシュリーが倒れていた。
俺の背後にいた男と同じく、顔に布を巻いた男がぐったりと横たわっているアシュリーのすぐ近くに立っている。
「アシュリーっ!」
今度こそ助け起こすために走り出そうとすると男が腰から剣を抜き、アシュリーの首もとにそれをあてた。
「……動けばあの娘の頭は切り落とされる」
「わ、わかった。動かないからアシュリーに傷をつけないでくれ」
恐怖で頭が真っ白になる。
自分に何かされるより、アシュリーを傷つけられることを私は恐れた。
「あはははっ! 楽しくなってきたわね」
最後尾にいたはずのリリーが私の横をすり抜け、高笑いしながらアシュリーの方に向かう。肩を震わせ、楽しくて仕方ないというのを隠しもせずに笑い続けるその姿は、何をしでかすか分からない狂気を感じさせた。
「……ふふふ、これでようやくシナリオ通りになるわ」
「やめろっ! アシュリーに手を出すな!」
笑うリリーが私には悪魔のように見えた。